« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月30日 (木)

節電・・・

 節電を心がけるべきだが、事務所での節電は中々難しい。
 お客さんが暑い中来られているのに、中もモワッとしていたら落ち着いた打合は出来ないだろう。

 最近は半袖のワイシャツを来て、少しでも涼しく感じるようにしている。夏場はネクタイはここ数年ほとんどつけたことがない。これも節電には役立つだろう。

 夜も窓を開けて扇風機で寝ている。2階で寝ているので、窓を開けられるが、真夏ではこの方法では眠れなくなるだろう。

 電力問題に、何らかの形の解決がされることを祈るばかりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月29日 (水)

スーパークールビズ

 あれを見ていて思うのだが、チノパンはスーツのズボンより暑いのではないだろうか。
 上のポロシャツについても、上を半袖のワイシャツにすれば、あまり変わらないように思うのだが、涼しいのだろうか。
 ジーパンも場合によればよいということだが、ジーパンは暑いと思う。

 かりゆしシャツとか、アロハシャツ、半ズボンまで行くと涼しいだろうが、やはり場合によれば人の生き死にに関わる仕事をしているので、あまりリゾートのようなファッションは出来ない。

 しかし、最近の裁判所内は暑い。節電といわれているので仕方ないとは思うが、あまりに湿気が多いと、喘息発作が出かけたりするので、湿気だけは何とかならないかと思ったりする。

 電力問題は今年だけの問題ではないので、これからの夏はどうしていくのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月28日 (火)

最近の若手弁護士

 最近の若手弁護士は、自分を批判されると過剰反応するという話を聞いていたが、やはりそのようである。
 誤った(相手方弁護士が懲戒請求を受けうるようなひどいもの)[訴訟活動をしようとする弁護士がいる場合、直接いうと角が立つので、そういう時は裁判所を通じて注意をしてもらうようにしている。裁判所も私のいうことが正当であるので、裁判所から相手方弁護士に注意を入れるようである。
 裁判所が、その際、私からの意見があってこのようにしていると言っているかどうかはわからない。
 その結果、撤回した時でも、「こちらは本当は撤回する必用はないが、仕方がないので撤回したのだ。恩に着ろ、エヘン。」のような文書をわざわざ送ってきたりする弁護士が多い。
 どうしてこんなにおかしい活動をするのかと思い期を調べてみると、登録1年目とか2年目とかの超新人が多い。

 一応私はこの仕事を15年してきているので、ロースクールを出て、1年か2年かしか経験がない弁護士と比べてみれば、当然裁判の経験年数も多いので、若手弁護士からそんなに偉ぶられるいわれはない。
 大人げないといわれるかもしれないが、こんな文書が来た時には、びしっと正しいあり方を述べさせてもらうことにしている。

 まあ、タフぶるやつほどタフではないので、自信がないことのあらわれであろうが、勉強させてもらってありがとうございましたくらいの気持ちでいて欲しいものである。

 ベテランが、常に正しい訳ではないが、私の指摘は裁判所の容れるところとなっているので、そのあたりで若手弁護士は自分の誤りに気づいて欲しいものである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年6月27日 (月)

タイピングソフト

 パソコンを新しいのにしたので、容量にものすごく余裕が出たため、壁紙も好きなものを入れてみようと思った。
 私はガンダムファンでもあり、その中でもっともゼータガンダムが好きなので、ゼータの壁紙を探したが、壁紙単体はなかった。

 きっともっと探せばあるのだろうが、ネットで検索していると、ゼータガンダムのタイピングソフトを見つけた。
 タイプして敵を倒すと、壁紙が手に入るとのふれこみである。

 しかも今頃タイピングソフトも売れないようで、定価から大幅に減額されて800円くらいである。
 購入してインストールして、いざゲームを始めようとすると、かな打ちモードがないのである。
 しかたなくローマ字で打ち込むが、ベリーイージィでもミスの連続で、ジェリド・メサすら倒せないのである。

 事務所のパートナー弁護士のK君に、暇な時にやってもらい、壁紙データをもらうことで落ち着いたが、K君も多忙なので、私が壁紙をゲットする日は遠そうである。

 しばらく、ルーニーの壁紙にでもしておこうかな。。

 かな打ちをする人もいるのだから、かな打ちモードも入れておいて欲しかったと切に思う梅雨時の1日であった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月24日 (金)

かな打ち

 私はワープロの入力はかな打ちである。
 キーボードを見ないで入力するには、キーの位置を覚えるのが少ないローマ字打ちに限ると当初言われたが、ローマ字打ちを少しして見ると、頭の中で文字を一度ローマ字にして入力する必用があるような気がして、思考の妨げとなるような気がした。
 あとはあまのじゃくなところがあるので、みんながローマ字入力なら、おいどんはかな打ちでやりますたいってなもんで、かな打ちですることと決めた。

 今はほとんどキーボードを見ないでかな打ちで打てるので、私の入力はものすごく速い。
 書面を書くのが速い(と思っているが)のもそのおかげというところもある。

 しかし、かな打ちだと悲劇が起こることもある。

 来週につづく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月23日 (木)

二条駅にて

 先日、北部に行くために二条駅で特急を待っていたら、駅員さんが寄ってきて、「失礼ですが、次の特急でグリーン車に乗られますか」と聞いてきた。
 「はあ」と言うと「京都駅で購入されましたか」とまた質問。その通りだったので、これまた「はあ」と間の抜けた返事をするしかない。切符を見せて欲しいというので切符を見せる。
 何かパソコンのトラブルで、二重に席が販売されたのかともいぶかる。
 まさか新手の詐欺でもあるまいと思っていると、「京都駅で購入された際、窓口のものが誤って、福知山までしかグリーンはないのに、天橋立までグリーン車料金をいただいていました。いますぐ取り替えます。差額をお支払いします」という。

 そして、走って下の方にいき、新しい切符と差額を持ってきてくれた。

 どうしてこういうのが分かるのか不思議であったが、指定席はオンラインで調査とかしているのだろうか。
 それにしても、北近畿タンゴ鉄道との乗り継ぎの切符を買うと、担当者によってはものすごく早く切符を出してくれるのだが、人によっては指定をとれないこともある。前にも同様のことを書いたが。
 きちんと窓口職員を教育して欲しいものである。

 特に私は事件で定期的に北部には行くので、切符を取るときにいちいちイラッとさせられるのはかなんのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月22日 (水)

英語

 英語を毎日少しずつ聞いているが、毎日少しずつ聞いていると、少しは聞き取れるようになる。
 当然まだまだではあるが。

 先日スカパーでアメリカのドラマが字幕でやっていて、字幕を見ないようにして聞いていると、多少は意味がとれるようになっていた。
 ただ、やはり本物の英語はスピードが速く、まだまだ不完全である。

 そもそも、日本語と英語では、言語の構造が違うので、我々日本人にとっては覚えにくいのである。
 日本語は、司馬遼太郎がよく書いていたようにニカワ語であり、てにをはで、言葉をつなげれば言葉が出来る。モンゴル語も同様であるため、日本人がモンゴル語を覚えるのはさほど難しくないそうである。これもたびたび司馬遼太郎が書いている。モンゴル人力士が日本になじむのは、モンゴル人にとっても日本語は覚えやすいというところにも原因がありそうである。
 ところが、英語やフランス語はそうではなく、言葉の順序が重要であるから、この言葉の構造を覚えないといけないのでやっかいなのである。
 来年クロアチアで開催される弁護士ワールドカップに行った時に、多少コミュニケーション出来るように英語が聞き取れるようになっていたいというささやかな目的しかないので、きっとあまり上達はしないような気はするのだが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月21日 (火)

泥酔

 先週の金曜日は弁護士会の派閥の会合があり、入れ替わり立ち替わり席に先輩弁護士や後輩弁護士がやってきて、冷酒を勧められて、いい気になって飲んでいたら泥酔してしまった。

 その後、バーに行き、祇園のスナックに行ったのだが、最後の方はあまり覚えていない。
 

 久しぶりにベロベロになった。
 私の敬愛するN村T雄弁護士はいつもベロベロであったが、ベロベロになるのは気分がいいものである。N村T雄弁護士は、いつもこのような気分のいい状態というわけなのかと感心する。ただし、翌日は二日酔いであった。

 二日酔いになるたびに、酒はやめようと思うのだが、ちょっと経つと「深酒はやめよう」となり、もう少し経つとすべてを忘れてしまう。

 まあ、時々泥酔しないとやってられないこともありますが。
 それなりにストレスはたまるので・・・。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年6月20日 (月)

なんだか

 最近予定が詰まっている。先々週末土日に舞鶴に弁護士会の会議があり、泊まりで行ったので身体が休まっていないところに、先週は裁判や打ち合わせが詰まっていた。

 ちなみに、今日の予定は、午前中拘置所で国選の被告人と面会し、昼休みは弁護士会の委員会、1時10分から裁判の弁論、2時から新件の相談、2時半からも新件の相談、3時から顧問先の相談、4時から弁護士会の委員会、5時半から新件の管財事件の引き継ぎ・・・となっている。

 火曜日水曜日もこんな感じである(新件の相談がそんなにしょっちゅう入る訳ではないけど)。
 木曜日も調整中の打ち合わせが入ればこんな感じとなる。
 その隙間を縫って起案したり、依頼者へ電話をしたり、連絡文書を起案したりなどしている。

 たまに相手方の弁護士の手帳が見えてしまう時があるが、一日に一つ程度の予定しか入っていない弁護士がいる。
 あれで飯が食えているというのは、顧問先がたくさんあるか、一つの事件の着手金が高いのであろうか。

 不思議である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月17日 (金)

本屋にて

 先日、本を買うために並んでいたら、前で、夫婦らしき人が議論をしていた。
 どうも、出ている本をハードカバーで妻側が買うかどうかでもめているらしい。
 妻は、「今、●●読んでるしな~」とものすごい声でいい、「文庫になるまで待とうか、でも読みたいしな~。」と大きい声で夫にいっている。
 夫は無視している。

 妻は、再びその買いたい本のところにけわしい顔で走り去った。
  私は自分の清算をして、そのまま本屋から出たので、妻がハードカバーを買ったかどうかは知らないし、どうでもいい。
 

 そういうことは、心の中で言ってくれ、と思っただけである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月16日 (木)

読書日記6月16日

「韃靼疾風録(上)(下)」中公文庫。司馬遼太郎。
 私の知識の中では、司馬遼太郎が最後に書いた小説がこれであったと思う。゜
 その意味で、司馬ファンの私は、襟を正して読んだ。
 司馬は大阪外国語大学でモンゴル語を学んだ。中国の北方にいる騎馬民族へのあこがれがあったからだという。
 これは、清帝国が成立するに至るまでの、女真族の戦いを、日本人武士の目から描いた作品である。
 司馬が北方にあこがれていたというところからすれば、司馬の最後の小説というにふさわしい。
 上下巻で1000ページ以上あったが、数日で読んだ。

「英雄の書」カッパノベルス。宮部みゆき。
 本屋にハードカバーで並んでいたころから気になっていたのが新書で出ていたので、購入。
 内容はファンタジー小説である(と断言するとファンからはしかられるか?)。
 私は、宮部みゆきは現代小説をずっと書いて欲しかったのだが(模倣犯とか、火車とかと同じ作品。)、ああいう作品は、ずっと書くには作者のエネルギーも必要となるのか、最近は書いていない気がする。模倣犯の続編ともいうべき、楽園でも超能力的な力が出てくるし・・・。
 作者がどういう経緯でファンタジー小説などを書いているのかわからないが、個人的にはこういった小説は好きではないので、ハードカバーで買わなくてよかったと思った。あくまで個人的意見であり、こうした作品が好きな人にとってはおもしろい作品なのだろうと思う。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

不思議なこと-同時に複数の空間に存在・・・

 我々の体は固体であるので、空間の一部分を占めている。
 しかし、我々は体を動かすことが出来る。他の物体も動いている。
 空間を動くということは、突き詰めていくと、我々の体は、動いている間、空間において、同時に違う部分に存在していることになるのではないかと思ったりする。
  同時に肉体が、違う箇所に存在することになるのではなかろうか。
 そう思うと、物質というものは、同時に違う箇所に存在できるという意味で、振動でもしているブルンブルンしたものではないかなとか考えたりする。抽象的ですが。
 ブルンブルンとしたものであれば、壁抜けとかも壁の分子と人間の肉体の分子をうまくすりぬけさせられれば、通ったり出来るのではないかとアホなことを考えたりする。
 詳細は忘れたが、日本の超能力者で、10円玉の中にストローか何かを突き通して、また元に戻せる人がいるそうだが、そういう人は、こうした原理について自在に使いこなせる人ではなかろうか。

 実際、分子というのは常に振動していて、固体として存在するためには、ある程度大きい塊にならないとその存在が維持出来ないというようなことが書かれていた本を読んだ気がする。そうすると、この振動をうまく使いこなせれば・・・・。

 考えてもわからないことである。
 宇宙がビッグバンで生成されたというその生成前のところには何があったのかとか、拡大し続けているビッグバンの宇宙の外には何があるのかとか、とりとめもないことを考えてしまうことがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月14日 (火)

不思議なこと-ファックス

 ファックスの技術も意味不明である。同じ趣旨でスキャナーも。
 なんであんなスッと通しただけで、全ての文字を読み込んで、それが相手のところで同じ字で出てこられるのか。図だってそうである。

 考えると、すごい発明である。

 電子メールも意味がわからない。日常的にそれなりに仕事で使いこなしているが、原理はわからない。
 ましてや、電話同様、携帯のメールなんて宙を飛んでくるのである(アホっぽいとか思わないでくださいね)。
 どんな技術なのだろうか?
 そうした仕組みについて、本を読みたいと思っているが、何を読んでいいのかすらわからないのである。

 デジカメとか、普通のカメラとか、原理がわからないものだらけである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月13日 (月)

不思議なこと-携帯電話

 私は高校時代物理も化学もわからず、生物地学という文系にしか進めないコースに居た(確か11か12クラスくらいあって、生物地学は1クラスだけ)。
 共通一次を受けるつもりにしていたので、数学はそこそこに出来たが、物理化学はちんぷんかんぷんであった。
 そのおかげで、世の中の様々な機械的仕組みがわからないことだらけである。

 一つ疑問なのは、電話がなぜ話が出来るかということである。
 線でつながっているならまだしも、携帯なんてどうやって話が出来ているのか?
 線でつながっていないのに。

 アホのようだが、この原理を科学的な説明が出来る人はどれほどいるのだろうか。
 不思議シリーズ、つづく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月10日 (金)

小銭をばらまく

 ある駅で、小銭入れから小銭をばらまいていたおじさんが居た。
 派手にばらまいたので、小銭があちこちに転がっていく。

 私の近くにも100円が転がってきたので、拾い上げてオジサンにところに歩いていき、手渡してあげる。
 オジサンの周りでは、歩いている人が何人も足下に転がってきた小銭を拾ってオジサンに渡すという光景が見られた。
 国によっては、みんな小銭を拾ってそのまま走り去るであろう。

 いいぞ、日本。
 と思った。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年6月 9日 (木)

所有権の放棄

 動産に関しては所有権は基本的に放棄できるが(登録などのあるものについては制限があるが)、不動産については放棄ということが出来ない。

 要らない不動産を持っている人は、困るのである。行政に寄付でもして受け付けてもらえればよいのであるが、それもしてもらえない場合、要らない不動産を持ち続けることになる。
 売却できる不動産であれば売却すればよいが、税金がかからない特殊な不動産だとそうもいかない。

 墳墓という地目があり、共同墓地として使用されている土地があるが、これは使用料は支払ってもらえていないことがほとんどで、墓をそこに建てることが目的なので、使用貸借という法律上の権利が墓の所有者に発生しており、かつ、墓を持つことは基本的にその使用貸借は永久に続くということになる。
 所有者が権利放棄したいといっても、誰かが名義をもらうことを引き受けてくれないと放棄も出来ない。
 そこに自信の家系の墓でもあれば格別、そうでない場合には余計にいらない。

 死を忌むものとし、死体をケガレたものとする物忌みの思想が日本には根付いているため、余計に「墳墓」という地目の土地を所有することに嫌悪感を感じるのではないかと思ったりしている。

 ただ、法制度として、土地の私有を認めている以上、権利放棄は出来ないのである。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年6月 8日 (水)

日本人の名乗り

 司馬遼太郎の本を読んでいると、日本人には「名乗り」というのがあり、人に呼んで貰う時の名前以外に正式な名前があったということである。
 坂本ナオナリ(漢字は忘れた)というのは、坂本龍馬の正式名ということであった。
 
 西郷隆盛は、本当の名前は「隆永」だったらしいが、明治に戸籍を作るときに、「西郷どんの名前はなんじゃったかな」となり、「隆盛じゃ」として戸籍に載せたところ、後日西郷隆盛に聞くと、「隆永じゃ」となったが、すでに戸籍に載っていたので、そのまま通したという話もある。

 私などでは、中又兵衛隆志などと名乗っていたことになろうか。
 言霊思想がある日本では、みだりに本当の名前で呼ぶことは避けるべきという思想があったのではないかと思っていて、司馬もそう書いていたように思うが、詳しくは忘れた。
 司馬遼太郎の考えたこと(新潮文庫。司馬遼太郎著。)のどこかにこの話は入っているので、興味のある人は読まれたい。

 私は西郷隆盛の話をおもしろく読んだ。後で訂正しなかったところが、やはり大人の風を感じさせる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 7日 (火)

血液検査

 3~4ヶ月に一度血液検査をかかりつけの医師のところでしてもらっている。
 たいてい、私は酒を飲んだくれていると思われているので、「数値悪いやろう」とニヤニヤと笑いながらいわれることが多いのだが、あにはからんや、私は血液検査の数値はものすごくいい。
 尿酸値も正常であるし(ものの本によると、尿酸値というのは、酒をいくら飲んでも大丈夫な人は大丈夫なのだそうだ。体質によるようである。)、そのほかもみな真ん中である。
 血圧は少し高めだが、かといって下は90、上は130くらいなので、全然心配いらないそうである。

 先日、血液検査でガン検診が出来るのか主治医に聞いたところ、「前立腺ガン以外は意味があまりない」という回答だった。
 ここが疑わしいということでピンポイントで調べないと、あまり意味がないということであった。
 毎年腫瘍マーカーにかかっているN村T雄弁護士は毎回検査に行くが、そのたび大丈夫だということであり、腫瘍マーカーはあまりあてにならないものらしい。ただ、逆に腫瘍マーカーが出ていなくても大丈夫であるともいえないらしい(この話は医学的に裏付けは取っておりません)。
 ただ、血液検査は一年に一度くらいは最低した方がいいことはいいだろう(私は数ヶ月に一度しているが、半年に一度肺のレントゲンも撮る。)。
 健康のためには、後は運動ということになろうが、月に2度のサッカーでは、運動というには足りない気がしている。しかし、中々毎日となるとつらい。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 6日 (月)

読書日記6月6日

「幕末動乱の男たち(上)」新潮文庫。海音寺潮五郎。
 海音寺の「武将列伝」と同様に、短い読み物で幕末の人物を描いていくシリーズ。
 小説調ではなく、あくまで史実に基づいている。
 司馬の作品では英雄豪傑風に書かれた清河八郎が、けっこう史実では悲惨な目に遭っていたり、悲惨な境遇の中でもすぐに楽しみを見つけることの出来た平野国臣など、幕末の人物が描かれる。歴史好きなら海音寺作品は逃せない。

「三陸海岸大津波」文春文庫。吉村昭。
 高熱隧道、漂流などいくつか作品を読んでいる吉村昭が、明治と昭和の初めに発生した三陸海岸の大津波について、生存者からの聞き取りや当時の作文を紹介しながら、その恐ろしさを伝えたルポ。
 昭和八年の津波では、明治の津波からあまり月日が経過していなかったため、避難訓練を十分にしていたり、高台に家を築いていたため、被害が少なかったということである。
 大津波が平成23年3月11に三陸海岸を襲ったが、今回は前の津波から月日が経過しすぎていたため、当時のことを伝える人もいなかったに違いない。
 今回の津波を受けて書かれた訳ではなく、その恐ろしさを後世に伝えるために書かれたこの作品が、もっと読まれていたら、と悔やまれてならない。

「二百十日・野分」新潮文庫。夏目漱石。
 漱石が明治維新後、拝金主義がはびこる世相を痛烈に批判した作品。
 二百十日が、軽妙なタッチで会話調で進み、中身も軽やかであるのに対して、野分の方は重厚な小説である。
 野分のラストは、涙なしには読めない。
 社会人として、夏目漱石の作品は、いくつかは読んでおくべきであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 3日 (金)

MacBookAir

 Macのゲームがしたくて衝動買いしたMacBookだが、最近は来客室で使いこなせるようになっている(逆に、Macのゲームは全くしていない)。

 依頼者との打合を、ワードで打ち込んで、事務所のサーバー内の大容量ハードディスクにデータを飛ばして、自分のパソコンで一太郎で整えている。おかげで、陳述書作成も早くなった。

 MacBookAirで打ち込んでいると、すごく仕事が出来る弁護士に見えてしまうのではないだろうか。
 しかし、MacBookAirは薄い。
 ウォークマンと同様、中は四次元につながっていて、その中で大きいハードディスクで作業しているのではと思ってしまう薄さである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 2日 (木)

ウォークマンを買う

 タクシーに乗っている時は本を読むと酔うし、何も出来ないと思っていたが、iPodとか、ウォークマンを買えば、英語が聞けると思い、買った。私は起きている間は、何かしていないと気が済まないタイプなのである。ぼーっとしていられないのである。

 悩んだ末、iPodではなく、ウォークマン(4ギガのメモリーで、7000円強のもの。古い型なのであるが、全く気にならない。)にした。
 iPodにあるような機能は私には使いこなせないからである。携帯も、電話・メール・ネットにつなぐ・カメラで撮るという機能があればよいほどだし。ちなみに、携帯は、裏の電池のところのフタを落とした時にどこかが折れたようで、すぐにはずれてきて、このままではフタを落とすと思い、セロテープで貼っている。物凄く貧乏臭いといわれたが、別に使うには支障はないのでよいではないかと思う。同じ意味で、iPhoneも、アイパッドも要らない。

 話が逸れたが、ウォークマンを買ってみて、こんなに軽いものの中に、いったいどうやってこんな機能が入っているのか不思議である。中が四次元につながっているのではないだろうか?
 多分これで英語を聞いても、そんなに英語が聞けるようにはならない気がするが、まあやらないよりはした方がいいだろうと思い、聞くことにしてみようかと思っている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年6月 1日 (水)

片付け

 整理整頓は苦手であるが、パソコンを入れ替えるため、机の上を整理した(Cドライブの要領は、懇意にしているK藤S一郎弁護士が紹介してくれたパーテーションの分割を変更出来るソフトでやったところ、30ギガの空きを作れたが、既に発注していた高スペックパソコンの発注を止めることが出来なかった為、将来どうせ同じ思いをすることもあるかもしれないと思い、500ギガの容量のあるパソコンと入れ替えることにした。説明長いですか?)。
 整理すると、要らないものがたくさん出てきて、捨てることとなった。

 整理すると、仕事の出来るスペースが増え、何となく心の余裕が出来た感じがする。
 整理すればいいのだとは思ったが、中々これが続かないのである。

 土日に自宅の机も整理して、数ヶ月ぶりに机の面が見えた。
 聴いたCDや、メモなどが散乱していて、これをまとめるだけで済むのだが、仕事をして疲労している時には中々することが出来ない。
 数ヶ月放置していたペットボトルも整理した。
 ただ、これも多分2週間ほどすると、また机の面が見えなくなるだろう。

 雑誌に出ているような、机の上に何もないデスクでどうやって仕事をするのか、不思議である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »