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2011年2月28日 (月)

読書日記2月28日

「以下、無用のことながら」文春文庫。司馬遼太郎。
 司馬のエッセイ集。長年にわたり親しんだ知人の死にあたっての追悼文や、仏教についてのエッセイが多い。これらの知人の追悼文を読んだ少し後に司馬も死ぬので、仏教などのそうしたエッセイが多くなったのかもしれない。芸術家に対する評論も多数掲載されている。このような心の働きがあるから、ああした作品を多数生み出せたのかとも思う。

「やめないよ」新潮新書。三浦知良。
 キング・カズが日経新聞に連載していたものをまとめた新書。
 これはよかった。
 サッカーの奥深さや、サッカーに対するカズの思いが伝わってくる。
 プロとしての厳しさもかいま見える。
 サッカーを今もしている私としても、励まされる書だった。
 

「三国志 7巻」文藝春秋。宮城谷昌光。
 三国志の7巻。劉備がいよいよ蜀に入る。
 宮城谷昌光の三国志は、劉備・関羽・張飛がそれほど仲がよくなかったという書きぶりであるところが特徴である。吉川英治の三国志では、関羽が劉備に会うために艱難辛苦するところに筆が割かれているのと大違いである。史実に忠実かもしれないが、そこは宮城谷昌光が小説家としてそのように書いたのであろう。
 また、劉備にも大望がなかったかのように書いているところも特徴である。
 私自身の解釈とは違うが、小説としては何らかの特徴を出さざるを得ないのであろう。

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法学部

 今から思うと、法学部に行ったのは偶然だった。
 高校3年生の時に、担任の先生に、「中君は法学部に行きなさい」といわれ、かつ、「京大を目指せる」といわれて、そんなものかと思って目指すことになったのである。

 まず、当時の学力がどの程度のものか分かっていなかったので、京大を目指せといわれた時に驚いたが、担任がそういうのであるから、目指せるのかと思い、目指しだした。確かZ会の京大コースに入ったような記憶がある。
 あそこで、担任が京大は無理と言っていて、他の大学がいいと言われていたら、17歳の無垢な私はそこを目指していたであろう。

 次に、学部についても、何ら考えのなかった私は、「つぶしがきけばいいか」という程度の認識しかなく、完全な文系の頭であった私は、経済か法学部かという程度の頭しかなかった。
 担任が、なぜ経済ではなく、法学部といったのは未だに謎である。
 そういわれて、「法学部か」と思って京大の法学部を目指して、合格したあとも弁護士になどなれるわけはないと考えていたので、司法試験を目指しますというクラスメイトなどを見て、「すごいなあ」と思っていた程度だったのである。

 それが今は弁護士なのだから、ちょっとしたことで人生は変わるものだと時々思うのだ。

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2011年2月25日 (金)

 今年は雪が多いが、本当に雪はかなん。

 ただ、自宅近くは路面が凍結して、雪もだいぶ残り、ごつい格好で事務所に来たら、京都は雪一つ残っていないということが多い。やはり気温は滋賀県の方が低いのであろうか。

 雪国の報道がされているが、雪下ろしをしているのを見て、せつない気持ちになる。
 建設業者もパンク状態だし、費用も嵩むしで、ご高齢の人が自ら雪下ろしをしていて、怪我をしたり、死亡されているケースが多いと報道されている。

 滋賀県や京都などはそこまでいかないのだが、それでも大変であるのに、雪国の人の苦労は生半可なものではないと思うのである。
 札幌は水分が少ない雪なので、積もってもまだましであったが、東北や北陸の雪は水分が多いので、屋根を圧迫するのである。

 夏は暑く、冬は雪。
 足してちょうどいい気温になればいいのにと思うのである。

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2011年2月24日 (木)

緑色

 小さい頃、時々緑色の点々が視界に見えてくるようになり、そのうちに視野が真緑で何も見えなくなるということがあった。
 時間が経てば消えるのだが、自分の目はどうにかなっているのではないかと怖くなったものである。

 今となっては、それが何であったか分からないし、小学校の高学年になるとそういった症状もなくなったので、気にもしなくなったのであるが、あれはいったい何だったのであろうかと思う。昼の明るいところで、視界が緑色で覆われて何も見えなくなるのである。

 症状はもう30年以上出ていないのであるが、時々思い出しては不安になるのである。

 確か母親に一度いったが、「生きていたらそんなこともあるわ」で済まされた気がするのである。

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2011年2月23日 (水)

ぷんすか

 宮津に行くためにチケットを取りに自宅の最寄り駅に並んだ。
 前に口頭で述べたところ、手間取られたので、わざわざ指定券購入申込書まで書いた。

 前でチケットを買っていた2人が手間取り、10分近く待たされて申込書を差し出す。
 時間帯的に宮津まで直行便がないので、二条駅から福知山まできのさき号に乗り、福知山で乗り換えて新大阪から来るタンゴエンスプローラという電車に乗り換えて宮津に行くのである。前には、きのさき号だけグリーンを買ってややしかったようなので、今回は全て普通の指定にした(タンゴエンスプローラという電車にはグリーン車はない)。

 パネルで若い女性が入力を始めるが、全然チケットが取れず(やり方をしらないのである)10分ほど待たされて、途中で奥に入ってどこかに電話して聞いていたが、戻ってきてまたオロオロしている。「まだかかります?」と聞くと、「福知山から先が違う会社(北近畿タンゴ鉄道なのである。)なので、指定が取れないんです。もう少しお待ち下さい。」という回答であった。この女性は取り方を知らないことが分かったので、「もうけっこうです」と言って帰ることにした。怒鳴られなかっただけましであろう。
 私はこの電車の乗り継ぎの方法で何回も宮津に行っているし、普通に素早く指定券を取ってくれる窓口職員もいるのである。取れないのではなく、「取り方が分からないんです」というべきであろう。それでムカっときたのであるが、窓口でチケットを取る係りをしているのであり、それで給与を貰っているのであり、プロなのであるから、このような簡単なチケットの取り方も知らないのでは、本当なら怒鳴られても仕方がないのである。

 後ろにも相当お客さんが待っていたこともあり、そのお客さんにも悪いと思い、もうけっこうだとしたのであるが(私は別にそんな難しいチケットの取り方は言っていないのだが)、こんなやり方だからJR西日本は不祥事ばかり起こすのである。社員教育がなっていない。

 翌日、京都駅経由で仕事に行くことがあったので、京都駅のみどりの窓口で購入すると、わずか1分でチケットが出てきた。やり方を知っているとこれだけ違うのである。
 簡単なチケットの取り方も出来ないような社員を受付窓口におくなといいたい(なお、自動販売機で上記特急を買うというのは、入力上出来ないので、窓口に並ぶしかないことを付け加えておく)。
 弁護士も同じで、他の弁護士が聞いてダメといわれたケースが、違う弁護士だといけるというケースもある。ただ、これは結果を見てみないと何ともいえない。いけないのに着手金欲しさに行けるというケースも出てきているからである。

 とにかくぷんすかである。

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2011年2月22日 (火)

花粉

 先週くらいから、とうとう新聞に花粉情報が掲載されだした。
 花粉症の私に取ってはつらいシーズンである。

 アレグラというアレルギーを抑える薬を朝と夜に飲むと症状が軽快するので、3年ほど前から処方してもらって飲んでいる。これを飲まないと、胃腸の調子まで悪くなるのである。

 今はまだ顔が少し痒いのと、眼が痒い程度である。
 鼻水はあまり出ない。

 スギが売れるからとして、山という山にスギを植えた輩は、スギ地獄に堕ちろと思うのである。

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2011年2月21日 (月)

読書日記2月21日

「三国志 五巻」文芸春秋社 宮城谷昌光。
 史実に基づいた三国志の第5巻。官渡の戦いが描かれている。
 曹操が劣勢であったにもかかわらず勝利できた理由はなんであったのか。

「ファントム・ピークス」角川文庫。 北林一光。
 著者はすでに故人である。この作品を出した後、ガンでなくなられている。
 そのようなことは知らず、本屋で手にとって一気に読んだ。私の好きなジャンルであるパニック小説として大変よく出来ている小説であるので、時間のあるときにどうぞ。

「三国志 六巻」文藝春秋社。 宮城谷昌光。
 いよいよ劉備が三顧の礼を尽くして諸葛孔明を軍師に迎える。
 しかし、史実の諸葛亮は、神算鬼謀の極みをもつ戦陣における軍師ではなく、政治家としての軍師であるので、三国志演義を知っている人は諸葛亮の活躍がほとんどないことに驚くであろう。
 宮城谷昌光は、ここまで劉備をどう描いていいかわからなかったのではないかと思うが、ここで、劉備を「空」であり、大いなる器であると描いている。
 物語の前半部ともう一つ合致しないのが気になる。

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2011年2月18日 (金)

感覚がとぎすまされると

 高校の頃まで、試験などで集中して問題を解いていると、いつもと違う感覚を感じる時があった。
 ものすごく早く頭の中で言葉が回転して、問題を解いている自分の手元がゆっくりと感じるのである。
 自分でいうのも何だが、私は日常的に事務処理は他人よりは相当速いのだが(あまりわからないかもしれないが、司法試験の択一試験で、二回とも1時間半は時間が余っていた。テストで時間が足りなかったことはあまりない。)、それを飛び越える感覚である。

 感覚と、体の動きが一致していない感じである。
 今はそんなことはないのだが、おそらく集中が高まりすぎて、感覚だけが暴走して、体と精神が乖離してしまっていたのではないかと思う。

 これもしばらくするとおさまるし、問題が早く解けるので、特に支障は感じなかったものだが、仕事がたまる今では、その感覚を取り戻すことは出来ないかとも思うのである。

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2011年2月17日 (木)

サッカー練習

 インフルエンザ明けの初めての練習を先日したが、たいへんつらかった。
 息が上がるのである。やはり体力は削られていた。

 紅白戦20分を延々と繰り返したが、一応1点も取ったし、まあいい練習にはなった。
 日曜日のビックレイクの夕方5時から8時半まで練習したが、こんな寒い時に練習しているのは我々のチームだけであった。
 アホの集まりである。

 でも、やはりサッカーは楽しい。

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2011年2月16日 (水)

ご飯

 ご飯は堅めが好きである。あまり水分が多いご飯は好きではない。
 釜で炊いたご飯というのを食べる時があるが、だいたい水分が多いように思う。
 たまに懐石料理だと、最後のご飯が私にとっては水分が多いと感じてしまう。
 焼肉を食べにいって、石焼きビビンバを食べる時、おこげが美味しいと感じるのは、水分が飛んでいるからであろう。

 堅めのご飯が好きな私は、東国に旅立つ時、都を思い出しながら、干飯を食べても、堅めだから涙を流さないのではないか(伊勢物語を読んだ人ならわかるはず。)。

 以前テレビをぼんやりと見ていたら、タレントの青田典子氏(だったと思うが)、ご飯を丸呑みするのが好きだといっていた。のどの内側に性感帯があり、のどが中から詰まる感じが好きなのだという。

 ご飯が堅めが好きな私も青田さんと同じなのかもしれない。

 どうでもいい話である。

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2011年2月15日 (火)

ボケたおしのタクシー

 先日、仕事でくたくただったので、山科駅までタクシーに乗った。
 タクシーに乗って、「山科駅までお願いします。」と言ったところ、「はい、わかりました。」と言ったあと、「で、どこでしたか?」ときた。
 これでカチンときたが、「山科駅です」というと、「え?ああ、JRの山科駅ですね」との回答。山科駅は京阪も地下鉄もJRもほぼ同じところにあるのだが・・・。

 山科駅が近づいてきて、「そこを左に曲がってください」と言ったが、無視してまっすぐ行こうとするので、「左に曲がってください」というと、「ここは曲がっても駅に入れないのちがいますか」という。

 私は山科駅までタクシーに乗ることは多々あるので、「私はわかっているので、入って下さい」と言っても、「入れないのでは」と3回もいうので、「行けるいうてるやろ。曲がれや。」と言ってしまった。

 おまけに降りる際にタクシーチケットを書いて渡したが、ドアを開けようとしないので、「ドアを開けてくれる」というと、慌ててドアを開ける始末である。
 覚せい剤でもやってるんかい、と思ってしまった。

 ほんまにボケたおしのタクシーであった。

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2011年2月14日 (月)

携帯ゲーム

 携帯電話のゲームもいくつか登録している。
 最初は釣りのゲームを少ししていたが、1ヶ月ほどで飽きた。その後放置している。

 次には戦国もののゲームに登録したが、有料の武具などを買わないと勝てないので、これも今はほぼ放置している。ただ、ゲームの中で戦友になった人たちからアクセスがあり、返事をしないのもどうかと思っているので、時々おじぎだけ返している。

 信長の野望の携帯ゲームにも登録したが、これも同じことの繰り返しで飽きた。これは放置しておくと、他国の襲撃兵が領地に入ってきたりするので、時々見て襲撃だけ撃退している。今は真田家に属しているが、何の働きもしていない悪い領主である。

 ガンダムのゲームも始まったので登録してみたが、正直飽きた。ほぼ放置している。

 いったん登録して消去の仕方がよく分からないのでそのままにしているが、携帯で通信しながら一瞬にして対応する技術がすごいものだと変なところには感心している。

 SFでいろいろ携帯の機器が出てきているのを昔見たが、正直、SFに出てきている機械よりも現実の携帯電話機の方がよほど高性能である。
 iPhoneなんて、中はどうなっているのかと思うのだ。

 人間の技術力はもうすぐ神の領域に達しそうである。
 そのとき、神は落雷で人を撃つだろうか。

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2011年2月10日 (木)

フェイスブック

 映画が大ヒットして、注目されているのがフェイスブックである。
 ツイッターやらブログやら、今は自分で情報発信をすることが多種多様に出来てすごい時代である。

 私はブログを書き、フィクションも書き、ツイッターも書いているが、ブログは使い方が分かるが、ツィッターはいまいち使い方が分かっておらず、今も時々しか更新しない。ツイッターよりブログの方がはるかに記事が多い。

 書きたいことが字数が140字では足りないというのもその理由であろうか。

 また、ツイッターをしていると、フォローしてくれる人がいるのだが、このフォローというのも意味がよく分かっていない。フォローされたらそのあとどうしたらよいのかよく分からないのである。
 何となくフォローしたら「負け」のような気がしていて(こんなことを思うのは私だけ?)、未だ1人もフォローはされてもフォローはしないという状態が続いている。
 多分、こんなツイッターの使い方をしているのは私くらいであろう。そんならやめとけといわれそうである。

 フェイスブックも似たようなものなのであろうか。あるいはまた違うのか。雑誌で特集が組まれていたので買ってやってみようかと一瞬思ったが、本来の仕事もあるのにこれ以上しないといけないことを無理に増やすのも意味がないと考えて、やめにした。

 私はニュータイプにはなれそうにない。

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ズボラな答弁書

 原告側で提訴すると、たまに被告からずぼらな答弁書が出される時がある。
 中身について認否せず、「原告の訴状はここがおかしいから、ここについて釈明を求める。そこが明らかになってから、認否する。」ということで、認否をせず、むしろこちらに次回も用意をさせようというものである。

 新人弁護士だと、自分の訴状が足りないのかと思って焦るだろうが(実際そういう訴状もあるかもしれないが)、それなりに考えて書いている訴状であるので、こんなことをいわれたらまず相手に喰ってかかるところから始めることにしている。

 その点の釈明がないと全体の認否が出来ないというものでもあるまいし、だいたい、被告が指摘している点についてこちらは釈明する必要は感じていないということを書面化して出したり、裁判所に連絡を取る。
 今のところ、こうした連絡をして、私の主張が通らなかったことはない。
 こういうのは、被告側で認否をする時間がないのだが、そうは書きたくないので難癖をつけているだけのことが多いのである。
 原告側に宿題を出しておけば、被告側は1回休めるからでもある。

 真摯な仕事のやり方とはいえない。

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2011年2月 8日 (火)

薬が効かなくなる理由

 薬を発明して、それがある細菌(又はウィルス)に効くとする。
 その薬により、細菌は死んで病気が治癒の方向に向かう。

 しかし、細胞というのは分裂の過程で、コピーミスをすることがあるため、元々の細菌と違うタイプの細菌が現れることがある。この新しい細菌が、元々その細菌に効いてた薬剤が聞かなくなる性質を持っていると、これが今度は大増殖する。
 そして、その細菌を殺すための更に新しい薬剤の開発がなされる。
 そうすると、又その薬剤か聞かない新タイプが現れるということになる。

 病院の中で感染するMRSAは、こうした経緯で生まれてきた菌である。あらゆる薬剤に耐性を持つので、人間が元々持っている自然治癒力に頼らざるを得なくなり、老人などは治癒力が低下しているから院内感染で死んでいく。

 西洋医学の限界ともいわれている。
 私も喘息もちなので、薬に頼って生きている人間であるが、こうした話を読むと、西洋医学の限界が見えるような気がする。
 そのため、漢方薬が見直されているという話も聞く。

 また、薬に頼るのではなく、人間の自然治癒力を最大限活用して病気を治すべきだという本も結構出ている。
 その一方で、やはり抗生物質が発明されたおかげで、多くの命が救われたこともまた事実であり、極論に走るのもまた違うのではないかという気もする。

 新型インフルエンザが怖いのは、新たな遺伝子構造を持っているので、既存の薬剤が効かない可能性があるためである。

 過去、ジンギスカンが世界をほぼ制覇したのは、騎馬軍団の破壊力ももちろんあったが、ジンギスカンの軍が進むに連れ、疫病が流行り、モンゴル人は免疫があるので、耐性があったが、耐性のない欧州人は次々に罹患したためであるともいわれている。
 疫病は本当に恐ろしいものである。

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2011年2月 7日 (月)

インフルエンザにかかってみて

 私はインフルエンザにかからない遺伝子を持つ男だと思っていたのだが(さながらアイアムレジェンドのウィルスミスのように)、その自信は敢え無く平成23年の1月で打ち砕かれた。

 インフルエンザにかからない遺伝子を持っていると信じていた私は、当然予防接種も受けていなかった。
 実は1月に喘息の薬をもらいに医者に行った時に、「インフルエンザの予防接種が余っているけど、中さんしとく?」といわれていたのだった。
 その時も主治医に、「僕はインフルエンザにかからない遺伝子を持っているんです」と根拠のない自信を疲労して注射を拒否したのであった。
 嗚呼。
 あのとき予防摂取しとけばよかった。

 しかし、かかってみて分かったが、風邪などとはレベルが違った。
 一緒に副会長をした敬愛すべきI上弁護士からは、「インフルエンザは風邪などとは全く違う。立てなくなる。」といわれて、「そういうものか。まあ自分はかからないしいいわ。」と軽く考えていたが、今から思えばあのときの私はバカであった。
 本当に立てず、トイレに行くのもやっとであった。タミフルを早めに飲んだので熱は早く下がったが、頭痛がひどく(普段の偏頭痛などとは話にならない痛みであった)、かつ、タミフルの副作用かわからないが、思考が出来ず、おばかな弁護士になってしまい、事務局から来るメールの意味を理解するのに数十分かかる始末・・・。
 恐ろしい病気である。

 昔、「1000万人を殺したインフルエンザ」という本を読んでその猛威に恐怖したが、中世で栄養が十分でなく、薬もなく、温かくもなければ、そりゃみんな死ぬのは理解出来るのである。

 来年からは予防接種を受けようと思うのである。

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2011年2月 4日 (金)

ポメラを買った。

 年明けに雑誌を買ってぱらぱらと読んでいると、「ポメラガンダムモデル発売」の記事が。
 数秒後には、ネットでポメラを注文していた。
私のは赤い彗星のシャアモデル。

 委員会で議事を取るときとか、これからは事務所で依頼者から事情を聞き取る時に使うつもりである。
 ポメラはメモを取る機能だけに特化した商品で、パソコンともUSBでつなぐことが出来る。
 軽く、電池だけで長時間駆動するのがいい。
 画面は小さいが、議事を打つ分には申し分ないし、本当に便利である。

 私のを見て事務所のK野弁護士も欲しいというので、事務所の備品としてK野弁護士にも購入。彼もものすごくいいといっている。K野弁護士はランバラルモデルかジオン軍モデルかで悩んだが、使い始めると別にガンダムモデルかどうかはあまり関係がないことがわかったので、そうアドバイスした結果、K野弁護士は普通のモデルを使用している。

 これでうちの事務所はますます仕事が出来る・・・はず。。。

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2011年2月 2日 (水)

読書日記2月2日

「テニスコートの謎」ハヤカワ文庫。ディクスン・カー。
 不可能犯罪を書き続けたカーの作品で、一度読んでみたかった作品。雨上がりのテニスコートで男の縊死死体が発見される。しかし、コートには男の足跡しか残っていなかった、というもの。
 今は多分絶版で、古本屋で購入したのだが、内容はトホホだった。

「シャアへの鎮魂歌~わが青春の赤い彗星」池田秀一。廣斉堂出版。
 ガンダムのシャアの声を担当されていた池田秀一氏のエッセイ集。
 池田秀一氏の声はものすごくいい。
 シャアとの出会いとその後の葛藤と現在の心境を描いている。
 ファン以外は買う必要はないと思うが。

「三国志 第4巻」文藝春秋。宮城谷昌光。
 宮城谷三国志の第4巻。曹操が配下に背かれ、その本拠地を失いかねなかった頃の戦いを描いている。
 史実に基づいているだけに、三国志演義で慣らした人にとってはおなじみのシーンは全く出て来ないが、それだけに真の歴史好きは読むべきであろう。

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