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2011年10月31日 (月)

読書日記10月31日

「名もなき毒」幻冬舎。宮部みゆき。
 だいぶ前に購入して、読めていなかったのを見つけて(たくさん未読の本があるので、時々忘れてしまう。ハードカバーで買って、読めておらず、文庫版まで買っていることがたまにある)、読んだが、宮部みゆきは本当に小説がうまい。
  ストーリーも情景描写もしつかりしていて、安心して読める。
  内容もとてもおもしろかった。
 推理小説ではないが、一読の価値あり。

「誰か somebody」文春文庫。宮部みゆき。
 名もなき毒と登場人物というか、主人公、設定が同じ物語。
 これもまあまあよかった。

「謙信びいき」PHP。火坂雅志。
 大河の原作で著名になった筆者のエッセイ集。
 司馬遼太郎に比べると、エッセイの中身が薄っぺらく、ほとんど人生の参考になるようなことは書かれていなかった。

 その他、ビジネス書を5~6冊流し読みした。タイトルをあげるのが恥ずかしいので、割愛。

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2011年10月28日 (金)

代理人としての節度

 最近の若手弁護士に多いように思うが、どうしようもなく、いうこともない事件でも、「何かいわないと、ボクがバカだと思われてしまう。ボクは賢いんだゾ。」と思うのであろうか、書かないでもいい主張を書いてさらに墓穴を掘ったり、悲惨な事件でさらに被害者の気持ちを逆撫でするようなことを平気で書いたり、この事件でそこまでいうと、かえってダメだろうというように、「必死になりすぎている」弁護士が見受けられる。事件の筋を捉えて一生懸命することと、事件の筋からいって、この事件はここまでと止めることは矛盾しない。
 むしろ、そうしている方が有能だということがわかる。

 すなわち、トレーニングされたベテランの弁護士だと、一定の類型の事件を見れば、「この事件はこの程度が落としどころであるから、主張はここまでにしておくべきだ。無用の紛争を招くべきではない」として相応の主張にとどめる。なんでも言えばいいというものではない。

 死亡しているような事件の場合、被害感情も強いので、ベテラン弁護士の場合、それを逆撫でするような主張はしないし、尋問でもさらっとしたことしか聞かないことが多い。
 主張にもほどほどというところがあるが、経験がないと、それが分からないということなのだろう。
 あるいは、弁護士としてどうというよりは、人間としての常識が欠落しているといってもいいかもしれない。

 自分が批判されることになれておらず、こちらが当然の指摘をすると、どんどんエスカレートする場合もあるようで、よけいにおかしくなっていくことが多い。批判したら逆ギレする人もいると聞く。
 それだけ、自分に自信がないというか、薄っぺらいことを覆い隠そうとするのであろう。

 代理人としての節度というものがあり、このような態度でいると、そのうち足下をすくわれることになる。懲戒請求でもされたら一発アウトのような訴訟活動を平気でしていて、私と裁判所で救ってあげたこともある。

 やれやれである。

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2011年10月27日 (木)

読書日記10月27日

「人生心得帖」PHP文庫。松下幸之助。
 松下の創業者である松下幸之助の人生訓。松下幸之助は身体も弱かったが、それ故に成功をおさめられたという。人に任せること、人を信用すること、また学がなかったので、人のいうことを素直に聞くことが出来たこと等々。小さいながらも事業主として、参考になる言葉が数多くおさめられていた。

「お金の現実」ダイヤモンド社。岡本史郎。
 新潟で税理士をしていて、「会社にお金が残らない本当の理由」(←これもものすごくいい本である。しかし、今は中々入手出来ない模様)を書いた筆者がお金について書いた本。
 現実に即して書いていて、精神論やこれさえやれば・・・というようなノウハウも書かれていない。
 しかし、実際の世の中で、お金についてここまで考えている人はなかなかいないであろう。
 実践できるかどうかはともかく、大変参考になった。

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2011年10月26日 (水)

弁護士のお酒

 弁護士はたいてい大酒飲みのように思われるかもしれないが(私はたぶんそうだが)、中にはお酒が体質的に合わない人もいるだろう。
 そういう時は、「お酒は飲めないんです」といえば、無理に飲むことを強いるような世界ではない。
 また、お酒が弱い場合もそういえばいいし、焼酎などは、「薄い薄い水割り」と言って作ってもらい、ちびちびと飲んでいれば特に何もいわれない。
 日本酒を酌み交わすこともあるが、おちょこだけもらって、唇を湿す程度にしておけばいい。要は、杯を受けるということが大事なのである。

 二次会、三次会にお茶だけで付き合うひともいる。周りのテンションに合わせるのは大変かもしれないが、本人がそれでいいなら誰もお酒は無理に勧めない。
 単発の宴会で、お酒が飲めず、どうしても断り切れない雰囲気の時は、「帰り車なんで」ということをいえば、無理に勧めれば飲酒運転の共犯になりかねないため、それ以上勧められないであろう。

 ただ、飲んでいるうちに強くなるということもあるし、突然弱くなる時もある。私は今から思うと、独立直後の31、2歳の頃が最もお酒が強かったように思う。
 最高時は、生ビール2杯に日本酒を5合ほど飲んでからまさこに行き、そこでさらに日本酒5合を2本一人で空けて、その後まだロックでウイスキーを何杯か飲んでも翌日サッカーの練習試合で得点をしていたほど元気だった。
 今は全然だめだし、また、酒量を人と競おうというつもりもない。
 

 二次会などに誘われて、だめないいわけは、「明日あるんで」といういいわけである。
 弁護士は誰しも明日仕事があるので、これだけでは「つきあいの悪いやつ」と言うだけで終わる。
 ここは具体的に、「明日でかい刑事の尋問がある」とか、「民事の集中証拠調べがある」というのであれば、まあ通りやすい。

 無理をして現場で気持ち悪くなると、逆に酒の飲み方も知らないヤツだというマイナス評価になることもあるので、まあ無理はしないことである。

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2011年10月25日 (火)

フェイスブック

 先々週くらいからフェイスブックを始めた。
 どうしたらよいのかよく分からないまま、とりあえず何か書いている。

 このブログも自動的に転送されるようにした。適当にしていたら何か出来たのである。
 友達は今70名くらい。

 最大5000名ということであるが、そんなには友達は増えないであろう。

 どう使ったらよいか、また研究しないといけない。

 ちなみに、「中隆志」で登録しています。

 友達申請をしていただいたら、基本的に断ることはありません。

 またよろしく。

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2011年10月24日 (月)

読書日記10月24日

「成功する人は缶コーヒーを飲まない」講談社α新書。姫野友美。
 糖分の取りすぎが体力ややる気をそぐということや、もっと肉類を取れ(タンパク質が重要)、草食男子はだめである(野菜を食べるなと言っている訳ではない)等々栄養学に基づいた書籍。
 筆者によると、食事を変えただけでうつ病が治った人も多数いるとのこと(まあ、うつ病はそんな簡単な病気とは思えないが)。
 私は肉はよく食べるので、肉は食べていいのだと心を強くした。
 もっと焼肉を食べようっと。

「ハッピーワークスタイル」毎日コミュニケーションズ。本田直之ほか。
 MacとiPhone、iPadを使えば、仕事がこんなにはかどるという本。
 MacBookAirを使いこなせていないので、買ってみたが、弁護士という職業は、ここまで仕事のことばかり考える必要もないので、ほとんど参考にならなかった。

「考具」阪急コミュニケーションズ。加藤昌治。
 レバレッジ・リーディングの本田直之が勧めていたので購入してみた。
 私は企画を立ててアイディアで勝負する職業ではないので、その全てが参考となる訳ではないものの、一部参考となることもあったし、既にしているところもあった。まあ弁護士は読む必要ないかと思う。

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2011年10月21日 (金)

マスク

 閉ざされた空間(職場など)で咳き込んでいる人がいると、何となく風邪が伝染る気がする。
 実際、咳き込んだ時に、どこまで咳が飛ぶかということをテレビのスローモーション画面でやっていると、信じられないくらい遠くまで飛んでいる。

 なので、咳き込んでいる時には、自分のため(喉を保護する)という意味合いもあるが、周囲の人のためにマスクをするのが社会人としての最低限のマナーである。

 マスクした方がいいんじゃない?と聞かれて、「大丈夫です」と答えている時点で、周囲からは既に相当白い目で見られている。
 マスクした方がいいんじゃない?という問いかけは、「周囲の人に伝染る可能性があるから、ゲホゲホ咳き込むなや、ボケ!はよマスクせんかい!」と言われていると思って間違いない。それに大丈夫と答えている時点で、さらにあなたのポイントは下がってしまっている(もはやポイントはないかもしれない)。誰もあなたの身体を心配している訳ではないのだ(まあ多少はあるかもしれないが、大半は周囲の人が自分がいやなのだ)。

 電車などでも同様であり、あまりに咳き込んでいる人でマスクをしていないと、私は席をかわるようにしている。

 風邪を引く人が増えてきているし、この先増えるだろう。
 中々仕事を休めないかもしれないが、せめて周囲の人のためにマスクはしよう。

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2011年10月20日 (木)

久しぶりに携帯を交換した。

 先週の土曜日、久しぶりに携帯を交換した。前の携帯が、スライドさせても画面が真っ暗になっていることが大半になり、かつ、充電してもすぐに電池が切れてしまうようになったからであった(電池は1年前に新しい物に交換していたのだが)。また、電源を切るときに、バイブがなるのだが、このバイブも何となく変なバイブレーション(別に設定は変えていない)になってしまい、突然ダウンしたら困るので、交換した。
 店に行くと、ほとんどがスマートフォンであり、普通の携帯は数えるほどしかなかった。
 携帯には、電話をかける、メールの送受信、カメラで撮影する(といっても、ほとんど撮ることはないが。事件の現場でデジカメを忘れた時くらいか。)、ネットにつないでメールを見る(サービスに入っているので、パソコンに来るメールを添付ファイル以外は読むことが出来る)くらいしか使わないので、スマートフォンである必要はないのだった。
 だいたい、スマートフォンの使い道もしらないし、指でスライドさせて画像や写真を見るということもないので、要らないのである(音楽や英語はウォークマンで聞くのでいらない)。
 店員からは、やや意外な感じで、今から普通の携帯かのようなリアクションをされるが、普通の携帯が欲しい人は一定割合いるはずである。スマートフォンばかり作るんじゃないとちょっと怒り。
 私の知り合いには、一度iPhoneにしたが、操作についていけず、元の携帯に戻した人もいるほどであり、私もきっとそうなるのが見えているからである(京都法曹サッカー部の現主将かもしれないが・・・)。
 スマートフォンを購入するとすれば、それは添付ファイルを見るためのパソコン的使用となるであろう。しかし、私は事務所にもパソコンがあり、自宅にもパソコンがあり、両方当然だがネットにつなぐことが出来る。その途中で添付ファイルを見ないと仕事上どうしようもなくなるというような状況にはおかれていないので、きっと不要である(もしその用途に限るなら、アイパッドという手もあるし、事務所にはそれこそ使いこなせていないMacBookAirがあるから、これを持ち運んでもいいわけである。)。
 結局、スマートフォンを購入しても、2台目で遊ばせておくだけになることは見えているので、ビジネスマンでありながら、現段階でその必要性を感じない私のような人もいるはずなのである。

 また、前は携帯電話の代金は料金に上乗せさせていたりしたので、機種自体のお金はあまりかからなかったのだが、今は当局より指導されたために代金がけっこうかかる。
 何の気なしに「これがいい」と思って取った携帯は、7万円以上するものだった。パソコンが買えるやないかいと思いつつ、他の機種も見たが気に入ったものがなかった。前なら何種類かから選べたはずであるが。。。
 仕方ないので、これに交換。
 交換してしばらくは、また操作性の違いに悩むことになるのであろう。しかし、スマートフォンとの違いほどではないであろう。

 新しい携帯は、ネットにつながるのも速い。前の携帯は中々ネットにつながらず、つながってもよく固まっていた。
 ということは、前の携帯はやはりどこかおかしかったのかもしれない。

 時代遅れでしょうか。ワタシ。

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2011年10月19日 (水)

事件の管理

 弁護士が事件を解決・処理していく場合、弁護士一人の力では出来ない。
 必ず、事務局員の力が要るし、それは大きな助けである。

 私の事務所では、弁護士ごとの担当にはせず、事件毎の担当にしている。
 私は、事件一つ一つに担当事務員を決めているので、その事件解決は、担当事務局と、私と依頼人の共同作業になる。もちろん、裁判所や相手方もこれら絡むが、こちらで管理出来るのは、依頼者と自分自身と事務局でしかない。

 共同作業である以上、私は事務局員には出来るだけ事件の進行について知らせることにしている。事務員が知らない間に依頼人からあった連絡も事務員にメモで渡したりするし、進行状況を説明する。
 また、指示を出す時には、なぜそれが必要かということも出来るだけ説明するようにしている。
 もちろん出来るだけということで、不十分な時はあるだろうが。

 こうすることで、事務局も事件への理解度が深まり、処理がスムーズになると思っている。
 弁護士サイドで情報を握ったままでは、事件処理はスムーズに行かないと思うからである。

 同じ趣旨で、弁護士2名にも私への報告は徹底させるようにしている。

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2011年10月18日 (火)

読書日記10月18日

「走ることについて語るときに僕の語ること」文藝春秋。村上春樹。
 村上春樹のエッセイ集。走ることについて書きながら、なぜ小説を書くのか、人生観などについて書かれている。
 しかし、村上春樹は格好つけすぎだなあと思いながら読んだ。
 まあ文体がかっこいいので仕方ないか。またしばらくしたら、村上春樹の小説も読んでみよう。ただ、未読の300冊以上の本も読まないといけないし、読みたいので中々読む機会には恵まれそうにない。

「レバレッジ・リーディング」本田直之。
 少し前にベストセラーになっていたが、たまにビジネス書を読むので購入。
 読書を目的的にビジネスのために読むというのは参考になったが、こういう読書には滋味がないともいえる。筆者はきっと、他のところでいろんな精神的なゆとりを持っているのだろう。
 私個人としては、取り入れられるところだけ取り入れればよいという感想である。

「レバレッジ時間術」幻冬舎新書。本田直之。
 この人の本をシリーズで読んでみようと思い同時に購入。参考になったところもあるが、すでにしていたところも多々あった。ビジネスマンが工夫すると、最後は似たようなことに落ち着くのかもしれない。
 あまり時間の使い方について考えていない人には参考になると思われる。

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2011年10月17日 (月)

土曜日のサッカー

 土曜日はサッカーの練習試合だった。
 前回はハットトリックを決めた相手であるが、大学生とも見える助っ人がおり、トータル5対4で負け。
 出席予定者24名のところ、12名しか来ず、交代がほとんどない中、夕方5時から8時半までひたすら20分ハーフをやり続けるという過酷な試合。
 逆に相手は30人近くおり、交代要員が十分だったので、最後の方は足が止まった。
人数が少なかったため、私は最近のポジションであるトップ下かボランチではなく、久しぶりにワントップでの出場。
 ワントップなので、ポストプレーを意識し、何度も好機を演出したのはよかったと自分では思うが、トラップミスも何度かあり、裏へのバスに反応できなかったこともあり、また得点がなかったことに反省しきりである。

 雨の降る中、何かを得られる訳でもないのに練習試合をするメンバー。みなサッカーが好きなのである。私自身あと何年出来るか分からないが、それが趣味というものなのだろう。それぞれが自分自身に課題を科して、少しでもうまくなろうとする。一人は富山から来てくれていた。走っている間はすべてを忘れられる。

 しかし、24名来るはずが、12名しか来ないチームのメンバーには総監督として怒りが沸いている。雨が降っている中、最後まで走り続けた12名のメンバーは偉い。来ると言っていて来なかった残りの12名は正当理由がある人以外は猛省して欲しい。

 ぷんすか。

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2011年10月14日 (金)

他の弁護士からの事件の引継

 前の弁護士が解任されたり、辞任したり、あるいはその他の理由で、途中から事件を引き継ぐことがある。
 これは、新たに事件を引き受けるよりも相当な労力がかかる。

 既に事件は進行していることが多いから、その進行にある程度合わせなければならない。
 また、依頼者は弁護士という職種に不信感を持っていることがあり、その点のケアも必要である。
 さらに、前の弁護士から十分な引継ぎを受けられないことも多く、記録を精査して、依頼人に確認して、事件の全体像を把握しなければならない。

 こうした事件は、まず私の場合、記録の精査から始まる。
 しかし、弁護士ごとに仕事のやり方は異なるので、全ての経緯が記録にない時もある。私の事務所では、ほとんどの経緯は記録に綴られているので、あまりの違いに愕然とすることもある。
 逆に、事件が遅延で何もしてくれていなかった時の方がやりやすいともいえるだろう(依頼人にとっては事件の遅滞はたまったものではないかもしれないが)。

 一定割合でこうした事件は入ってくるものであり、そうした突発的事態に備えて、あまり仕事をためないようにしておかないと、対応出来ないのである。

 

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2011年10月13日 (木)

読書日記10月13日

「モンゴル帝国と長いその後  興亡の世界史 5」講談社。
 モンゴル帝国の実態と、それがその後の世界にどのように影響を与えたかというのは、ヨーロッパ中心の史観によってはっきりとは認識されてこなかった。この本でそれがわかった。ただし、筆者の日本語は悪文で、すごく読みづらいのが難である。

「シャーロック・ホームズの誤謬 バスカヴィル家の犬 再考」東京創元社。ピエール・バイヤール。
 ホームズの名推理といわれているバスカヴィル家の犬を題材にして、その推理が誤っており、真犯人を暴くというエッセイ。
 コナンドイルがホームズに対して憎しみを抱き、他の作品を書きたがっていて、いったんホームズを殺したが、読者からホームズの死を受け入れてもらえず、脅迫までされて、復活させざるを得なかったのはよく知られている逸話であるが、このバスカヴィル家の犬は実質的には復帰第一作といえる。
 この本はかなりおもしろかった。
 この作者の本はほかにも出ているようなので、読んでみたい。

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2011年10月12日 (水)

紹介者のない相談・依頼

 昔の弁護士は、紹介がないと事件をやらないのが普通だったようである。
 しかし、紹介者があっても、依頼者に後砂をかけられるようなことをされることもあったということだし、これは私も経験している。紹介者がいると、その依頼者の身元というか、きちんとしているという保証のようなものがあるから受けられるという思いからだろう。
 もちろんそういう側面もあるが、100%そうともいえない。

 私の事務所は、独立した頃から紹介者がなくとも引き受けている。
 もちろん、引き受けるかどうかは、事件の中身にもよるし、費用の折り合いがつくかどうかというところ、かつ、そのときの多忙さというところも関係はしてくる。
 どんな事件でも必ず受けられるという訳ではない。これはどの弁護士もそうであろう。
 逆に、話を聞いて、私という弁護士に頼むのはどうも・・・という依頼者もいてもおかしくない。
 全ての人と合うことは不可能ともいえるからである。やはり相性というのもあるだろう。
 ここ数年、マイベストプロというホームページからの依頼もある程度あるし、そのほかの私の事務所が元々開設しているホームページを見てという依頼もある。そうした事件で、いい解決が出来た事例もあるし、依頼者も大変いい依頼者の方もいる。
 紹介者がないからといって、断るという事務所はいまどの程度あるのだろうという気がしているこのごろである。

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2011年10月11日 (火)

期日のすっぽかし

 先週、私が申し立てていた破産事件の債権者集会があったのだが、11時30分からの期日を13時30分からと勘違いしていて、すっぽかしてしまった。
 債権者も来ず、申立人も来ていたので、特に何事もなく済んだとのことではあったが、反省している。
 手帳の縦線と、11時の左側の「1」がかぶって書いていたので、手帳上は、1時30分にしか見えなかったのであった。

 期日のすっぽかしは、何回かある。たいていの弁護士はあるだろう。
 手帳へ日の書き間違い。
 変更となった期日を記入するのを忘れていた。
 今回のような見間違い。
 起案をしていて集中して、時間の過ぎるのを忘れていた。
 等々。

 ほめられたものではないが、思い込んでいるとダメということであろう。。。

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2011年10月 7日 (金)

弁護士に必要な資質

 これは難しい問題だが、誠実であること、一を聞いて100を知るようなところがないこと、誠実さの一方で適度なのんきさを持っていること、度胸があること、親切なこと、悪を憎む気持ちがあること、とかだろうか。

 ただ、誠実過ぎてもいけないし、ある程度依頼者が何を言っているかわからないときに、推察して確認したりする作業も必要でもある。のんき過ぎてもいけない。度胸がありすぎて、危険回避能力がなくてもいけない。親切すぎても経営できない。悪を憎むとはいっても刑事事件の被疑者・被告人は基本的に悪いことをしているので、「それが許せない」とばかりいっていては刑事事件は出来ない。

 バランスが難しいのだということであろう。
 過ぎたるは及ばざるがごとし、ということなのかとも思う。
 
 徳川家康の処世訓である、

  人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
  急ぐべからず
  不自由を、常と思えば不足なし
  心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
  堪忍は、無事のいしずえ
  怒りは、敵と思え
  勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば、害、其の身に到る
  己を責めて、人を責めるな
  及ばざるは、過ぎたるに優れり

 というのは、弁護士の事件に対する姿勢にも通じるところがあるとも思うのである。

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2011年10月 6日 (木)

依頼者の名前

 依頼者の名前はすぐに忘れていってしまう。同じ名字もあるので、忘れてしまうのである。
 事件をやっている間はわからなくなることはないが、電話で、「昔依頼した○○です」といわれても、わからないことがある。もちろんわかることもあるのだが、同じ名字だと、わからなくなっていることが多い。

 事件の中身を聞くとほとんどは思い出す。そして、その人の名前までぱっと出てくる。
 弁護士というのは、事件で把握しているので、依頼者の名前は覚えにくいのかもしれない。

 電話で出て一瞬分からない時はすいません。
 ただ、10年とか15年前の依頼者が事件を紹介してくれると、とてもうれしい気持ちにはなっています。

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2011年10月 5日 (水)

固いチキンラーメン

 お昼にカップのチキンラーメンを作ったのだが、固かった。
 どうもポットのお湯が沸いていなかったらしい。
 ポットを確認しにいくと、沸いている途中だった。

 気温が下がってきて、熱いお茶を出すようになったので、お湯が足りなかったのであろう。
 残すのが嫌いな人なので、固いままのチキンラーメンを食べたが(過去のブログの恐怖の小又川バンガロー参照)、その日は午後胸焼けがした。

 ポットは沸いているものと確信していてはいけないということである。

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2011年10月 4日 (火)

事件の辞任・解任

 事件を引き受けると、そうやすやすと辞任すべきでないことは当然であろう。
 ただ、どうしても依頼者と連絡がつかないとか、言っていることがころころ変わるとか、こちらからすると信頼関係が継続出来ないとして、どうしても辞任せざるを得ない事件もあるにはある。
 まあ、私自身は粘り強く依頼者と連絡をつけようとするし、相対的な件数は少ないといえる。他の弁護士もそうではないかという気がする。

 解任は、弁護士の方が職務上何の問題もないくらい仕事をしていても起こりうることである。
 依頼者の方が甘いことをいう他の弁護士に依頼しようとしたり、甘い言葉で寄ってくる第三者(えてして、こういう人は自分の利益としたいのでいい顔をしてくるのだが)の言葉にだまされてしまっていて、解任されてしまうケースもある。
 依頼者の方と弁護士の方の意思疎通がうまくいかないケースもあるだろう。弁護士サイドに問題があるケースもあれば、依頼者に問題のあるケースもある。
 ただ、どれだけきちんと仕事をしていても、解任されるというのは、いい気はしないものではある。

 

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2011年10月 3日 (月)

読書日記10月3日

「雪男は向こうからやってきた」集英社。角幡唯介。
 ツァンポー渓谷を冒険した筆者の新刊。
 雪男の目撃が相次ぐヒマラヤで、実際に見た人のインタビューや、現に探索隊に参加した筆者によるノンフィクション。雪男を探して、ヒマラヤで死亡した人も多数いる。
 本当に雪男はいるのか。それは人間の幻想なのか。
 中々おもしろく、一気に読んだ。

「北のまほろば 街道を行く 41」朝日文庫。司馬遼太郎。
 青森県を中心とした紀行である。
 津軽と南部の確執や、太宰の津軽への思い、棟方志功についてなど、そこにゆかりのある人物を中心として司馬の筆が冴える。

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