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2011年4月28日 (木)

オバチャンパワー

 そこそこ空いている電車で、ボックスの座席(向かい合って4人かけるところを言っています)を独占している若い男がいた。座席にだらっと座り、足を高く組み、鞄を横に置いている。
 こういう座り方をされると、鞄を置いた横の席には座れないし、男が座っている向かいの席にも足を高く組まれているので座れない。
 髪の毛を長く前にたらし、髪の毛を時折掻き上げながら座っていた。

 まあ、私は空いているので違う席に座っていたのだが、本質的にこういった男性は嫌いである。

 次の駅に着いて、オバサン(多分60代くらい)が2人乗ってきた。
 オバサンたちは、その若者の座っているボックスに行き、「お兄ちゃん、足邪魔やし、座れへんがな」といって、ぐいぐいと若者の向かいに1人入り、もう1人のオバサンも、そのオバサンの隣に座り込んだ。
 若者は足を押され、仕方なくこじんまりと座りなおしていた。
 オバサンの方を睨もうとしたが、オバサンはその頃には既に自分たち2人の世界。
 「いやー。これな。あんたにあげよ思って持ってきてん。昆布。あんたこんなん好きやろ。」
 「いやー。ありがとう。私もあんたこんなん好きか思て持ってきてん。タクアン。」
 「いやー。ありがとう。」
 …と続くのだが、オバサンりパワーはすごいわ、と1人おかしかったのであった。

 以上。

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2011年4月27日 (水)

それなりのグレードの和食屋さんにて

 先日、それなりのグレードの和食屋さんに行って食事をしていると、大声で電話で話をするヤカラのようなヤツが居た。
 この手合いは、わざわざ人の嫌がるような大声で電話で話をして、自分の存在をアピールするのである。
 しかもわざわざ普段使わないぞんざいな言葉を使うのである。

 これは、「俺はみんなと違うぞ」ということをアピールしたいのであろう。
 しかし、これはこれで、正によくあるタイプの型にはまったタイプであるといえる。
 まず、それなりの店で嫌がる大声で話をしている点でステレオタイプであり、かつ、来ている服が、少し柄の悪い服である点もステレオタイプ。
 さらに、持っている鞄がルイ・ヴィトンであるところもステレオタイプ。
 また、明らかにこれからキャバクラに出勤するのであろう若い女性を連れていて、「この女、俺の連れやし、いい女やろ。うらやましいやろ。」という態度であるところもステレオタイプ。
 また、たいてい連れている女性は頭が抜けていそうなところもステレオタイプ。

 お前はみんなと違うのではなく、違うと思われたいというステレオタイプなのだ。
 さっさとどっかいけ。

 それだけである。

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2011年4月26日 (火)

日較差

 最近は、朝と夜が寒いが、昼はそこそこの気温であることが多い。
 連休が近づいて来ているが、連休前だと年によってはTシャツで歩けるほどの時もあったのに、今年は寒い。
 寒いが、一度暖かくなったせいか、多くのサラリーマンはコートを脱いでいる。
 そして、駅のホームで震えている。

 私はコート好きなのと、寒いのに耐えるのが嫌いなので、コートをずっと着ている。特に今年は。
 日曜日と月曜日は雹まで降ったのに、やはり月曜日の朝見ていると、コートなしか、ぺらぺらのコートを着ているサラリーマンが大半である。
 私は冬の暖かい日に着るコートである。
 雨が最近多いが、ある程度撥水加工もしているコートを着ているので、レインコート替わりにもなる。

 こんなに気温が低いのに、どうしてみんなもっとコートを着ないのだ!!

 まあいいんですけど。

 おそらく、突然暑くなって、ほとんど春がないままに初夏に突入するのであろう。

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2011年4月25日 (月)

日中連絡がつかない弁護士

 表題のようではだめである。
 依頼人は日中に連絡をしてくる。

 やはり、出来るだけ依頼者と連絡がつく態勢であるべきであろう。

 私はなるべくそれを心掛けている。

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2011年4月22日 (金)

邪魔な作業員

 地下鉄などに乗ると、地下鉄の駅で作業する人が次の駅や、離れた駅に移動するために乗ってくることがある。
 たいていの作業員は、乗客の邪魔にならないようにしているのだが、中には我が物顔に乗っている作業員もいる。
 先日は、狭いスペースになぜかどやどやと作業員が3名乗ってきて、私はその狭いスペースに先に乗っていたのだが、あまりの狭さにそこから車両の違うスペースに移動した。

 彼らは地下鉄の作業をして仕事をしているのだから、乗客に邪魔にならないようにするのもまた仕事だと思うのだが、どうであろう。

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2011年4月21日 (木)

毎日見かける人

 通勤していると、毎日見かける人がいる。
 私の最寄り駅からずっと京都市役所前まで同じ経路で同じ電車に乗る人がいる。

 また、三条で降りる人もいる。

 駅まで自転車で行く間も、毎日駅の方から私が進行してきた方に歩いてくる人がいる。
 
 こういう人を見かけないと、何となく「どうしたのかな?」という気になる。
 4月は転勤などのシーズンなので、見かけなくなった人が何人か居た。

 司馬遼太郎のエッセイで、昔は街角に立って行き交う人々を1日眺めていた人がいたというくだりが書かれているが、彼らは人が面白くて見ていたのだと司馬はいう。
 そうであれば、人間がどういうものか見せてやろうとして始まったのが芸だとも司馬はいう。

 毎日見かけていると、親近感が沸くこともまた事実である。
 一生話しかけ合うこともないかもしれないが、人生の中にはそういった人との関わりもあるのだと思うのである。

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2011年4月20日 (水)

読書日記4月20日

「3冊のロング・グットバイを読む」ソリックブックス。松原元信。
 村上春樹訳のロング・グットバイを読んだ作者が、清水訳との違いに興奮し、原著を読んで場面場面の訳の違いや場面にまつわる様々なことについて書いていくエッセイ。
 清水訳は原著をすっとばすことが多いのに比べて、村上訳は忠実である。
 どちらがこの場面の訳ではいいか、ということなどが語られていく。
 チャンドラーフリークでなければ、読む必用はないが、チャンドラーフリークであれば、読んで、にやりとすることだろう。私は当然、「ニヤリ」としたが。

「司馬遼太郎が考えたこと 12」新潮社。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎のエッセイ。司馬遼太郎の癖の話が出ていて、司馬は長電話になると、欧米の老人の顔を描いてしまうという癖を持っていた。たぶん、どうでもいい長電話につきあわされていたのかと思うのだが、そうは司馬は書いていない。
 他にも司馬の物事に対する考え方、とらえ方が書かれていて、そのまま受け入れるかどうかはともかく、大変参考になるエッセイ集である。

「日本のガン医療を問う」新潮社。NHK取材班編。
 NHKが取材し、番組化したものを、テレビでは入れられなかったエピソードを入れて書籍化したものの文庫版。少し前に購入しておいたのだが、何となく手にとって読んだ。
 この取材当時、いかに日本のがん医療が遅れていたかをアメリカとの比較によって浮き彫りにしている。
 また、この番組後、日本のがん医療対策がどのように動いたかも書かれている。
 この取材当時ではあるが、日本のがん医療が病院によっていかに差があり、かつ、アメリカに比べていかに適当な治療がされているかを読んでぞっとする。
 この取材当時の日本の医師のレベルは相当低かったようであるが、それは今は改善されたのであろうか。
 そう短期間で改善されるものではあるまい。
 これを読んで、がんの治療については、自らも理論武装する必用があると感じた。

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2011年4月19日 (火)

思い込み

 フジテレビの夜のニュースキャスターである秋元由里アナが、「脆弱」をきじゃくと読み間違えて批判されている記事を読んだ。

 まあ、アナウンサーとしては漢字の読み間違いがあるのはいけないことだが、人間誰しも思い込みはあるので、その程度でギャンギャン記事にまでするな、と思う。

 私も漢字の読み方でいくつか思い込んでいたのがあり、恥を掻いたことがある。
 誰でも一つや二つはそうしたことがあるのだから、目くじらを立てないでよいではないか。

 ある弁護士は、旧破産法で、以前免責を受けてから、10年以内の破産申立は、「絶対的免責不許可事由やろ」と言っていたが、私が、「そんな定めありませんよ。10年以内でも裁量免責出来ます」というと、「ウソやー」と言って六法をめくって、「ホンマやー」と言っていた。
 私よりも相当ベテランの弁護士でもそういうことはあるのである。
 ちなみに、この人は相当優秀な人でもある。

 なので、読み間違いくらいたまにはよいではないか。

 決して、秋元アナが可愛いから言っているのではない。
 けっして。

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2011年4月18日 (月)

 京都市内の桜はそろそろ終わりだろう。ただし、私が住んでいる隣接のS県では、満開になっていなかったりする。S県の方が京都より気温が低いということだろう。

 花粉さえなければ、この季節は着る物を間違えなければ(時々冷え込むし、朝晩はまだまだ寒い)、いい季節である。
 桜を眺めながら歩くと、苛々することも少ない。

 東北の桜はまだであろうが、私が見た中でもっとも美しかったのは弘前の桜である。
 事件で裁判所に行く途中、桜が綺麗だということで、お城のところだったと思うが、運転手さんに頼んで通ってもらった。

 弘前の桜が咲く頃までには、少しでも被災地の復興が進むことを祈るばかりである。

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2011年4月15日 (金)

年齢について

 先日、宴席でとある事務所の事務員さんと飲んでいて、年齢を聞いて驚いた。
 私が弁護士になってすぐに出会った頃は女子大生であったので、私はせいぜいまだ20代後半だろうというくらいに思っていたが、既に30代半ばであった。

 考えてみると、私が弁護士になって15年が経過しているので、計算は合う。
 しかし、私自身、年齢について疎いところがあり、出会った頃とほぼ変わらない年齢で見てしまっていることが多いし、特に私より年上の女性に関しては、何回年を聞いても、忘れてしまうところがある。

 懇意にさせていただいている女性の先生は、私と10数歳年齢が違うと聞かされているのだが、彼女と出会った頃彼女はおそらく40歳前後だったと思うので、私の中ではせいぜい40代半ばなのである。

 これは、自分自身年齢がいっていることの認識のなさかもしれないのだが、とにかく私はそうなのである。

 この話題には、特に取り立てて結論めいたこともない。
  ただ、年齢というものの不思議さを考えただけである。

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2011年4月14日 (木)

サプリメント

 健康食品の販売をしている顧問先から、パンフレットが送ってきたので、試しに購入してみた。
 私はサプリメント好きである。
 しかし、サプリメントを食べるだけでご飯を食べないというようなことは絶対に出来ず(テレビを見ていると、そうした人がいるようである)、朝に何かを飲む程度である。

 しかし、中々サプリメントを飲みきることがなく、自宅の机にも、事務所の机にも、中途半端に開けて飲まなくなったサプリがたくさんある。そして、そのうちに期限が来て捨てないといけなくなる。

 35歳を過ぎた頃から、疲労がたまりやすくなった気がしたのと、当時は弁護士は私1人で事務所をしていたので、その頃からサプリを飲み出した。
 だいたい強壮・疲労回復というようなものであるが、膝を傷めたので、サメの軟骨というようなサプリもあったりする。
 また、他の弁護士から進められて「いいよ」ということで貰ったよく分からないサプリもある。
 飲み続ければ、効果のほども自覚できるのであろうが、根が無精な私は、つい飲まなくなるのである。

 サッカーでも自分自身このままではいけないと考えているので、鍛え直すとともに、今度買ったサプリは飲み続けてみたいと思うのだが、はてさてどうか。

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2011年4月13日 (水)

 人間には、気付かずにやっている癖がある。
 私は、話の接ぎ穂に、「ちゃうねん」と入れてしまうようで、人に指摘されるまでそれに気付いていなかった。
 強い否定の「ちゃうねん」ではなく、優しく、「ちゃうねん」というようだが、話の接ぎ穂にいう言葉であるため、別に「ちゃうねん」ということもない時でも使っているようである。

 何故か寝ていると、寝間着のズボンのお尻に手を突っ込んで寝ている時があり、目覚めて気付くとお尻に手を入れていることがある。
 これは寝ているため、完全に無意識であり、なぜそんなことをしているのか本人も寝ているため意味が分からない。

 あなたにも、何か癖がきっとあるはずである。

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2011年4月12日 (火)

弁護士会の花見の宴にて

 先週の金曜日に、京都国際ホテル手背弁護士会の花見の宴(被災地に配慮して、花見とはなっていなかったが)が例年通り開催された。
 当日はあいにくの雨で、国際ホテルで食事をしたあとは、二条城に行くのが通常ルートなのだが、雨の二条城を重いカバンを持って歩くのは気が進まないので、最近は他の手軽に行くことが出来るところに行くようにしている。
 だいたいは、川端新橋で降りて、新橋通りに沿って進むと、花見小路通りまでの間は大変綺麗である。
 この金曜日も綺麗であった。
 ただ、雨と照明が少なかったので、携帯ではうまく撮れないと思い、撮影は断念した。

 花見の席上、申し込んでいるのに座れていない人が相当数居て、後で聞くと、「申し込んでいないのに来た」人が一定数いたため、正式に申し込んだ人が座る席がないということで困っていた。
 弁護士会の方からすると、現場まで来ているのに、「入れません」とむげなことも出来ないのであろう。
 しかし、申し込んだのに座れない人がいるのもまたいかがなものかとも思うのである。

 宴会の幹事をすることも多いが、だいたい申し込まずに来たりする人がいると、イラッとしてしまう。
 まだ申し込んでおいて来ない方がマシである。
 後でお金を取ればいいからである。
 しかし、申し込みもなしに来る人のために料理の手配をどうするとか、席をどうするとかということを幹事は手配しなければならず、迷惑をかけている本人が悠々と座っているのを見たりすると、相当イラッと来るのである。
 こういう手合いは基本的なことも出来ていないのであるから、弁護士としても適切な仕事が出来るはずもなく、廃業した方がいいと思う今日この頃である。

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2011年4月11日 (月)

関西カップ結果

 土曜日は第4回関西カップであった。
 京都、大阪、神戸の3弁護士会のサッカー部で争う大会で、私の発案で始まったサッカー大会である。各地域から2チームずつだして、リーグ戦を行い、リーグの同順位同士で順位決定戦を戦うというものである。
 結果は、私の所属する京都法曹サッカー部マスターズ(年齢の高い方)は、初戦神戸2と戦い、惜しくも1ー0で敗れ、2戦目も京都1と並んで優勝候補の大阪1と1ー0で敗れた。
 リーグ最下位とはなったが、チーム全体として得点チャンスも何度もあり、私も得点チャンスが何度かあった(だいたいトップ下かボランチで出場した)。また守備も安定しており、敗れたとはいえ、充実した内容であった。
 過去3連覇している京都法曹サッカー部ヤングチームは、初戦の神戸1との試合を3ー0で快勝し、大阪2との試合を1ー1で引き分けて、リーグ1位で決勝にのぞんだ。

 最下位決定戦は、例年通り、「伝統の一戦」となりつつある、大阪2対京都マスターズで、先制するも追いつかれ、引き分けに終わった。
 三位決定戦は神戸同士の試合で、紅白戦となってしまい、神戸チームにとっては、モチベーションにかける結果となっていた。
 決勝は締まった試合で、前半先制されるもPKを獲得して追いつき、その後も後半に1点を追加して2ー1で逃げ切った。
 ものすごい好試合だった。

 各チームのキーパーが皆うまく、そのため失点が少なかったため、締まった試合が多かったのが今回の大会の特徴であろう。

 大会が終わると、いつも鍛えようと思うが、日々の仕事に追われ、中々それが出来ないのが現状である。
 関係者のみなさん、お疲れ様でした。

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2011年4月 8日 (金)

ええかげんにせんかい

 先日、裁判に行くと、2ヶ月間が空いていた事件で、前日に長文の準備書面が出て、現場で大量の書証が出た。
 まあ、依頼者が中々用意しないこともあるし、様々な事情でそういうことはままあるので、それはお互いさまだからいい。

 しかし、そういう時は、やはり現場でどさっと出されてもこちらは読めてもいないし、「申し訳ありません。」という態度を取るのが普通である。
 裁判官によっては、怒り出す人もいる。
 検討にどれだけ時間が必要かもとっさには分からないので、こちらも多めの準備期間をもらうことになる。また、予め読む時間があれば、こちらも釈明など気になる点を現場で指摘することも出来る。

 先日の相手方弁護士は、「申し訳ない」という態度をとるでもなく、余計なことばかりべらべらとしゃべって(事件と関係ないこと)、「ええ、ワタクシ、裁判に慣れてるんですのよ。」という態度であった。

 ええかげんにせんかい。

 こういう場合は相手方弁護士に申し訳ないという態度を取るのが普通である。また、裁判は遊びの場ではない。ことさらにケンカをする必要はないが、チャラチャラした態度を取る必要は全くない(裁判官と新年会で交流した時に、私は裁判の時は「怖い」といわれるが、それくらいでよいであろう。酒を飲んでいる時は愉快な隆志君である)。

 期を調べると、まだまだ駆け出しの人であった。
 裁判に慣れていない人ほど、余計なことをべらべらとしゃべり、「慣れている」という風を装うが、あれはみっともない。
 自然体でいいのだ。

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2011年4月 7日 (木)

読書日記4月7日

「古い骨」ハヤカワ・ミステリ文庫。アーロン・エルキンズ。
 アメリカで賞を受賞した作品ということで本屋で見て購入。
  途中からほぼ筋が読めてしまった。多くミステリーを読んでいると、筋が読めてしまうことが多くなる。
 作品としては、中の上というところ。

「夜の真義を」文芸春秋社。マイケル・コックス。
 これもたまたま本屋で見て面白そうだと思って購入した。イギリスで新人作家で出版権について、最高の落札価格がついたというふれこみ。
 著者は故人。
 ストーリーは、たまにヨーロッパにある王道的なもので、目新しいところはなかった。
 多く本を読むと、こうなってきてしまう。
 また、登場人物の行動について、「なんでやねん!」と人間心理学的に突っ込みを入れたくなるところが多々ありすぎるという難点を除けば、読み物としては面白い部類。

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2011年4月 6日 (水)

続・チャンドラー

 チャンドラー作品でマーロウものをたまたま二つ見つけたので買ったものもある。ただ、内容を見るとハヤカワ文庫で刊行されているものと比べて内容がどうかと思われ、これはまだ読んでいない。「にせ札を追え」というのと、「マーロウ証言台に立つ」というのだが、ひょっとするとすでに持っている作品で題名だけが変えられている可能性もある。
 それでもいいと思っている。それくらい好きなのだ。

 今、夜に少しずつ、松原元信さんという人が書いた「3冊の「ロング・グッドバイ」を読む」というエッセイを読んでいるのだが、この人は、村上春樹訳のロング・グッドバイを読んで、清水俊二訳との違いに驚いて、原典にあたろうと思い、英語の原作を読んで、二人がどのように訳して、原文ではどうかということをつらつらと書いていっているのである。

 私もこれに触発されて、これだけ好きなのだから、原典を読もうという気になっている。英和辞典も自宅に購入して、ペーパーバックのチャンドラー作品を購入して、夜にそのうちに少しずつ読むつもりである。
 それをしたところで何がどうなるという訳ではないが、自分の趣味なのだから仕方がないのである。

 では、チャンドラー作品のどこがそれだけいいのかということになると、一言ではいいあらわせず、今回はそこまで書く気力もない。
 またの機会にしたいが、一度読んでみられると、虜になる人は多いはずである。

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2011年4月 5日 (火)

レイモンド・チャンドラー

 私がチャンドラーのファンであることは何回かこのブログでも書き、他でも書き、常日頃話をしているところである。
 先日も弁護士会の会内中心に配布されている会務ニュースに記事を書き、その中で、村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」が秀逸であったことを書いたところ、ある先輩弁護士と弁護士会で会った時に、「中さんが書いてたあの本、購入して今読み始めたけど、おもしろいわ。」と言っていただけた。
 本を紹介して、それをきっかけに読んでもらえるのはうれしいことである。

 チャンドラーの長編としては、「大いなる眠り」「高い窓」「かわいい女」「さらば愛しき女よ」「長いお別れ」「湖中の女」「プレイバック」が、清水俊二訳でハヤカワ文庫から出ている。
 「フィリップ・マーロウの事件」という短編集が後から出て、これはマーロウ最後の事件が収録されている。
 未完の作となった「プードル・スプリングス物語」は、チャンドラーの大ファンであったロバート・B・パーカーが完成させてハヤカワ文庫から出ている。これは長編である。
 マーロウはここで人生初めての結婚をする。相手はリンダ・ローリングで、ロング・グッドバイで登場した女性である。
 大富豪の娘であるので、マーロウは働かなくてもよいのであるが、町外れで事務所を構えて、いつものマーロウの活躍が始まる。
 一方、村上春樹訳は、「ロング・グッドバイ」「さよなら、愛しい人」「リトル・シスター」の3作が出ている。いずれも長編。後ろ二つはまだ文庫化されていない。
 記憶で書いているので、漏れがあったらご容赦を。

 短編集はたくさん出ているので、ここで網羅しきれないところもあるが、最近、新訳で短編集が再度ハヤカワ文庫から刊行されている。ただし、短編集では、マーロウが主人公でないものも多いので(マーロウとほぼ同じジョン・ダルマスという探偵なんかが出てくる)、マーロウが読みたいなら、買う前に要注意。

 マーロウとの出会いは、たまたま大学生時代に購入した「ハードボイルド風に生きてみないか」という本だった。これはハードボイルド作家生島二郎が書いたハードボイルド小説の紹介兼ハードボイルドとはどういう小説か、またそのエッセンスは何か等々を書いた中々いい本なのだが、今はたぶん絶版である。
 その中で、マーロウの名台詞である「タフでなければ生きていけない。優しくなければ、生きていく資格がない」(訳本によって、いろいろな訳がされていますが。。。)などが紹介されていて、「一度読んでみよう」と思ったのがきっかけであった。ちなみに、この台詞はプレイバックに収録されたラストシーン近くの名台詞。

 それから、学生時代から、修習生時代、弁護士になってから読み始めて、その魅力にとりつかれて、短編集もすべて買い、新訳の短編集が出たらすべて買い、村上春樹の新訳が出たら全部買い、というようになっている。
 チャンドラーを読み始めて、すでに20年近くになるが、その魅力は色あせるどころか、日々強くなっていくようである。

 本屋に行くと、最近はチャンドラーの本があまり置いておらず(私は持っているので買わないのだが、他の人にも買って欲しいので)、残念な思いをすることがある。
 その一方で、チャンドラーの本を揃えてある本屋に行くと、「いい仕事しているな」と本屋をほめてあげたくなる。
 ミステリー作家の中では、日本では横溝正史、海外ではチャンドラーが私の中では他の作家と隔絶して好きである。
 続く。

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2011年4月 4日 (月)

宰相に対応能力がないときに

 危機管理の本に書いてあった格言だが、その国の宰相に危機対応能力や管理能力がないときに、未曾有の危機が訪れる、とある。

 今の日本がまさにそうであろう。

 中国では、その昔、天災が起こると、宰相が天子によって罷免された。災害が起こるのは宰相の政治が悪いから、というのがその理由である。

 1日も早い復興を祈念するほかない。

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2011年4月 1日 (金)

革靴の革ソール

 革靴で高いものを買うと、裏が革張りである。
 裏が革張りだと、滑る。

 何回もこけそうになった。

 私が履いているヤンコという靴は、裏がゴム張りのものを探して履いている。

 どうしたらよいのかとネットで検索すると、アスファルトで削るとか、裏にゴムを貼るとよいという回答が圧倒的に多かった。

 そんなんやったら、最初から革張りにせんと、ゴム貼っとかんかい!!!!

 と思うのは私だけであろうか。。。。

 今裏が革張りの靴が2足あるが、滑るのでほとんど履いていなかったりする。

 裏の張り替えに行くのも面倒である。

 本当は、購入時に、裏にゴムソールをつけるのがいいのであろう。
 裏が革張りは、格好だけで、全く機能的でない。

 また、私が持っているクロケット&ジョーンズという靴は、かかとに鋲が打ってあり、これが滑る。
 京都駅では1度滑って1メートルくらい滑走したことがある。
 周りからすれば、このおっさんは何を滑っているのだというところであろう。

 本人かて、滑りたくて滑っているのと違うわい!!

 ということで、今日から新年度である。
 気持ちを切り替えて、1年目の弁護士の時のような初心な気持ちで(まあ無理だが)、やっていきたいと思っている。

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