祇園の作法
テレビで夜の祇園の作法というものをやっていた。
店全体を見て褒める。器を褒める。吸い物の食べ方はこうだ・・・。
この点について講釈する人が解説しているのであるが、本来、そういう作法というのは、自然と訪れた客が気づいたところを感想を述べればいいものであり、祇園では「こうしなければならない」とされると、余計に祇園に行きづらくなるのではなかろうか。
店に入って、店の作りやしつらえがいいなあと思えば自然に褒めるだろうし、器が素晴らしいと思えば、自然に器を見るのではなかろうか。
焼き物の知識はここを押さえろというが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉もあるように、何でもがんじがらめにしてしまうと、もっとも大事なことを忘れてしまうように思われる。
粋になろうとしすぎているあまり、不粋の極みになってしまっているような話であった。まあ、テレビである以上、仕方がないのかもしれないが。
私などは、素人である以上、ある程度抜けていてよいと思っているし、物を知らないことでお店の人との会話もまた楽しめる時もある。
たとえば、バーであまりにもお酒を知らないのもどうかというところがあるが、酒の知識をバーでマスターなどにひけらかすなどはどうかというような話である。
粋とは何か、私がよく行く祇園のバーのマスターに今度行ったら聞いてみようと思うのである。
たとえば、バーであまりにもお酒を知らないのもどうかというところがあるが、酒の知識をバーでマスターなどにひけらかすなどはどうかというような話である。
粋とは何か、私がよく行く祇園のバーのマスターに今度行ったら聞いてみようと思うのである。
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