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2013年5月31日 (金)

読書日記5月31日

「精神と物質」文春文庫。立花隆。利根川進。
 ノーベル賞受賞の利根川博士と、立花隆の対談。若い頃に購入し、何となく難しそうだと思い20頁ほど読み進めてそのまま放置していたのを本棚から発見したので読んだ。既に紙は黄ばんでいた。
 今読んでみると、高校の生物を選択していた身からすると理解出来るほどの内容にまとめてくれている。
 科学で発見をするには、発想の転換が必要で、後からいわれれば「なんだ、そんな方法論で出来るのか」ということをいかにしてひらめいて発見するかにかかっているのだということもわかった。

「アイス・ハント」(上)(下)。扶桑社ミステリー。ジェームズ・ロリンズ。
 最近立て続けに翻訳がされている作家の新作で、少し前に買ったところ、全ての本に落丁があるということで交換するまで読み始められなかった作品(事務員に頼んでやってもらったのだけど)。
 この作家の作品はスピード感があり、場面がころころと変わるので、時々頭がついていかないことがある。映像化出来ることを前提に作られていると思う。
 歴史的事実に基づいているところもあり、単に何も裏づけのないところから書いているのではないところが違う。

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2013年5月30日 (木)

サーバーからの情報流出

 エクスコムグローバル社が顧客の情報を11万人抜き取られたというが、私はちょうど抜き取られた期間に契約をしていたため、当時のカードの利用停止をし、今新しいカードを送ってもらっているところである。
 しかし、インターネットを通じて事業をしている会社がサーバー攻撃を受けるとは、本当にしゃれにならない話であり、私個人は二度とこの会社の機器は利用したくない。
 ものすごいハッカーもいるのだろうが、セキュリティーレベルはどの程度であったのかと思う。これからはレベルを上げるようなことをいっているが、個人情報が抜き取られた会社で契約をしようとは普通は思わないのではなかろうか。
 ネットで法律書や医学書を取り寄せているので、カードは必須であり、利用停止手続や、カードの一時的な変更等にものすごい手間を取られて、おとといはやりたい仕事の1/4くらいしか出来なかった。
 約款でそうしたことの賠償責任は否定されているだろうが、個人的には弁護士として奪われた時間給部分を賠償請求したい気持ちである。現実には他の仕事もあるからしないけど。。。
 やれやれである。

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2013年5月29日 (水)

本日は出張です

 本日は遠方の家裁で調停のため、出張。
 これは先に書いているので不安なのは、朝6時の電車に乗らないといけないことである。

 起きられるかといえば起きられなかったことはないのであるが、朝弱いので、5時起きはつらいのである。
 乗り物に乗り込むまで不安な私は、飛行機に乗ってしまうまで不安であるし、遠方の裁判所に入り口につくまで不安との戦いである。だいたい、かなり前の時間に着いている。
 飛行機や電車は乗り場が間違っていないか、何回も確認するし、だいぶ前についている。

 若い頃出張ばかりしていたころは、かなり図太くなって、飛行機でもぎりぎりの時間に空港に着くようになったものであるが、最近は出張が減ったというかほとんどないので不安である。
  来週の末にも弁護士会の予定で出張があり、これまた同じような不安を持ってフライトしなければならないのである。
 私のボスなどは、ぎりぎりに乗り物に飛び乗ることを常態にしていたのであるが、ああいう性格にはなれそうもない(ボスは一度空港までぎりぎりで着くつもりで行ったところ、既にフライトしてしまっていたこともあったそうだが・・・)。

 若い頃は、伊丹と関空を間違えて行ってしまったこともあるが、最近は大丈夫なはずである。

 以上です。
 

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2013年5月28日 (火)

桜の盆栽その後

 桜の季節にたまたまテレビで桜の盆栽が紹介されていたので、事務所に二つ購入し、自宅でも庭に置いてあるのだが、花が散ると葉だけになるので、世話をしていてもつまらない。

 事務所の桜は事務員が世話をしてくれているのであるが、直射日光が当たらないせいか、生育が悪く、この分では、来年の春に花をつけてくれるかどうか。
 自宅の桜は、朝仕事に出かける前に庭で葉巻を吸うので私が世話をしているが、水が足りないとすぐにしなっとなってしまい、水をやってばかりである。
 多分花が咲いているのは、一週間くらいのことであろうから、その一週間のために、残りの360日近くを費やして世話をするというのは、本当に手間のかかる木である。

 それが盆栽のよいところなのかもしれないが、道に植わっている桜は特に何もされていないようだが、青々と茂っているのと比較してしまう。盆栽なので土が少ないため、すぐに渇いてしまうのであろうか。
 桜以上に盆栽を増やすつもりはないが、これで夏場などに枯らしてしまうと切ないので、あとほぼ10ヶ月、雨などの時は除いて、せこせこと水やりを続けるつもりである。

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2013年5月27日 (月)

裁判官と弁護士の認識の差

 京都弁護士会では、会務ニュースという会務についての要旨が記載された冊子が1ヶ月に一度配られるのだが、そこで、裁判所の通常部と弁護士との懇親会の模様が記載されていた。

 弁護士は、困難な事件、複雑な事件では、強調したいことは何度も書いたり、長文の準備書面を書かなければという姿勢でいるのに対し、判断する裁判所の方は、「あまり長いものは要らない」と思っているということであり、長くなるものには、目次をつけたり、サマリー(要約)をつけて欲しいという要望がなされていた。
 弁護士は、全て書いておかないと裁判所に理解してもらえないとか、触れておかないと判決で触れてもらえないという強迫観念のようなものがあるのに対し、裁判所は、わかっているから、あんまり同じことをくどくどと書かないでというところであろうか。

 この記事を読んで、弁護士の中には、書くだけ長いものを書いた上で、かつ、証拠もあるものは全て出すというタイプの人がいるが、裁判官も多くの事件を抱えているから、出来るだけ裁判所に理解してもらいやすいようにする必要があるのだということを再認識した。
 いくらいいことを書いていても、文字が小さくて読みづらかったり、段落を下げないがために読みづらかったり、表現が独特で読みづらかったりすると、マイナスになるのだろうと考えた。
 証拠も論点ごとに整理して出すとか、準備書面も読みやすさも考えるとか、いろいろと工夫をしなければならないところがあるのだろう。

 自分なりに考えていたところもあるが、裁判所の考えを読ませてもらい、さらに工夫の余地があると思わせられた。会務ニュースの作成にはかなり手間はかかるのだが(私も弁護士会の委員会の委員長をしている関係で、原稿を頼まれることもしばしばである)、有益な情報も掲載されているので、こうした冊子はなくさないで欲しいものである。

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2013年5月24日 (金)

控訴審

 先日、ある弁護士と話をしていると、「ほとんど控訴審を経験していないから、あんまり控訴審がわからへんねん」ということを言われた。
 聞くと、勝訴が多く、敗訴しそうな事件は和解で落として来ているからだという。

 こういう弁護士は少ないのではないかという気がする。勝訴する事件ばかり受任する訳にもいかないし、敗訴する事件で和解でまとめようとしてもまとまらないこともある。
 この弁護士は私より先輩であるが、私などは、控訴審はたくさんやっている。自慢にはならないが。。。

 こちらが勝訴した事案もあれば、当然敗訴した事案もある。
 勝訴した事案は、「ふふん。控訴趣意書が出てきてから反論を書いたらええわ」という気でいられるので、気が楽であるが、敗訴事案では、控訴してから50日以内に控訴趣意書(なぜ一審判決がおかしいかをまとめた書面)を書かないといけないのである。
 書面の中では、上告趣意書の次に、やはり筆が進まないのがこれである。
 
 その書面だけ書くことでよいのであれば問題はないが、その間に、新件の事件の打合や、既存の事件の打合、書面作成等々もしなければならず、書きにくく、かつ、作業量としても膨大なものになることが多い仕事は細切れの時間ではとうてい出来ず、夜なべするか、週末の仕事となる。まあ、弁護士はサラリーマンではないので、土日も事務所は休みでも仕事をしていることが多いのであるが。
 現実逃避はやめて、仕事をすることにしよう。

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2013年5月23日 (木)

固定資産税

 固定資産税を算定する根拠となる不動産の評価は、3年に一度見直しがされる。
 今年は、見直しの年にあたる。

 不動産の評価は、一つ一つ取引価格を出すわけにはいかないので、課税するために、画一的に価格を出すことになる。これのために、評価の基準が定められている。
 この基準も時折見直されることがあり、不動産の価格が上がることがある。これは、新しい評価の基準に従えば、そうなってしまうということである。また、今までの評価の基準のあてはめの仕方を見直した結果、価格がドンと上がってしまうことがある。
 これに対しては、60日以内に異議の申し立てをして、固定資産評価審査委員会で審査の申し立てをすることが出来る。ここで、増額がおかしいとして、一部行政側の評価が見直されることもないではない。
 委員会の判断に異議があれば、訴訟提起ということになる。

 固定資産税を滞納されている人も一部にはいるが、不動産を所有している人は通常は支払うであろう。行政からすれば安定的な収入ということになる。
 判例時報などを見ていると、たまに処分が取り消され、価格が下がっているものもある。

 私はたまたまこの分野ではある行政の代理人をしているので、弁護士の中ではこの分野に詳しい方だと思う。
 そんな私も不動産を所有しているのであるが、やはり、税金を支払うのは嬉しい気持ちではない。何とか安くならないかと思うのである。

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2013年5月22日 (水)

出張

 弁護士に成り立ての頃は、勤務した事務所が日本全国に支店のある会社の事件をしていて、各地に顧問がいなかったので、各地に出張に行っていた。
 ひどいときは、週に2~3日は出張であった。

 そのうち民事訴訟法が改正されたので、電話会議が導入され、地方に行くこともある程度減ったが、それでも週に一度は地方に行っていたような記憶がある。
 独立の際には出張に行くのがかなりイヤになってきていたのと、一人で事務所をするので事務所に不在がちになるのはいかがなものであろうかということと、ほかの考えもあったので、この会社からの顧問の話は断った。

 それ以降は、地方の出張というと、離婚の調停を出すときくらいであろうか。
 相手方が実家に帰ってしまったとかで、相手方の住所が遠い時に遠方に行くことになる。
 まあ、これも我々の仕事であるので仕方がないが、最近は大阪に行っても疲れるのである(人ごみに行くことが減ったので、人の多さに疲れるのである)。
 来週と再来週は、かなり遠方の出張である。一つは弁護士会がらみの業務であるが。。。。
 中には「出張」と称して旅行に行っている弁護士もいるようだが、私は弁護士になってこの方、平日にそんな気楽なことをしたことがない。
 私が出張といえば、それは本当の事件の出張である。
 

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2013年5月21日 (火)

読書日記5月21日

「硝子戸の中」新潮文庫。夏目漱石。
 夏目漱石は日本人が読み続けるべき作家だと私は以前から思っているが、司馬遼太郎先生もそのように言っておられるし、最近は村上春樹氏も講演会で漱石が好きだというようなことを発言されているのを聞いて、その意を強くしている。
 一気に読めばよいのだろうが、他にも読みたいものもあるし、一気に読むのがもったいない気がして、時々漱石の未読の作品を読んでいる。
 これは日々の漱石の思いなどを綴った作品。胃の調子がよくならず気分がめいっている漱石の気持ちがわかるような気がした。

「逆説の日本史 19」小学館。井沢元彦。
 ずっと愛読しているシリーズの最新刊。ただ、前から言っているように、紙幅を稼ぐための繰り返しが多すぎる。それがなければ半分程度の薄さになる本だと思っている。書いてあることはよいのだが、あまりにも無駄が多いと駄作になりかねないと思う。そこがもったいないとはいえ、歴史の再確認、勉強になるシリーズ。

「上意討ち」新潮文庫。池波正太郎。
 池波正太郎の短編集。あまりいい出来ではない短編が多かったように思うのと、版権の関係か、他の文庫で収録されていて、既に読んでいたものも収録されてあった。
 土方歳三が主人公の「色」という作品は、確か池波先生が母親か何かから聞いた、「新撰組の土方の情人がどこそこの未亡人だった」という話からヒントを得たと聞いている。

「闇の奥」光文社古典新訳文庫。コンラッド。
 昔からの私の読書には偏りがあり、せっかく古今の名作があるのに読んでいないのは人生の愉しみの一部を放棄しているような気がして、40歳を過ぎたころから古典の名作を意識的に読むようにしている。
 これもその流れで読んだ作品。最近は、古典の名作のようなものは、若い時に一度よくわからず読み、ある程度人生経験を経てから読み、老境に達した時にもう一度読むというような読み方をするのがいいような気がしている。
 私は若い頃は古典の名作を読んでいないので、今はじめて読むのであるが、正直、若い頃であれば全くわからなかった作品が、「わかる」ような気にはなれることが多い。まだ若いといわれればそれもそうなのだが。
 このコンラッドの作品は正直よく分からない作品で、解説も読んだがそれでも分からない。
 そうした作品もまたあるのだろうし、それでもなお今日に残るということは、そこに何か人を打つ何かがあるからだろう。
 

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2013年5月20日 (月)

コーラ

 朝の出勤前に、スーツに着替えた。
 暑くなってきたので、喉が渇くのが早い。
 身支度をする前に缶の紅茶を飲み終えていた。
 冷蔵庫には私が飲みたいと思う飲み物はなかった。
 そのため、冷蔵庫の横にストックしてあるトクホのコーラを飲もうと思い手に取ったが滑って落としてしまった。
 10㎝程度落としただけなので、噴きこぼれないだろうと思い、ふたをあけた。

 噴きこぼれまくった。まるで火山の噴火である。
 スーツはかなり濡れ、床も濡れた。
 みなさんもコーラには気をつけましょう。

 以上です。
 

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2013年5月17日 (金)

読書日記5月17日

「日本人を考える」文春文庫。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎の対談集。司馬先生が各界の著名人と対談して日本人を考えるというもので、山口瞳氏と東京と関西とで張り合っている対談がおもしろかった。この対談がされたのが昭和45年であり、私が生まれた年なのであるが、ここで話をされていることは、現代にも通じることが多々あり、真理というものは早々変わるものではないということを実感する。

「犬をえらばば」講談社文芸文庫。安部章太郎。
 第三の新人といわれた文筆家のグループの一員の安部章太郎のエッセイ。自宅に紀州犬が来たことから、知人(といっても遠藤周作とか、吉行淳之介とかそうそうたるメンバー)と犬のかかわりを描いている。
 紀州犬といえば、ソフトバンクのお父さん犬であり、天然記念物である。頭の中ではあの犬がボワッと浮かんでそのイメージで読んだ(ただし、あのソフトバンクのワンちゃんも、実は2匹を使い分けているという話も本当かどうかは知らないが、そのように聞いたが)。

 犬を褒められるとデレデレになっていたり、犬をけなされると人生の終わりのような気持ちになったり、普段家族と思い、わかり合えている気持ちになっていて、ほとんど人間のように思っている犬が犬らしくしていると(獣性を発揮したり、発情したり)、嫌悪感や恐怖感を抱いたりというくだりが出てくるが、犬が自宅に居る私としては(私は猫も犬も好きであり、基本的に動物好きであるが)、わかるわかるという感じで常時微笑しながら読んで、電車の中でついニヤリとしそうになり、慌てて周囲を見たものである。
 犬好きの人、一度お読み下さい。

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2013年5月16日 (木)

ヒグマ

ヒグマは日本で最大の肉食獣であり、原則として本州にはおらず、(飼われているものは除いて)北海道に生息する。
 ヒグマは成長すると体長2メール、体重は300~500キログラムにもなり、100メートルを7秒程度で走ることが出来る(ボルトより速い)。また、筋肉で身体が覆われているため、何十メートルのガケから落ちても平然と歩き去った姿が目撃されている。
 若いヒグマは木登りも得意である。
 
 このように、人間と比較してヒグマの体力は圧倒的であり、ヒグマに追いかけられて走ってヒグマよりも速かったので逃げることが出来たという話をする人がいたら、100%に近い確立でその話はウソであろう。
 木に登って逃げたというのも相手が若いクマであれば、不可能な話ということになる。

 ヒグマは基本的には臆病であり、人間が近づくとヒグマの方から距離を取る。ただ、ヒグマの知能は高く、猟師が後を追いかけていると、自分の足跡を後ろ向きにたどってバックして、ひょいと飛んで横のヤブに入り、足跡を追っている猟師を後ろから攻撃するということもあるようである。
 また、一度人間を襲ったヒグマは、人間に対する恐怖心もなくなり、むしろ人間をエサとして見るので、これ以上危険な野生生物はいない。
 北海道では、毎年、山菜採りなどで山に入った人がヒグマに襲われて死亡する事件が発生している。
 世界最大のクマ被害は、北海道で起こっている。苫前三毛別では、死者7名、重傷者3名という世界にもないヒグマによる被害が起こっている。
 この事件では、ヒグマに襲われて死亡した女性の葬式を行っている時に、獲物を横取りされたとして怒ったヒグマが葬式の席に殴り込みをかけて、死体を奪い去ったという恐ろしい話が伝えられている。
 吉村昭の「熊嵐」という作品はこの実際の物語を基にした作品である。

 以上のように、ヒグマは恐ろしい生物である。これからヒグマが北海道で出没するシーズンであるので、注意が必要であろう。

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2013年5月15日 (水)

他人の自慢

 他人の自慢話を聞かされるというのは正直へきえきするが、それでも自慢話をしたい時には、相手の自慢話も聞かないといけないと思っている。互いに自慢話をしあって気分良くなるというならよいと思う。
 若手が事件解決の秘訣を聞きたいということで聞いていた時に自慢話をするというのもあるだろう。

 感心しないのは、儲けている弁護士が、「もうかってまっか」と聞かれた時に(本当はそんな聞き方しないけどね)、「儲かってます」という人がたまにいることである。
 こう言われた方は、普通はいい気はしないであろう。本当に儲かっていない人は「全然あきませんわ」というであろうし、儲けている弁護士でも同じようにいう人の方が多いであろう。

 人間には妬みやそねみという気持ちがあるから、ありのままを語るのも要注意というところであろう。

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2013年5月14日 (火)

物事がうまくいっているとき

 昨日の話ではないが、物事がうまくいっているときはよほど気をつけていないと足下をすくわれるというのが歴史の教訓である。
 気をつけているつもりでも、気がゆるんでいたり、慢心していたりするものなのである。
 織田信長は得意の絶頂期に光秀に討たれたし、秀吉は自らは生を全うしたが、朝鮮出兵により人心が秀吉から離れ、大阪の陣で豊臣家は滅亡した。
 家康は、その意味では若い頃の失敗を教訓にして、晩節を汚すことなく、物事がうまくいっていても注意に注意を払って徳川幕府を安泰なものとした。何回も書いたが、おもしろみはないが、見習うべきは家康である。
 もちろん、家康もここ一番では乾坤一擲の勝負に出ているが、時代が戦国であったから、今とは比較にならないであろう。

 失敗したことのない人がたまにいて、そういう人は自分の哲学でもって話をされるのだが、失敗をしたことがないだけに話がうすっぺらいことが多い。また、そういう人は、自分以上に様々な経験をしている人がいるという認識も薄いことも多い。
 ただ、失敗をしたことがないだけに、そういう人は厚みが出ないまま過ごして、気がついた時には滅亡の淵に立たされていることもあるであろう。
 その人の経験で、人生とはこういうものだとか、成功はこういうものだということを言っていても、それは皮相的なものにしか過ぎない。私などは人生を語ることなと怖くて出来ない。もし語るとすれば、今の考えという保留しかつけられない。このブログで書いていることもしかりであって、こう書いていることがしばらくしたら考えが変わることもあるだろうし、自省の意味を込めて書いていることがあり、自分が完璧だとか、自分がすべて出来ているとは思って書いていない。自らもこうありたい、あるべきということで書いていて、このブログの読者は現実の私に会うと、「出来てないやん」とつっこみを入れてしまうと思う。
 成功を継続した人がそれを続けるなら、相当の謙虚さが必要と(今は)思うのである。

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2013年5月13日 (月)

歴史小説の効用

 歴史小説を読んだり、歴史を勉強すると、法律家にとって人間がこういう場合どういう行動を取るかとか、人間のタイプがいろいろいるからどう判断するか等、参考になることが多い。
 私の事務所の若い弁護士にも小説を読むように言っているのであるが、中々日々の多忙さにかまけて読めていないようである。
 事件を読み解く時に、人間が行うことであるから、人間をどこまで知っているかで事件の筋が浮かび上がることがあるので、趣味と実益を兼ねて私は歴史小説や歴史ノンフィクションを読んでいる。
 もちろん神ならぬ身なので、すべてを読み通すことなど出来ないが、事件がこうなると説明していてそのとおりになると、事務所の弁護士からは怖がられることになるが、別段なんの根拠もなく言っているわけではなく、弁護士と自分の人生の経験と本などで読んだこと、事件の記録を読み込んで言っているので、予言ではなく予測があたったというだけのことである。
 すべての事件がぴたりとあたるとよいのであるが、相手方もあることなので、中々そうはいかない。将来的にはそうなるのが私の理想である。

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2013年5月10日 (金)

弁護士の時計

 私は最近ほとんど時計をしないが(時計自体は弁護士になって数年目に買ったものと、独立1年目に自分へのご褒美として買ったもの、弁護士ワールドカップでもらってきたものをみんなからプレゼントされたものなどがある)、昔は弁護士になるとある程度金回りがよくなって、いい時計を購入する若手が多かった。
 中には、修習生としてもらっている給与を節約して貯めて、パネライの時計(80万円くらいするはず)をしている修習生もいた。これは、給与の使い方としては間違った例だとは思うが(修習生の給与は修習のために使われるべきであり、書籍などを本来は買うべきであろう。私自身がそれをしていたかといわれると穴があったら入りたいが・・・)。
 最近は、若手弁護士も給与が下がり、事件数も減少していい時計も買えなくなっているのではないかという気がする。いい時計をしている若手弁護士を見かけないのである。
 時計だけでそれをはかるのはどうかという気もするが、若手サラリーマンでは最初の賞与でいい時計を買ったりする時代である。京都の場合は、月額5万円近い会費を支払い、一般のサラリーマンよりも悪い待遇だとすれば、誰が学費をかけてそんな仕事を選ぶだろう。
 法科大学院への入学者は激減し、法学部を目指す学生は減った。
 司法試験の予備試験の受験者数が過去最大となった。
 今後、日本の人口はこのままでいけば減り続ける時代に、これだけ弁護士だけを増やして(司法改革では、裁判官・検察官を増員するということが当然の前提であったが、予算がつかないので、自由業の弁護士だけが増え続けてきたのである)、小泉政権時代に始まった司法改革は、根幹で失敗・崩壊しているといわざるを得ないと思うのである。

 予定では、明日の朝日新聞京都版に私のコラムが掲載される予定であるが、紙面の都合でどうなるか。予定通り掲載されたら、ご一読ください。ただ、字数に制限があって、書きたいことが全て書けませんでしたが。。。

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2013年5月 9日 (木)

本人が亡くなっている事件

 交通事故にせよ医療過誤にせよ、被害者ご本人が亡くなられている事件を受任すると、相手方から好き放題のことをいわれることがある。
 ご遺族としてはたまったものではない。

 こうしたときの証拠集めは困難を伴うことも多く、ひとつひとつの証拠を積み上げて、相手方の主張がいかにおかしいかを立証していくこととなる。
 交通事故では、刑事段階から代理人として活動をして、刑事事件として相手方に責任を取ってもらうことは当然として(被害者参加代理人となることも多い)、刑事の記録に後日民事の賠償で使えるような記録を残すことも心がける。
 当事者が亡くなられている交通事故などでは、刑事事件の対応で、仕事の90%近くが終わっていることも多い。
 一つ一つ積み上げて、少しでもご遺族のお気持ちが慰藉されるように努力することしか弁護士は出来ないし、私もそうするつもりである。

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2013年5月 8日 (水)

電車の中にて

 ゴールデンウィーク中は自宅で仕事をし、自宅でできない仕事を事務所に1日いつもと同じ出勤時間に出てせこせこと仕事をしていた。
 帰り道では行楽帰りの家族連れ。
 行楽に行くのはよいのだが、電車の中で子どもが騒ぎまくっているのに(大声で歌を歌ったり、それに親が合いの手を入れている)、注意しない親がいた。
 むしろ、「私の子どもかわいい」という感じで、大声で歌を歌っている自分の子どもをうっとりと見ているのである。
 注意をしようかとも思ったが、最近は他人を批判するくせに、自分たちは何をしてもかまわないという人も増えているのと、そのような人に限って自分は悪くないとしてトラブルになることも多そうなので、やめておいた。
 こんな親ばかりになれば、世も末であろう。
 電車はおまえらの家の中でもなければ、おまえらの子どもをかわいいとは誰も思ってないぞ、と思いつつ、帰路についた。
 イラッとしたので、駅前で葉巻を一本吸ってから帰ったのだが。
 まだまだ人間が小さい私であるが、私が電車の中で考えていたことは間違いではあるまい。
 以上です。

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2013年5月 7日 (火)

読書日記5月7日

「日本の路地を旅する」文春文庫。上原善広。
 路地とは被差別部落のことを指す。被差別部落出身の著者が、日本の各地を周り、路地の痕跡を探すノンフィクション。被差別部落のことを知らない人も多くなっていると思うが、一読の価値はある本だと思う。

「立花隆の書棚」中央公論社。立花隆。
 立花隆の蔵書を写真撮影し、その本を見ながら、立花隆が置かれている本について説明していく本。まずその蔵書の量に圧倒されるとともに、その本を血肉にしている立花隆という知の巨人の知性に圧倒される。こういうのを見ていると、自分の読書量が恥ずかしくなるし、もっと本を読まないといけないと反省させられる(本は弁護士としての仕事に役立つ部分が多いのである)。自分が死ぬとき、立花隆とまではいかなくとも、ある程度の蔵書は残して死にたいものである。

「ふしぎな取調室」彩風社。橘哲雄。
 元警察官の書いた本で、本屋のレジのところにあったので、なんとなく購入。内容的にはとてつもなく薄く、若干詐欺っぽい感じもする。本にするには逸話が少なかったので、無理矢理イラストでページ数を増やしている。買う価値はないと思うが、内容的にはおもしろい(我々弁護士も刑事事件をするとき、とんでもない弁解をする被疑者や被告人に出会うので、わかる、わかるという感じもあった)。

「こんなの、はじめて?」講談社文庫。酒井順子。
 エッセイストの著者のエッセイ。酒井順子さんのものの見方は鋭く、ですます調でとてつなくきついことを書いていたりする。
 肩の力を抜いて本を読みたいときなどにこうしたエッセイはいい。当時の世相もわかる。

「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」新潮文庫。村上春樹。
 私もアイラ島のモルトが好きなので、いつか読もうと思って手元に置いていたのだが、連休中も仕事は自宅や出勤しつつしていたのだが、普段よりはやはり生活はゆったりであったので、そのゆったりとした気分の時に読むのがふさわしいと思い、ウイスキーを飲みつつ読んだ。村上春樹のこの本によるとシングルモルトをロックで飲むのは邪道ということだが、私の懇意にしているバーのオーナーに聞くと、それは好みなのでいちがいにそうはいえないということであった。
 今までロックで飲んでいたので、これからも気にせずロックで飲もう。内容的にはアイラ島の探訪記で、ウイスキーに興味のない人は読む必要なし。

「国家・宗教・日本人」講談社文庫。司馬遼太郎。
 井上ひさしと司馬の対談をまとめたもの。表題に即して、二人の偉大な作家が語り合う。かなり前の対談であるが、今でもその内容が新しいことに驚かされる。

「ノルウェイの森」(上)(下)講談社文庫。村上春樹。
 こうして並べてみると講談社文ばかり読んでいるが、これはたまたまである。
 流行している時にその本を読むのが好きでないので、あえて今読んでみた。
 こうして読むと、物語の主題というものは限界があるのだという気がする。
 夏目漱石が作った小説のモデルというのは、言葉づかいだけではなく、物語の主題としても現代を拘束しているのではないかという気がする。
 内容はこれから私のようにあえて読む人がいるので書かないが。

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2013年5月 2日 (木)

メールによる一方的相談

 メールで一方的に相談をしてこられる方もいる。
 ホームページなどで相談は出来ないと書いているのだが、読まれていないのか、怒りで興奮しておられるのかなと思う。
 中には、回答するのが当然という態度の方もおられる。

 来所していただいて、資料なども見て具体的に相談をしないと、中途半端なことしかいえないので、メールの相談というのは出来ないと言っていいと思う。依頼者に対してこの点はどうだと聞き返すだけでも相当な労力にもなる。
 単に「受け付けておりません」というメールを返すだけではお気の毒なので、ある程度のことは書いて返すが、こういう方は、ほとんどの場合、私のメールに対して返答をしてくれない。
 弁護士は何かを作り上げてお金をもらっている訳ではなく、まさにその法律に対する知識を売り物にしているのであるから、その知識を無料でどんどん売りに出す訳にもいかないのである。
 一定の回答はして差し上げることが多いが、日本人は、やはり、知識に対してお金を支払うという発想が乏しいのであろうか。
 もちろん被害者救済のためにしている分野も多々あるが、それとても、やはり費用なしには出来ないのである。
 それが国から出ているのか、個人からもらうかはともかく、弁護士の法的知識は弁護士がそこでお金をもらうところであるから、そこを当然無料でという考えで来られると、こちらとしてはあまりいい気はしない。
 まあ、メールではそんなグチは書かず、出来るだけその人の意向に沿うように、ただし、私の知識を無料で提供は出来ないことを書くのだが。

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2013年5月 1日 (水)

弁護士の辞任

 いったん事件を引き受けると、最後までやりとげるべきであるが、様々な理由から辞任せざるを得ないことがある。
 依頼者と連絡が取れなくなるとか、依頼者の方が弁護士を信頼せず、説得を試みても回復出来ない場合などである。依頼者が費用を支払わないときなどもこれにあたるであろう。

 中には事件がにっちもさっちもいかなくなったとたんに辞任する弁護士もいるが、これは悪い例である。事件の見通しを立てて、判決までいくのか、出来るかどうかはともかく、和解で落とす事件なのかある程度筋読みをしていないので、当初依頼者に説明をしていた筋と違ってきて依頼者が文句を言い出すと、辞任してしまう場合がある。

 ただ、辞任というのは、相手の弁護士に対しても礼を失することにはなるから、一辞任しておいて、また少し経って、のこのこと代理人になることは、私の発想からすればあり得ない話である。
 私などは一度辞任して、「またやってください」と言われても、絶対に引き受けない。簡単に辞任しないようにしているということもあるが、相手方に対しても一定の仁義はあると思うからである。
 恥も外聞もないような行動を取ることは、どの世界にあってもあってはならないことだと思うのである。

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