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2013年7月31日 (水)

夏休みをいただきますので、ブログは来週まで休載いたします

 明日から夏休みをいただきます。
 ただ、当事務所は、弁護士・事務員は交代で休ませていただくため、お盆休み等はございません。
 何かありましたら、事務所に連絡をしていただければ、つながります。
 8月5日からはまた出勤いたします(またその後も飛び飛びで夏休みを取らせていただきますが)。

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2013年7月30日 (火)

夏バテか。。。

 土曜日に犯罪被害者支援センターの講師をして自宅に戻ってから、頭痛がし出して、日曜日も頭痛が取れなかった。
 日曜日はサッカー部の練習であったが、インフルエンザで休んで以来、休むことにした。
 頭痛がしているので、自動車の運転もつらかったからである。

 裁判所が夏期休廷に入る前で裁判も詰まって入っており、この間、馬車馬のように働いてきたので、とうとう夏バテになったのかもしれない。
 ただ、食欲はあるし、やせもしないので、単に過労から来る肩凝りからの頭痛かもしれない。
 日曜日完全休養したおかげで、月曜日にはましになったが、夏バテでネットで検索すると、頭痛も症状の一つとしてある。
 本日はリース被害弁護団の暑気払いがあるが、夏バテであれば、暑気払いでこれが吹き飛んでくれるとよいのであるが。

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2013年7月29日 (月)

最近、二条通りでタクシーがつかまらない・・・・

 表題のとおりである。仕事で出かける際、タクシーを利用することが多いが、今まではたいてい二条通りの事務所の反対側で待っていると数分で空車のタクシーが来ていた。
 しかし、最近はタクシーが全く来ないことが多く、先日はなぜか意地になってしまい、タクシーを待っていたが、10分ほど待っても来ず、予定に遅れそうになったので仕方なく河原町通りまで出てタクシーを拾った。
 ただ、河原町通りでも中々空車のタクシーがないような気がする。

 これは、単に暑いから身体のことを考えて今までであれば歩いていた人がタクシーに乗るようになったのか、それともアベノミクス効果なのか。。。
 あるタクシーの運転手さんによると、先日頃までは修学旅行の学生さんが乗られるので、それに台数が取られているということであったが、旅行の時期は終わったはずであるのだが。

 ただ、相変わらず祇園は閑散としており、夜はタクシー選び放題である。その中でも、流行っている店は流行っているのであるから、やはり商売はやり方なのであろう。

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2013年7月26日 (金)

パソコンの寿命

 自宅で使っているパソコンが、最近おかしくなる。
 自宅でも起案をしたり、メールを返信したり仕事に使うので、パソコンは必要である。
 レッツノートを使用しているが、それほど持ち歩いたことはなく、おそらく、5~7年くらい使用したであろう。しかし、使用の頻度は高くない。
 入っているのは評判の悪かったビスタである。

 事務所の事務職員のパソコンも壊れて、今発注している。しかし、それほどハードユースしている訳でもない。

 昔聞いたのだが、蛍光灯でも、かなり長く寿命が保つものは作ることが出来るそうである。しかし、そうすると、交換されず、電気業界が儲からないので、ある程度来たら切れるように作ってあるということであった。

 それが本当かどうか知らないが、最近の電気製品は、寿命が短い気がする。
 メーカーはブラザーだったと思うのだが、母親がパートのお金で買った扇風機は、20年くらい現役であった。私が小さい頃には既に自宅にあったので、20年ではきかないかもしれない。
 しかし、数年前に購入した扇風機は壊れてしまった。当たり外れだけだろうか。

パソコンの場合、ウインドウズの保証期間が切れると、新しいものに移行せざるを得なくなるが、保証期間さえ延ばしてくれればまだまだ使えるソフトなのである。ただし、最近のOSは、ものすごいメモリなどを要求される(ように作られているのだと思う)ため、パソコン自体を買い換えないと、ものすごく動作が遅くなる。買わざるを得ないように仕向けられていると思う。
 また、パソコンは数年経過すると壊れるものがけっこうあるが、これとても、おそらく、壊れないように堅固な部品で作ることはきっと可能なはずである。しかし、パソコンが一定期間経過すると壊れてくれた方が、パソコンは売れるのである。

こういうことを考えていると、パソコンを買いたくなくなるのだが、仕事で使うのでやむを得ない。
レッツノートが不具合を起こした時に、もう一つ少し大きいノートパソコンも買ってあるにはあるのだが、片付いていないおかげで狭い自宅の机では少し大きすぎるのである。
 片付ければよいだけだと言われればそうであるが、物が多すぎて限界があるのである。

ソフトやデータの入替が面倒なので、もう少しだましだまし使ってみようかとも思うが、本当に起動するしなくなると困るし、お金もかかることなので、頭の痛い話である。

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2013年7月25日 (木)

読書日記7月25日

「司馬遼太郎短編全集 12巻」文芸春秋。司馬遼太郎。
 司馬遼太郎の短編全集を以前衝動買いして、事務所に置いていたが、ふと思いついて読み出した。
 以前読んだ作品もあるが、しばらくすると忘れているものである。

 収録されている短編の中では、「馬上少年過ぐ」と、「貂の皮」がよかった。
 馬上少年過ぐは、伊達政宗を書いた作品であるが、あれだけ権謀術数を駆使して奥州の覇王となった伊達政宗がこれほどの詩情を持っていたことに驚きを感じざるを得ず、人というものの中には、様々なものが入り組んで入って居るということをあらためて思い知る作品である。
 貂の皮は、脇坂安治という、関ヶ原で裏切りを果たした武将の生涯を描いた短編である。この武将は、関ヶ原で裏切った中の一人である。
 ハンセン病のため、目も見えず輿に乗って采配を振るう大谷吉継の脇坂隊らに対する奮戦ぶりと、その最後が語られる中でちらりと出てくるにとどまるのがほとんどであろう。
 司馬遼太郎が、あえてこの人物を描こうとしたことに興味を覚える。
同じく関ヶ原で裏切った小早川秀秋は、関ヶ原以降若くして死ぬが、大谷吉継の祟りであると世間では言われた。
 しかし、この脇坂安治は生を全うし、明治まで取りつぶされることなくその家は残ったようである。

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2013年7月24日 (水)

愚痴

 まだこのブログを書く時点で弁護士会の会員専用コーナーには行っていないのだが、これまであった自販機がなくなり、コーヒーメーカーとなったとのことであった。
 コーヒーが飲めない会員もいるというような話は出なかったのであろうか。
 ちなみに、私はコーヒーは飲みたいし、味は嫌いではないのだが、コーヒーがダメである。
 飲むと、数日間は胃が痛くなる。
 

 なので、紅茶か日本茶か水を飲んでいる。

 紅茶のティーパックもおいてくれるといいのだが。
 でも夏場はやはりアイスティが飲みたいが、どうも氷はなさそうである。アイスコーヒーもきっと出来ないのであろう。

 マイノリティな気分である。

 以上。
 

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2013年7月23日 (火)

人の性(さが)

 人は何をしたいという性(さが)を持っているということを書いたが、これは宗教という場面でも同じようである。
 教えがシンプルであって、「他に何かしないといけないのでは」「いや、これだけでいい」ということになると、教えが広まらないという性質を有するようである。
 それぞれの宗教がそれぞれの儀式や決まりを持っていたり、宗教に対して義務を課しているのは、「何か」をしていないと気が済まない人間の性に則したものであるということが出来ると思っている。
 決まり事があまりにもない宗教は、流行らないというと失礼だが、信仰されにくいのである。この決まり事を守っていれば大丈夫という安心感もそこにあるのであろう。

 私なども常に何かしていないと気が済まない方で、テレビを見ながら酒を飲んで読書もしながらゲームもしているという時もある。ゲームがソフトを読み込んでいる間、本を読んで、テレビのニュースで気になったことがあると見るというような具合である。

 私は無宗教で全く信心深くもないのだが。
 

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2013年7月22日 (月)

弁護士の体調管理

 司法修習生の時に事務所訪問をさせてもらった大先生から、「弁護士になって酒ばかり飲んでいたら、歩くことさえまならないようになったことがある。中君、運動はせなあかんし、体調管理は十分にしないとこの仕事はあかんぞ。」と言っていただいたことがあった。
 その後、若い頃はある意味若さゆえかなりの無理もしたが、さすがに35歳頃に喘息の発作が出て事務所に来ることも出来なくなった時から、無理をしないようになった。
 個人的には一人で事務所をずっとするつもりであったが、一人で出来る仕事の量も若い頃のようには行かなくなってきたので、勤務弁護士に入ってもらうことにした。
 運動はサッカーをする程度ではあるが、しないよりはましであろう。最近は適度に酒も飲み、多少は余暇も楽しむようにしている(釣りと読書、ゲームくらいではあるが)。

 弁護士で体調を壊したり、精神的に不安定になってしまうことはままあることである。紛争のまっただ中に入っていく仕事であるし、時には身の危険も感じる職業であるので、ストレスは相当に溜まるはずである。
 私自身は仕事のストレスというよりは、単に多忙で体調不良になったと思っている。生来のんきなところがあるので、それがこの仕事をしていく上では幸いしているとも思っている。

 ストレス発散は人によって様々であろうが、個人的には、「それをしていると他のことは何も考えない」という瞬間がある程度ないと、人はストレスが溜まる一方になるのだと思っている。全てを忘れる一瞬がある程度あれば、ストレス発散が出来るというのが私の考えである。
 後は適度に運動をすることで、病気等はある程度防げると思うのである。

 よく何も考えずぼーっとした方がいいとも言われるが、人間は大自然の中でぼけっとしていると、「何か」をしたくなり、いつまでも何もしないというのもそれはそれでストレスが溜まるそうであるから、仕事とは違う「何か」をして、我を忘れてストレス発散することが必要なのであろう。

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2013年7月19日 (金)

読書日記7月19日

「弁論術」岩波文庫。アリストテレス。
 弁護士であるので、一度弁論について整理した本を読むべきであると考えていた。巷にあふれかえっている本の中で選ぶのも難しかったので、いっそのこと超古典を読んでみることにした。
 内容的には参考になることもあったが、プロであるので、意義を再確認するにとどまったものが大半であった。知識というか経験の整理をしたというところであろうか。
 岩波文庫は、字が小さいので、中々読み進めなかった。
 死ぬまでには、ある程度古今東西の古典を読破したいものである。

「海辺のカフカ」(上)(下)新潮文庫。村上春樹。
 村上春樹がこれだけ読まれて世界でも翻訳されているのであるから、読んでおくべきであろうと考えて最近読んでいるが、中々はまらない。
 国境の南、大陽の西が今まで読んだ中では最もよかったが、それでも色々と文句をつけたくなる箇所が随所にある。
 この作品は、山ほど文句をつけたいところがあり、一応全て読んだが、まだまだハルキストにはなれそうにない。

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2013年7月18日 (木)

こんなところを蹴られていました

Mini_130716_23050001  月曜日の夜にサッカーの練習試合をしたあと、あちこちが痛かったので気づいていなかったが、左腕の手首の内側にざっくりとスパイクの跡が残っていた。
 どうやら何かのはずみで手を蹴られていたようである。

 足首やスネを蹴られてスパイクの跡があることはあったし、レガース(すねあて)がスパイクの形に削られていたこともあるが、手のこんなところをどういう場面で蹴られたのか全く記憶にない。

 触ったところ痛い。
 当たり前か。
 腫れていて内出血もしているが、まあそのうちに治るであろう。仕事にも特に支障はないし。
 暑さと湿気で、ネタが浮かんでこないので、しばらくこんな感じで。。。。

 以上です。

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2013年7月17日 (水)

ミノムシ

Mini_130712_0815  ミノムシの抜け殻である。
 中に居るかと思ってしばらく見ていたが、空であった。
 ミノムシは最近絶滅危惧種になっているようであり、個体数が激減しているそうであるが、私の家の庭にはたくさんいる。

 ヘビもきたし、モズの早贄もあったし、水まきをしているとバッタが飛ぶ。冬にはカマキリがタマゴを産んで、春先になると小さいながらもカマキリのかっこうをした奴らが偉そうにカマをもたげている。
 要するに田舎なのである。

 夜に庭で葉巻を吸っていると、ダンゴムシがうろうろとしていたりもする。
 ダンゴムシは歩く速度が遅いようにも思われがちだが、見ているとけっこう速い。
 少し目を離すとあっという間に向こうの方まで歩いていたりする。
 交尾もしていたりする。

 小さい庭だが、それなりに見ていると生き物を見て楽しめる。
 たまにオオスズメバチが来たりするのがやっかいですが。

 以上です。

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2013年7月16日 (火)

健康について

 また読書日記には書くが、今、アリストテレスの「弁論術」という本を読んでいる(岩波文庫、戸塚七郎 訳)。

  このブログを書いている時点でまだ途中なのだが、アリストテレスは、健康の定義について、「健康とは身体を使っても、それで病気にならない状態のことである」としている(同書60頁)。人間の楽しみのすべてを、もしくはその大部分を控えているような状態での健康は、幸福とは思われないということも書いている。

テレビで見ていると、ドクター南雲氏は、「心拍数があがるような運動をすることは絶対にしてはいけない」とし、ものすごい食事制限をした上で、「これが健康法だ」と言っているが、彼の健康法は、アリストテレスの前記定義とはかけはなれたものであろう。
 何もかも制限されて、運動すらもしない状態は、「健康かもしれないが幸福ではない」といえそうである。

 しかし、ラクしてやせられて筋肉もついてという方法は・・・ないだろうな。

 以上です。

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帽子

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 道を歩いているとあまりに暑いので帽子を買った。日傘の方が暑さは防げるであろうが、傘を持つのは元々嫌いなのと、日傘はまだ浸透していないので、目立つので恥ずかしがりの私には無理なのである。

 パナマ帽で、トキヤ草という葉か茎かで作られているようである。なんなんだろ、トキヤ草って?

 勤務弁護士のHからは、麦わらのルフィではないかといわれたが、残念なことに私はワンピースは一冊も読んだこがない。もちろん、ワンピースを意識して買ってはいない。

 ただ、頭が思ったよりも蒸れるので、余計に頭が薄くならないか心配である。

 これを着用して歩いていても、笑わないでください。

 以上です。

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2013年7月12日 (金)

足がだるい

 ここのところ足がだるい。
 ふくらはぎの辺りがだる重たいのである。

 考えてみれば、6月30日の日曜日にフルコートでサッカーの練習試合をして、その後1週間は兵庫県に夕方会議のために行き、事件の関係で城陽市まで行き、新件の相談も何件か入り・・という多忙な1週間を過ごしたあと、土日は法律相談センター運営委員会の委員長と犯罪被害者支援委員会の委員として天橋立で行われた北部会員との懇談会に泊まりで宿泊し(釣り道具も持っていってちょっと釣りもし-釣れなかったが、ルアーは何度か食いちぎられた)、その後今週1週間を過ごしている訳であるから、疲労が蓄積しているということであろうか。ネットで調べると、疲労が蓄積しているのが一番考えられる原因ということであった。
 基本的には元気ではあり、「気」も充実していると思っているのだが、足がだる重たいのだけがかなわん。暑さのせいもあるだろう。

 15日にはまたサッカーの練習試合もあるので、土日は完全休養することにしよう・・・。

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2013年7月11日 (木)

暑いです

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 暑い。
 クーラーがかかっていても、なお自堕落な小次郎である。
 思えば、こやつらは毛皮を着ているのであるから当たり前か。
 しかも犬は汗腺がないから体温調節も出来ない。

 若い頃は京都の町中を歩く時でも、影を探して歩くことなどなかったが、最近は日陰日陰と歩くようになっている。
 昔より今の方が暑くなった気もかなりするのだが。

 最近は男性用の日傘が売っているらしいが、傘を差すのはさすがに・・・と思うので、倒れるよりましであると思って、帽子を買おうかと思っている。

 あとは日差しで目がやられそうなので、サングラスをかけることも考えたが、ただでさえ色黒で柄が悪く見られがちであるので、これは今後の課題か。

 殺人的暑さがいつまで続くのか。裁判所までの道のりが遠い。

 以上です。

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2013年7月10日 (水)

読書日記7月10日

「天海の秘宝」(上)(下)アサヒ文庫。夢枕獏。
 天海僧正が残した秘宝を巡る戦いを描いた空想作品で、時は江戸時代。
 人生において読んだ方がいいか読まなくてもいいかといわれれば、絶対に後者の作品。
 個人的には,人生の時間を無駄にした感がかなり強い。
 先日読んだ大江戸釣客伝がよかったら期待したのだが。
 人によっては、「ものすごくおもしろい」と感じることもある作品だとは思うが、数多くの小説を読んでくると、期待値が高まりすぎるのか。
 まあ、こういうこともありますな。。。。

「地下室の手記」新潮文庫。ドストエフスキー。
 30代後半くらいから、若い頃に世界文学などを読んでいなかったということに対する後悔が大きくなり、最近は古典の海外小説を何冊かに一冊は読むようにしている。
 その流れの中で、ドストエフスキーはやはり避けては通れないということで、前半の作品と後半の「罪と罰」などの作品との分水嶺と呼ばれる表題の作品を読んだ。
 人の心を描くのが文学の一つの主題であるとするならば、まさにこの作品は人の心を生々しく描き出した作品であろう。
 様々な評価がされているようであるが、人と交わらず、地下室にこもりただ手記を書き続ける主人公。自意識が皮膚の外までむき出しになったようなその性質。
 ただ、人は誰しも、自分の中に主人公と類似したところを発見して慄然とするのではないだろうか。まあ、ドストエフスキーの作品なんて、様々な論考があるから、私がここで浅薄なことを書いても仕方がないともいえるが。
 こういう作品が19世紀に書かれていることに驚きを感じざるを得ない。逆に若い頃この手の作品を読んでいても、分からなかっただろうから(今でも完全に理解出来ているともいえないが)、今こうした文学をはじめて読むのもまたよいのかもしれない。

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2013年7月 9日 (火)

いまいちなホテル

 土日は天橋立で京都弁護士会の行事で、「北部会員を囲む懇談会」があった。
 北部地域で事務所を構えておられる会員と、役員や関連委員会の代表が北部に行き、北部の状況を聞いたり、距離的なこともあり、あまり会に来られることのない北部の会員の意見などを聞く会である。
 私も法律相談センターの委員長と、犯罪被害支援委員会の委員を兼任で出席してきた。

 私はこういう会合の相部屋が苦手で(ものすごいイビキをかく人と同室になったりすると寝られない)、最近は追加料金を支払い単独部屋にしてもらっていたのだが、今回泊まるホテルはそれなりのグレードであったので高いため、他のホテルをネットで予約して泊まることにした。

 このホテル、門限が23時といわれ、かつ、私の部屋で数名で飲もうとしたら「宿泊客以外入館禁止」というにべのない対応であった。部屋もお世辞にも綺麗とはいえないし、広くもない。
 あらかじめて戻る時間と戻る前に連絡をしておけば、入り口を開けてくれるというので、0時までには戻ると伝言して皆の泊まっているホテルで談笑し、23時45分くらいにホテルに戻ったのだが、電話をしても誰も出ず、インターホンをならしても誰も出ない。
 このホテルは本館の別館のような扱いであったので、てくてく歩いて本館の方に行き、事情を話すと平謝りをされて本館からそこへ電話を入れてもらうことになつた。
 しばらくして相手が電話に出たので、ドアを開けるよう厳しく指示をする本館の職員。
 ドアが開いたというので戻り、受付の人に文句を一応言ったが、「外に出てたもんで」との返事。
 何でホテルマンが外に出てるのか、また、私はその頃に戻ると言っていたではないかと頭に来たが、このような男に何を言っても仕方がないであろう。もし、本館がないホテルであれば、私は締め出しをくらっていたわけである。

 あのホテルに泊まることは二度とないであろうし、ネットで予約したサイトに苦情を入れようかと思っているし、どこのホテルかと聞かれれば、ブログ上では書かないが、普通に話はするので、私から話を聞いた人もそのホテルには泊まらないであろう。
 こうして、ある意味地道ではあるが、口コミで客足が遠のくということもあるということを理解して欲しいものである。
ぷんすか。

以上である。

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2013年7月 8日 (月)

バーでタバコ臭いといわれても

 先日、バーで飲んでいると、入って来たまだ蒙古斑が取れていないようなガキが「シガーくさいな」と舌打ちするような感じで言っていた。
そのバーでシガーをすっていたのは当然私。

 シガーの臭いが気になるようなガキなら、バーに入ってくるんではない。
 また、バーに入ってきて、どの客がシガーをすっているかも分からないのに、「シガーくさい」とかいうのではない。
 私は大分穏健になったから何も言わなかったが、若い頃なら一言言っていたであろう。

蒙古斑が取れてからバーに来い。

以上です。

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2013年7月 5日 (金)

読書日記7月5日

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」文藝春秋。村上春樹。
 村上春樹の最新作。あまりにも売れ行きがよいというので購入してしばらくつくねておいたが、何となく手にとって読み始めた。
 内容的には、村上春樹が好きなハルキストには受けるのだろうが、私からすると、「また同じような登場人物で同じような構図で同じような話か・・・」という程度の印象。
 渡辺淳一作品もそうだが、ベースを打ち壊して欲しいと思うのであるが、まあ、それなら読まなきゃいいじゃん、という話ですな。
 好き嫌いが別れるのはよくわかります。数多く小説を読んでいる私からすると、ハルキストにはなれませんな。

「東大生はバカになったか」文春文庫。立花隆。
 表題どおりの作品であるが、東大生の学力レベルが落ちているし、元々東大は「実学」の学校なので、これに対抗して作られた実学中心でない京大とはその性格が異なるというところから始まり、立花隆の大学論、教育論へと話は展開する。
 これを読むと、大学時代もっと勉強しときゃよかったと反省する。
 今更大学にもいけないし、少しでも立花隆のいう教養を身につけるべく、せこせこと本を読むことにしよう。知的人生といえるように。

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2013年7月 4日 (木)

激烈反応型社会

 最近はブログやツイッター、はてはフェイスブックなどでふと何気なしにつぶやいたことでマスコミ等から大批判されるという事件が相次いでいる。何の気になしに書いたことでも、全世界に向けて発信されているということの自覚が足りないのではないかということは少し前に書いた。
 そのような一連の事件の中で、県議会議員が自殺と見られる亡くなり方をされたという痛ましい結果も出ている。

ブログ等で書くことに気をつけることはもちろんであるし、それなりの立場にある人は発言には注意しなければいけないと思うが、表題のように、最近の日本はそうした出来事に過剰反応しすぎるというところもあるであろう。もちろん発言の中身によっては激烈に批判されて然るべき発言もあるが、テレビで見ていて、「謝罪しているのだし、人間には間違いもあるのだし、その程度で許してやったらどうや(吉本新喜劇の辻本さんではないが)」と思うこともないではない。
 報道というのは、各マスコミで多少違う視点からの情報伝達があるのが本来だと私は思っていて、ある事件があり、批判される中でも、違う発言があってもよいのではないかと思うことがある。
 以前、鳥インフルエンザに罹患した鳥を市場に流したということで、養鶏業者を連日マスコミが批判した結果、当事者が自殺したというケースもあった。
 もちろん市場に流したことは批判されるべきであろうが、鳥インフルエンザは自然災害であり、何もあの養鶏業者がそうしたウイルスを作り出した訳ではなく、ある意味では彼らも被害者であったのである。そうした視点の報道はあの当時なく、私は記者に対して、「彼も被害者ではないか」ということを話したことがあった。
 報道は時には人を間接的にではあれ、死に追いやるのである。
 逆に、何かを持ち上げることに対しても激烈に反応したりする傾向が出てきているような気もしている。両極端に、激烈に反応し、全てを忘れるという社会になってきているように思われる。
 様々な意見がある方が健全だと思うのであるが、明治維新の際も、あれだけ「尊皇攘夷尊皇攘夷」と言っておきながら、倒幕が果たされると、さっさと欧米諸国と友好関係を結んで、それで特に誰も何も言わなかったのが日本国民なので、元々の国民性といえばそうななのかも分からない。

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2013年7月 3日 (水)

仕事のメリハリ

 一気に仕上げる仕事というのも時にはあるし、土日祭日を潰してでもやらないといけない仕事があるのが我々弁護士の仕事であるが、基本的には依頼者と打合をして、記録を読んだり、資料や裁判例を調査したり、書面をコツコツと書いたりするという地道な作業が仕事の大半を占めるので、短期集中で夏休みの終わりにまとめて仕上げるというよりは、夏休みの宿題を夏休みが終わるまでどう仕上げるかというスケジューリングをしていくタイプの方がこの仕事に向いていると思う。
 人間の集中力はそう続かないので、短期集中だとミスも出るし、能率も悪くなる。
 日々の仕事の中で、仕事中は仕事に集中して、それが終わると身体や精神を休めるという日々の中でのメリハリが必要であろう。

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2013年7月 2日 (火)

歩く速度

 弁護士の歩く速度はだいたい速い。
 大阪の人間は元々歩くのが速いという統計があったようだが、それと比較しても弁護士の歩く速度はだいたたいにおいて速いと言っていいだろう。

 私は個人的には弁護士の中では普通か、ゆっくりめだとは思っているが、それでも、町中で歩いていると、前の人が邪魔なことがよくある。

 出勤のために地下鉄を歩いていたり、裁判所に行くために歩いていても、前の人が邪魔で、歩く速度をゆるめないといけないことがよくある。
 最近は、前にも書いたように、スマホを見ながら歩いていたり、音楽を聴きながら歩いているので、余計に遅いのかもしれない。
 少し前にスマホを見ながら歩くと危険だということを書いたが、その後新聞記事で、スマホを見ながら歩いていると、自分の周囲が全く見えない状態になっていることがわかったと書かれていた。
 画面が携帯に比べて大きい分、画面に集中してしまうそうである。
 
 後ろから足音や自転車の走ってくる音が聞こえれば、脇にどけることも出来るが、音楽を聴いているとそういうわけにもいかない。
 いろいろなものが携帯・携行出来るようになり便利にはなったが、そのために事故を起こしたり、事故に遭ったり、人の邪魔になるというのでは、便利さもほどほどがいいということではないかと最近思っている。

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2013年7月 1日 (月)

ウェルカム感

 まだ準備中の店に誤って入ろうとしたり、もう入れるかと思って入ってみたら、まだ準備中で入れないというような時がある。

こんなときに、店の人の方の断り方で、その店が客をウェルカムしているかどうかがわかる。
時間前で、ちょっと掃除とかしてますけど、よろしければ中に入っていただいて、お待ちいただけますかという店。あるいは、私一人のために、開店時間を早めてくれたりする店(もちろん一見の客の場合。)。
心の底からまだ時間前で申し訳ないという感じで断ってくる店。なんなら、イスまで出して、準備が店の外で出来るまで待っていただけますか、という感じの店。
 言葉尻では申し訳ないという感じを出しているが、全くウェルカム感がない店。
 準備中なのに、何入ってきてんねんという感じの店。

 お店によっていろいろである。

 時間まで待ってでも、時間を潰してからまた来ようと思える店であって欲しい。
まあ、開店前でまだ仕事モードではないのかもしれないが。

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