ここのところ、街角で募金をしているのを見かける。
通り過ぎる時に、「東北の大震災に募金をお願いします。」と声をかけられる。
ある駅ではさる政党の議員が募金箱を持って立っていて、私の顔までのぞき込んで、その党のビラを渡そうとしつつ、「募金を」といわれた。
まず、声をかけられて通り過ぎる人の中には、既に募金をしている人もいるだろう。
事実なので書いてもいいと思うが、私は読売新聞に、個人として、○万円募金を既にした。○は内緒ですが。
顔までのぞき込まれて、「募金を」といわれても、既に一市民としてはそれなりの額の募金をしているので、困惑するし、まさか、「私は既に募金をしました」ともいえない。ああいうのは、やはり通り過ぎる人にあまりプレッシャーになってはいけないとも思うのである。
一方で、これは弁護士の職業病なので、本当に善意でしている人には大変申し訳ないのだが、街角で募金をしている人たちをそこまで信用していいかどうかが判断がつかないのである。事務所で話をさせてもらえば、信用できるかどうかはある程度見分けがつく(しかし、これも100%ではない)のだが。
大半は善意でされていることであろうし、日本人の特質からして、疑うのは失礼だとも思いながら、全ての日本人がそうであるとまではいえないし、街角で募金をしている人は私にとっては何ら知らない人であり、せっかく募金をしたお金が本当に被災者のために使われるのかという疑問を抱いてしまうのである。被災者のために使われないとしたら、これ以上バカな話もないからである。
これは私の職業柄裏を取りたいということになるので、真面目にボランティアで募金をしている人には大変申し訳ないし、無視してもらってかまわない。
ただ、募金と称してお金を集めて、それを自分たちの飲み代にしてしまわれてもこちらにはその後を追跡している訳ではないから分からない。
飲み代にするつもりで募金活動をしていたら、立派な詐欺罪である。
ことに、このような震災の時にそのようなことをしたら、情状としては大変重いであろう。
そんなことを考えてしまうので、街角の募金箱に募金することはためらわれてしまう。
また、募金だけではなく、政党のビラを渡そうとしたり、横で演説をしている議員が、「我が党は・・」とされていると、党のアピールにかこつけて募金をしているように見えてしまうのである。
なので、私は、本当の善意かどうかが見分けがつかないという理由で、確実に被災者に行くと思われる公共的な募金にしかしないことにしている。
緑の羽とか、赤い羽募金の時に、小学生がしている募金にはためらわず応じてしまうのだが。
街角で本当の善意で募金活動をしている方々、ごめんなさい。
ただ、私も募金はしているし、被災者の方々の無事と一刻も早い復興を望むものであることは分かって欲しい。
でも、もしこれに便乗してしている人がいたら、詐欺罪に問われるし、いますぐやめるか、懐に入れるのをやめて、きちっと募金にして欲しいものである。