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2011年5月31日 (火)

沖田総司

 維新で成功した薩長の維新志士よりも、気分的には新撰組の方が好きである。
 滅びの美学というのがあるからである。
 あのまま、徳川と薩長がまともに戦っていたら、内戦は混乱の極みとなり、列強諸国につけいられ、日本は諸外国の植民地となり分割されていたであろうというのは、今日の見方の一つであり、その観点から、最後の将軍である徳川慶喜の政治感覚は優れているという観点からの読み物も少なくない。

 話が横道に逸れたが、新撰組の一番隊長であったのが、沖田総司である。
 生き残った新撰組の隊員の供述からは、新撰組最強の剣士はやはり沖田総司のようである。
 美男子で、小柄に描かれることもあるが、実際の沖田総司は大柄で、男前ではなかったらしい。
 沖田総司の得意としていたのは、三段突きであったというが、突きの時にかけるかけ声を3回言っても、それが一つに聞こえた、とされている。
 それほど早い突きだったのである。
 

 司馬遼太郎は、「新撰組は、世界史上でも最強の警察である」としていて、「維新志士が肩で風を切って京都の町を偉そうに歩いていても、向こうの方から新撰組の隊士が来ると、慌てて横道に逃げ隠れた」というほどその武力はすごいものがあった。
 腕に覚えがあるその中で最強と目されているのであるから、日本剣士の歴史で、最強の剣士の一人としてもかまわないだろう。
 新撰組の名を轟かせたいわゆる池田屋事件でも、沖田は臨場し、活躍している(途中で吐血したとの説もある)。

 沖田が健康を害せず、東北から函館へ至る戦争で土方の横にいれば、また違った歴史があったであろうが、沖田は結核に罹病しており、近藤勇が刑死したことも知らず、江戸でその短い生涯を終えた。

 沖田が死に臨んで、黒猫を嫌い、黒猫を斬ろうとしたが果たせず、「猫が斬れない」と言って死んだともされているが、私はそうした事実はあったのではなかろうかと思っている。
 黒猫が、自身に死を運ぶ、不吉なものとして見えたのではないだろうか。

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2011年5月30日 (月)

ビラを配る男性

 駅で、ビラを配る会社員を見た。
 手だけすっと出して、何とか受け取ってもらおうとしている。

 若かったので、新入社員であろうか。
 しかし、中々受け取ってもらえない。
 彼は、受け取ってもらえないと、ものすごくがっかりした顔をする。
 そのがっかりした顔のまま、次に来る人に渡そうとしている。

 私はビラ配りバイトはしたことがないが、もらう側としては、がっかりした顔でビラを差し出されても、受け取ろうとは思わないであろう。

 私はがっかりしている会社員がかわいそうだったので、私に差し出されたら受け取ってあげようと思って近くを通り過ぎたが、なぜか私にはビラを差し出してこなかった。
 ダークスーツに色黒でバッジつけているので、警戒されたかなあ。

 ガンバれ、(おそらく)新入社員!

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2011年5月27日 (金)

読書日記5月27日

「芥川龍之介全集1」ちくま文庫。芥川龍之介著。
 芥川作品はいくつか持っていて読んでいるのだが、ふと、全作品はどの程度あるのかということが気になりネットで検索したところ、それほど多くないことがわかった。
 若くして芥川は自殺しているので、作品じたいは多くないのであろう。
 せっかく気になったので、ちくま文庫の全集を一気買いした。その全集の1である。
 収録作品の中では、「偸盗(ちゅうとう)」がやはり有名だし、作品としても感銘を受ける。
 人間の心の移ろいやすさ、弱さ、自己中心さなどが、偸盗では味わえる。
 やはり小説は人間が書けていないと読んでも味気ない(最近の本屋で並んでいるレベルの低い本ではそれが出来ていない。これはあくまで読み手として書いている。自分が書くことが出来るかはまた別物である)。

「オリエント急行の殺人」ハヤカワ文庫。アガサ・クリスティー。
 映画では見ていたが、原作は読んでいなかったところ(クリスティーは、10冊くらいしか読んだことがない)、本屋で新訳として出ていたので購入して休日に一気読みした。
 筋書きは書けないが、法律家として、ラストはこれでいいのか、という気がする。

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2011年5月26日 (木)

Cドライブ

 Cドライブの馬鹿野郎(ちなみに私はまだXP)。
 Dドライブは120ギガあって、90ギガ以上空いているのに、どうしてCドライブは20ギガしかないのだ。出来るだけソフトをDドライブに入れているが、ウインドウズ等々が元々Cドライブで入っているので空きがないのである。
 今では、毎日ドライブの空き容量が足りないという表示が出る。
 何でこんなハードディスクの分割の仕方なのだ。
 自宅で仕事をするために買ったノートパソコン(ウィンドウズ7)では、500ギガのハードディスクで、当然分割なし。
 入れ替えの手間もあるのだが、毎日固まる時がある。
 買い換えることに決定した。
 これもパソコン業界の戦略なのかもしれない。

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2011年5月25日 (水)

寿司屋でタバコ

 寿司屋でタバコは辞めて欲しい。広い座敷ならともかく、カウンター中心の店なら特にそうである。
 寿司を食べる間くらいは我慢すべきである。
 居酒屋や焼肉屋、焼鳥屋でタバコは分かるが、寿司は非常にデリケートな食べ物であるから、タバコを吸われると、周りが迷惑である。
 店の方も、中々禁煙とはいえまい。
 デリケートな味を売りにしている店だと、禁煙のところもある。
 私自身は寿司を食べている間は吸いたいと思わない。

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2011年5月24日 (火)

書面の作成

 ここのところ、書面の作成に追われている。
 依頼者から指示した書類が来なかったりして、ぎりぎりになるもの。
 あるいは、書面自体が分量が多くて、中々書けないもの。
 あとは被疑者国選で受けた事件の面会に時間が取られているという事情もある。

 まとまった書面の作成は、まとまった時間がないとしづらい。
 依頼者への連絡文や相手方との交渉書面などの手続的な書類は5分、10分の空き時間で書けるが、訴状や準備書面となるとそうは中々いかない。
 書面を書くために時間を空けておくこともあるが、「どうしても早く聞いて欲しい」といわれると、その空けてあるところで打合を入れることになる。

 しかし、だからといって、書面の手を抜くことも出来ない。
 ある程度時間がかかります。
 睡眠時間を削ると、体調が悪くなるし、多少息抜きもしないと、やはり仕事だけでは人間おかしくなる。

 時間がかかっている関係者の皆さん、もう少しお待ち下さい。

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2011年5月23日 (月)

体重

 油断していると、すぐ増えるもの。それが体重である。
  太るのは簡単なのに、痩せるのはものすごく難しい。
  お金を貯めるのはものすごく難しいのに、使うのは簡単なのと同じである。

 夏のズボンが入るかどうか、今から不安である。

 なので、もう少し、初夏の陽気ではなく、春めいた陽気が続いて欲しい。

 その間に痩せないと・・・。

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2011年5月20日 (金)

白髪

 鬢の所に、2年くらい前から白髪が生えてきた。
  モーニング連載中の、社長島耕作のように、横が白くなってきた。

 白髪は、若い頃から多い人と、そうでもない人が居るが、私は全くといっていいほどなかった。近しい弁護士から、「中先生のびんの白髪はショックだ」といわれた。私とていつまでも若い訳ではないが、まあそうありたいと思うし、そう言ってもらえることはありがたいことである。

 白髪か禿げるか、どちらがいいかといえば、白髪の方が個人的にはいい。
 しかし、白髪で禿げているというのは個人的にはもっとも嫌である。白髪で禿げている人、ごめんなさい。
 ただ、髪の毛は年々薄くなってきているので、白髪で禿げというのも近い未来かもしれない。
 出来れば、髪の毛がふさふさあって、白髪がいい。あんまり年がいって黒々としているのもどうかという気もする。ただ、周囲には、60歳を越えているはずだが、髪の毛がこんもり盛り上がり(別に盛っている訳ではない)、黒々とした先輩弁護士もいる。
なので、こうした弁護士はいつまでも若く見える。
 いつまでも若く見えるのもいいかなあ。
 まあ、白髪が出てきたので、そんなこと考えなくてもいいのだけど。

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2011年5月19日 (木)

最近見た映画

「真実の行方」
 リチャード・ギア主演の作品。どこからどう見ても殺人犯の被告人を弁護する主人公。彼は本当に殺人を犯していないのか。
 リチャード・ギアがあまりにもかっこいい。こんな弁護士は日本にはいないだろう。まあ、人種も違うのだけど。
 どんでん返しに次ぐどんでん返し。

 刑事事件に甘い幻想を抱いている若手弁護士は一度見ておいた方がいいかもしれない。

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2011年5月18日 (水)

足裏のツボ

 テレビで、足裏のツボを押す歩道があり、これを芸人が歩けるかというのをしていた。
 そこの住人が歩いているが、皆スタスタと歩く。
 しかし、芸人は激痛で歩けない、というものだった。

 住人の人の足裏は柔らかく、芸人の足裏は固いので激痛が走るというようなことをしていて、足裏が柔らかい住人の人たちは、高齢だが風邪一つひかず、健康だという。

 これを見て、自分の足裏を触ってみたが、固い。

 足裏のツボマッサージをしようと思い、通販で足裏のツボ(足の形をしていて、突起があるもの)を刺激する器具を買った。

 乗ってみた。

 内臓が飛び出るのではないか、と思うほど痛かった。

 私は不健康なのだろうか。

 これから、毎日乗ってみようと思う。

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2011年5月17日 (火)

上から目線の弁護士

 私の事務所は、出来るだけ敷居を低くすることを心掛けているつもりである。
 

 ただ、世の中には、まだまだ「事件をやってあげている」「忙しいのにしてあげている」という態度の弁護士も多い。

 詳細は書けないが、あることを頼んだところ、ものすごい剣幕でファックスで怒られたことがある。
 自分は偉いのだから、手間をかけさせるな、としか読めなかった。

 こういう、上から目線の弁護士にならないよう、日々精進したい。

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2011年5月16日 (月)

読書日記5月16日

「行人」新潮文庫。夏目漱石。
 司馬遼太郎は明治の文学を読みなさいと若い人に言っていたが、私も本当にそう思う。
 最近の文学作品を読むよりは、まずは古典を読み終えるべきと思うのである。
 夏目漱石は高校時代に「こころ」に出会い、その後勝手にほとんど読んだ気になっていたが、最近気になって探してみると、だいぶ読んでいないのがあることがわかった。
 そこで、まとめて購入した。
 この作品はこころにつながる作品ということだったのであるが、読んでいなかったようで(途中で何となく筋を知っている気になったのだが)、一気に読んだ。
 人の心が分からない苦悩を描いた作品で、それが故にほとんど精神疾患の常態となっている兄。妻と自分の弟の仲を疑ってしまい、苦悩に陥る。
 古くなく、今読んでも新しい。
 漱石を読まないのはもったいない、と思うのである。

「司馬遼太郎が考えたこと 13」新潮文庫。司馬遼太郎。
 司馬のエッセイ集。司馬の考え方には考えさせられるところが多い。この巻でも、いかに自己愛が腐臭を発するようなものであるかを書いている(表現は私の表現だが)。

「吾輩は猫である」岩波文庫。夏目漱石。
 これは漱石の最初の長編であるにもかかわらず読めていなかったので、読んだ。
 小説としては読みづらい。
 ただ、司馬が、漱石によって現在の日本語の書き言葉の原型が出来たとまで言っているのが分かる。
 言葉の奔流であり、そのリズム感、流れるような言葉遣いは、とても現代の作家が書けるところではない。
 漱石はどうしてこんなリズム感のある日本語が書けたのだろうか、と思う。
 小説としては一つの主題がある訳ではなく読みづらいが、人間を描いている点、典型的な人間像を作り出している点から、後世に与えた影響は計り知れないであろう。

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2011年5月13日 (金)

壁を壊す

 子どもの頃にした最大のいたずらといえば、他人の家の台所のところの壁に穴を空けたことであろうか。
 あまりよく覚えていないが、鉄の棒で一生懸命に壁に穴を空けていたそうである。

 その家の人が、子どもが何かしているということで、ほほえましく見ていると、ゴリゴリと音がして、壁に穴が空いたそうである。前にも書いたかもしれないが。

 故人となっている母方の祖父が、大工仕事が出来た人であったので、平謝りに謝り、祖父が壁をセメントで修理したという記憶であり、その家の壁の穴を塞いだセメントは周囲の壁の色と違っていて、白く、しばらく私が空けたところは明瞭であった。

 そのうち、高速が前を通り、騒音のため窓を空けられないという理由で、冷房を設置するだとか、なんとかでその並びの家は綺麗になっていた。道路公団からお金が出たのだ、というような話を聞かされたが、本当であったかは分からない。

 そのため私が壊したところもなくなってしまったが、子どもは時に分からないことをするものである。

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2011年5月12日 (木)

読書

 作家の海音寺潮五郎は、本を読むのが好きで、仕事の合間に隙を見つけては本を読み、家人がお茶を運んでくると、ささっと本を隠して執筆しているフリをしたそうである。
 生活がなければ、本ばかり読んで暮らしたいというようなことも言っていたような気もするが、そのあたりはうろ覚えである。司馬遼太郎も似たようなところがあったらしい。

 私は弁護士の仕事以外はおそらく仕事として出来ない人間なのだろうと思ってはいるが、しかし、お金が有り余っていて、働く必用がなければ、仕事はやはりしないのではないかとも思ったりする。
 それでは寂しくて、やはり仕事をバリバリしているかもしれないのだが、今は金が有り余っている訳ではないので、そんなことで悩む必用はなく、働くほかに選択肢はない。

 仕事をしているから、趣味としての読書も時間が限られていてよいのかもしれないが、私も海音寺潮五郎の気持ちはなんとなくわかる気がする。

 だからといって、仕事の手を抜いたりはしませんが。

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2011年5月11日 (水)

うざいヤツ

 司馬遼太郎は、自己愛というものは臭気を発するものであると規定し、好きになれないということを繰り返しエッセイで書いているが、そのとおりであろう。

 自分のことばかり話をする人がいるが、これは聞いている方はたまらないであろう。自分のことも話をし、相手の話も聞くというのが大事であろう。

 先日、バーで飲んでいると、「俺はサ・・・」と、「俺」がいかにどうであるかを語り続ける男性が居た。真横であったので、うるさく、うざかった。しかも花粉症のせいか、鼻が詰まっていて、余計にうざいのである。
 なんとなくすぐに席を立つのもはばかられて、少しその隣で飲んでいたが、その男の自分語りは、延々と続いた。しかし、連れの女性もまた、「私はサ・・・」で私のことを話しをする女性だった。
 これだけ、自分のことばかり話をしている人たちなので、さぞ男性が支払うのかと思っていたら、割り勘だった。しかも終電を気にして飲みを切り上げたようである。
 あれだけ、自分語りをするのだから、終電は気にしないで欲しかった。

 関西人は、自分をおとしめて笑いを取るということが常態であるので、自分語りをしてもあまり臭気は発しないように思うのだが、関東の人はあまり自分をおとしめて笑いを取るということはしないように思う。
 まあどうでもいいが、バーでうざいヤツにならないようにしよう。

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2011年5月10日 (火)

最近見た映画

「ミスティック・リバー」クリント・イーストウッドが監督した作品。
 たまたまスカパーで録画をしていて、しばらくそのままにしていたのだが、ショーン・ペンの演技が光っていた。あまりアカデミー賞受賞とか興味がないので知らずに見ていたのだが、ショーン・ペンは、主演男優賞を得ているようである。
 内容はこれから見る人もいるのでいいにくいが、いろいろと考えさせられる作品ではある。

「赤い川」ジョン・ウェイン主演の作品だが、カラー版で見た。本当は白黒のようだが、今の技術で色をつけたということらしい。スカパーで録画して見た。
 ローハイドの世界で、牛を追って南部から牛を売りにいった男たちの物語で、主人公のジョン・ウェイン演じるダンソンは、とてもあつかいづらいオッサンである。
 こんなヤツが身近にいたら絶対いやだが、なんとなく途中で見捨てられるダンソンがかわいそうになる。
 それもまた別の話、で取り上げられていたので見たが、いい映画だった。筋を書くとこれから見る人に悪いので、書けないけど。

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2011年5月 9日 (月)

歩道の真ん中で周りも見ずに自転車を転回するオバサン

 朝駅まで自転車で行っているのだが、その時に表題のようなことがたまにある。
 少し距離があるとよけられるが、先日は突然周りも見ずに、1㍍くらいの距離で回り出した。

 ないやないか、ボケ。

 と思い、声を出したところ(ボケとは言ってませんが)、おばさんは気付いてとまったので衝突は避けられた。

 周りを見ましょう。

 ただそれだけである。

 

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2011年5月 6日 (金)

トイレ待ち

 先日、電車に乗っていると、トイレの前まで来ては、「ハア」という顔をして、元の車両に戻っていく男性が居た。
 たぶん、ものすごくトイレに行きたいのであろう。
 三回くらい来ても、まだトイレは空かない。

 トイレが空いたとたんに、トイレがある車両の男性が入ってしまい、別の車両から空いているか見に来ていた男性は「まだ入っている」という感じで元に戻っていった。彼のものすごくつらそうな顔がとてもおもしろかった(意地悪でしょうか、私。)。

 教訓。
 トイレは前で待ちましょう。

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2011年5月 2日 (月)

読書日記5月2日

「遙かなる未踏峰」(上)(下)新潮文庫。ジェフリー・アーチャー。
 エベレストに挑み、エベレストで死亡したジョージ・リー・マロリーを描いた小説。山岳小説として読むと、描写が貧弱で物足りない。
 また、内容的にも、壮大な物語を短い内容でまとめたという感がある。
 マロリーの業績を軽く追っていくにはいいが、深く読みたい人にはお奨めできない。
 なお、マロリーがエベレストに登頂したかどうかは、最大のミステリーとされているが、「登頂」とは、生きて帰ってきてこそいえることだとして、登頂したかどうかは問題ではないという意見も強い。
 私は山岳小説は割と好きだが、自分では行こうとは思わない。山登りをするとすれば、軽い登山で十分である。

「それはまた別の話」文春文庫。和田誠と三谷幸喜。
 映画について対談をした、少し前にこの二人の対談である「それもまた別の話」というのを読んでおもしろかったので、それの古いバージョンをネットで探して購入。
 いろいろな名作映画について二人が語っていく。
 実際、この2冊で書かれている映画を今DVDを買ったり、スカパーで録画したりして見ている。
 アパートの鍵貸します、素晴らしき哉、人生!とか、まだ見ていないが、これから見るのが楽しみである。

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