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2010年3月31日 (水)

副会長最終日

 一年が経つのは早いもので、今日で副会長は最終日となりました。
 また、正式に退任後、個別に退任の挨拶は郵送で遅らせていただくの予定ですが、この一年間はいろいろな人にお世話になりました。
 ここに厚く御礼申し上げる次第です。

 一応今日の12時が経過するまでは気を許さないつもりであるが、ほっとしているのが現状である。自分では大過なく過ごせたという思いであるが、周囲の評価はどうであったかはわからない。
 事務所にも迷惑をかけたし、依頼者にも迷惑をかけたことと思うが、その分、明日からは元通り、いや、これまで以上にいち弁護士としてバリバリとやりたいと思っている。
 

 今日一日何もなく、無事任期が全うできますように。

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2010年3月30日 (火)

小さいカバン

 休みの日に本屋に行くときでも、小さいカバンを斜めがけしている。今使っているのはノースフェイスの赤色のもので、出し入れするときにふたがガバッとあくので使いやすい。
 いろいろ試したが、口が大きい方が中で物が行方不明にならないので重宝している。

 私はジャケットやズボンに財布を入れるのが嫌いで(肩こり症なので)、普段からジャケットには万年筆二本とハンカチしか入れていない。休日でも同様で、何もかもジャケットに入れている人は肩が凝らないのか不思議である。

 バブルの頃のややこしそうな不動産業者がよく持っていたので、ポーチのようなのが嫌いなので、そういうのを持ってうろうろとしたことはない。これは私のイメージであり、ポーチを持っている人が嫌いというのではなく、私がポーチを持つのが嫌いなのであるが。

 女性は普段でも割と大きいカバンを持ち歩いているように見える。男性に比べると、化粧道具とかいろいろと持ち物が多いということであろうか

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2010年3月29日 (月)

会津若松

 勤務弁護士の頃、会津若松に事件があり、出張をした際、どう考えても夜遅くにしか帰ることが出来ないし、また、電車の予定にも少し時間があったので、市内観光をしたことがあった。

 会津若松は、豊臣秀吉によって蒲生氏郷に与えられたが、氏郷は若くして死亡したため、後に保科家が会津若松に転封された。後に幕末に京都守護として活躍した松平容保はこの家から出ている。保科家は、何よりも江戸の将軍を保佐し、立ちゆかせるべきであるという家訓があった。
 それは、この大名の成り立ちとも関係がある。徳川秀忠の子であったが、秀忠の妻の悋気がひどいため、保科正光の養子として育てられた保科正之をその祖としている大名であり、家光は秀忠の死語彼を実弟として認め、かつ、破格の厚遇をしている。会津松平家は徳川幕府にとって、親藩の中の親藩と目されていた。

 それが幕末の戊辰戦争の時の白虎隊の悲劇の原因となったのであろう。あの時代、誰しも京都守護職など引き受けることはしたくなかったに違いない。それを幕府からの命令であるからとして、守護職を引き受けた松平容保の心中はいかなるものであったかと思われるのである。
 白虎隊終焉の地を見て、その他歴史資料館を見た。確か記憶では白虎隊は地下水路のようなものを抜けて会津若松にたどりついた時、城が燃えていると誤信して自決するのであるが、地下水路を当時の技術で造ったその執念にも驚かされたし、多くの幕臣が新体制の政府に出仕したことと見比べると、白虎隊の潔さは一服の清涼剤のようにも思われたことを記憶している。

 なお、松平容保は、明治維新後は蟄居を命じられ、蟄居を許された後は、晩年を日光東照宮の宮司として過ごし、会津藩のことを語ることはなかったとされている。

 現在は福島地裁の支部があるだけであるが、幕末までは奥羽の外様藩を監視する重要な位置関係にあったのである。

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2010年3月26日 (金)

キシリトール

 あまり知られていないが、キシリトールで喘息発作が誘発されることがある。
 私は喘息もちなので、キシリトール入りの歯磨き粉で歯を磨いていたところ、息が苦しくなったことがある。私は、今は塩の歯磨き粉しか使わないようしている。

 先日、電車に乗っていると、息が苦しくなってきた。ガムの臭いがすると思っていたのであるが、どうもキシリトール入りのガムのようである。少し離れた席に移動したが、ガムのにおいは結構遠くまで漂ってくるのである。

 電車の中には優先座席で携帯電話を使用するなというものもあるが、喘息もちにはこうしたガムを噛まれると発作が誘発されかねないので、中々つらいものがあるが、ガムを噛むなともさすがにいえないであろうから、自分の方から離れるしかないのであろう。

 先日黄砂がひどかったが、あの日は一日息が苦しかった。黄砂については以前このブログで書いたが、中国の上空で有毒物質を含んで日本に来るという報道もあり、気管に持病を持つ人にとってはつらい話である。

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2010年3月25日 (木)

ものすごい臭い

 先日、通勤していると、前方からただならぬ悪臭が漂ってきた。
 明らかに人間の排泄物(しかも大人)の臭いである。

 前方から来るので、いずれかの人が駅の構内に排泄してしまっているか、漏らしてしまって、その臭いが流れてくるのかと考え、急いで前方に走り抜けたが、駅の構内にはそれらしい痕跡はなかった。ところが、ある人物を越えると臭いがしなくなった。

 老齢の人であり、ひょっとすると、認知症等でそのような状態になっていることが分からないのかと考え、非常にお気の毒な気持ちになったが、臭い自体は耐え難いもので、鼻が利く私としては、もしその人が車両に乗ってこられた場合、同じ車両に乗ることは不可能だと感じた。

 家族の目を盗んで出てきてしまったのであろうか。
 あるいは私の考えすぎか。
 なんとなくやりきれない思いであった。

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2010年3月24日 (水)

読書日記3月24日

「古城の風景 Ⅰ」新潮文庫。宮城谷昌光。
 風は山河よりで日本の戦国史を描いた著者の古城を歴訪する紀行文だが、城に対する描写は少なく、城にまつわる武将の話などを書いている。司馬遼太郎の「街道を行く」を模倣している感がある。表現もなんとなく似ているような気がするところがある。
 司馬遼太郎の思いで話しなども多々出てくるので、著者も司馬の影響を受けているということなのであろうか。もう少し古城の今の模様などを詳しく書いて欲しかった、と思う。

「W杯に群がる男たち」新潮文庫。岡崎健太。
 サッカーの放映権がなぜ高騰したのか、なぜ日本はワールドカップの単独開催を獲得できなかったのかー。FIFAの裏でされている権力闘争とそけに踊らされた日本、関連する企業などの裏舞台を描いたノンフィクション。秀作であり、加熱するサッカー人気の裏を知ることは暗澹たる気持ちにさせられることも事実だが、それだけサッカーが魅力的なスポーツだということなのだということもまた痛感させられる。

「宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編コレクション(下)」文春文庫。
 上巻中巻を呼んでこれから読む予定の本が積み重ねてある机の上で下巻が行方不明となっていたが、整理して発掘したので読んだ。
 「生けるパスカル」と「鴉」が秀作だと感じた。
 人間社会の闇を描かせたら松本清張はやはりすばらしい。多作であるが故の駄作もあることも否めないが、それでも清張の評価はこうした秀作で考えられるものだと改めて感じた。
 

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2010年3月23日 (火)

偽弁護士現る

 先日、全く知らない人から、「先生に依頼した件で、間に入っている人と連絡がつかなくなったので、どうなっているかと思って」ということで電話を貰った。

 聞いたところ、事件の内容も私も勤務弁護士も全く知らないし、電話をしてきている当の本人も私と会ったことはないというのである。どうも、間に入った人間に騙されているようで、ご本人もそのことに気づいた。ただ、費用は支払っていないということで、そのあたりがまだ救いではあった。本人によると、私と名乗る人物から電話で経過の説明も貰ったというのである。
 私になりすましている輩がいるということである。

 もちろん、間に入っているという人物も私には全く心当たりはない。
 京都には中という弁護士は私しか居ないから、よりにもよって目立つ名前を選んでくれたものである。電話して来られた人は、電話帳で私を調べたということである。

 受任もしていない事件で懲戒請求とかされたら嫌であるが、私を名乗って何か事件処理をされたら、それは私文書偽造であるし、弁護士としての行為をして費用を貰ったら弁護士法違反である。

 特撮では偽ウルトラマンとか、偽仮面ライダーとかが出てくるが、偽中隆志弁護士が出てくるとは驚きである。
 ただ、過去にも一度このような問い合わせがあって、対応したことが一度あったので、私の名前を騙っている人間がいるということなのであろうか。
 判明したらとことん追い込んでやるのだが、どこの誰とも分かりようがない。

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2010年3月22日 (月)

関西カップ2010

 20日の土曜日は第3回関西カップであった。全国大会後、1年間燃えるものがないということで、春先に何かイベントをやりたいという気持ちがあり、私が企画して始めた大会であるが、既に3年続いている。
 参加するのは大阪、神戸、京都の3地域で、それぞれ2チームずつ出して優勝を競うのである。
 今回の場所は出来たばかりの大阪堺市にあるナショナルトレセンである。いい場所を取ってくれた大阪弁護士会のサッカー部の皆さんに感謝である。当日はオーブン前イベントで他のコートでも試合が行われていた。

 今回は京都チームは人数がそれぞれ15名ずつくらいしかおらず、高齢者が多いマスターズチームのうち、昼から二人が帰るという人数不足の中での試合であった。フォワード要員がいないので、私もフル出場であった。ほとんどのマスターズチームメンバーがフル出場というしんどい大会となった。

 雨天の予想もされていたので、心配していた天候もほぼ快晴で暑いほどであった。しかし風が強く、風上になると非常に攻めやすくなり、前半と後半で戦い方を変えないといけない状況であった。

 マスターズチームは初戦神戸1と対戦。神戸の強い方のチームである。何とか集中した守りからのカウンターでむしろ押し気味に前半を進め0対0で折り返したが、後半に神戸チームに左サイドを突破され、そこからの低いセンタリングをキーパーが処理を悩み中途半端にはじいたところを詰められて先制される。その後もチャンスメイクしたが逆に終了間際1点を奪われ2対0で敗北。一試合空いてマスターズは大阪1と対戦。こちらも大阪1の強い方のチームである。
 こちらの試合は大阪1の落ち着いた試合運びにチャンスを少ししか作ることが出来ず、3対0で敗戦。キーパーが弾いた球がそのままゴールインするなど、キーパーの処理の誤りもいくつかあったが、それを除いても内容的には完敗である。
 当日は6つのチームを二つのリーグに分けてそれぞれのリーグの同順位同士が順位決定戦を午後から行うというものであった。これまで二回の関西カップで、京都マスターズはまだ一勝どころか一点も奪えていない。午後からの試合は何とか最下位は免れたい。

 京都1は3連覇をかけてリーグ戦を戦った。初戦は神戸2。京都1は昨年優勝しているので優遇措置として2の方のリーグなのである。結果は5対2で勝利。京都1のジュビロ磐田の前田選手と高校時代2トップを組んでいた京都のエース山田選手が爆発した。
 トップ下の栃木から来てくれている小沼選手とこの山田選手が前線にいると相手ディフェンスはなすすべがない。二人を押さえても2列目3列目から右サイドハーフの岩崎選手やボランチの牧野選手、関西カップだけ京都から出る金子選手、右サイドバックの飯田選手がいるので、止められないであろう。左サイドハーフの武田選手は、中華大陸で食べ過ぎた為に、自らが走るプレーヤーよりは人を使うプレーヤーになっていたが・・・。
 一方、センターバックには高速で走り続けられる宮崎選手、ハイボールに強い高選手、キーパーには安定感抜群の安田選手がおり、左サイドには最近ジムで鍛えだした大浜選手がいる。そして控えメンバーもタフさには定評がある田中選手、実は京都のリーサルウェポン秋重選手、当たりに強い青野選手、テクニックがある神子選手と層が厚いのである。

 2試合目の京都1の大阪2との試合は、6対1とこちらも完勝。途中で決勝に向けて山田選手などを休ませつつ、完勝した。岩崎選手のアウトサイドにかけたと見えたが実ははトーキックのシュートが決まったのも大きかった。小沼選手が爆発した試合であった。

 午後から京都2は最下位をかけて大阪2と対戦。大阪2はメンバーが前後半入れ替わるため、フレッシュな状態である。しかし、京都2はほぼ全員フルに出ている。
 走り負けないようにしなければいけない。
 一進一退の戦いであったが、フォワードに私、トップ下にテクニックと運動量のある高山修習生、左サイドに大幅に遅刻してきた水島選手、右サイドの何分保つかわからない遠山選手、ボランチに足が攣ってもおかしくない内村選手、テクニックと冷静なプレーが光る後藤修習生、センターバックに長身の小松選手(栃木弁護士会)、前線から厳しく当たってくれるファイト溢れるプレーの杉山修習生、左サイドに堅実なプレーが持ち味の高橋選手、左サイドは子連れの河野選手、キーパーはよく自分の体重で足を痛める藤川選手と見て貰えばわかるように修習生頼みの陣容で臨んだ。交代要員として、自分がいつまでも若いと思っている小松選手、ミスのないプレーが持ち味の市原選手、練習にあまり来ないがなぜか結構走れる西田選手である。

 後藤修習生がやや左寄りでボールを貰いドリブルに入る。その動きを見て私がファーサイドにフリーで流れる。相手のバックの戻りが遅かったが、私に二枚ついてきた。私がファーに二枚ディフェンスを引き連れたので、中央がぽっかりと空いた。
 後藤修習生が一人かわせばフリーになれる。切り返しでかわしてシュート。これがネットに突き刺さった。
 待望の一点。これを守りきって三年連続の最下位を免れた。

 京都1は優勝をかけて神戸1と戦った。一進一退の攻防で、あまり得点をされる懸念はなかったが相手が引いて守っておりこちらも得点チャンスがない。PKになればお互い優秀なキーパーを擁しているのでわからない。途中、山田選手が左肘を痛めるアクシデントもあったが、後半から再度出場。
 牧野選手のすばらしいコーナーキックを小沼選手のヘッドで一点。神戸もそれからは攻めてきたが危なげない展開。逆に、終了間際、右サイドハーフの青野選手がゴール前のセンタリングに飛び込み、2点目を奪い突き放した。
 そして終了のホイッスル。
 見事3連覇である。

 オジサンではあるが、オジサンなりに楽しめるサッカーもあるので、サッカーは辞められない。来年もこの関西カップが開催でき、私も出場出来るように精進しようと思うが、ついつい普段は酒を飲んでしまうのが悪い癖である・・・。

 

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2010年3月19日 (金)

修習生の就職活動

 たまたま就職担当副会長が修習生に京都の就職事情を説明しているところに居合わせたので(個別にはしてくれないので、念のため。問い合わせがあった修習生をまとめて集団でされていたのである)、私も横に座って聞いていた。

 修習生は真面目なのだと思うが、「どこで就職を考えているの?」と聞くと、「大阪か京都で」と言ったり、場合によっては、「弁護士か検察官かで悩んでいます」というのである。
 そういう時に私は、「京都に来ているんだから、京都しか考えていないといわないと、その時点で選考から漏れるよ」と指摘することにしている。同じくらいの優秀だと思われる修習生が2名いて、大阪か京都の人と、京都しか考えていない人のどちらを優先的に考えるかを少し考えれば分かるはずである。
 また、弁護士に就職の情報を聞きにきているのに、志望について決まっていないというのも致命的である。弁護士は「じゃあ検事になればいいではないか」と思って、その修習生は採用のリストから抹殺される。
 就職難の時代であるし、嘘も方便である。生の考えをいわなくともよいのである。
  だいたい検察官や裁判官は競争率が極めて高く、なりたいと思ってもなれないことも多いのであるし、就職もすんなり出来るかどうかもわからないのである。

 あと、弁護士は人と折衝することが仕事なので、採用する予定のない事務所の弁護士と話をする時でも、修習生をよく見ているし、それなりにやれそうかそうでないかは見られている。
 妙に自信があって偉そうな修習生は嫌われるか、物凄くかわいがられるかのどちらかであるが、後者であるためには本当に優秀でないといけない。
 基本的に弁護士の世界に入ってきている人はたいてい高学歴で勉強が出来た人たちばかりなので、修習生が妙なプライドを持っていてもダメである。これまで地元では神童と呼ばれて、ちやほやされていた修習生も、修習生になり、弁護士の前に来た時点でそんな過去やプライドは捨て去った方がいい。優秀な人はあまたいて、その中で本当に優秀と言われる人はほんの一握りなのである。

 逆に大人しいだけの修習生も頭の中から抹殺される。
  また、弁護士側からすると、弁護士の話にあわすことも出来ず、自分の話ばかりしたり、なれなれしい修習生も抹殺リストに入る。対人折衝能力が極めて重要な能力であるのに、気を遣うということが出来ないのは致命的だからである。
 ある程度気配りをし、明るく、はきはきと物をいい、ある程度自分を持っている(物凄く自分を持っていると、弁護士はそんなヤツいらん、となるのである)ようでないと就職はこれから難しいかもしれない。

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2010年3月18日 (木)

時刻表

 JRの時刻表が変わるというので、時刻表を買った。勤務弁護士時代に日本中を飛び回っていたことがあるので、時刻表を見るのは割合得意である。
 昔はネットで時刻表を検索ということもできなかったので、どこに行くにも時刻表が必携であった。
 時刻表でしこしこと路線図から時間を見るというのは、大半の人はしなくなっているに違いない。

 私はネットで調べることもあるが、ネットで調べただけでは何となく信用できず、路線図を見ながらもう一度時刻表で調べている。ネットだと条件によっては出てこない行き方が路線図を見ていると出てくることがある。
 地図で見ていると、実はいったんこっちに出るよりも空港からタクシーの方が近いのではないか等々がわかるが、ネットだとそのあたりが分かりづらいというところもある。

 新しい時刻表で、まずしたことは自分がいつも通勤に乗っている電車が残っているかどうかということであった。座れる電車でないと嫌なのである。首都圏では考えられない話であろうが、琵琶湖のある県に住んでいるので座って通勤も可能なのである。

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2010年3月17日 (水)

養子縁組の問題点

 親が死んだ後に遺産相続となった時に、遺産分割の交渉に入ろうとしたら、兄の息子が養子に入っていると言われて、全く聞いていなかったのに驚いて戸籍を取ると、養子になっているー。こういうケースは割合ある。
 特にやっかいなのは、親が死亡しているため、ホントウニオヤノイシデトドケデガサレタノカということが中々確認のしようがないということである。

 養子縁組によって、子と同じ相続分を得られることから、場合によれば縁組みによって数千万円や億単位での相続分の差が出ることがある。それにも関わらず、役所に対する届け出でよいので、本人が行かずともよく、本人が書いたかどうかも確認されないという恐ろしいものなのである。
 不動産の権利の移転には実印が必用とされるが、それすらもない。
 私がしたケースでは、本人がICUに入っている時に届け出がされていたケースがあった。これは訴訟をして無効が確定しているが、このようなずさんな養子縁組制度に対して、これまで問題にされた形跡がないことがむしろ不思議である。

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2010年3月16日 (火)

副会長の仕事

 弁護士会の副会長ももうすぐ任期が終わるのだが、実際「何をしているのか?」と聞かれることがある。なんとなく大変そうだが、実際何をしているのかわからないというところであろう。

 国の関係にたとえれば、弁護士会は会長と副会長が内閣であり、常議員会という選挙によって選ばれた30名の常議員という委員によって構成された会議が国会といえる。日常の弁護士会の予算執行や業務執行は理事者が行い、対外的な行為をしたり、規則を制定する場合には常議員会で承認を得る必用がある。

 副会長の日常の仕事としては、こうした常議員会に提出する議題の資料作成がまずあり、週に一度午後から在会当番ということで弁護士会に詰める。このときに、会員からなされる弁護士法上の照会手続きである23条照会の決裁を行い、補正があれば補正してもらう。そのほか、弁護士会内の書類について、5名の理事者で決裁を行うが、これが一日30~50くらいはある。緊急のものは副会長だけで決裁を行う。
 弁護士会に対してクレーマーのような人やわけの分からない電話がかかってきて職員で対応できない時には、そうした対応をすることもある。
 弁護士会の公益活動と業務を行う委員会というものが京都では80くらいあるので、4名の副会長は一人20くらいの委員会を担当していて、その委員会に基本的に出席して議論に参加する。そうした委員会に絡む懇親会やイベントがあると土曜日もつぶして参加する。
 あと、市民窓口というものがある。これは弁護士に対する苦情を受け付けるものであり、内容に理由があると思われるものは申し出人の要望に応じて会員に指導することもある。これは相談に来られる人が怒っているので、大変な業務といえる。

 1週間に一度は役員会があり、これで午後が潰れる。1週間のうち、午後が2回潰れるのである。

 こんなことをしているので、事務所にいる時間が少ない。
 3月末が待ち遠しいのである。

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2010年3月15日 (月)

酒を飲んで法廷に来る被告人

 刑事事件で、執行猶予か有罪かぎりぎりの事件があった。
 午前に事件を引き受け、午後一番で母親と会い、費用を用立ててもらって、その前に検察官と電話で話をして了承を取り付けて、保釈申請をして、夕方には保釈で出られたということで、本人は軽く見ていたのだが、交通事故の事件で被害感情は重く、飲酒運転ということもあり、結果がどうなるかは分からない状況であった。早朝から被害者の親族に謝罪をするため、遠方まで行き話をさせて貰ったが、ものすごく怒っておられた。

 保釈されている被告人が実刑判決を受けると保釈の効力が失われて収監される為、あらかじめ検察官には実刑であることを知らしており、収監のために検察事務官が法廷に来ているので、そうしたぎりぎりの事案では、法廷に検察事務官とおぼしき人を探すことから弁護人の仕事は始まる。
 この事件では、法廷に入ると、背広姿の男性が二人座っていたので、事務官であるのかないのかとヒヤヒヤしていた。
 

 事前に実刑もあり得るという話をしていた為、本人が法廷に来た時には顔が真っ赤でものすごく酒臭い。私は法廷が始まる前に被告人に怒ったが、「これで実刑になったら先生を頼んだ意味がないやんか。酒も飲みたくなりますわ」と逆にキレてくる始末。これに対してまた私が叱りつけた上で法廷が始まった。私が刑事事件を起こしたのではなく、自分が起こしたのである。
 少し前に読売新聞を読んでいると、受刑者は反省することなく、「自分は運が悪かった」という気持ちでいる人間がほとんどで、被害者のことや事件に対して真摯に反省するということはないという刑務官の話が載っていた。
 私も相当数の刑事事件を手がけてきたが、これは真実を衝いている報道であろう。

 結果的には執行猶予がついたし、このような被告人の為にも最大限の弁護活動を行ったのであるが、それが仕事とはいえ弁護士は因果な商売ではある。

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2010年3月12日 (金)

人としての名誉

 秀吉が信長に仕えてすぐの頃、信長が塀の隙間から自分のイチモツを出して、通っていく秀吉の顔に小便をかけたことがあった。
 秀吉は信長と知らず怒って塀の向こうに行くと、信長が笑って立っている。
 信長は、秀吉の性根を試したのであろう。

 秀吉は、相手が主君であるため、怒りをこらえるかと思いきや、烈火のごとく怒って、信長に男子の顔に小便をかけるとはいくら主君でも許さない、謝りなされと怒った。
 許さないと言っても、秀吉が腕力で信長に敵うわけがないのだが、秀吉は物凄い剣幕で怒った。
 さすがの信長もその剣幕に押されて、秀吉に謝罪したという。

 信長は、これと同様のことを荒木村重という武将にしている。
 信長に荒木村重が拝謁した時に、信長は切っ先に饅頭をさして差し出した。
 村重はこれをぱくりと咥えて食べたという。
 信長はここで村重を試したのではないのかという気が私はしている。信長は美的感覚が発達し、己の人生を美的にとらえていた人であったから、秀吉のように村重が拒否することを内心求めていたのではないかという気がする。
 村重は、そのような信長の心の動きを感じたのかもしれず、後に毛利家について摂津で反逆し、それがために秀吉は退路を断たれる形になり、窮境に陥ったことがある。
 信長は秀吉のような心映えを愛していたように思える。

 戦国時代は人としての名誉が尊ばれた時代でもあるが、それは今の世にも言えることではなかろうかという気がする。
 己を曲げず、生きていくのはなかなかに難しいことである。

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2010年3月11日 (木)

クラクション

 裁判所に行くのに歩いていると、私の後ろで物凄く大きい音でクラクションを鳴らした車が居た。
 ふりかえって見ると、どうも自転車の中年の主婦らしい人が邪魔であったようで、クラクションを鳴らしたようであるが、私から見てそれほど邪魔とは見えなかったし、そもそもその道路では一時停止標識があったので、一時停止をする必要があったのだから(私がその車が近づいてくる少し前を通行していたので、その自動車は一時停止はせず、一気に道路に出ようとしていたようであった)、クラクションを鳴らすのはお門違いであろうかと思った。
 だいたい、クラクションを必要もないのに鳴らして、その音に驚いて主婦が転倒して骨折でもしたら、不法行為になりかねないのである。

 歩行していると自転車と自動車が邪魔で、自転車に乗っていると歩行者と自動車が邪魔で、自動車を運転していると歩行者と自転車が邪魔に思うものであり、人間は自分勝手なところがあることは否定しないが、あまりに勝手なクラクションの鳴らし方であり、私も後ろでクラクションを大きい音で鳴らされてムカッと来たのであるが、裁判に行くのに急いでいたので、文句を言ったりケンカをした訳でもないのだが、とにかくその運転手の態度にムカッときたのである。

 顔を見ると、知性のかけらもないようなベンジョコオロギのような顔をしている(カマドウマというやつである)ので、きっと前世はベンジョコオロギであったのであろう。
 知性のかけらもないような人間が自動車を運転することはして欲しくないものである。

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2010年3月10日 (水)

勾引

 勤務弁護士の頃、忙しいが私自身の弁護士のあり方として、国選刑事弁護はやるべきであるという考えがあったので、被告人に面会に行く時間が取れず、在宅の刑事をいくつかすることが多かった時があった。

 しかし、ある時、在宅の刑事事件で、自宅に電話しても出ず、ようやく電話がつながったかと思えば、家族に伝言を頼んで連絡を貰っても連絡がなく、配達証明で打ち合わせの日時を通知するも連絡がなく、とうとう刑事の公判の第一回期日を迎えた。事前に検察官にも裁判所にも事情は説明してあったので、少し先に日を入れて、私の方で連絡を取る努力をすることになった。

 しかし、その間も、何回も連絡を取る努力をしたが、結局次の裁判までにも連絡が取れなかった。裁判官も怒って、「中先生、次の裁判は午後に入れるので、その日の午前中に被告人を勾引します。先生は午前中に裁判所の一室で面会してもらって、打ち合わせをしてもらえますか」ということであったので、その予定で日程を押さえた。

 そして裁判当日、裁判所からは勾引(かんたんにいえば無理矢理裁判所に連れてくることである)をしたという連絡が入ったので、裁判所に出向き、指定された部屋に行くと、まさに鳩が豆鉄砲を食ったようとはこのことをいうのかというように目を丸くして放心状態の被告人がいた。
 私は、自己紹介をして連絡を取ろうとした経緯を確認したところ、家族からの伝言も聞いていたし、書面も読んでいたというのである。そこで、私が、「どうして連絡をくれなかったのですか」と聞いたところ、被告人は、「裁判に行くのが怖くて・・・」と言ったのであった。
 そこで私も若かったのでプチッと来てしまい、「あなたのしていることの方がよっぽと怖いわ!!!!」と怒鳴ってしまった。裁判に来ないことで情状は最悪である。
 とりあえず午後から裁判があり、事実関係には争いのない事件であったのであったが、なにぶんその当日打ち合わせしたばかりであるので、弁護側の情状立証は次回ということにしてもらった。裁判所は出頭しなかった理由についてのみ被告人に確認したいというのでこれは了承し、理由を聞いた裁判官もこれまたぶち切れたのであった。

 後日、最悪の情状ではあったが、何とか家族にも情状証人で出て貰い、執行猶予は取れたが、国選をしているといろいろとあるものであると思わされたのであった。その後、勤務していた事務所の仕事が過酷といえるまでに忙しくなり、国選は5年ほどしない時期があったが、民事事件を一方の車輪とすれば、刑事事件はやはり弁護士の仕事の一方の車輪であるという気がする。

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2010年3月 9日 (火)

読書日記3月9日

「813」「続813」新潮文庫。モーリス・ルブラン。
 アルセーヌ・ルパンの物語。昔、読んだ気がするのだが、本屋で字が大きくなって置いてあったので、読み返してみようと思い購入。813にまつわる謎とルパンを追い詰める殺人犯人との息をつかせぬ戦いが描かれるが、古典であることは否めない。元々の原典がそうなのかはわからないが、ルパンが物凄く柄が悪い話し方である。ルパンは殺人と強姦・放火以外は窃盗・詐欺・強盗などをする怪盗紳士ということであるが、強盗をしている時点で紳士ではないのではなかろうかと思われるし、昔読んだルパンはもっとスマートであった記憶があるのだが、原典にこれが忠実なのかも知れない。

「楽園(上)(下)」文春文庫。宮部みゆき。
 名作模倣犯で重要な役割を果たした前畑滋子が登場し、死んだ子どもにサイコメトラー能力があったのではなかという主婦の依頼を受けて、過去の事件の真相に挑むという作品だが、読みやすく、面白くて一気に読んでしまった。
 人間の闇を描いているという点で松本清張に通じるところがある一方、清張と違うのは宮部みゆきの作品には何か救いというか明るさがあることであろうか。
 司馬遼太郎の作品が悲劇を描いていても、なぜかどれも何か明るいように、その作家の持つ何かが作品にはにじみ出るのであろうかと思う。

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2010年3月 8日 (月)

お金を貰って仕事をするということの重み

 法律相談などで相談を聞いたりしていると、現在依頼している弁護士に対する苦情であったりして、セカンド・オピニオンが欲しいというものであったりすることがある。
 そうすると、依頼者からお金を貰っているにも関わらず、ほとんど仕事をせず、適当なことばかりしているとしか思えない弁護士の相談を聞くことがある。

 弁護士が依頼者からお金を貰って仕事をしているということの重みというものに対して感覚が麻痺しているとしか思えないのである。あるいは、何年かしているうちに、そうした感覚が薄れていくのかもしれないが、一歩間違えば、紛議調停(事件のことについてお金の精算等について弁護士会が間に入り調停を持つ手続)や懲戒になるかもしれないことを認識すべきであろう。

 上に書いたのは経営している弁護士の話であるが、勤務している弁護士であってもこれもかわらない。事務所から、司法修習を終えただけで、世間から見れば高額な給与を貰えているということの自覚を常に持ち続けるべきである。
 私は勤務弁護士の頃はボスよりも早く出勤し、ボスよりも遅く事務所を出て、ゴールデンウィークもボスは飛び石のところは事務所を休んでもいいとして、事務員やボス弁、他の勤務弁護士は休んでいたが、私は出てきて仕事をしていた。最大時で、自分の給料の15倍くらいは私単独で事務所の事件で売り上げていた。事件で手を抜いたことはない。
 常に、事務所から給与を貰っていることのありがたさ、重みを考えていたし、その先には事務所にを信頼して依頼をしてくれている人がいることを考えていたからである。
 そうでなければ、給与は貰えないし、会社であればクビにされるからである。プライベートの予定は常に後回しで、仕事を優先させていた。
 ワーカホリックという言葉もあるが、本来そういう人間でなければ、弁護士という仕事を選択してはいけないのである。最近医師の先生が同趣旨のことを言われていたことを聞いて、その思いを強くしている。
 それがお金を貰うということの重みなのである。これは経営弁護士であっても勤務弁護士であってもかわらない。

 常に自省していないと、人間は安きに流れるものであるが、昨今、甘い弁護士の姿勢を見るにつけ、そういう弁護士はこの業界から居なくなって欲しいと思ったりしている。

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2010年3月 5日 (金)

バランス感覚

 最近、仕事をしていて、ばらんす感覚のない弁護士にあたることが多くなった気がする。
 おかしいところや不十分なところを指摘すると、ものすごく怒る若手弁護士がいるようだが、これは自信のなさの現れである。
 本当のことを言われると人間は怒るのだ。

 依頼者のいうことを検討し、依頼者の主張や要望がすべて通る場合はよいが、通らない可能性がある場合には、そのことを事前に説明すべきだし、解決に向けて説得をすることもあるが、中には依頼者と一体化しているのではないかと思われる弁護士もいる。依頼者向けのアピールだけがうまく、弁護士本来の能力は全くないといわざるを得ないベテラン弁護士も多数いる。

 本気で自分の依頼者に都合のいいことばかりを言っていて、いくら裁判官やこちらが指摘しても検討しようとしないのである。
 こういう弁護士が増えると、紛争は解決しない。
 お金儲けが目当てである弁護士の場合は、紛争を拡大して、費用を取ろうとしていることもあるだろう。

 依頼者のことを考えるなら、依頼者につらいことをいうこともある。耳のいいことばかりを言っていて、裁判をして、敗訴し、「残念でしたねえ」と言われても依頼者も困るであろう。
 バランス感覚が欠如しているといわざるょ得ない弁護士になっては決していけないのである。ただ、変に物わかりがよくなってもいけない。とことん戦うべき時は戦わなければいけない。
 そのあたりが難しい。私もまだ悟りに入れるような境地ではないのだが。

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2010年3月 4日 (木)

新しいことばかりやりたがるということ

 弁護士会の役職などにつくと、やはり、「自分たちの年度にはこういうことをした」と後日言いたいようで、過去の役員はよく「我々の理事者時代にこの新制度を作り上げた」と自慢げにいっている。まあ、新しい制度を作るというのは困難なことでもあるし、その労力は賞賛されるべきものであることは否定しない。

 しかし、新しいことをする前に、足下を見つめることも必用であるし、足下がぐらついていては話にならない。新しいことをやりたいことをぐっとこらえて、足下を固める時期というのがあってもいいのではないか、と思うのである。

 えてして、新しいことばかりをやりたがるという場面でありがちなことは、その内容が絵空事の場合が大半であるということである。
 地に足がついていない議論や設定では、誰もついてこない。
 足下を固め、固まってから新しいことを着実に行っていくべきではないかと思うのである。これは弁護士会のみならず、国政についても言えるであろうし、企業経営についても言えることであろうと思われる。

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2010年3月 3日 (水)

離婚事件

 離婚の相談を受けるとき、「これは弁護士さんに相談するようなことではないのかもしれないのですが・・・」という話をされることがある。
 離婚問題は、立派な法律問題ですよ、というと、相談者は安堵して相談を始めることが多い。ここにも誤解があるようである。
 だいたい、借金問題(過払いを含む。債務整理、破産、個人再生などがこれにあたる)、離婚問題、相続問題(遺言のトラブルを含む)、交通事故、借地借家、貸金問題などで大半のトラブルを占める。離婚は法律相談でも数が多いのである。

 妻側の相談を聞くと、これまたいろいろと誤解されていることが多い。夫に暴力を振るわれ続けて、ひどい怪我をさせられているような場合で、「立派な傷害事件で、それがいわゆるDVの典型ですよ」と言っても、妻側にもその認識がなく、逆に、相手方の夫にも、「妻を教育してやったのだ」というような意識が強く、「あなたのしていることは犯罪で、場合によれば警察にしょっぴかれることになるような行為だ」ということを電話で説明をしても納得をされないことが多い。

 離婚では、テレビの影響か慰謝料を極めて高額に請求したいと言われるケースもある。ただ、日本の裁判ではなかなか慰謝料を高額に認めてくれるケースはない。懲罰的の賠償という制度がないためでもある。
 慰謝料とは別に夫婦で築き上げてきた財産を分与する財産分与という請求も出来るが、この点でもどこまでが財産か中々揉めることも多い。

 離婚専門という法律事務所はないであろうが、離婚事件でも偶にセカンドオピニオンを求められることがあり、「高額の費用を支払ったのに全然会ってもくれないし話も聞いてくれない」という苦情を聞くことがある。どの事件でも弁護士のすることは同じで、依頼者に対する報告・連絡・相談である。えてしてこういう事件では、びっくりするくらいの費用を取っていたりする。私は、離婚事件では特にそうなのだが、勤務弁護士からも費用が安すぎると叱られていて、今までどうやら他の弁護士と比較して安い価格で事件をしてきたようである。少しは上げたのだが、それでも勤務弁護士に言わせるとまだ安いらしい。
 まあ、安かろう、悪かろうにならないように気をつけたいと思うのであるが。

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2010年3月 2日 (火)

花粉症と胃腸の不具合

 金曜日の夜にいつも通り酒を飲んだところ、翌日ひどいおう吐と下痢に悩まされた(お食事中の人すいません)。朝九時から臨時で役員会があり、吐き気をこらえてなんとか弁護士会までたどりついたが役員会中も何回もおう吐してしまった。

 花粉症の時期であるので、胃腸も粘膜があるため、荒れるということを一年経って忘れていた。私は杉花粉のひどいアレルギーで、数値が振り切れていまうほどのアレルギー値を示すので、鼻や目だけではなく、胃腸にまで症状が出るのである。

 花粉症の薬も貰い、それがあるので何とか少しぼうっとするくらいで耐えているが、杉花粉の飛散がなくなるまで、つらいシーズンを過ごすことになる。3月、4月と二ヶ月強ある。
 いろいろと依頼者が花粉症の軽減方法を勧めてくれるので、試してみるのだが、やはり私はアレルギー数値がものすごいため、どれも効かないのである。

 たまに薬を飲み忘れると、てきめんに症状が悪化する。
 しばらくマスクが手放せないこととなる。

 ああ、ヤダヤダ。

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2010年3月 1日 (月)

キャラクター消しゴム

 小さい頃、鉛筆のお尻につける何かのキャラクターをかたどった消しゴムをつけている子どもがクラスにいた。

 それを自慢げに周囲の子に見せるのである。金持ちの子であった記憶である。

 私はどうしても欲しくなり、その子の言っているのを聞いていると、どうも三菱のユニという高級鉛筆を買えばもらえるというのである。私の記憶では、当時ユニは、私が普段使っている鉛筆の2倍以上した高級品であった。ひょっとしたらユニではなかったかもしれないが、なにしろ30年以上前の記憶であるのでご容赦願いたい。

 母親に鉛筆を買いたい、ユニを買いたいと言って数百円もらい、意気揚々と文房具屋にいってユニを数本買ったが、景品の消しゴムを店の人がくれないので聞いてみたところ、「1ダース買わないとあげられないんだよ」と気の毒そうに言われたのである。
 私はショックを受けたが、その場では平然として信号を越えたすぐのところの自宅に戻るや否や、玄関で号泣してしまった。ユニを1ダース買わないといけないなどとなんという試練であろう。

 号泣していると、母親が、「なんでないてるんや」と母親が聞いてきたので、号泣しながら理由を話すと、「男が消しゴムくらいで泣くなー。1ダースぐらいこうたるわー。」と言ってお金をくれたのであったか、母親が買いにいったのであったか忘れたが、その消しゴムを入手することが出来たのであった。

 今から思うと、そのような消しゴムは全く欲しくないのであるが、当時はものすごく欲しかったのである。うちは裕福な方ではなかったから、ユニを1ダース買うということは母親にとっても経済的につらかったと思うが、そのときはただただ消しゴムが欲しかったのである。
 当時は、学校の制服が買えず、冬でも半袖のぺらぺらの制服2枚で過ごしてさぶいぼをたてていた子どもも何人もいたような時代であった。私は上着を着ていたので普通だったのかもしれない。

 その消しゴムは、消しゴムとしては全く消えない使い物にならないもので、結局ユニ鉛筆を買わせるためのキャラクター商品なのであったが、ああいう景品というか、お金で買える特典というものは、時には子どもを身も世もなくつらくさせるものなのである。

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