ボタンを噛む小次郎
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タクシーが客待ちしている間、ドアをあけているが、あれはやめた方がいいと思うのである。
先日、タクシーに乗ったところ、首筋が急にこそばくなったので、手ではらいのけると、大きな蛾が飛んで窓のところにとまった。
仮面ライダーのドクガンダーという怪人のモデルになったと思われるかなり大きい蛾であった。
窓を開けて出て行くように追い払おうとしたが、蛾はどこかに飛んでいって、車内のどこかに隠れたようであった。
夜だったので、光のあるタクシーの車内に入り込んだものと思われる。まさか虫を愛ずるタクシーの運転手でもあるまいと思うからである。
別にライダーに出てくるドクガンダーと違っておそらく毒はないと思うが(チャドクガだと毒があるので要注意である)、蛾に触られるのは嫌なので目的地に着くまでは蛾が飛び立たないことを祈るしかなかった。
幸い、蛾はどこかでなりを潜めたようで、その後現れなかったのだが、ドアを開けていたせいで蛾が入り込んだことを注意してあげようと運転手さんに降りる時に言おうとしたが、そのタクシーは私が降りるとすぐにドアを開けて走り去ってしまった。
運転中に、ドクガンダーのモデルとなった蛾が運転手さんに恐慌をもたらさないか心配となったが、直ぐに走り去られてはどうしようもない。
冷房も逃げるし、お客さんが来てからドアを開けてもいいと思うのであるがどうであろう。
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電車に乗っていると、大学生くらいの二人組で、一人が携帯ゲーム機を持ってゲームをしていて(ゲーム機にはイヤホンが接続されていて、片方をもう一人が耳に入れていたりする)、ゲームに関して話をしているのがいることがある。
こういう大学生の話をする内容というのは、たいてい横で聞かされていると本当に詰まらない内容である。ゲームの内容であったり、本人同士にしか分からない冗談であったりである。
この手の学生は、電車から降りると、地下鉄に貼ってあるアニメっぽいポスターを「盗んじゃえよ。部屋にはっちゃえよ」と言ったりしていることもある。
私もゲームはするが、総体としては読書をしている時間が圧倒的に長い。
大学生の頃も移動の間は可能な時は読書をしていたものである。
せっかくの大学生活なのだから、移動の間は本を読むとか、もう少し有意義に使えないかと思うのである。
またタイプは違うのだろうが、企業の面接で、携帯が鳴り出して、その電話に出て、面接官を待たせたあげく、普通に「どうぞ」という学生がいるともいう。
幼稚化しているというのか、なんというのか、夏の終わりにオジサンは嘆かわしい気持ちになるのである。
以上です。
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「江戸城大奥列伝」講談社文庫。海音寺潮五郎。
江戸城の大奥での争いが表の政治にどれだけの影響を与え、その結果がどうであったかを描いた作品で、一つ一つの出来事に海音寺が評価を下しており、読み進めるたびにうならせられる。海音寺の史伝の真骨頂である。
それとともに、徳川将軍の権力が強大になっていく課程も描かれている。
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左の肩が痛い。
何もしていないと痛くないが、上にあげると痛く、しばらく上げていると痛くなり、たとえば事務所の机で椅子を倒して仮眠をするのに、両手でイスの背もたれを両手をあげて持っていると、起きた時に左肩がかなり痛く、左手がしばらく痺れるという状態である。
サッカーのPK戦の時に、肩を組んでいると左肩が痛いのである。
9月で45歳になるので、四十肩ではなく五十肩なのであろうか。
経験のある先輩弁護士に聞くと、「ある時突然治る」ということでその日を待っている。
特に日常生活には問題がなく、以前40を過ぎた時に右肩が痛かったが今は痛くないので、そういうものだろうかと思っている。
8月も終わりに近づき、怒濤のように裁判が入っている9月がやってくるが、肩が痛いのが現在困っていることである。
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ある法科大学院生が自らの法律論を批判されたことに腹を立てて、その相手方の交際女性の名誉を毀損するビラ(AV女優志望、SMパーティ開きますなどと記載したとある)を張った疑いで逮捕されたという記事に接した。
さるところで聞いた話では、裁判官が何を書いてあるのか分からないので若い弁護士に聞くと自分が批判されたと思って怒り出す人がけっこういるという。
この法科大学院生の記事が真実だとすると、そうした一部の若手弁護士の自分に対する批判を受け付けないというか、経験も実力もないのにプライドだけは高いというか、そういう資質が何となく見えてくるように思うのは私だけであろうか。
裁判でたまに、「自分の主張を認めない相手方の態度はけしからん」と怒っている代理人がいるが、依頼者が傍聴席に居て依頼者向けにポーズを取っているのであれば分からない事もないが、まさに主張に対立があるからこそ裁判になっているのであって、そこを認めないから怒るというのは裁判制度の否定ではないかと思うのである。
そのような時は、「まさにそこが争点で、裁判官によってこれから判断されることがらであるので、自らの主張が正しいとしてそのような態度を取られても、こちらとしては前提が異なるとしか言いようがない」と回答するほかないであろう。
相手には相手の立場があるのであり、それに腹を立てるのではなく、主張と証拠に基づいて、自らの立場の正当性を裁判所に理解してもらい、勝訴判決を得れば済む話ではなかろうか。
えてして、こういう場合、相手の主張がすんなり通らなかったりするのもまた真実であったりする。
何故にこのような事態になっているのかと思うと、暗然たる気持ちにさせられる今日この頃である。
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庭でショウリョウバッタの幼生が跳ね回っている。
水まきをすると、あちこちでピョンピョン跳ねている。
野菜の葉もかじっているようであるが、他の害虫に比べるとほとんど被害は与えないらしいので、庭の草を食べて無事に大きくなって欲しい。
9月くらいになると、10㎝くらいの大きさのショウリョウバッタがのっそりと草のところに居て大きさにぎょっとする。
最近読んだ「ハケンの麻生さん」というモーニングに連載されていた漫画は現代版虫愛ずる姫君のような話であるが(単行本1巻絶賛発売中)、麻生さんならきっと喜ぶであろう(日常の何気ないことを切り取って短い話にまとめているところが非常にうまいマンガである興味のある方は是非一読いただければと思う。講談社から何ももらってませんが)。
夏の暑さも少しましになってきたが、秋の過ごしやすさもあまりないまま、今年も冬に入るのだろうかと思いつつ、夏休み返上で起案中である(間に合わないのである)。
以上です。
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証人尋問をしていると、証人又は本人が話をしているのに止める弁護士がいる。もちろん、反対尋問の場合である。主尋問の時に、本人又は証人がてんぱってしまい、聞かれていないことまで答えて何に答えているか分からないようになってしまっている時に止めることはまあ誰でもある。
基本的には話をしているのに止めるというのはルール違反であるし、尋問技術などの本を見てもよいとは書いていない。
特に、不利な話が出てくると止める弁護士がいる。
こんなのは、「そこ、私にとって不利だから、いわんといてえ」と明らかにしているようなものである。
そうすると、止めた尋問については、再主尋問でこちらが聞くことになる。
家で会話をしているのではないから、基本的には敵性証人でもじっと答えを最後まで聞いて、それから次の質問に移るのがルールだと思うのである。
確かに、「何いうとんねん、こやつ」と思うこともあるが、そのまま話をさせていると自分で自分の首を絞めるようなことを言い出すこともある。
尋問を止めるのは、裁判所としてもあまりいい印象は持たないようだし、実際に、「話を続けてもらってください」とたしなめられている代理人もいる。
不利な事が出てきても、平静な態度を取っている方が、訴訟戦略上も得策だと思うのであるがどうであろう。
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弁護士が代理人として行った訴訟活動が相手の名誉を毀損するものだとして、後に賠償責任が認められるケースがある。
私も過去何度かそういう書面が相手から出されて、その都度指摘して、撤回させたり、裁判所がその部分を陳述扱いさせないという対応をされたケースがある。
私は個人的には激越な言葉は準備書面には不要と思っている。
私が相手に指摘する際に参考にしているのは、「弁護士の役割と倫理」(商事法務、中央大学法科大学院教授・弁護士・日本弁護士連合会綱紀委員会委員長を務められた田中紘三 著)であり、同著では、相手方弁護士の法的主張を酷評する場合には,名誉毀損の弁論に近づいているとされている。
同著では、一例として、相手方代理人の法的主張に対して、「無礼」「笑止千万」「知らぬ顔の半兵衛」「詭弁」「蛙のツラ」等をあげている(同著357頁)。
事件をしていると、こういう表現を多用してくる書面に出会うことがままある。
裁判官と話をしていると、こういう表現がされていると、やはり当該書面に対していい感情は抱かないし、単に読みづらいだけであって、無用であるという意見を持たれている。
同じことをいうにも、表現のしようがあるだろうと私も個人的に思っている。
この手の表現が多用されていると、それだけで書面が長くなったりするので、依頼者からタイムチャージで費用を取るため、長くするために書いているのかという疑念をもつこともある。
裁判上無意味であったり、名誉毀損になりうるような表現は用いるべきではない。場合によれば代理人の懲戒事由にもなる。
えてして、この手の書面は大げさな表現を取り除くと、半分程度の長さで済むような内容であることも多い。
裁判官からしても、無用の記載があると、重要なところの見落としがあるかもしれない。
若い弁護士がこうした表現を好む傾向にあるが、激越な表現は自信のなさのあらわれととられることもあることに注意をした方がよいであろう。
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「騙されてたまるか」新潮新書。清水潔。
殺人犯はそこにいるを書いた筆者による「調査報道」の裏側、あり方、姿勢について書かれた新書。
裏取りを入念に行い、真実か否かを見極め、報道しなければ社会がそれを犯罪であったり問題としないものをあぶり出す過程が克明に書かれている。
筆者の報道をきっかけに制度が変わったり、処罰されなかった被疑者が処罰されたりというすごい結果を出されている。
成功例だけでなく、マスコミの失敗例も書かれていて、非常に公平な書籍であるという印象を受けた。
法律には限界があり、我々法律家が立法活動を行っても中々進まないが、やはり、ペンの力は強いということを実感させられる好著である。
「司馬遼太郎短編全集2」文藝春秋。司馬遼太郎。
これも2巻目なので、司馬の初期の短編集である。
司馬のすごいところは、一つの短編に仕上げるために、どれだけの史料を読み込んでいるのか、と思わせるところである。
架空の時代小説であろう・・と思いながら読み進むと、史料に基づいた小説であったりする(もちろん、史料には自ずと限界があるから、そこを小説家がふくらませる訳であるが)。
短編の中では、武士として名をあげられなかったが、壺で名をあげた豪のものの悲哀を描いたものに惹かれるところがあった。
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依頼者の人には弁護士がしている仕事の内容が正確に理解出来ないことも多く、我々弁護士仲間からはバカにされ、仕事はずさんで、書面もムチャクチャで、いい解決をしたことをほとんど聞いたことのないような弁護士にも依頼者がいる。ちなみに、こういう弁護士は裁判所の評判もものすごく悪い。
しかし、仕事ができる(事務遂行能力)のと、依頼者を獲得してくる能力(営業力)とは全く別ものなので、営業力だけはあるが、仕事がダメという弁護士は割合いる。
我々からすれば、「なんであんな弁護士に事件依頼がくるのか」ということがたまに話題に上るのである。
もちろん、両方が備わっている弁護士がもっともよいのであろう。
誰がやっても勝つ事件もあるが、こういう弁護士は誰がやっても勝つ事件で勝った時に、鬼の首を取ったように依頼者に結果を吹聴しているのではないかと思われる。
弁護士によって結果に差が出る事件で差が出ても、中々それを弁護士の力量によるものであると依頼者に説明するのも奥ゆかしい弁護士はできないであろう。
依頼者ウケするような行動はうまいのだが、中身が伴わないような訴訟活動をしている弁護士の姿を見ると、「恥ヲシル」ものが「士」であるという認識を持っている志のある弁護士からすると、なんだか違うよなあと思うのである。
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火曜日にフランスから弁護士が京都に遊びに来た。
サッカーのつながりで、京都のキャプテンの方に「京都でご飯を食べたい」とメールが来たそうである。
しかし、英語が話せるキャプテンはアメリカに居たため、同じ事務所の中国語が話せる弁護士がそのセッティングを全て任せされたのである。
英語も中国語も話せない監督兼選手の私は、せっかくフランスからサッカー仲間兼弁護士が来るのであるから歓待してやろうと思い、中国語を話すことができる弁護士にチーム内でせめて英語ができる選手たちを呼び寄せるよう指示を出したのであった。
2人の弁護士は刑事弁護士で、ポジションはミッドフィルダーということであった。カタコトの英語で多少会話をしたが、聞く方はある程度何とかなっても、話すのが難しいことを実感した。サッカーの話から日本文学の話、フランスの弁護士事情まで、お盆前の京都は盛り上がりを見せた。
1次会は二条繁栄会界隈ではきっての名店「融通」。中村利雄先生に焼酎の水割りを献杯したことはいうまでもない。
2次会は祇園のもっとも優雅かつ有名なバー「にち」。なお、昼間はカフェでかき氷が有名であるが、夜はかき氷はない。私のホームグラウンド2軒でフランス人弁護士を歓待した。アウェイの京都ではあったが、2人はきっと喜んでくれたはずである。
若い頃であれば、面倒がって行かないでカンパだけしていたであろうが、40も半ばになると、何でも見てやろう、経験してやろうという気持ちになってきた。
この2人に刺激を受けて、夏の後半戦も頑張っていきたい。
※ 写真をつけたいところであるが、プライバシーの問題もあるので、記事のみとさせていただいた。
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小学生の時は夏休みの宿題は大半を一週間くらいで片付けて、後は和歌山の父の故郷で釣りをしたり、川で泳いだりして夏を過ごしていた。
自由研究と絵をかくくらいを残して先に仕上げていたのである。
時は流れ、弁護士になっても夏休みの宿題はある。
裁判所が夏期休廷の間に、時間をもらった準備書面を書くのである。
あるいは、複雑な訴状などをこの期間に書く。
ということで、長期間の休みなどを取ったことはなく、裁判が休みの間に毎年せこせこと書面を書くのである。
弁護士の仕事はアリの性質がなければできない仕事であろう。
きりぎりすのように、夏の間遊ぶこともできない。
裁判官も似たようなもので、きっと夏休みとはいえ、判決の起案をしているはずである。
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当事務所は毎年のことですが、お盆休みはありません。
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「蟹工船・党生活者」新潮文庫。小林多喜二。
いつか読もうと思っていたのだが、この度読了。私は全く左翼ではなくノンポリなのだが、何となく時代背景を考えると、ものすごい闘争の時代があったのだと思わせられる。
人の命を命とも思わずブルジョワだけが栄える仕組みを描く蟹工船。子どもたち(男)が大人の性欲(男)のえじきになり、金を稼ぐつもりで乗った船で実は乗っただけで借金を背負わされている。凍える海で蟹を潰す-。
今の世とかけ離れた世界とも思うが、きっと借金が払えず、過酷な働かされ方をしている人は今でもいるだろう。
小林多喜二は、党生活者の小説さながら、警察で拷問されて死んだ。山田風太郎の人間臨終図鑑を思い出した。
「サキ短編集」新潮文庫。サキ。
ピース又吉が選ぶ20冊の中の一冊。
ユーモアと風刺が効いた作品集であるが、中には意図がよく分からないものもあったし、試みが失敗に終わっているのではと思われる作品があった。
短編というのはそれほど難しいものであろう。
くすりと笑える作品と、ブラックユーモアが効きすぎた作品とが混在している。
出任せをいって混乱に落とし入れる若い女性がたくさん出てくる。
夏の読書にはちょうどいいかもしれない。
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相談で、たまに既に弁護士に依頼しているが、その弁護士のやり方に不満があるとしてセカンドオピニオンを求められることがある。あるいは、他の弁護士に相談もしているが、何となくその弁護士の説明がしっくり来なかったので、他の先生の意見も聞きたいという相談もある。
既に弁護士を依頼されている人の場合、多くは弁護士側に問題がある。何をしているのか依頼者に状況の報告もなく、問い合わせをしても回答が全く来ないということが多い。
弁護士の怠慢で、請求出来た、あるいは回収できたはずのお金の回収が不可能となっていることもある。
あるいは、通常の弁護士であれば、弁護士がサジェストし、弁護士側で書類を作成するようなものまで、依頼者に作成させている、あるいはさせようとしているケースもある。
書類作成が素人では分からないから弁護士に依頼しているのであり、何の為の依頼かこれでは分からないであろう。
弁護士も医者と同じで、弁護士によってずいぶん差がある。
結局、セカンドオピニオンを求めに来られて、前の弁護士を断って、私のところに依頼したいということでそのまま依頼に至るというケースもある。
紹介者がいたりして、その人の顔も立てないといけないので、その弁護士とよく話し合うという人もあるが、報告がなかったり、回答がない人というのはそうそうそのあり方が改善されるものではないから、結局事件は進まないであろう。
もちろん、過大な要求を弁護士にしているケースもあり、「そこまで求められても弁護士はできません」という相談であることもある。
他の弁護士に相談しているという人の場合でも、「いやいや、その弁護士の説明は間違ってるで」という場合もあれば、ご本人が求めていることが過大であり、「それはどの弁護士に依頼しても結論は変わりません」ということもある。
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暑いですね。
表題のとおりです。
急ぎの方は、事務所に連絡いただければ、少しのタイムラグで連絡はつきます。
ただ、きっと日本の夏は、インドとかのように、日中は活動してはいけないレベルに突入している気がしますので、みなさん、熱中症にはご注意ください。
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自宅用のノートパソコン(日弁連など出張にも持っていく)が1週間ほど前からまた具合が悪かった。
更新をするとその後具合が悪くなるので、変更を加える前のポイントまで戻ることにした。
そうしたところ、修復しますかというのが出てきては「修復する」を押してもまたその画面に戻るということを繰り返すようになった。
何とかWindowsの画面に戻ることができたが、今度は全てのアプリケーションを開くことが出来なくなった。
スマホでネットで調べたところ、Windows8.1に変更すると、このようになってしまうPCが1000台に1台あるなどと書かれている。
修復するには、私の手元に届いた状態にPCを戻して、イチからソフトを入れ直すしかないということである。
結局、土曜日は1日これで潰れてしまった。
事務所のK弁護士から顧問先の件で急ぎで対応して欲しいと連絡が入っているということでPDFでFAXを送ってもらったが、スマホからではうまく見られず、結局、見られたのは夜の10時過ぎであった。
12時間ほど修復にかかったことになる。
Windows8.1にしてから、ソフトが起動しなくなったりろくなことがなかったので、これを機会にWindows8のまま使用することにした。
事務所のWindows7は何の問題もなく起動しているので、こういう不具合をみると、何故Windows8にしなければならなかったのかと大いに疑問である(XPにしても同じ。安定していたものをなぜ変えるかなと)。
7にダウングレードしているPCがネット上ではまだあるというのがよく分かる(ただ、値段は高くなる)。
懇意にしているバーのオーナーが、Windows10にしたところ、インターネットエクスプローラーが開かないと嘆いていたが、マイクロソフトは何をしているのかといいたいのである。もちろん、これを聞くと10にアップグレードしようと思わない。
だからといって、マックは使いこなせないのでマックに移行もできない。
Xpの時のように、ウインドウズ7が使えなくなる日は、マイクロソフト社からユーザーが離れていくような気がしている真夏の1日である。
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「オバマ大統領は黒人か」新潮文庫。髙山正之。
週刊新潮で連載されているエッセイの文庫版で、書いてあることはかなり前の話なのだが、非常に示唆に富むことが書いてある。筆者は保守派とされ、かなり口調が激烈であるが、しかし、裏付けを取り、周辺諸国や左翼に対する批判を展開していく。特に朝日新聞は滅多切りである。私も個人的に知っている朝日の記者はともかく、朝日新聞だけは取らないと決めている。
共感できないところも多々あるが、内容は面白い。
保守的思想から興味のある人は是非。
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先日、頼んでもいないのに、「暑中見舞い広告を発注したでしょう」という電話がかかってきた。
前日に事務員が同じ名称の会社から電話を受けており、不在ということで明日かけるというメモが置いてあった。
「私は発注などしていないし、あなたと話をするのも初めてですが」というと、前日私と話をしたという。
前日は、私は集中証拠調べに行っており、私を含めて男性弁護士は全てその尋問に行っていたので、男性と話ができるわけもない。
しかも番号を見ると、非通知であった。
法律事務所に広告の押し売りをして、通用するなどと思っているのであろうか。
おめでたい詐欺会社である。
話をしている途中で、「切りますよ」と言って切らせてもらった。
アホの相手をするほど、私はヒマではない。
以上です。
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