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2011年3月31日 (木)

読書日記3月31日

「一刀斎夢録」(上)(下)文藝春秋。浅田次郎。
 浅田次郎の新撰組シリーズ。主人公は斉藤一。
 新選組の3番隊隊長で、鳥羽伏見の戦い、会津の戦いを転戦し、維新後、藤田五郎という名前で警官になり、西南戦争では抜刀隊として従軍し、輝かしい戦績を残した人物である。
 その斉藤一を訪問して陸軍士官が聞き取りをするという形で進む物語である。

 浅田次郎は小説がうまい。ただ、うますぎて技巧的なところがあり、司馬遼太郎作品のような骨太な感じがないところが残念ではある。
 小説としてはよくできていて、一読の価値はある。

「生命は宇宙のどこで生まれたのか」祥伝社新書。福江翼。
 宇宙の神秘は私を魅了してやまないテーマの一つであるが、真剣に考え出すとたぶん頭がおかしくなるような気がしているので、だいたい事実だけを読むようにしている。
 表題と内容がややかけ離れているが、地球上のアミノ酸が左手型アミノ酸であることなど、面白い内容も多数あった。
 自然科学に興味のある方はどうぞ。

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2011年3月30日 (水)

年度末

 年度末である。あと1日で今年度も終わる。
 我々法律家は一応3月が年度末である。
 所得などの申告は1月~12月であるが、弁護士会や裁判所の事業年度は4月から翌年の3月である。
 前にも書いたが弁護士の繁忙期というのがあり、5月の連休明け、裁判所の夏休み前、夏休み後、12月、3月あたりが忙しい。
 3月は裁判官が転勤する前で、終わりそうな事件を無理に期日を入れて和解を勧試されたり、何とか3月末までに判断をしてしまいたいということで書面をせかされたりして、忙しい時期である。
 しかし、忙しいというのは心を忘れると書くので、忙しいというのはあまり書いたり言ってはいけないことだと思っている。

 私のボスは、バタバタしているとは言われていたが、忙しい忙しいとはいわれなかった。
 忙しいとばかり言っていると、自分を何となく精神的に追い込むことにもなるし、周囲は忙しい忙しいと聞いていてもあまりいい気分はしないものである。
 気分転換するなども適宜取り入れて、仕事を愉しむ姿勢でやりたいものである。

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2011年3月29日 (火)

アホな子ども

 私はアホな子どもが嫌いである。電車の中でうるさい子どもや、暴れている子どもを見るとイラっとくる。
 ああいうのを見て、「元気がいいねえ」とほほえんでいられる人を尊敬する。
 基本的に私は動物は好きだがアホな子どもは嫌いである。

 おとなしい賢い子どもは好きだが、遠慮のないアホな子どもが嫌いなのである。

 また、アホな子どもを叱らない親も嫌いである。子どもが暴れ回ったり、席にどかっと座って横のかわいいお姉さんにすりすりしていたりするのを見ていながら見ないふりをしているのを見るとイラッとくるのである。

 元気さとしつけがなっていないのは違うのである。

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2011年3月28日 (月)

同窓会

 土曜日は高校のクラスの同窓会であった。3年生のクラスで、先日全体の同窓会で集まった際にクラスで22年ぷりに同窓会をしようということになり、実現したものだった。

 意外に近くで働いている人がいたり、独身女性がけっこういたり、当時とあまり変わっていない人がいたり、多少変わった人がいたりと同窓会はおもしろい。

 ただ、当時50名ほどいたクラスのうち、15名程度の参加であったので、そのほかの人はどうしているのだろう。

 22年前のことなので、相当忘れていたこともあったが(なにせ時々依頼者の名前が思い出せないことがあるので。事件の中身は忘れないのだが。。。)、話しているうちに思い出すのだから、人間の記憶はやはりどこかにしまいこまれているようである。

 再会を約して、3時間ほどの同窓会は終了した。
 また、個別に男性の同級生とは飲む予定である。

 みなさんも同窓会があったら是非行ってみてはどうだろう。

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2011年3月25日 (金)

忍者

 子どものころ、なぜか忍者の本が家にあった。
 忍者の訓練法とか、忍者の武術とかいろいろなことが書かれていて、それを読んで、そのとおりに訓練をすれば忍者になれるのではないかと思ったものである。

 幼稚園が休みの日に、ポケットのいっぱいついたズボンを履いて、おもちゃの手裏剣やくないをそこに入れて、近所を探検して、人がきたら隠れて、忍者気分に浸っていたことをふと思い出す。どこかかっこいいと思っていたのである。

 実際の忍者は、歴史小説を読んだりするようになると、かっこいい存在だけではなく、火付けや強盗、後方攪乱をするなど、正史には残らない存在であるということが分かった。まあ、小学生にあがる頃にはそんなこともしなくなっていたが。
 司馬遼太郎や、津本陽にも忍者を主人公にした小説が多い。史実に絡めて、作家が好きなような書くことが出来るので、食指が動くのであろう。司馬の名作「梟の城」は忍者小説である。史実と絡めてあるところがにくい。

 戦国武将は、必ずといっていいほど、忍者を使って諜報をしていた。
 武田の飛び加藤は、武田信玄の死後、上杉謙信に仕えようとして、そのあまりの妖術の大きさに謙信に疎まれて殺されようとした(確か、海音寺潮五郎の「天と地と」では謙信に射殺される)。北条氏が用いた風魔小太郎はあまりにも有名である。信長が用いた忍者は伝わっていないが、滝川一益という猛将はもともと忍者の出身であったといわれており、当然に存分に用いていたであろう。
 真田幸村が用いたといわれている、猿飛佐助や霧隠才蔵も有名であるが、これは実在したかは不明である。
 ただ、大阪の陣で、家康が幸村の突撃によって乱戦となった際に殺されたという伝説は根強く残っており、やむを得ず家康にうり二つの農民を見つけ出して少しの間家康としていたという説もある。津本陽の真田忍侠記という小説はこの二人の忍者が大活躍する。

 個人的には、家康は幸村の突撃のさなかに死んだと信じたいところである。

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2011年3月24日 (木)

地獄の本

 小学生の頃、少し年が上の従兄弟のところに遊びに行くと、本棚に地獄のことが書いた本があった。

 生前悪いことをすると、様々な地獄に堕とされるとして、それぞれの地獄でどのような責め苦が待ち受けているのかがカラーで記載されていた。
 どんな理由でこの本を持っていたのかよくわからないが、これをペラペラとめくって、地獄には堕ちたくないと心底思ったものである。

 この地獄というのは、仏教で出てくる概念をいろいろに記載していたものであるが、実のところ、仏教はもともと死後の世界は語っていなかったようである。どこかで、誰かが地獄という概念を編み出して、「地獄に堕ちたくなければ宗教を信じろ」ということで布教に使ったのではないだろうかと思ったりしている。
 親鸞は、死後の世界については自分も分からないと正直に歎異抄という書物の中で述べている。一向宗にとって、歎異抄は門外不出の本であったらしい。一向一揆の際に、「念仏を唱えて殉教すれば、極楽浄土に行くことが出来る」として信長と戦わせた一向宗であるから、その教祖である親鸞が「死後のことはわからない」ということを述べているということが分かると大変に具合が悪かったのである。
 親鸞は大教団を作る意思はなく、念仏はただ自分1人のものということで生涯を終わり、蓮如という布教の天才が出てくるまでは忘れ去られた教団であったらしい。

 地獄というのがあるのかないのか私には分からないし、今それを考えても仕方がないので考えないようにしているが、地獄という概念がなければ、芥川の蜘蛛の糸も生まれなかったであろうとも思うのである。

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2011年3月23日 (水)

北部のスギ

 先週北部に行くと、スギの木が見事に花粉をつけていた。
 北部は山が多いので、北部に行くと花粉症の症状がひどくなる。

 花粉症だというと、「繊細なんですね」と笑う人がいるが、笑っていると翌年症状が出たりするので、注意した方がいい。
スギ花粉を大量摂取して、それを身体が反応するようになれば、誰でもなりうる症状なのである。

 しかし、早くこのシーズンが終わって欲しい。。。。

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2011年3月22日 (火)

チャリティーマッチ

 3月19日の土曜日は、京都法曹サッカー部、大阪弁護士会サッカー部、兵庫県弁護士会サッカー部、大阪地裁が集まって滋賀県のビックレイクでチャリティーマッチを開催した。
 当日は開会式で東日本大震災の被害者の方々に黙祷を捧げ、選手に募金を募った。
 募金は一日で22万円集めることが出来た。
 これは日本赤十字社に募金予定である。

 経済活動は自粛しなければいけないという意見がある一方で、西日本までが自粛しては、日本経済全体が冷え切ってしまうという意見も根強い。私はやはり、経済活動は行える範囲で行うべきであると思う(ナイターで多くの電力を使用して野球をするのは私も反対である)。
 それぞれが今できることをするしかないとも思う。素人の私がボランティアで被災地にいけるはずもないし、行ったところで足手まといである。ならば募金を集めて、それを専門的機関に有効活用していただくしかないのではないかと思うのである。
 どうすればよいか、すべての人がとまどう中、自衛隊や消防隊のみなさんの行動にもまた、涙があふれる。
 今はただ、それぞれが出来ることをするしかない。

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2011年3月18日 (金)

中国電力の人

 中国電力に勤務する島根県の男性が、定年まで半年であるのに、志願して応援のため福島へ向かったいう。原発に長年従事してきた方だという。会社が募集した約20人の応援派遣に応じたものだという。
 極めて危険な仕事であることは論を待たないであろう。

 この方は、定年間近であるのに、「今まで原子力が安全であるといってきたから」ということで、志願したとも聞いた。

 その方のご家族も、何もいわず、この方を送り出したという。

 侍だと思う。

 もう、何もいえず涙がこぼれてくる。

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2011年3月17日 (木)

募金

 ここのところ、街角で募金をしているのを見かける。
 通り過ぎる時に、「東北の大震災に募金をお願いします。」と声をかけられる。
 ある駅ではさる政党の議員が募金箱を持って立っていて、私の顔までのぞき込んで、その党のビラを渡そうとしつつ、「募金を」といわれた。

 まず、声をかけられて通り過ぎる人の中には、既に募金をしている人もいるだろう。
 事実なので書いてもいいと思うが、私は読売新聞に、個人として、○万円募金を既にした。○は内緒ですが。
 顔までのぞき込まれて、「募金を」といわれても、既に一市民としてはそれなりの額の募金をしているので、困惑するし、まさか、「私は既に募金をしました」ともいえない。ああいうのは、やはり通り過ぎる人にあまりプレッシャーになってはいけないとも思うのである。

 一方で、これは弁護士の職業病なので、本当に善意でしている人には大変申し訳ないのだが、街角で募金をしている人たちをそこまで信用していいかどうかが判断がつかないのである。事務所で話をさせてもらえば、信用できるかどうかはある程度見分けがつく(しかし、これも100%ではない)のだが。
 大半は善意でされていることであろうし、日本人の特質からして、疑うのは失礼だとも思いながら、全ての日本人がそうであるとまではいえないし、街角で募金をしている人は私にとっては何ら知らない人であり、せっかく募金をしたお金が本当に被災者のために使われるのかという疑問を抱いてしまうのである。被災者のために使われないとしたら、これ以上バカな話もないからである。
 これは私の職業柄裏を取りたいということになるので、真面目にボランティアで募金をしている人には大変申し訳ないし、無視してもらってかまわない。

 ただ、募金と称してお金を集めて、それを自分たちの飲み代にしてしまわれてもこちらにはその後を追跡している訳ではないから分からない。
 飲み代にするつもりで募金活動をしていたら、立派な詐欺罪である。
 ことに、このような震災の時にそのようなことをしたら、情状としては大変重いであろう。

 そんなことを考えてしまうので、街角の募金箱に募金することはためらわれてしまう。
  また、募金だけではなく、政党のビラを渡そうとしたり、横で演説をしている議員が、「我が党は・・」とされていると、党のアピールにかこつけて募金をしているように見えてしまうのである。

 なので、私は、本当の善意かどうかが見分けがつかないという理由で、確実に被災者に行くと思われる公共的な募金にしかしないことにしている。
 緑の羽とか、赤い羽募金の時に、小学生がしている募金にはためらわず応じてしまうのだが。

 街角で本当の善意で募金活動をしている方々、ごめんなさい。
 ただ、私も募金はしているし、被災者の方々の無事と一刻も早い復興を望むものであることは分かって欲しい。
 でも、もしこれに便乗してしている人がいたら、詐欺罪に問われるし、いますぐやめるか、懐に入れるのをやめて、きちっと募金にして欲しいものである。
 

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2011年3月16日 (水)

読書日記3月16日

「僧正殺人事件」創元推理文庫。ヴァン・ダイン。
 昔図書館で借りて読んだことがあったのだが、古典の推理小説は好きなので再読した。
 この話はわかりにくいところがあり、私は中学生くらいで読んだ時ちんぷんかんぷんだった記憶があった。グリーン家殺人事件の方が筋がわかりやすかった記憶がある。
 なぜそうであったのかは今回読んでわかったが、途中で極めて難解な学問的知識が出てくるのである。
 万人にはあまり勧められないが、推理小説好きであれば一読する価値はあり。

「空白の5マイル チベット、世界最大のツァンポー峡谷に挑む」集英社。角幡唯介。
 チベットにある世界最大の峡谷であるツァンポー峡谷は、探検家にとって最大の謎であり、冒険心をそそられる峡谷であった。
 グーグルアースで内部が見られる時代に、なぜ作者は新聞社を辞めてまで、命をかけてまで、それをしたところで何が得られるかもわからないのに、峡谷に挑むのか。
 これは無茶苦茶おもしろかった作品。
 冒険などに興味がある人は是非どうぞ。

「逆説の日本史 17」小学館。井沢元彦。
 井沢元彦は、以前作品を読んだが、小説を書くよりも、こうしたノンフイクション的なものを書いている方が合っている作家であると私は考えている。
 今までのものは全巻持っており、研究家たちが当然と考えていることを一つ一つ論破して新説を書いたり、あまり注目されていない在野の史家の説を採用して披露したりと、大変おもしろいシリーズである。
 今回は、アイヌ史と、幕末の外交について書かれている。
 ただ、井沢元彦は、同じことを何度も何度も書く癖があり(紙面を増やすためではないかと最近思い出しているが)、また、超超超上から目線で書いているので、正直読んでいると、「もうわかったし、論点に入ってよ」と思うことがしばしばであったが、今回の17巻でもその悪癖が全面に出ている気がした。
 そこらあたりを改めると、かなりいい作品集になるのになあと思う。

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2011年3月15日 (火)

日本人の心

 東日本大震災で、日本人の規律正しさが世界で絶賛されている。
 日本人であることを、日本人が小馬鹿にする人もいるが、日本人にも欠点はあるが、美徳もたくさんある。
 こうした震災が起きると、暴動が起こったり、略奪をしたり、物資を奪ったりすることが諸外国では起きるが、日本ではまずそういったことはない。
 日本人の規律正しさは世界に誇るべきものである。

 農村地帯で無人販売の野菜が置いてあれば、多くの国ではお金も払わず野菜だけを持っていってしまうというが、日本ではお金を置いていく方が多いであろう。
 幕末に日本に来た総領事のハリスは、日本の役人をけなしているが、日本の一般市民については、「これほど正直な国民は見たことがない」と絶賛している。
 これが日本人の美徳である。
 がれきを自分たちの手で片付けている市民の方を見て、涙があふれそうになる。

 一日も早い復興を望むものである。

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2011年3月14日 (月)

心よりお見舞い申し上げます。

 東日本大震災によって罹災された方すべての人に、お見舞いを申し上げます。
 東北にも同期の弁護士もいますし、知っている弁護士もいます。
 そうした知人を含めて、一人でも多くの方が無事でいてくれることを祈るしか出来ません。
 今、私には義援金を送ることくらいしか出来ません。

 このブログを読まれている方が、義援金などの形で、一人でも何らかの形で罹災された人の力になってくれることを望みます。

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2011年3月11日 (金)

男子トイレに猛進する猛者

 先日、現場に行くためにとある駅で降りて、現場に1時間ほど立っていなければならないと考えて、トイレに行っておくこととした(小)。
 当日は寒く、男性が列をなしていた。
 そこへ、50代くらいの女性が入ろうとしてきて、いったん出て行き、「やっぱりここやんな」といいながら、男子トイレに入っていこうとする。

 この駅は、女子トイレが男性のトイレの隣にあるのだが、入口が若干回り込むようなところにあったので、表示だけでは分からなかったらしい。
 5名くらいの男性がトイレ待ちをしているところに、「この奥やな」といいながら、その列をかき分けて、トイレに駆け込もうとする女性。
 思わず、「あっち側に女性トイレがありますよ」と声をかけてしまった。
 女性は、「いやー。わかりにくいわ。」と照れたようにいいながら、女性トイレの方に歩き去ったが、あれだけ男性が並んでいるのに、奥に女性トイレがあるのではと考えて猛進してくるとは、なんという猛者かと感じ入ってしまった。

 ただそれだけである。

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2011年3月10日 (木)

刑事事件の量刑

 刑事事件の量刑であるが、時にはこんな人を刑務所にやっても仕方がないだろうと思う事件に出会うこともある。検察官や刑事裁判官からすれば、刑務所に送って一丁上がりというところであろうが、その人のその後の一生をどうすればよいかなど彼らは考えなくてよいのである。
 財産犯などでは、直接の被害者がもっとも被害を受けているのであり、本来、国家がその被害者が許しているのに処罰するというのはどうかというところがある。
もちろん、特別予防(その人が二度と刑事事件を起こさないように施設に収容して教育をする)という観点と、一般予防(悪いことをしたらこういう目に遭うということで、一般の法的秩序を守る)という観点もあるだろうが、刑の基本は被害者の応報にあり、被害者が許しているのに一般予防と特別予防だけで刑務所に送るのはどうかと思うのである。
 自業自得であるといえばそうであろうが、特に高齢で刑務所を出たあと、仕事もなく、出てきた時に社会復帰をするための手立てもなければ、刑務所に送らない方がいいことだってあると思うのだが。
 検察官や刑事裁判官のしていることは、逮捕されて弱っている人をいじめることしか出来ていないのではないか、と思うこともあるし、現実に昔知り合いの検事が、そのような感想を漏らしていたことがあった。
 簡単に量刑相場がこうだからとか、刑務所に送ればいいという短絡的な発想ではなく、被告人1人1人の人生を考えてやってもいいのではないか、と思うのである。
もちろん、これは被害者が許している財産犯に限っての話であり、やったことが違えば、やはり刑務所で償ってもらうほかないとは私も思うのだが。。。
 弁護人はそのあとの被告人の人生の相談や、誰もしてくれる人がいなければ自宅の明渡の相談にまで乗ってやらないといけない。
 検察官の求刑から半分以下になったら控訴されるかもしれないし、控訴されて上級審でひっくり返ると、勤務査定にひびくなどと考えているような裁判官ばかりでは、日本の刑事司法が改善される日は来ないだろう。

 ぷんすかである。

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2011年3月 9日 (水)

アクセル

 タクシーの運転手で、やたらアクセルを踏み込んだり放したりしながら走るタイプの運転手がいる。前の車との車間距離をみつつ、車間距離が空くと踏み込み、近づくと放すのである。
 こうした運転手は、えてしてアクセルの踏み込みが急で、乗っていると、後ろに慣性の法則で引っ張られて、アクセルが緩むと前に放り出されるように身体が動くので、乗っていて気分がいいものではない。
 だいたいこういう運転手はブレーキの踏み込み方もヘタである。

 四つ葉のタクシーは、確か何千台に4台だけだったように思うが、その運転手になるには、相当な運転技量と接客のよさが必要で、誰でもなれる訳ではないということである。
 確かに、私は今までに5回ほど乗っているが(その都度シールをもらえるのである)、運転はみななめらかだった。
運転している方は自分がいつ踏み込んでつ緩めるかが分かるので身構えられるから疲れないであろうが、後ろの乗客はたまったものではない。
 かといって、苦情をわざわざタクシー会社にいう気にもなれないし、運転手に直接言ったとしても、そうした運転の仕方が身についているので、治りはしないだろう。

 ぷんすかである。

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2011年3月 8日 (火)

万年筆

 万年筆を使いはじめて10年近くになる。この間私の不注意で壊した万年筆も多いが、基本的に万年筆は不注意さえなければきわめて長い期間使用出来るから、弁護士で万年筆を使い続ける人が多い人がいることもわかる。

 最初はモンブランの万年筆を事務員さんからお礼として貰って、それを使っていたが、モンブランは書き味が私になじまず、今は休養してもらっている。
 その次にまた事務員さんからバレンタインか何かでもらったのだが、これは紛失してしまった。
 その後、パーカーのデュオフォールドという白地に黒色の模様が入っているタイプを買い、これをずっと使い続けている。これをスーツの胸元に挿して、使い続けてきたが、さすがに膨大な字を書いたためか、1年半前にペン先が壊れたので、同じタイプのものを買い求めて、普段はこれで裁判所でのメモ取りや依頼者とのメモとりに使っている。
 手帳用には、セーラーの超極細のペン先のものを使っている。やや紙に引っかかるのだが、細かい字が書けるのでこれが手放せない。

 デスクワークをするときは、スーツの上着は着ていないので、手帳用の万年筆(ラミーの安いもの)で依頼者との予定などが入るとこれで書き込む。
 事務員に指示を書くときは、今はだいたい2種類である。昔はアウロラのものを使用していたが、あまりにもインク漏れがひどく(私のものがたまたまだったのかもしれないが)、手がいつも青色をしているので今は休養中である。
 一つはセーラーの長刀研ぎというもので、すらすらと滑るように書けるので重宝している。
 しかし、なめらか過ぎて細かい指示を書きにくいので、もう少し細かい指示を書きたい時は、ペリカンのスーベーレーンというものを使っている。
 実はペリカンのペン先は柔らかいので、最初はなじめずあまり使っていなかったのであるが、今はこれが一番お気に入りである。
 時期によって万年筆の好みも変わるようである。

 欲しいと思ってまだ使用していない万年筆がたぶん15本近くあり、生涯をかけても使わないかもしれないと思い出しているが、まあ好きなのであるから、これくらいの趣味は許されるかと自分で思っている(カバンも好きで、すぐに買ってしまい、使わないカバンがため込んであるのと同じである。)。

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2011年3月 7日 (月)

命のメッセージ展

110305_160701  この土曜日日曜日は、弁護士会の犯罪被害者支援委員会が主体となって命のメッセージ展と共催で犯罪被害者支援を考えるシンポジウムが開催された。
 私は土曜日に委員として参加した。
 昨年副会長の時に、「そろそろ委員会でシンポジウムを開催してもよいのではないか」と言って、今年開催されることになったのだが、多忙にかまけて準備にはほとんど参加出来ず、その罪滅ぼしに当日の受付とか見回り業務を土曜日に担当していた。

 会場には、犯罪被害に遭われて亡くなられた方の等身大パネルが展示され、そのパネルに生前の写真が貼られ、その下に思い出の作文だったり、メッセージが貼られているというものである。多くのパネルには生前履いておられた靴も置かれていた。

 写真は、「命をつなぐ」ということで、この展示に来られた方々が赤い毛糸を結んでいったものを毛玉にしたものである。私も一本毛糸をつながせてもらった。
 10年前に開始した時は小さい毛玉だったのが、今はこんなに大きい毛玉となっている。

 パネルを読みながら涙を流す人もおり、私もこれまで犯罪被害者支援に関わらせてもらってきているが、改めて、パネルを読み、生前の写真を見て、これからも犯罪被害者支援に関わっていこうという思いを強くした。
 パネルのメッセージには、遺族でなければ書くことの出来ない魂の叫びが凝縮されていた。
 こうした活動をされておられる遺族の方々に敬服するとともに、より犯罪被害者の権利が拡充されることを望んだ、そんな一日だった。
 是非、近隣で開催される時には、足を運んで欲しい、そう思わせるパネル展だった。

 この記事を書いている時に、大変痛ましい事件の報道に接した。
 亡くなられた女児の冥福を祈るとともに、ご遺族の方の心痛を考えると、犯罪被害者支援に関わる弁護士として、いつも事件を担当する時に感じる無力感にさいなまれる。
 こうした事件が一つでも発生しない世の中になって欲しい。

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2011年3月 4日 (金)

裁判書類の締め切り

 裁判でこちらが次回までに書面を作成しなければならないときに、今はたいてい提出期限が裁判所によって決められる。
 しかし、事情によっては、提出期限が守れないことがある。

 裁判所からは、電話が入ったり、冷たくファックスが来たりする。
 私が怠慢で書面が書けていない時は、睡眠時間を削ってでも書けばいいのであるが、そうでない場合は、「どうしようもないやんけ」と思ってしまう。

 一つは、依頼者の方が指示した資料などを用意してくれるのがぎりぎりになって、それを基に打ち合わせをすることになり、ぎりぎりになるケースである。依頼者には自分のことなのだからと督促するが、のんびりしている人もいる。
 次に、こちらで聞き取った事情等に基づいて書類を作成するが、事実は依頼者が一番知っているので、提出前にはファックス、メール、または郵送で送って見てもらうことにしているのだが、依頼者から返事がないケースである。
 依頼者と全く連絡がつかないケースもあるが、これはまあまれな方である。

 裁判所には提出出来ない事情を説明することもあるが、依頼者の方待ちというのはあまりいいづらいので、沈黙していることの方が多い。
 出来るだけ提出期限は守るようにしているが、弁護士に責任がないケースもあることも分かって欲しいと思う今日この頃である。

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2011年3月 3日 (木)

最近の修習生

 最近の修習生は大人しいと怒られましたと私のところの修習生が述べていた。
 就職が厳しいので、弁護士に対して失礼があってはいけないとどうしても萎縮してしまうのであろう。
 本当にかわいそうな時代である。

 私は札幌修習時代、弁護士にもカラオケを歌わせず、自分ばかり歌い、カラオケではソファーの上に乗って歌っていたが、札幌の先生はみな懐が深かったのか、叱られもせず、逆に元気がいいとして、ものすごくかわいがってもらったものである。今から考えると冷や汗が出るし、京都の修習生でそんなヤツがいたら、私が真っ先に怒るであろう。

 あまり小さくまとまっていないで、元気にいって欲しいものである。
 覇気のない人だと、弁護士は採用しようとしないであろう。
 ただ、根拠のない自信を持ちすぎていたり、はき違えていたりするともうアウトであるが。

 頑張って欲しいと思う。

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2011年3月 2日 (水)

ぼんやり

 思い出してみると、小さい頃は勉強は出来たが、うすらぼんやりとした子であったような気がする。
 はしかいようなところはあまりなかった。運動神経も悪かったような記憶がある。給食も食べられず、残されて泣いていた記憶がある。

 今はどちらかというと、自分でいうのもなんだが、うすらぼんやりとは絶対にしていないし、ポジティブな人間になっているので、どこかで転機があったのだろうが、思い出せない。
 小さい頃から今と同じ性格であったと思われているが、実際のところそうではないので、三つ子の魂百までということわざが正しければ、私はうすらぼんやりとした人間のはずである。

 ひょっとすると、UFOに一度さらわれて、何かされて、違う中隆志になったのではないかしらんなどと思うこともある。

 これまたどうでもいい話である。

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2011年3月 1日 (火)

鹿児島大学生の凶行

 鹿児島大学の学生が、高速バスの運転手のハンドルを突然奪い、左に切ったおかげでバスが横転し、乗客が怪我を負ったという事件の報道に接した。就職のことで悩んでいたという。
 殺人未遂で逮捕されたということである。

 責任能力がある状態であったかどうか分からないのだが、報道を前提にし、責任能力があるとすれば、身勝手な犯行である。

 死にたいから他人を殺して自分も死のうと思ったとか、死刑になりたいから他人を殺したという犯行の動機が語られることが多くなったように思える。
 こういう報道に接すると、「そんなに死にたいなら、他人を巻き込まず、人知れず富士の樹海でのたれ死んで欲しい」と思うのは私だけではあるまい。
 本当に死というものを真剣に考えているのであれば、他者の命を奪って間接的に死刑になるとか、一緒に無関係の人を巻き込もうとするはずはないと思うのである。

 こうした人は、(歪んだ)自己愛が過ぎているように思われる。
 

 他人をバカにする若者が増えているといわれているようだが、こうした若者も、世の中に出ると、「自分が何者でもなかった」ことがわかり、その乖離を受入れることが出来ず、いや、受け入れたくはなく、間違っている世の中に自分がいることがおかしいと思うのであろうか。
 そして「死にたい」と思うのであろうか。
 しかし、彼らは自己愛が過ぎているがゆえに、自分で自分を殺すということは出来ず、間接的に自分を殺そうとして死刑に該当するような行為をしたり、自分だけが死ぬのはおかしいと考えて、世の中に対する復讐として、無関係な道連れを探そうとするのではないか。

 小さい頃から競争をさせないようになり、運動会で順位もつけず、叱ったり、ダメなところをダメといわないようになったことが、こうした人間を生み出しているのではないか。
 鹿児島大生がどのような生い立ちでどうであったかは知るよしもないが、こうした報道に接するたび、暗たんとした気持ちにさせられるのは私だけではあるまい。

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