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2014年4月30日 (水)

読書日記4月30日

「犬の伊勢参り」平凡社新書。仁科邦男。
 江戸時代、突然仕事も何もかも放り出して伊勢参りに行くという抜け参りというものがあっだが、これは、人のみならず犬も伊勢参りをしていたという歴史的事実に対して、史料に基づいて綿密に考証し、その実体に迫った作品である。
 これは、ものすごくいい本である。こういう本に出会えるから読書は楽しい。
 読んでいて、日本人の心の温かさにほっこりする。
 伊勢参りの犬を故郷に帰してやろうと、犬の首につけているお金にさらにお金を足してやり、村から村まで犬と荷物を送ってあげたなど、本当に心温まる話が満載である。
 ほかの人にも、絶対に読んで欲しい1冊である。

「長篠合戦と武田勝頼」(敗者の日本史)吉川弘文館。平山優。
 武田勝頼は世でいわれるほど愚将だったのか。同時代の戦国武将は武田勝頼をどうみていたのか。長篠合戦における騎馬突撃は後世にいわれるほど無謀な作戦だったのか。鉄砲の三段撃ちは事実か。なぜ勝頼は長篠合戦に踏み切ったのか。
 信頼できる史料に基づいて、語り尽くされてきたはずの長篠合戦をイチから考証する1冊。
 これもまたいい本であった。歴史好きにはたまらない1冊。
 

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2014年4月28日 (月)

とことん考えても駄目な時は、いったん寝かして見る

 事件のことは考えなければダメだが、とことん考えてもいい智恵が浮かばないときには、いったんその事件から離れて、他の事件のことを考えたり、寝かして見るということも大事なことがある。
 寝かして見て、もう一度資料を見ていると、いい智恵が浮かぶ時がある。
 本当にどうしようもない事件は、寝かしてみてもどうしようもないこともあるが。

 仕事はメリハリが大事だと思うので、いつも気を張っていると疲れも出るから、時にはサボることも大事だと思うのである。
 とらわれすぎてもダメだと思うのである。

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2014年4月25日 (金)

遅刻する人

 いつも遅刻をする人がいる。

 スケジュール管理がそもそも甘い場合、のんびりしていて、出かけるのが遅くなる場合、希望的観測で動いている場合、遅刻をすることを何とも思っていない場合等々あるだろう。

 中には、「15分で行きます」とわざわざ電話してきてくれるのはよいのだが、相手に悪いと思って無理な時間を告げるために、こういう人はえてして30分遅刻てやってきたりする。

 遅刻する場合には、30分くらいかかるかもしれません、と長めに言っておいて、15分くらいで来る方が、まだいいような気もする。

 後ろに予定を入れている場合、遅刻して来られると、十分な時間的余裕を持って話が出来なかったりするので、困るのは困るのである。
 予めそういう人だと分かっている時には、後ろの予定はかなり余裕を持って入れるようにはしているのだが。

 私自身は基本的に時間よりだいぶ前についていないと嫌で、早く着きすぎて、あまりに早く行っても相手にも都合があるだろうから、時間を潰していることがあることが多いので、性格的なものなのかもしれない。
 遅刻を全くしないとまではいえないが、普段時間通りの人が遅刻をすると、よほどのことがあったのであろうと思ってもらえると思うが、いつも遅刻ばかりしている人は、よほどのことがあった時でも、そうは思ってもらえないであろうと思うのである。

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2014年4月24日 (木)

運動

 徳川家康が長寿を保てた理由として、司馬遼太郎は、徳川家康は運動の効能と遊女と性交することで性病に罹患するということを知っていたことをあげている(それだけではないが)。
 運動の効能は今更いうまでもないが、弁護士もともすれば不健康になりがちであるので、若手の弁護士も運動はした方がいい(私もサッカーをしているだけなので、自省の意味を込めて書いているが)。
 最近はマラソン部等々が出来て健康的になったが、昔の弁護士は不健康で、だいたい酒の飲み過ぎで数回身体を壊す人が多かった。
 あるベテラン弁護士は、「弁護士は3回死にかけて一人前や。その前にホンマに死ぬ時もあるけどな」と飲み会で言われていた。
 花粉が飛ばなくなるまではサッカー以外は外で運動もしづらいのであるが、もう少し運動しないといけないと思う今日この頃である。

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2014年4月23日 (水)

考える時間

 起案をする前には考えがまとまっていることが理想であるが、そのためには、考える時間が必要である。事務所で空き時間で何もしていないように見える時でも弁護士は考えている時間がある。
 ワーカホリックといわれるかもしれないが、弁護士は常時事件のことを考えていることが多いので(そうでない人もいるが)、事務所を出てからも事件のことを考えていることが多い。
 私は思いついた時に自分のパソコンに携帯からメールを打っておくようにしている。
 私の知人の弁護士は、自宅のあちこちにメモを置いてあり、事件のことで思いついたことがあればメモをするということである。
 この「考える」という作業が大事であり、割と時間もかかるが、事務所で記録を読みながら考えたりだとか、起案をしながら考えているということでは遅いのである。
 仕事が中々仕上がらない弁護士は、考える作業を空き時間にしていないということである。この考えるという時間は、依頼者には見えてこない。
 因果な仕事だとは思うが、若手と議論していて考えていない時にはイラッとすることがある。

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2014年4月22日 (火)

表面をなでるだけのような仕事

 事件というものは個別性があるし、依頼者もそれぞれ異なっているし、相手方の主張立証によって都度事件というものは見直さないといけないものである。
 事件の類型により、この事件はこの程度、この事件はこういう事件だからこういう主張立証といわばルーティンワークのように仕事をしていると、いい結果は出ないと思う。もちろん、必死にやっても結果が出ないこともあるのだが。

 事件の途中で、この事件はこういう事件だからと考えてしまい、思考停止になり、相手方から有効な反証や反論が出ているのに、これに対する再反論や反証も出さないということもあり得る事態である。

 弁護士経験がある程度長くなってくると、事件に馴れてしまい、こうした訴訟活動を行っている場合がある。
 私のボスは、どれだけ訴額が小さい事件でも、常に何とかならないかと考えていたし、今もそうだと思う(ただし、ボスが主任の事件。勤務弁護士が主任はその責任でやるべきという考えだったと思う)。
 絶対的に不利な状況でも事件を諦めないボスのあだ名は不沈艦であった。ただし、ボスのボスから「君は不沈艦武蔵やな」といわれて、横で聞いていた当時の事務局は、「武蔵は沈められましたけど・・・」と思っていたそうであるが。

 こうした、事件に肉薄しない訴訟活動のことを私は「表面をなでるだけの仕事」と呼んでいるが、立派なベテラン弁護士ほど、表面をなでるだけのような仕事は絶対にされないものである。
 中途半端に経験を積んだ時期ほど危なく、表面をなでるだけのような仕事をして、痛い目に遭う。
 もちろん、私が出来ているかどうかはさておきというのは、いつものことであり、人間である以上、気が緩むときもあり、頭をかくこともしばしばである。

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2014年4月21日 (月)

読書日記4月21日

「日本を捨てた男たち」集英社文庫。水谷竹秀。
 日本を捨て、あるいはフィリピン女性にはまり追いかけてフィリピンに行き、そこでお金を使い果たし、日本に帰りたくても帰れない、あるいは自ら帰りたくない男達を描いたルポ。
 フィリピンの低所得者層に日本人男性が食べ物を恵んでもらい暮らしている姿や、フィリピン女性にパブではまり、フィリピンに追いかけていき、帰国できなくなるという実体。
 詳しくは本書を読んで欲しいが、貧富の差が如実に出てきた日本という国の構造的問題なのか、あるいは自らが選んでフィリピンで死んでいく彼ら自身の問題なのか。

「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」文春新書。村上春樹、柴田元幸。
 キャッチャー・イン・ザ・ライを翻訳した村上春樹と、翻訳の校正作業を共にした柴田氏との対談を通じて、「キャッチャー」の本質とサリンジャーについてとことん語り合った作品。
 私は人間が深くないし、文学に造形が深いわけでもないので、二人の対談を読みながら、文学というものはこれほど深いものなのかということで感嘆しきりであった。
 ただ、逆にいうと、文学に対してあまりにも深読みしたり、繊細すぎると、この中で述べられている何名かの人物のように、自らを壊しかねないので、一般的な文学読みは私程度でもよいのかなと思っている。
 村上春樹訳のキャッチャー・イン・ザ・ライを読んだ人で、さらに突っ込んでその世界に浸りたい人には最適だが、一般読者向けではない本。

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2014年4月18日 (金)

電子メール方式

 私の事務所は全ての弁護士にインボックスとアウトボックスを作ってあり、事務局への指示はわかりづらいものを除いて口頭ではしないようにしている。
 ゴム印をたくさん作って、「依頼者に郵便で送る」「FAX→記録に綴じる」「記録に綴じる」「記録に挟む」などなど押すだけで指示がすむようにしてある。
 急ぎのものは急ぎと赤色で書くが、事務局もそれぞれ手持ちの仕事が有るので、一つ一つ読んでこれ記録に綴じといてだと事務局の手間も増えるし、彼女たちの仕事のペースも乱れるため、指示が済んだものはアウトボックスに入れて、事務局が定期的にそれを取り出して、担当に渡して処理をしていくという方式である。
 電子メールのように空き時間に処理をしていくというものである。
 我々が見なければならない書類はインボックスに積み上げられていく。

 双方がボックスに入った仕事をきちんとこなすという大前提が必要だが、この方式にしないと、弁護士が複数いる事務所では成り立たないであろう。
 独立前に読んだノウハウ本にこのやり方が書いてあったので実践しているが、大きいトラブルはない(人間なので多少のミスは私にもあるし、事務局にもある)。
 事務局の仕事の時間も確保出来るので、この方式がいいと思うのであるが、他の事務所の話を聞いていると、中々システマティックにしている事務所は少ないようである。

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2014年4月17日 (木)

混んでいる電車の中でワシャワシャする人

 割合混んでいる電車の中で、乗ってからウォークマンかiPodのコードを出したり、携帯を出したりして、ワシャワシャ動きまくる人がたまにいる。
 隣に立っていたりすると、ワシャワシャ動く度に肘が私に当たったりする。

 迷惑この上ないのだが、電車に乗ってからワシャワシャするようなヤカラであるから、人の迷惑を顧みることはないのだと思う。

 予め、ウォークマンを出してコードをつないでおくという作業は電車を待っている間に出来たであろうに。

 事前準備も出来ないようなヤカラだから、人にかける迷惑も顧みないのである。

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2014年4月16日 (水)

タイミングの悪い電話

 電話というのは相手の都合を考えない連絡手段であると「超・整理法」の野口悠紀夫氏が書いている。
 私も、電話でなければニュアンスが伝わらないものや急ぎのもの以外はファックスかメールで連絡をするようにしている(あるいは、依頼者であれば郵便)。
 

 こちらが物凄くバタバタしているときなど、たまにものすごい悪いタイミングでかかってくる電話がある。もちろん本当に駄目な時は事務員に電話をつながないように指示することもあるが。
 タイミングの悪いときにかかってきた内容が、「今それ電話でいう内容か?ファックスかメールでいいのと違うのか」「また改めて書面でも送りますが・・・というなら書面送ってよ」というような時には、いらつきが声に出てしまっていることもあると思われる。

 タイミングの悪い時は悪いものである。

 以上。

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2014年4月15日 (火)

トイレの消臭剤

 尾籠な話で恐縮だが、トイレをした後、「シュッ」と噴くタイプの消臭剤がある。

 ぼけっとしていて、噴射口が自分の手の方を向いていることはありませんか。

 私はあります。

 その後はしばらく、手が消臭剤の臭いにつつまれます。

 以上です。

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2014年4月14日 (月)

今日できることはしてしまう

 今日出来ることはその日のうちにしてしまう、あるいは、今日しなければならないことはなんとしてもやってしまう、ということも心がけていることの一つである(完全に出来るかはさておき)。
 連絡のタイミングや、書面の送付のタイミングで問題が起こってしまうことがあるのが弁護士の仕事である。
 また、隙間時間を有効に活用して、10分の空きがあるのであればその10分で仕事をしてしまうというのも心がけるべきことの一つである。
 依頼者へ事件の状況を報告するため書面を作るとして、1件あたり10分かかると仮定すると、隙間時間を有効活用すれば、ある程度時間が空いたところで、訴状などまとまった時間がかる書面を作成することが出来る。
 1週間にこうした隙間時間が60分あるとすれば、6つの簡単な報告書であれば書ける訳である。
 逆に、隙間時間を有効活用しないと、金曜日に空き時間が2時間あるとして、6つの書面を金曜日にまとめて書くとなれば、60分かかるため、まとまった時間が60分減ってしまうことになる。
 依頼者や相手方からの電話に対しても、出来るだけその日のうちに対応するようにすれば、後日空き時間を有効活用して書面が作成出来る時間が確保出来る。
 なお、書面を書く際に、書きながら考えるという人がたまにいるが、これは間違いであり、日々あの事件はだいたいこう書こうなどと考えておくべきものである(たとえば、構成だけでも思いついた時にワープロ打ちしておくことも出来る)。
 そうすると、書面を書き出した時には構成は出来上がっているので、表現などを考えるだけで済み、仕事ははかどるのである。
 日々の細かい努力が大事だということである(注 私が完全に出来ているというつもりでこれを書いている訳ではなく、常々書いているが、自省の意味を込めて書いていることに注意してください。)。

 

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2014年4月11日 (金)

また、痛ましい事故が・・・

「10日午前6時55分ごろ、静岡県沼津市松長の県道交差点付近で、登校中だった市立片浜小の児童2人が軽乗用車にはねられ病院に搬送された。5年生の嶌野瑛斗君(10)が搬送先の病院で死亡。4年生の長橋悠月君(9)は軽傷という。

 沼津署は、自動車運転過失傷害容疑で、車を運転していた同県富士市立富士南中の教諭佐野和寛容疑者(29)を現行犯逮捕。調べに「気がついたらぶつかっていた」と供述しているといい、容疑を自動車運転過失致死傷に切り替えて、詳しい状況や原因を調べている。

 沼津署によると、現場はJR沼津駅の北西約4キロにある、信号機のない丁字路の交差点付近。」(以上、4月10日の共同通信のインターネット版から引用)。

 亀岡の事件が起こってからもうすぐ2年が経過する。
 事故の報道に接した時は、重体でいる3名の命が助かることを祈念していた。
 その後、自身がその事件を担当することになろうとは考えてもいなかった。

 その後も、児童の集団登校の列に突っ込むという事故が何件かあった。
 昨日も、このような事故が起こっている。しかも、逮捕されたのは中学校の教諭である。
 現行犯であるから、犯人性は明白であろうと思う。

 やりきれない思いでいっぱいである。この教諭は何をしていたのだろう。
 亡くなられた小学校5年生の男の子の冥福をお祈りさせていただきます。

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2014年4月10日 (木)

人のやらない時に仕事をする

 わかっていても中々出来ないことだが、3月末から4月頭の裁判があまり入らないときに仕事をこなすと、その後急ぎの仕事が入ってきても対応出来る。8月の裁判所が半分ずつ夏期休廷に入る時も同じである。

 3月末から4月頭にかけて、怒濤のように起案をして、控訴趣意書1本(一審は違う弁護士がしていたもので、イチから記録を読まないといけない事件)、訴状2本、答弁書1本、準備書面1本、意見書1本、相続関係の手続書類を大半仕上げるなど、非常にいいペースで仕事が出来たが、わかっていても中々出来ないもので、今回は非常にいいペースであった。

 事務局が私から次々に書面が下りてくるので、困っているだろうと思うが、急に「これ絶対に今日中に出してください」とかいわれるよりはいいだろうといっている。
 他の人がしない時に仕事をするとラクであるが、予定が詰まっていないからといって、フェイスブックをぼんやり見たり、ネットサーフィンをしていたりすると、連休明けとか、4月の提出期限の書面を出す前にワタワタ慌てることになるのとどちらがよいかということである。

 私もいつも出来る訳ではないが、表題のとおりやれば、後がラクである。

 以上です。

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2014年4月 9日 (水)

読書日記4月9日

「城を攻める 城を守る」(講談社現代新書、伊藤潤)。
 単に天守閣が綺麗だとかという城の本ではなく、実戦を前提としてどのような戦いがその城でなされ、どのような構造があって敵を撃退したか等が詳しく述べられている本である。
 筆者は歴史小説家。
 城攻めの描写というのは、中々分かりづらいところがあるので、この本にあるように図示しながら書けばよりわかりやすいと思う。
 戦国時代好きは是非読むべき本である(戦国以外の攻城戦も記載があるが)。

「フラニーとズーイ」(新潮社文庫。サリンジャー。村上春樹訳)。
 村上春樹新訳。
 私は、サリンジャーのこの作品を読んだことがなかったので、新訳が出たので読むことにした。
 キャッチャー・イン・ザ・ライも衝撃だったが(これも村上訳でしか読んでいないが)、この作品も衝撃である。
 村上春樹もいうように、宗教臭さが随所にちりばめられているが、その言葉の巧みさ、会話のウィットに富みすぎるくらい富んでいる会話は、誰もマネしようと思っても出来ないだろう(少し文体は違うが、こんなウィットに富んだ文章を書けるのはチャンドラーくらいか)。
 中身はよく分からないところがあるが、とにかく、言葉というものがこんなにも豊穣であるのかということを思い知らされる作品。

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2014年4月 8日 (火)

えん罪と犯罪被害者

 袴田さんが釈放された。えん罪は罪を犯してもいない人を長期間に渡り身柄拘束し、死刑が言い渡された場合であれば死の恐怖と隣り合って刑務所の中で過ごすため、精神が崩壊する場合もあるということもあり、当然のことながら、絶対にあってはならないことである。

 私のように被害者支援をしている人間からすると、えん罪は、犯罪被害者という側面から見た場合、捜査機関の杜撰な捜査により、真犯人を捕まえる機会を失わせてしまうという側面がある。

 そういう意味で、えん罪によって長期間身柄拘束された人の人生ばかりでなく、犯罪被害者及びその遺族の人生も取り返しのつかないこととなってしまう。

 真犯人が見つかっても、「時効」の壁が立ちはだかる場合があるからである。

 また、捜査機関は今更真犯人を捜すこともしないだろうし、時間の壁がたちはだかり、真犯人を捜査することも不可能となってしまうだろう。

 少し前に読書日記で書いた足利事件のことが一部書かれている「殺人犯はそこにいる」(新潮社、清水潔著)という本は、被害者に焦点があてられているというところが素晴らしいと思う。通常は、えん罪によって長期間身柄拘束された人にスポットが当てられるからである(もちろん、そのことは非常に重要であることは論を待たないが)。
 誤判は犯罪被害者が真犯人に対して被害者としての声を上げる機会も失わしめてしまう。もちろん、被害者がいない事件もあるにはあるが、多くのえん罪を産んだ事件は被害者がいる事件である。
 捜査機関は、誤判がなされた場合には、私的報復が許されない以上、被害者の権利も永久に奪いかねないかも知れないということを肝に銘じて欲しい。

 

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2014年4月 7日 (月)

ベストマザー賞を創設した人の裁判結果。

 以前、逮捕された時に取り上げたが、

「自宅で妻を殴って骨折させたなどとして、傷害罪に問われたNPO法人日本マザーズ協会(東京)会長森松伸治被告(50)に、松山地裁は24日、懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)の判決を言い渡した。協会は著名人から理想の母親を選ぶ「ベストマザー賞」を主催している。

 沢田博之裁判官は判決理由で「約4時間にわたり執拗(しつよう)な暴行を加えており、非常に危険」と指摘。「自業自得とはいえ、代表の地位を失うことが予想され、社会的制裁を受けている」と刑の執行を猶予するとした。

 判決によると、昨年5月26日、妻の顔や腹を殴ったり蹴ったりし、あばらを骨折させたほか、頭に打撲を負わせた。

 協会によると、森松被告は会長を辞任する方針。マザー賞は今年も開催する。」とのことである(以上、3月25日のMSN産経ニュースより引用)。

 逮捕時点では、もちろん無罪推定が働いていたが、判決が出たので書くが、言行不一致の見本のような人である。
 私は仕事以外は欠点だらけであるので、仕事以外のことは偉そうに言えないが、仕事上も気をつけよう。。。

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2014年4月 4日 (金)

4月には電車などで人が増える

 4月には電車などで人が増える。
 春休みということで、平日でも親が休みを取って家族で出かける人もいるようで、そのために混んでいるというところもある。また、寒さがましになったため、家に居た暇な人たちが行楽に出かけ出すというところもあるのかもしれない。
 
 

 学校が始まると、大学生も初めのうちはまじめに学校に行くためか、学生が増える。
 あるいは、まさにフレッシャーマンという感じの新入社員も電車に増える。

 そのため、電車がいつもより混んでいる気がする。

 しかし、ゴールデンウィークが終わった頃、あれだけ居た学生や新入社員を見かけなくなる。
 学生は、4月でだいたいの感じを掴んで、授業をサボり出すのかもしれない。
 新入社員は、5月病で会社に行けなくなったりしているのかもしれない。

 私は会社員ではないが、毎日仕事で通勤するので(朝から現地に行ったり、違う裁判所に行くこともあるが)、代わり映えせずせこせこと通勤する。
 ある程度時間が経つと、電車を待っている人はいつものメンツに戻っている。
 消えた人たちはどこに行ったのであろう。

 春うららかな日に考えたりするのである。

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2014年4月 3日 (木)

地下鉄にて

 地下鉄などだと、横に長いイスに座る。JRでもそういうタイプの車両はあるが。
 この長いイスに隙間があって座れるかなと思って近づいても、座っている人どおしが微妙に間を空けて座っているため、人一人座るのには狭いということがよくある。
 詰めて座りましょうと書いてあるのだが、日本人は身体が密着するのを嫌うため、間を空けるのであろう。

 オバサンなどだと、「すいません」といいながらお尻でグイグイと座って横に移動させるというワザを使う人もいる。
 あるいは、詰めてもらえますかと言って詰めてもらう人もいる。

 何となく、そこまでして座りたくないので、そういうことはしない。

 また、電車で並んでいると、席を取るために人を押しのけて走ってまで座る人もいるが、走る元気があるなら立っていてもいいだろうと思うのは私だけであろうか。

 以上です。

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2014年4月 2日 (水)

裁判官の差による後遺障害の有無・・・

 頭の痛い問題であるが、裁判官によって事案の見方や証拠の見方が異なるのは仕方がないが、それがあまりにも差があるとげんなりする。

 自賠責で非該当や、14級であった事案が裁判官によって和解や判決で12級となることはざらにあるものだが、自賠責通りの判決や、保険会社の主張をなぞっただけの判決を見ると本当にげんなりする。
 ある裁判官だと、私の見立て通りで、違う裁判官になると全く違うというのでは、事案の見通しが立たないのである。過去に見立てが誤っていたことはほとんどないので、どちらが間違っているのかという気にさせられる。

 高裁でひっくり返る保証もないので、つらい一審判決をもらうと後がつらいのだが、高裁で頑張るしかない。過去には、高裁で逆転して、それをその裁判官の事件で証拠提出したこともあったが、そうなればよいのであるが。

 いわゆる赤い本を見ていると、保険会社側が作成した意見書が横行した時代は、むちうちによる後遺症が減ったという統計があったということであるが、時代の流れとともに人間の首が強くなった訳でもなかろうという記載もされていた。
 後遺症は法的判断であるとはいえ、証拠的に見て、私からすれば過去の事例では後遺症が認められるという判断で提訴をしても、ある裁判官だと後遺症を認定してくれて、違う裁判官になると後遺症はなしということになると、繰り返しになるが、見通しが立たないのである。

 被害者寄りかそうでないかというところもあるだろうが、痛いから通院するというのが合理的と言ってくれた裁判官も過去にはいたし、基本的に詐病のような証拠でも出ない限りは、そのように見るべきであろう。

 頭が痛い今日この頃である。頭が痛いのでまとまりもない。

 以上。

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2014年4月 1日 (火)

Mini_140331_0826庭の盆栽の桜が咲き出した。

風が強い日があったので、折れたり散ったりしてしまうかと思ったが無事であった。

これは、吉野桜である。

今年は、長く保ちますように。

来年も咲きますように。

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