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2012年11月29日 (木)

電車に乗っているとⅡ

 電車に乗っていると、ガムを噛んでいる人がいたり、乗ってこられたりすることがある。
 前にも書いたが、私は喘息持ちなので、キシリトール入りのガムのにおいがダメである。
 あれは、喘息発作を誘発させるのである。
 実際、キシリトール入りの歯磨きで歯を磨いた後、苦しくなっていたことがある(そのときは喘息持ちだと分かっていなかったので、体調が悪いのだと思っていた)。

 仕方がないので、そういう時には車両をわざわざ移動したりする。まさか見ず知らずの人に、ガムを噛むなともいえないし。
 喘息患者はけっこうな数がいるはずなので、あれで気分が悪くなっている人はいるのではなかろうか。
 電車内では基本的に今喫煙が禁止されているが、電車内では、喘息患者のために、ガムを噛まないようにしましょうというようにならないものかと考えたりしている。

 ただ、一般の人は、ガムを噛むのがどうして私に悪影響を及ぼすかなどとは考えないだろうから、私が無意識にしているほかの行動で、体調に影響を与えている場合もあるのだろうとも思ったりもする。
 自分の身にふりかからないと、中々人は真剣には考えないものなのだろう。

 以上です。
 

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2012年11月28日 (水)

電車に乗っていると

 電車に乗っていて、4人がけのイスに座ると、向かいの人の顔が目に入るときがあるが、そういうときに、「ああ、この人は多分自分が芸能人の○○に似ていると思っているんだなあ」と思う時はないであろうか。

 私は人間ウォッチャーなので、そういうところが目についてしまう。もちろん、常時見ているわけではなくて、本とか読んでいる合間にちらっと見て思うだけなのだが。。。

 先日は小栗旬に似ていると思っているのだろうなという男性を見た。
 髪型がそっくりである。
 まあ、似ているといえば似ているが、やはりそこは似て非なるものである。
 どちらかといえば、FUJIWARAの原西に似ているようであった。

 余計なお世話か。
 

 以上です。

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2012年11月27日 (火)

読書日記11月26日

「社長は会社を「大きく」するな!」ダイヤモンド社。山本憲明。
 著者は税理士で、経営の規模を大きくすることに対する警鐘を鳴らす。
 前にも同じような本を読んで「なるほど」と思ったものだが、全く同じことが書かれていた。目新しいことはなかったが、経営規模を大きくすることへの認識を新たにさせられる。
 とはいっても、私の事務所は私を入れて7名の規模になってしまっていて、この著者のいう不必要な拡充をしてしまっているのだが。
 弁護士という業態と、また他の業態とは違うので、一言で7名となったのがいけないということではないとは思うのだが。
 資金繰りに悩む中小企業の社長には一読の価値ありの書。

「三國志 10」文藝春秋。宮城谷昌光。
  三國志の10巻。諸葛孔明が死に、蜀の国にも衰亡の兆しが見える。呉の孫権は英邁さがなくなってきて、侫人の妄言に耳を貸すようになる。
司馬懿が魏の国で台頭するが、彼の権力を快く思わない勢力も出てくる。
 人生を全うするのがいかに難しいかを、三國志の世界は教えてくれる。
 

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2012年11月26日 (月)

日弁連からのファックスにイラッとした

 日弁連から理事会で決定がなされた内容がファックス速報でくめのだが、11月22日付で来ていたファックスを24日の土曜日出勤して読んだところ、いきなりイラッとさせられる内容であった。
 私は犯罪被害者支援を業務の根幹の一部に入れているが(広く被害者を救済したいということをポリシーにしてやってきている。もちろん、いろんな事件もするけれど)、犯罪被害者の被害者参加において、被害者参加した場合には、心情の意見陳述が出来ないものとするべきだということが内容の一点であった。その理由としては、被害者参加制度については、「被告人の防御に困難をきたすおそれがある」から過去に反対意見を出しているからだというのである。もう一点は専門的な話だから割愛するが、私はこの日弁連の意見に真っ向から反対である。

 しかし、日弁連はこの意見をとりまとめたというのである。被告人の防御は弁護人がいるから出来るではないか。どうして被害者が刑事事件に参加し、時には弁護士がつくことが防御を困難にするというのか。意味が不明である。

 22日はいわゆる亀岡事件の被害者参加代理人弁護士として裁判に出て、被告人質問を被害者の代表として行い、それから会議があったので、事務所には戻れていなかったのだが、実際に被害者参加をすると、それが被害者にとってどれだけ重要なことかが分かる。

 日弁連の理事会では反対意見はなかったのか。
 被害者として参加することと、心情を述べることはまた別物である。
 参加をしても、全て被害者の心情が出る訳ではない。
 尋問をしたり、被害者論告をするだけでは言い尽くせないところがある。
 参加したら被害者としての心情の意見陳述が出来ないということは、心情の意見陳述をしたければ参加するなと言っているに等しい。
 制度の中身が分かっていないか、やったことのない人達で決めたのではないか。
 一方的意見である。
 ああ腹立つ。

 被害者側は巻き返しをして、さらなる被害者の権利の拡充に努めないといけない。
  こんな日弁の意見をまともに政府・立法府が受け止めないように、被害者にかかわる関係者は努力しないといけないと思う。
  むしろ、そういう意見を日弁が出すべきなのに、この意見はなんなんであろう。
  イラッを通り越してむかつく内容である。
  要点だけなので、入手出来るようになったら読んでみようと思っている。

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2012年11月22日 (木)

依頼者の周辺の方々

 事件を遂行していると、依頼者の周辺の方が依頼者にいろいろと意見をして、それに振り回される依頼者がいる。
 依頼者としては不安なのだろうが、依頼者の周辺の人物は、弁護士と直接会って状況や事件の説明も聞いていないので、多くの場合は、その意見は当を得ていない。
 弁護士としては、依頼している弁護士を信用して欲しいのだが、常時近くに居る周辺の人からいわれると、常時聞いているだけに不安になってしまうのであろうと推察される。

 依頼者も周辺の人と板挟みになっていて、自分としては弁護士を信用しているが、周辺の人がいうことを聞かないので、会って説明して欲しいという要望もある。
 本来的には、依頼者へ説明していれば足りるのであるが、依頼者からどうしてもと言われると、説明せざるを得ない時もある。
 これは、周辺の人は、事件の前提事情を知らず、これまでの打合の中身も知らないので、説明に骨が折れて、弁護士としても疲労する。

 信用できない弁護士がいることも事実ではあるが、だからといって依頼者の周辺の人物から事情も知らずいろいろと言われることは、大変弁護士としては疲弊するものである。

 以上です。

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2012年11月21日 (水)

ハイヒール

 ハイヒールといっても、リンゴとモモコのそれではなく、女性の履き物の方である。

 私の前を歩いていたハイヒールを履いた女性が階段で、ものすごい変な角度に足がぐにゃっとなって、2段くらい階段を落ちた。あの曲がり方からして、かなり足首を痛めたはずである。しかし、そのまま何事もなかったかのように階段を下りていく。
 最後のところでも足首がぐにやっとなり、とても痛そうであった。

 あの調子では、かなり足首を捻挫したのではなかろうか。
 かなり高いヒールを履いていたので、バランスを崩したのであろう。
 オシャレをしていたので、足首が痛いといってその場にうずくまる訳にも行かなかったのかと推察される。

 元々、ハイヒールは中世のイギリスかどこかで、道に糞尿がまき散らされていたので(中世のロンドンの衛生状態はかなり悪く、テムズ川も糞尿でどぶ川のようになっていたという)、女性がその糞尿を踏まないようにかかとを高くしたのが始まりのはずであるが、今ではそうしたルーツとは関係なくはかれている。

 足首を痛めてまでもはき続けないといけないとは、オシャレをするのも大変である。

 以上です。

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2012年11月20日 (火)

依頼者の手取りあるいは負担

 依頼者が一定額の和解金を受領することで話合いが出来るとなった場合に、代理人としては予め最終的に依頼者の手取額を説明するべきである。
 実費の計算、弁護士報酬がいくらかを予め計算し、見通しを告げた上で、手取りはこれだけになるが、和解してよいかどうかということで説明をし、和解した方がよいのであれば、その内容を説明することとなる。

 もちろん、今は契約書に全ての内容が記載されているので(簡単な書面の作成や、調査の場合は作成の必要はないが)、契約書を見れば分かるのだが、依頼者も依頼をしてからかなりの期間が経過すると忘れていることもあるだろうし、自分の方に都合良く事実関係を改変してしまうこともある。
 和解する前には、やはり、こうした説明は重要である。

 これは、被告事件の場合も同様で、お金を支払わないといけない場合には、弁護士報酬や実費が発生している場合には、予めそのあたりも説明した上で、総額いくらの負担が必要なのかを説明して了承を得る必要がある。

 もちろん、説明をしなくとも、自分で計算して、「先生にはこれだけお支払いすればよろしいですね。実費の精算もきちんとしてください」という依頼者もおられるのであるが。

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2012年11月19日 (月)

読書日記11月19日

「肥前の諸街道 街道をゆく 11」朝日文庫。司馬遼太郎。
 先週は仕事がきつかったので、あまり本が読めていない。
 司馬遼太郎は何冊かに一冊読んでおかないと禁断症状が出る。
 南蛮の船が日本に来ていた大航海時代のことに思いを馳せつつ、司馬遼太郎が肥前の海沿いをゆく作品である。
 司馬遼太郎に匹敵する歴史作家は、今後でないだろうと思っている。
 その知識の該博さ、歴史に対するロマン、徹底した取材等々もそうだが、日本語のリズムの良さ等、司馬に匹敵する作家は、今のところ知らない。

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2012年11月16日 (金)

記録を電話口に持参する

 事務員からいわれるまであまり意識していなかったが、依頼者や相手方、関係者から電話があったとき、ほとんど私はその事件の記録を持ってくるようにいわないといわれた。
 事務所の他の弁護士は記録を電話口までよく持ってきてもらっている。

 もちろん、私も全てそういう訳ではないし、忘れていることもあるにはあるのだが、常時仕事のことを考えているので(ワーカホリックですね)、事件のことはだいたい頭に入っていることが多いためである。
 メールは仕事のメールが来ていないかいつも気にしているし(スマホにしてチェックがやりやすくなったので、嬉しい)、仕事のことを考えていないのは、プレミアリーグでマンチェスターユナイテッドの試合を見ているとき、自分がサッカーをしているとき、よほど集中して読書をしているとき、完全に熟睡しているときくらいではなかろうか。
 私の事務所の他の弁護士が仕事のことを考えていないという訳ではもちろんないだろうが、私は事件が好きなのであろう。身体が保つならもっと自分で事件をやりたいし、一つ一つ調べものをしたいのだが、いかんせん体力には限界がある。自分でいうのも何だが、集中力は他の弁護士と比較してもある方だと思うので、消耗が激しい。あまり長時間集中して仕事をすると、身体をこわすのである。
 仕事ばかりしていたら身体も精神もいくら好きでも保たないところはあるであろう。
 

 私のボスもそういう人で、事件が好きである。
 いつも事件のことを考えていて、どうにかならないか考えている。決定的に不利と思われる事件でも、粘りに粘って、一部勝訴して控訴審で和解したりするような人である。
 今日は、私のボスの弁護士40周年記念のお祝い会である。
 遠方からも弟子が来る予定で、直弟子のほか、孫弟子等、関係する弁護士や司法書士、社会保険労務士が集まってのお祝いである。
 明日はサッカーもないので、痛飲しようと思う。
 以上です。

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2012年11月15日 (木)

ツルツルの裏紙はやめて

 事務所では私の指示メモは裏紙に書いてクリップで留めて事務員が処理をする箱に入れて、随時事務員がそれを取りに来て処理をすることになっている。他の弁護士も同様である。
 いちいち事務員の手を止めて口頭で指示を出すと、事務員の手を止めるからである。
 また、記録の後ろにまとめて入れておくと、「言った、言わない」でもめることもない。
 こう指示したやんか、と私が言っても、事務員から、メモを出されて、「先生こう書いてはります」といわれて、ギャフンとなることになる。

 先日、出張から遅くに帰ってきて、出張の間溜まった分の処理をしていたのであるが、そのときに、ポスターなども裏紙にしていて、ツルツルのものが何枚かに一枚出てくるのである。
 ボールペンなら書けるが、私は万年筆で指示を出すので、ツルツルの裏紙ではインクが乗らず、書けないのである。
 しかも、裁断するときに折っているので、何枚かに一枚つるつるの裏紙が出てきて、出張帰りということもあり、きいいいいとなっていたのである。
 そのときの私の指示メモ。
 ツルツルの裏紙はやめてください。
 もちろん、この指示はツルツルではない裏紙に書いたのだが。
 以上です。

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2012年11月14日 (水)

時間を俯瞰的に把握する

 野口悠紀夫氏の超整理法は、若手弁護士は読んだ方がいい本だと思っている(ベテランでも〆切りが間に合わない人は読むべきか)。
 その中で、〆切り間際になってバタバタするということが書かれているが、これは現実社会で誰もが経験することであろう。
 弁護士という職業は、〆切りの連続である。依頼者への文案の送付、裁判所への提出書面の作成・完成、証拠の収集と、常に何らかの事件の〆切りがやってくる。
 私自身も時に〆切りが間に合わないことがあり偉そうなことがいえないが、やはり、短期・中期・長期計画を立ててこれらの業務をこなすことが必要であろう。
 直前の〆切りばかりに気を取られていると、分量的に短い時間では完成しない書面もある。
 もちろん、依頼者自身の準備が間に合わないことがあるので弁護士サイドの問題だけではないのだが、常に〆切りを意識して、それなりの時間がかかる書面等であれば、ある程度の長期計画を立てて行わないと出来ないものである。
 一日に一度手帳を見て、数ヶ月先までの予定を確認することが必要であろう。
 やることリストを上げるのも大事ではあるが、リスト化したことで安心してしまいがちである。
 どれだけ後仕事に割くことの出来る時間が残されているかを日々チェックして行わないと、どうしても後倒しになってしまうのである。
 一つの仕事が後倒しになると、全てがそうなるし、事務局員の負担も増える。突然、「これやって」と言われる事務員の負担も考えるべきである。私の事務所ではなるべく事務員も事務員なりに予定を立てて事務作業をして欲しいので、余裕をもって指示をするよう指導はしている。私はある程度しているつもりではあるが、他の弁護士が出来ているかは事務員でないと分からないであろう。
 そして、新しい事件などが入ってきて、急ぎの対応が必要となると、この予定も日々変わっていく。その都度予定を自分の中で組み替えるのである。
 もちろん、これは自省も込めて書いているので、私が完璧に出来ているなどというつもりはない。
 以上です。

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2012年11月13日 (火)

スマホの無音シャッターにて撮影

201211111638171
 スマホの無音シャッターアプリをダウンロードして撮影したため、撮影に気づかなかった小次郎である。


 しかし、基本的にはカメラ様のものを向けられると魂が抜かれると思うのか、逃亡していってしまう。

 このときも警戒しているため、顔が険しい。

 
 もっと撮らせてくれてもいいのにと思うのである。

 以上です。

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2012年11月12日 (月)

読書日記11月12日

「江戸川乱歩全集1 屋根裏の散歩者」光文社文庫。江戸川乱歩。
 乱歩は短編をいくつか読んだ記憶があるが、まとめて読んだことはなかった。本屋に週に2~3回はいくのだが、そのときに棚にディスプレイされていたので購入。
 短編なのでちょっとした空き時間にも読めるので、600頁を越えているが、読むのに苦痛はなかった。
 全集なので、中には駄作も入っているが、いくつかは今から見ると古いが、探偵小説に関しては懐古趣味の私にはちょうどよかった。
 ただ、乱歩の全集すべてを読むかというと、今のところそこまで魅入られはしていない。

「横溝正史探偵小説傑作選4 迷路荘の怪人」出版芸術社。横溝正史。
 角川文庫から出されていた迷路荘の怪人は長編だが(今は絶版か)、これはその基になった中編作品と、もう一作、金田一耕助が横溝正史の探偵として登場する以前の探偵である由利先生が登場する作品が収録されている。
 正直、横溝ファンしか買わないし、長編との違いについていろいろ思いを馳せるくらいしか購入する意味はないのだが、私はそういう横溝ファンなので楽しめた。
 一般の方は、購入の必要はないであろう。

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2012年11月 9日 (金)

キャスターの車輪

 弁護士がたくさんの書類を持ち運ぶ時に、キャスター付きの鞄を使用することはよくあるのだが、17年間の弁護士人生で、既に1個のキャスターの車輪が粉々に砕け散り、これは廃棄処分となった。
 数年前に購入したキャスターもハードユースしているせいか、最近キャスターの車輪が変な音を立てている。
 2つしか車輪がないタイプは2つの車輪に荷重がかかるためか、重い記録を入れて運ぶと、壊れが早いような気がする。
 ここのところ、大量の証拠書類を持って宮津まで尋問に行っているので、キャスター付きの鞄で行っていたのであるが、宮津で車輪が壊れてはしゃれにならないので、四輪のキャスターを購入することにした。
 四輪キャスターは、そのまま押せるので、ラクであるし、荷重も四輪に分散するので、今度はある程度保って欲しいと思っている今日この頃である。
 

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2012年11月 8日 (木)

鞄を交換した

 7~8年使用し続けていたパスファインダーというところの鞄のジッパーが壊れて、そこには財布を入れているため、穴から財布が落下してはしゃれにならないと思い、このたび、鞄を交換した。
 弁護士のビジネスバッグの使い方は相当ハードであり、よく7~8年保ってくれたともいえる。確か代金は3万円もいかなかったので、大変に得な買い物だったということになる。
 この鞄はものすごく気に入っていて、私が普段持っているものが綺麗に収まるのであったが、残念なことに、なぜか廃版である。トゥミの鞄と酷似しているので、その点で何か問題があったのかもしれない。
 新しい鞄に変えるのだが、交換用の鞄は事務所に3つあり、悩んだ末、少し前にパスファインダーの鞄が傷んできたと感じていた頃に購入したトゥミのニューモデルを使用することにした。
 同じデザインのパスファインダーの鞄も実はもう一個持っているのだが、少しだけサイズが大きいのと、現在使用している鞄のショルダーストラップが次々に壊れてしまい、次のストラップを今の鞄に使用していて、しかも、このストラップもハードユースで壊れてしまっており、この鞄に合うストラップがないので、当面トゥミの鞄を使用することにした。
 ブリーフィングというアメリカ製の鞄もあるのだが(家にもあるので、2個ある)、これは物の収納が気に入らず、たまにしか使用していないのである。もったいない話ではあるが、日々使う物で、弁護士の鞄のハードユースさからすると、こだわらざるを得ないのである。
 自宅にも使用していないビジネスバッグが多分7~8個あり、いつの日か使用するのではないかと思い、そのままとってある。
 一つの鞄を5年使用したとしても、これら鞄を使用しきる前に私の弁護士人生の方が終わってしまうのではないかとも思うが、一つ鞄が壊れると、今使用している鞄が壊れた時のために、新しい鞄の購入意欲が沸いてきてしまうので困っている今日この頃である。

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2012年11月 7日 (水)

寿司屋にて

 地方都市に出張に行った際に、寿司を食べていると、男性が男の子と来て、「カウンターに座らせろ」と怒号を発している。どうも、電話をした時には、カウンターは予約出来ないといわれて、来てみないと分からないようなことを言われたのだが、来てみてカウンターが空いているのを見て、座らせろと言ったら、「予約済み」といわれて、話が違うというようなことで怒って、カウンターに座らせろと入り口で店全体に聞こえるような声で怒鳴り、どうもややこしい人の名前も出して座らせろと言っているようである(違っていたかもしれないが、だいたいこんな話である)。

 その親子連れは、座って寿司を食べ出したのだが、そんなまでして寿司を食べてうれしいのだろうか。
 謎である。
 こちらの寿司の味はまずくなったけど。

 以上です。

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2012年11月 6日 (火)

不思議な若手弁護士

 最近、若手弁護士の中に不思議な人たちがいると思っている。
 周辺から漏れ聞くところでは、そうした傾向は一般的にあるらしい。

1、批判されるとものすごく怒る。これは、アホにアホというと本当に怒るのと同じなのだろうか。
2、自分が間違っていることを決して認めない。根拠薄弱で、自分のことを正しいと思っている。あるいは、そういうフリをしている。
1と2は、自分に自信がないからであろうか。

3、書面が意味不明である。正直何を書いているか分からないことがある。
4、事件の筋が見えておらず、訳のわからないことを平気で言ってくる。裁判官もこちらも、「ハ?」となることがある。
5、常識が欠落している。

 ゆとり教育で、あまり競争させられなかったせいであろうか。自分はそこそこの力があると信じてしまっているのか。5はちょっと違うか。
 あるいは、世間に流布している漫画の中の主人公のように、自分は何かすごい力を秘めていると思っているのであろうか。
 でも、どこかで自分の出来の悪さはわかっていて、そこを指摘されるとものすごく怒るんだろうか。
 本当に自分が正しい人は、そんなに怒らないものである。

 とても不可思議である。
 オチはないが、以上です。
 

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2012年11月 5日 (月)

読書日記11月5日

「ユダの覚醒(上)(下)」竹書房文庫。ジェームズ・ロリンズ。
 世界の謎にかけてノンストップアクションが繰り広げられる作品の3作目。
 一作目と2作目がまあまあよかったので購入。
 内容的には、まあ一作目と2作目と同じ系列。
 たぶん4作目が出たら買うであろうが、もう少し展開的に驚かせて欲しいと思うのはぜいたくか。

 今日のBGM ボブ・ディランのTenpest

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2012年11月 2日 (金)

弁護士の慣れ

 弁護士もある程度してくると、仕事に「慣れ」てくる。
 これが一番怖い。

 弁護士はいうまでもなく法律の専門家であり、依頼人よりは法律のことをよく知っているし、裁判の流れもわかっている。
 依頼者が、自分の要望を言うが、それはとうてい通らないことはままある。

 そのときに、「慣れ」てしまった弁護士は、結論だけをいう。何件もしているから、過程をはしょってしまうのである。
 しかし、依頼者は法律の世界で生きている訳では普通ないから、「無理だ」といわれても、それがどうして無理なのかを説明してもらわないと理解出来ない。そこには、自分のいうことを頭ごなしに否定されたという感覚だけが残るであろう。

 事件にびびりすぎるのはよくないが、慣れてしまうのもよくない。
 弁護士にとっては何件もやってきた同じような事件でも、依頼者にとっては人生を左右する事件である。そうした事件であるということを常時心にとめて、「慣れ」てしまった説明や態度を取ることは絶対にあってはならないのである。

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2012年11月 1日 (木)

依頼者が無茶なことをいうときの弁護士

 中には、弁護士の仁義に反するようなことを言って欲しいという強い意向を示す依頼者もいる。普通は、「そんなことは弁護士として自分が恥ずかしいから出来ない」という、そして、その恥ずかしい理由も説明する。
 どうしても依頼者が聞かない時は、代理人を辞めるかどうかまでの話となることもある。

 中には、依頼者がいうからということで、平気で弁護士のスクリーニングをしないで無茶を言って来る場合がある。説得をしていないか、したとしても聞かないので、そのまま言ってくるのであろう。
 こういうのは、弁護士の仁義として恥ずかしいと思って欲しいのだが。。。
 あるいは、一本電話で、「依頼者には説得をしたのだが、どうしても聞かないので、ファックスさせていただきます。」という事前連絡でもあればよい。もちろん、依頼者には、相手の弁護士には言うよ、ということは説明した上で。
 こうしたことを言うと、先生は誰の味方かといわれることもあるが、依頼者のいいなりになって、依頼者の言うことに何のスクリーニングをかけないで仕事をするのは、弁護士の仕事ではないのである。
 実際、それで辞任した例もないではない。
 

 なんだか変な時代になったもんである。

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