腹の立つ爺さん
先日、道を歩いていると、大きめの車が来て、左折の合図を出している。私は歩行者なので優先であるから、その前を横切って歩いた。そうしたところ、横切った瞬間に、ものすごい大きい音でクラクションを鳴らされたのである。
そんなところでクラクションを鳴らされるとは思っていなかったので、多少驚いたとともに、ムカッと来た。
怒りのこもった目で運転手を見ると、爺さんであった。
爺さんは私を見ておらず、左折しようとしているのに、自分が左に曲がりたいのに、そこで停車している自動車があったので、その自動車をのかせようと鳴らしたようであり、その自動車を見ていた。
しかし、停車している自動車とは距離があったので、停車している自動車は気づかない。
どう見ても、そのシーンだけ見ると、目の前を横切った私に鳴らしたようなシチュエーションであったが、どうも停車している自動車にクラクションを鳴らしたようである。ジイサンには私は見えていなかったようである。だから私が目の前にいるのにクラクションを鳴らしたのであろう。それも怖いけど。見ていなかったら急発進していた可能性もある。。。
裁判所に行く途中だったのと、爺さんとけんかをする訳にもいかず、そのまま行きすぎたが、クラクションを人の近くで鳴らすと、結構音量があるので、耳が痛くなる。
高齢の方で、あれで驚いて転倒したら、場合によれば損害賠償ものである。
正直、高齢の人で、運転技能が落ちてきた人は運転を控えて欲しいと思う。
前は道路を逆走していて、さも私が逆走していて、自分は正しい顔をしてクラクションを鳴らしていたジイサンもいたことだし。
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コメント
毎日楽しく読んでいます。
車は「走る凶器」ですから,周りにきちんと注意を払えない人は運転しないで欲しいですね。
京都なら,電車やバスがまぁまぁ発達していますから,なおさらです。
交通事故で人が死んだり,重い障害が残ったりするのが一番やりきれないです。
泣いて謝られたり,お金を積まれても,被害者はぜんぜん満足できないと思います。
投稿: おでん | 2011年7月14日 (木) 15時34分
まさにそのとおりだと思います。
後遺症が残ってしまった方については、元の体に戻る方が絶対にいいはずです。
しかし、今の医療技術では元の体に戻すことはできない。
そうした大きい危険性を有しているのが自動車であり(最近では自転車の事故も多いですが)、そうした危険性を十二分に認識して運転して欲しいと切に願うものです。遺族や被害者が満足したり、納得した姿を私は知りません。
また、体が元に戻らないからこそ、そうであるからこそ、適切な賠償がされなければならないとも思います。
亡くなられた場合は、生き返るということがない以上、適切な賠償がされるべきと思います。
投稿: 中隆志 | 2011年7月25日 (月) 17時53分