報道の限界(福知山花火大会について)
先週6日に福知山花火大会引火爆発事件で被害者参加代理人弁護士として、代表で被告人質問を実施した。
報道では、被告人が謝罪したことばかりが取り上げられているが、私の被告人質問で被告人は以下のような回答しか出来なかったのに、そうしたことはほとんど取り上げられていない。
もう、記者会見とか、対応してやらんぞと思ってしまう。被告人の話よりも、被害者の方の意思を報道する方が大事であろう。
公開の法廷での質問及び回答であったので書くのだが、被告人は、
1、死亡した人の名前も満足にいえなかった。フルネームでいえたのは3名中1名で、1名は名字のみ。1名は名字すらもいえなかった。
2、怪我を負った人の氏名も知らないし、どういう怪我であったかもいえない。どういう状況であるかもいえない。
3、遺族や怪我をした人がどういう状況であるかを知ろうとしたこともない。
4、遺族や怪我をした人の被害感情を逆撫ですることまで思いも至らず当初否認していた。
5、今まで死亡した人や怪我をした人のために何もしていない。
6、私選弁護人や保釈されるよりも先に被害者に一部でも支払おうということは思いつかなかった。
7、裁判が始まり、事件から半年が経過した今頃になって謝罪文を書き始めている。誰に書いてよいか分からなかったというが、起訴状を見れば被害者は一目瞭然である。
当初は手紙を書くのは得策ではないという弁護人の指示に従ったというが、そうであればなぜ今裁判の中で書こうとしているかということとの整合性がとれない。
8、申し訳ないといっているが、具体的に何をするか聞くと、一切答えられない。
9、一生をかけて償うと言っているが、賠償する目処も立たず、将来的にも可能性もないでしょと聞くとこれを認め、具体的な中身を聞くと回答出来ない。
10、保釈されて相当期間が経過しているのに、現場に行って手を合わせたこともない。
という状態であった。報道は、弁護人からの質問ベースで書いているが、こうした私の反対尋問に対する回答も、相当程度入れ込むべきであろう。
もう、報道に協力してやろうという気が失せてしまうような内容であった。
いかに報道がはしょられているか、といういい例である。
以上。
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