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2015年5月29日 (金)

 司馬遼太郎の峠(新潮文庫)を読み始めている。
まだ上巻を少し読み始めたところだが、非常に心打たれるフレーズがあったので、以下に引用する。

 「志の高さ低さによって、男子の価値がきまる。このこと、いまさらおれがいうまでもあるまい」
 …中略・・
 志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある、という。
 以上、引用終わり(新潮文庫版、司馬遼太郎、峠、上巻より)。
 仕事をしていく上で、弁護士も志が必要である。
 そして、その志を貫くためには、常に普段の自己規律が必要であるといえる。
 日々の何気ない自己規律の繰り返しでもって、弁護士としての志が守られるといえる。

 ガンで身体中の痛みに耐えながら尋問事項を病室で考えていた先輩のH先生、ベッドごと事務所に運べと死ぬ間際まで言っていたN村先生の生き様は弁護士としての自己規律に貫かれていたであろう。
 
 さすが司馬遼太郎である。司馬遼太郎の作品は人生において読まなければならない作品の一つである。

 人間というものは、安きに流れるものである。
 私も人間として、仕事中、通勤途中で読んでいた破格に面白い本の続きが読みたいという欲求や、この程度でいいかなと思う弱い気持ちやその他の誘惑に負ける気持ちが出てこないわけはない。
 それをぐっとこらえて、不断の自己規律によって、依頼者のために仕事をするというのが重要なのであろう。

 私が出来ているかどうかはともかく、いいフレーズに出会ったと思う。
 出来ているとはいえないが、出来るように努力しよう。
 私の名前には「志」が入っているので(時々、歴史の史にされたり、間違われるが、中隆志の「シ」はこころざしなのである)、よりそう思った一文であった。
 やはり本はいい。

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2015年5月28日 (木)

私1人だけ・・・

 先日、日弁連の法律相談センターで懇親会があり、そのときの写真をメールで送っていただいた。

 その写真を見ると、私1人だけ顔の色が違う。
 私1人だけ黒いのである。

 サッカーで焼けたのであるが、私は眼鏡もかけておらず(裸眼)、ネクタイもしておらず(ノータイ)、しかもシャツのボタンは2つ開けている(ノータイの時は二つ開けている。一つだと首回りがきついのである)。

 バッジをしていなければ、弁護士には見えないであろう。

 今後、夏が本格化して更なる黒さを親友の吉田誠司弁護士とともに深めていくことになれば、さらに弁護士には見えなくなるであろう。

 以上です。

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2015年5月27日 (水)

サザンオールスターズのセットリスト

 以下、サザンはどうでもいいわいという人は読まないでください。 

 先日、サザンの葡萄の旅大阪公演に行ってきた。
 桑田さんがラジオでもコンサートでも言われていたが、「今はすぐにセットリストをネットで公開して、しかもこの部分は要らないとかいう」と言われていた。

なので、セットリストは公開しないが、年越しライブにも行き、その他のライブもライブビューイングやDVDも見たので私なりの感想をいうと、葡萄の旅に関しては当然ニューアルバムからたくさん演奏されるのは当然として(桑田さん自身ラジオで言っているし)、一般的には、

1、誰もが知っている有名な曲をする。これはシングルでかなり売れたもの。
2、アルバムの中でファンに比較的人気がある曲をする。
3、原さんは必ず一曲歌う。
4、あまり売れなかった歌や、アルバムの中でもかなりマイナーな曲をする。
 の4構成で成り立っているように思われる。
1はサザンのことをあまり知らない人でも楽しめる。友達がチケットあるし、サザンのことは売れたシングルくらいしか知らないという人のため用(もちろんコアなファンも喜ぶ)。
2は比較的ライトなファンのための曲。サザンのことは物凄い売れたシングル以外知らない人にとっては詰まらないが、サザンを愛してくれている人のため用といえようか。
3はアルバムでも原さんの曲は必ず1曲入っているので、これは定番であり、だいたいみんな喜ぶ。
4は、サザンが売れなかった時代や、売れなかったシングルでも買って聞いてくれた人のために、コアファンサービスであると思う。
 私などは、周りで「サザン最高やな」とか言っているヤツラが、知らない歌が始まってとまどう姿に密かにほくそえんでいる(性格が悪いのである)。

 このように、桑田さんはサザンのファンでもなく偶々会場に来た人からコアファンまでに気を遣っているのだと思う。すごいファンのことを考えているのだと思われる。
 一曲一曲歌う度に、たいてい、「ありがとー」とけっこう大きい声で言って終わるが、ファンを大事にしている姿勢だと思っている。あれはあれで、30曲を超えて毎回やっていると、喉には負担のはずである。
 曲中、「ありがとなー」と言うときもあり、桑田さんの人柄であると思う。
 また、コアファンのためだけではなく、やはり作詞作曲家として、自分が作った歌には愛着があり、売れなかった歌にも日の目を見させてあげたいという気持ちもあるのかなと思う。ただ、一部「NUDE MAN」の中のプラスティック・スーパー・スターのように、「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」(新潮文庫)の中で、「こんなことをしてしまった自分が恥ずかしい」という趣旨のことを言われている曲もないではない。
 
 マイナーな話が続いて恐縮でアル。
 で、私などはサザンのコアなファンの1人だと勝手に思っていて、実際、マイナーなシングルまで全て持っていた(レコードで持っていて、CDで後に買い直した)。
 さすがに全ての曲をカラオケで歌うことは不可能であるが(難しくて歌えないものや、さすがに聞くと知っているがいざ自分で歌えといわれると無理なものも多少ある)、たいていは歌える。
 コンサートの一曲目などは、「ここでこれを持ってくるか・・・」という曲であり、ライトファンならあまり知らない曲であったろう。坂本九さんの「スキヤキ」にちなんでアメリカでも発売されたはずだが、あまり売れなかったと記憶している。
私はこれが発売された時、レコードで買って、歌えるように練習したので、今でも歌える。
 この曲のあと、英語の曲をいくつかソロで歌われていた。ホール&オーツと歌った歌のテレホンカードが自宅にある(確かコカ・コーラのプレゼントであたったのである)。
 私なりの勝手な考えであり、桑田さんとしては他の崇高な考えがあるのかもしれない。
 間違っていたらすいません、桑田さん。
 学生の頃はお金がなくていけず、若い頃は仕事が多忙すぎていけず、今も仕事がヒマではないが、サザンのコンサートに行くヒマとお金程度はあるのがありがたい。
 会場でもっとも多かったのは、私と同じ40代であった。
 以上です。

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2015年5月26日 (火)

また児童の登校列に自動車が・・・

 先週日弁連に出張していたので週末にまとめて新聞を読んだところ、20日の読売新聞夕刊に豊中で児童の登校中の小学生の列に乗用車が突っ込んだという記事が掲載されていた。小学生ら5人が重軽傷を負い、1年生の男児(7歳)が頭を強く打って意識不明の重体だという。

 亀岡事件の被害者の事件を担当している弁護士の1人として、こうした事件に接する度に、暗たんとさせられ、また、怪我を負われたお子さんの親御さんたちの心痛を考えると、いたたまれない気持ちになる。

読売新聞によれば、被疑者は「ちょっとぼーっとしていたかも」という話をしていたということであるが、怒りがこみ上げる、いや、怒りしかこみ上げない話である。

 こうした事故が起こる度に、小学生の通学路について、出来るだけ車道がない道を選ぶとしても限界があるだろうから、子どもたちの危険を少しでも除去する手段が取れないものかと考えてしまうのである。

 重体となられているお子さんの回復と、怪我をされた方々の回復を心からお祈りいたします。
 そして、加害者は適切な処罰を受けるべきである、と思う。

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2015年5月25日 (月)

読書日記5月25日

「本で床は抜けるのか」西牟田靖。本の雑誌社。
 多くの本を所有するライターの筆者はアパートの一室を自宅とは別に借りていたが、その床が抜けるのではないかという思いから、重みで床が抜けた事例や、どうすれば抜けないかということを調査しはじめる。
 途中で違う話も入るが、私も自宅に多数の本があるので、大変興味深く読んだ。
 当たり前のことだが仕事が優先なので、本は余暇に読むので(仕事の調べものは別)、読みたい本が増えるばかりで読書が追いついていないのだが、床が抜けるくらい本を所有してみたいとこの本を読んで思いを強くした一冊。中々面白い。

「探検家の憂鬱」角幡唯介。文春文庫。
 探検家でありノンフィクションライターの筆者のエッセイ集。
この人の作品は全て破格に面白く、多分全て持っている。
 自分では探検に行けない私は、こうした作家の話でもって探検心を押さえつけるほかない。

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2015年5月22日 (金)

虹の橋

 うちの女性弁護士に教えてもらい、「虹の橋」という絵本を買った。
 亡くなった犬や猫は、あの世とこの世の境の虹の橋で、他の犬や猫たちと幸せに暮らしながら、ずっと飼い主を待っているという話である。飼い主が来たら喜んで飛んで行き、一緒に虹の橋を渡るのである。

 小次郎も待っててくれるといいなあ。

 本日は起案日としてある程度予定を空けている。多少は訴状等が書けるであろうか。
 ベッドごと事務所に運べと言って亡くなった中村先生や、痛みに耐えながらベッドで尋問事項を作っていた原先生のように恥じない弁護士でいたいと思うのである。

 立派に弁護士としての人生を私が全うして、人生の終わりが来るその日まで小次郎に虹の橋で待っていて欲しいのである。

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2015年5月21日 (木)

声がれ

 先日、異業種交流会の講師にとてつもなく偉い耳鼻咽喉科の先生が来ていただいて、表題の話を聞いた。

 細かい話を除くと、風邪などで声が嗄れているのは当たり前の話であるが、2週間以上続く声がれであれば、すぐに病院に行った方がいいということであった。
 その先生は、人の声を聞けば、だいたいどういう病気になっているかが分かるということであった。
 そして、2週間以内であればだいたい予後がよいということであった。

 この話を聞いて、私の師匠の一人かつ飲み友達であった中村利雄先生は病気が発覚する相当前から声が嗄れていて何度も病院に行くように言っていたが本人がいうことを聞かなかったことが悔やまれてならなかった。
 私も声が嗄れて、それが2週間以上続くようなら、とりあえず病院に行くようにしようと思ったのである。

 しかし、とてつもなく偉い方は、やはり話をさせてもらっていても非常に温和で楽しい人であり、偉そうにしている人はたいしてえらくないのだということをまたもや感じさせてくれる人柄の方であった。
 弁護士にも、そういうのは多いけど。

 以上です。

 

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2015年5月20日 (水)

犬の寿命

 先日、小次郎が亡くなってしまったが、私にとっては仕事が第一、依頼者が第一であるので仕事は普段と変わらずしている。
 また、そうしないと小次郎も天国で笑ってくれないであろうと思うからである。
 むしろ、いつもよりも集中して仕事をしているかもしれない。

 小次郎は13歳で亡くなった。犬の平均寿命は12~14年と書かれていたりするので、だいたい平均的な寿命ではあったということになる。そういう意味では早死にできないのであるが、やはり私としては出来るだけ長生きして欲しかったのである。
 私が悪いのだとも思うが、死ぬような兆候は直前までないと思っていたので(今にして思えばあれがそうだったのかと思うこともある)、急死という感覚が消えない一方で、「ああしてやればよかった」「こうしておくべきだった」という思いが消えない。

 小次郎は入院する前日の朝まで、散歩の時も自宅に居る時も元気に歩いて飛び回っていたのであるが、周りでもっと老犬っぽい老犬が散歩をしているのを見ていたので、もう少し老犬のようになってから弱るのだと勝手に思っていた。
 先日も書いたが、物凄く明るい性格の犬は、心配をかけまいとして、身体がつらくともいつものように振る舞うのだということを獣医から聞かされ、そんなことしなくていいから長生きして欲しかったと思う半面、そのいじらしさというか、自分を捨てて喜ばせようとしていたことにまた涙がじんわりしてくるのである。

 いつか別れが来ることは分かっていたものの、最低でも20年は生きて欲しいと思っていたのであるが、犬は最高でどの程度まで生きたかを調べてみると、29歳という記録があるようである。どの程度まで信頼出来るかは私としても分からないが、こういう記録を見ると、小次郎には30歳まで生きて欲しかったと思ってしまうのである。

 人間も死ぬ年齢には個体差がある(生き方にもよるだろうが)ように、犬にもあるのであろう。
 小次郎が来た時期に金魚すくいで取ってきた金魚はほとんどが早く死んだが1匹だけは未だに水槽で元気で泳いでいる。どの生物にもある程度の個体差はあるが、自分のところだけは長生きして欲しいというのは人情であろう。

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2015年5月19日 (火)

電車にて

 先日、サザンのコンサートに行くためにJRに乗っていると、私の周囲が外国の人だらけで、英語、中国語、インド系等々様々な言葉が飛び交っていた。
 私の向かいには彦根城で刀のおもちゃを買って大事に抱え込んでいる18歳くらいの男の子が居た。

 まるで、私が外国に来たかのようである。
 ひょっとしたら私もインドネシア人くらいには見られていたかもしれないが。。。
 日本へ観光に来る外国人が増えているというのは、京都に居ると実感するが、こんなところでも国際化していた。

 円安がいいのか悪いのか、経済人でない私にはよく分からないが、観光客は来てお金を落としていくのはよい一面なのであろう。

 以上です。

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2015年5月18日 (月)

読書日記5月18日

「天下 家康伝」(上)(下)日本経済出版社。火坂雅志。
 歴史作家の著者が「新しい家康像を描いた」という自負でもって描いた作品。
 残念なことに、非常に限られた枚数で家康の生涯を書こうとした為に、非常に薄い内容となってしまっている。最初の方と後ろの方の月日の立ち方がえらくアンバランスである(後ろに行けばいくほど端折られている)。体調を壊して亡くなられたので、健康上の問題があったのかもしれないし、元々の連載予定が短くなってしまったのかもしれないと思っている。
 その意味で、読むのを進められる作品とはなっていない点が残念である。
 家康を描いた作品としては、津本陽の「乾坤の夢」司馬遼太郎「覇王の家」「関ヶ原」「城塞」にまさるものはないと痛感した次第である。

「池澤夏樹個人編集 日本文学全集13 樋口一葉 夏目漱石 森鴎外」
 池澤夏樹氏は世界文学全集を刊行した後、日本文学全集を刊行しているが(世界文学全集もある程度買い込んだが、中々読めていないが)、その中の一冊。
 明治時代ということで3名の代表的な作家の作品が一つずつおさめられている。
 まずは樋口一葉のたけくらべであるが、これは作家の川上未映子氏が現代語訳している。恥ずかしながら、樋口一葉のたけくらべは読んだことがなく、今回現代語訳で読ませてもらった。
 夏目漱石の三四郎は大学時代に読んだ為、20年以上を経て読んだら筋を綺麗に忘れてしまっていた。記憶力のなさに愕然としたが、かえってそのために初めて読む感動とともに漱石を読めた。
 現代の我々がそれなりに日本語で文章をかけるのは漱石の功績であり(司馬遼太郎のエッセイで書かれている)、漱石を読まずして日本語は語れないと思うのである。
 三四郎の恋はどうなるのか。明治という時代を感じられる作品で、是非読んで欲しい。
 40を過ぎてから文学を読むということは素晴らしいと痛感した。
 森鴎外の青年は夏目漱石の三四郎に対抗あるいは刺激を受けて書かれた作品で、設定などが極めて似ているが、主人公は三四郎とは全く違う行動を取っている。
 是非読んで欲しい一冊である。

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2015年5月15日 (金)

小次郎、本日逝去いたしました

 うちの小次郎、火曜日の夜から体調を壊して水曜日から入院しておりましたが、心不全のため、本日正午近くに逝去いたしました。
 小次郎にコメントをいただいた皆様、今までありがとうございました。

 少し前に、医者から少し心臓が悪いと言われておりましたが、13歳という年齢的なものもあり、加齢によるものと言われており、薬を飲む以外に特別な治療はしておりませんでした。
 火曜日の夜から呼吸をするのが苦しくなったようで、ゼイゼイいっており、火曜日から水曜日にかけては私もリビングで小次郎の様子を見ながら仮眠をしつつ朝まで様子を見ていましたが、水曜日に入院し、心臓が肥大しているということで治療をしており、来週には自宅に戻って通院治療をしつつ様子を見ようという矢先、本日正午前に容態が急変し、永眠いたしました。
 医師によると、相当前からしんどかったはずだが、性格が明るいため、しんどさを外に出さず、「大丈夫」という感じでいつもと変わらず振る舞っていたのだろうということです。
 火曜日の朝には、朝に散歩に連れて行き、散歩に行く前は早く連れていけという感じで走り回っていたので、まさかこんなことになるとは思っていませんでした。
 食い意地が張っていたので、夜、私が晩酌をしながら少量の乾き物を食べていると、「おくれ」という感じで下からずっと見上げていて、その目に負けて少し乾き物をあげると「はぐっ」とくわえてお尻をフリフリして持っていっていた姿がもう見られないのは本当に寂しい限りです。
 私のスリッパを枕にして寝ていた姿ももう二度と見られません。
 パピヨンの平均寿命は12~13年ということでしたが、私としては最低でも25年は生きてもらって、ギネス記録を更新して欲しかったのですが、それもかなわぬこととなりました。
 自宅で眠るように棺の中にいる小次郎を見ていると、起き上がってしっぽを振ってくれるのではないかと願ってしまいます。
 昨年から、非常に親しかった弁護士の知人を一人失い、また今年に入り先月にも師匠の一人と仰ぎ、飲み友達を自負していた弁護士の先輩を失い、失って初めてわかるものがあるということをこれだけ痛感させられた1年は今までありませんでした。
 当たり前のことがどれだけ大事なのか、この気持ちを忘れないようにしたいと思います。
 今まで思い出をありがとう、小次郎。
 安らかに眠ってください。
 
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司法修習生の就職場所

 弁護士の数が増員したことにより、過疎地で開業する弁護士が増えたと言われることもあるが、それだけでは中々過疎地の弁護士は増員はせず、日弁連が貸付制度(一定の条件があれば返済免除)を作って過疎地で開業しやすくしたり、ひまわり公設事務所という制度を作って公設事務所が地元に定着するなどしたこともあり増員してきているという側面がある。
 そして、そのお金がどこから出ているかというと、私を含めた会員の会費から出されている。どこかからお金をもらっている訳ではなく、蛸が自分の足を食べているようなものである(こういう制度は他にもある。犯罪被害者支援の被疑者段階など)。

 医者でもそうなのだが、何かこういうインセンティブを与えないと、地方に人が流れて行かないという側面があり、東京・大阪に集中してしまうと思う。
 食えないということで弁護士を廃業する弁護士が出ていたり、収入がほとんどない若手弁護士などという記事をよく読むが、敢えて東京や大阪で即独をするという選択肢をしている人がそうなるのを見ていると、何故競争が激しい地域で登録をするのだろうと思ってしまう。

 先日聞いた話では、過疎とまではいかないがそれほど弁護士が増えていない地域で独立した若手がものすごい売上をあげているケースもあるようである。これなどは、登録する地域の選択で成功した例であろう。もちろん、全ての若手がそうした地域に行くようになれば、経済規模が東京・大阪とは比較にならないから事件も枯渇するだろうが、中々そのような話があってもそうした地域に行かないから、登録する地域を十分リサーチするというのも大事なことのように思われる。

 東京で日弁連の会議に出て、会合や宴会などで日本全国の状況を聞いていると、情報量も増えて様々な話を聞くことが出来るのだが、これなどもその中の一つである。
 ある地域の先生は、「けっこう大変大変と言われているけど、うちの単位会はそんなに困っていると聞くことも全く無いし、そんなに危機感もないし、おとぎ話のような単位会です」ということも言われていた。

 京都弁護士会は、前にも書いたが人口比が日本第三位で、しかも京都市内に弁護士が集中していること、隣接単位会がマンモス単位会の大阪であることからすると、弁護士が生き残っていくための競争率は私は勝手に日本で一番だと思っている。
 修習生が京都で就職を探していると聞くと、こういう話をして、他でリサーチした方がいいというが、だいたいの修習生は聞くフリをして聞いていないのである。

 私はもう京都で20年やっていて、京都弁護士会が好きであるし、何とか事務所を経営しているのでそれなりにお客さんもいるから、京都を離れてどこかに行くというようなことは考えないのだが、これからの人はもっと登録する場所というのを考えた方がいいと思うのである。

 

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2015年5月14日 (木)

新幹線にて

 新幹線のグリーンに乗ると、おしぼりがもらえる。けっこう厚手でしっかりしたものである。
 ちなみに、赤井英和は、新幹線のおしぼりをきちんと持ち帰り、自分の部屋の引出に大量に貯めているとのことである(ずっとおいておくと湿り気がなくならないのか心配だが)。

 先日、グリーン車が混んでいて、隣にオジサンが座っていた(私もオジサンであるが、ともかく私よりオジサンということである)。
 オジサンは、おしぼりを取り出すと、顔を拭きだして、それで首筋も拭きだして、挙げ句の果てはシャツの中に手を入れて腋を拭いていた。
 横でガチャガチャ身体を動かすため、どうしても視界に入るのである。

 ここは風呂屋ちがうぞ。

以上です。

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2015年5月13日 (水)

普段着

 普段着で弁護士が集まる会合に出ることがあるが、男性弁護士の普段着も様々である。

 とりあえずスラックスにジャケットの人。オジサン弁護士に多い。しかもスラックスもジャケットもなぜかくすんだ色。
 何か小洒落た服装の人。雑誌に載ってそうな格好の人(多分雑誌そのままか、服を買う店でコーディネイトしてもらったのではないか)。私学出身に多い。
 ジーンズに適当なシャツかトレーナーの人。大学の頃から進化していない。京都大学出身に多い。
 突き抜けてジャージかサッカーの格好だったり、リゾートファッションの人。←私。

 
 スーツは男性を三割増しで見せるというが、普段着の弁護士に会うとよくよくそれが分かるのである。
 普段着を着る機会が少ないのと、最悪相応の場所に行かなければいけない場合にはスーツを着ればよいわいという意識があるため、普段着はほぼ適当な私である。

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2015年5月12日 (火)

嵐のコンサートによる学会の日程変更

 表題のような記事を見つけた。
 日本質的心理学会の学会が当初予定していた日程を嵐のコンサートと重なるため、日程を変更したというものである(引用はリセマムより)。
 ネット上では賛否両論らしい。

 私はかつて、弁護士会で福岡に調査旅行に行こうとした際、嵐のコンサートと重なっており、ホテルが満室でスイートルームしか空いておらず、そこに皆で泊まるかと検討したところ、一泊50万円もするのに泊まるという決断は出来ず(当たり前か)、日程を変更したことがある。

 このことで、嵐の人気はすごいと思い知らされたのであった。

 今回も、学会をするにも、宿泊施設は嵐ファンで満室であろうから、宿泊場所がないのであろう。
 宿泊したら食事もするであろうし、ついでに観光もしたりするかもしれない。
 嵐のコンサートはすごい経済効果であろうなと思うのであった。

 ジャニーさんのアイドルを見る目ってすごい。

 弁護士もそれくらい人を見る目があれば仕事もラクなのだが。

  特にオチはないが、以上です。

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2015年5月11日 (月)

衣替え

 衣替えの時期だが、朝晩が肌寒いので夏物スーツに入れ替えるかどうか悩ましい。
 真冬用のスーツはさすがに着ないが、冬用のスーツで朝晩はちょうどよい。逆に昼間は暑いので、どちらに合わせるかということになるのだが。。。

 一度衣替えをすれば、クリーニングに出したスーツは冬まで着なくなるので、重大な決断である。

 シャツ一枚で歩いているサラリーマンもいるが、朝晩寒いであろう。
 皆さんは、もう衣替えしましたか。

 以上です。

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2015年5月 8日 (金)

本当に元は野生の血が入っているのか小次郎

 連休中、疲れて昼寝をする小次郎。こやつにオオカミの血が入っているとはとても思えない。
 無防備そのものである。
 山にいたら、すぐにやられるであろう。
 ワンコにも色々苦労はあるのかもしれないが、これで生きていけるというのも羨ましい気がしないではない。かわいいと得である。
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2015年5月 7日 (木)

読書日記5月7日

「薩摩夜叉雛」文春文庫。津本陽。
 津本陽の剣豪小説。主人公は架空の人物であるが、中村半次郎や西郷隆盛も出てきて、なんとなく本当にこういう人物が居たのではないかという気にさせられる物語。
 全く肩が凝らないこういう作品を連休などでは読みたくなる。
 戦いの描写は剣道の有段者である筆者ならではの非常に緊迫したもので、これだけ描ける作家を私は他に知らない。

「地方消滅」中公文庫。増田寛也編。
 日本の人口がこのままでは減少の一方をたどり、ゆくゆくは東京ですら消滅するという衝撃のレポートに基づいて対応策を書いた新書。
 出生率だけを見ているだけでは真実は分からない。
 このままでは高齢者も減少に転じて、日本の多数の自治体が消滅してしまうという。
 対応策が書かれていたが、今の政権でこのような長期の視野で対応が取られるのかどうか。
 人口が減れば税収が減り、消費も減る。法曹人口を増やしても、人口が半分になれば法的需要も半分になるであろう。
 こうした視点をもって、マクロに全てのことを議論しなければいけないと感じさせれる一冊。
 是非読んでいただきたい一冊である。

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2015年5月 1日 (金)

連休に入りますが、当事務所は暦どおりです。

 表題のとおりです。
 11連休を取られる人もいるやに聞きますが、当事務所は暦通りです。

 連休中も起案をするために多少出勤するのがたいていの弁護士でありますが、私もそうなりそうですが、事務所は閉めております。
 お急ぎの方は、事務所のメールにご連絡ください。
 メールはたいてい見ております。
 皆さん、よい連休を。

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