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トプカピ宮殿の横のビザンチン時代の城壁である。ビザンチン帝国の首都はコンスタンティノープルといい、オスマントルコに攻略されて、イスタンブールと名前が変わった。 城壁が何重にも巡らされており、難航不落の城塞都市であったが、オスマントルコの攻撃の前に陥落した。
塩野七生の、コンスタンティノープルの陥落(新潮文庫)にその陥落の経緯が詳しく書かれている。
古い箇所では4世紀の城壁が保存されているということであるが、オスマントルコ時代の攻撃のためか、相当老朽化しているとこころも目立った。
2010年6月 2日 (水) 法律 | 固定リンク Tweet
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