物事がうまくいっているとき
昨日の話ではないが、物事がうまくいっているときはよほど気をつけていないと足下をすくわれるというのが歴史の教訓である。
気をつけているつもりでも、気がゆるんでいたり、慢心していたりするものなのである。
織田信長は得意の絶頂期に光秀に討たれたし、秀吉は自らは生を全うしたが、朝鮮出兵により人心が秀吉から離れ、大阪の陣で豊臣家は滅亡した。
家康は、その意味では若い頃の失敗を教訓にして、晩節を汚すことなく、物事がうまくいっていても注意に注意を払って徳川幕府を安泰なものとした。何回も書いたが、おもしろみはないが、見習うべきは家康である。
もちろん、家康もここ一番では乾坤一擲の勝負に出ているが、時代が戦国であったから、今とは比較にならないであろう。
失敗したことのない人がたまにいて、そういう人は自分の哲学でもって話をされるのだが、失敗をしたことがないだけに話がうすっぺらいことが多い。また、そういう人は、自分以上に様々な経験をしている人がいるという認識も薄いことも多い。
ただ、失敗をしたことがないだけに、そういう人は厚みが出ないまま過ごして、気がついた時には滅亡の淵に立たされていることもあるであろう。
その人の経験で、人生とはこういうものだとか、成功はこういうものだということを言っていても、それは皮相的なものにしか過ぎない。私などは人生を語ることなと怖くて出来ない。もし語るとすれば、今の考えという保留しかつけられない。このブログで書いていることもしかりであって、こう書いていることがしばらくしたら考えが変わることもあるだろうし、自省の意味を込めて書いていることがあり、自分が完璧だとか、自分がすべて出来ているとは思って書いていない。自らもこうありたい、あるべきということで書いていて、このブログの読者は現実の私に会うと、「出来てないやん」とつっこみを入れてしまうと思う。
成功を継続した人がそれを続けるなら、相当の謙虚さが必要と(今は)思うのである。
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