相手にすると嫌な弁護士
勝手に分類するシリーズであるが、相手にすると嫌な弁護士にも色々な類型がある。
2、全く準備も何もせず、ただただ時間が無為に過ぎていくタイプ。解決に対する考えもなく、単にズボラであるタイプ。最終的に依頼者に解任されたりして、さらに時間が無為に過ぎていくことがある。
ただ、2のタイプの中には分かってやっていて、相手が根をあげるのを待っているというタイプもあるので要注意である。
以上。
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勝手に分類するシリーズであるが、相手にすると嫌な弁護士にも色々な類型がある。
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たまに間違ったメールの宛先に気づかず、そのまま投稿してしまう人がいる。
私はしたことはないが、しょっちゅうしている人がいる。
たとえば、弁護士会のメーリングリストに依頼者への事件報告をしてしまったり、依頼者との日程調整を投稿したりなどするのである。
事件報告などは守秘義務との関係で極めて問題である。
自戒を込めて、メールの宛先には要注意である。
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記録をよく検討もしないで、毎回の期日で深く考えもせずに、思いつきで物をいう裁判官がたまにいる。
そして、次回期日では全く正反対のことを平気で言ったりするのである。
こういう裁判官は、どういった判決を書くのか分からないので、双方の代理人が不安になる。変な判決を書かれるよりは、双方の代理人が通常の見識のある代理人同士であれば、和解してしまった方がいいと考えて和解することもあるが、それはこの裁判官が優れているからではなく、むしろ逆である。
また、偶々自分に有利なことをいわれたことを記憶している代理人は、その思いつきの指摘に乗っかり、和解すべき事案でも和解ができなかったりする。
その場その場の思いつきで事件に対して裁判官が意見を述べるのはいかがなものかと思うのである。
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「京都ぎらい」朝日新書。井上章一。
京都の嵯峨出身の筆者が、洛中の京都人が周辺の京都出身の人間を差別しているということを指摘し、それに絡めて歴史的事実やなぜ洛中の京都人が偉そうになってしまったのかなどとつづるエッセイである。
私など京都で弁護士をしているが、大阪生まれの大阪育ちであるので、京都に対して苦手意識や上に見るという意識は全くない。洛中の人がそのような意識であるかどうかもよくわからないところがあるが、中々に面白い本であった。
「山怪 山人が語る不思議な話」山と渓谷社。田中康弘。
各地で聞き取った山にまつわる不思議な話をまとめた一冊である。
ほとんど民話のような話もあるが、リアリティーがあり恐ろしい話がある。
狐や狸に化かされたという典型的な話から、山中でナビが狂いだしてそのとおりに進んでいるとどこに連れて行かれるかわからないという何となくゾッとする話もある。
怖い話が苦手な人には向かない一冊であるが、忘れられた日本の原風景が描かれているような気もする。
山で1人でいることがこの本を読むと恐ろしくなると思われる。
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まだ受けていない人のためにも書くのだが、今週に入りインフルエンザの予防接種を受けた。
過去に2回かかったのだが、40歳になるまでかかったことがなく、主治医の先生に予防接種を勧められても、「私はインフルエンザにかからない遺伝子をきっと持っているんです」と言って断っていたところ、見事に40歳になってかかってしまった。
そのときは前にも書いたが、「今までインフルエンザをバカにしていて、本当にすいませんでした」と心から謝るほどつらかった。
翌年は予防接種をしてかからなかったが、その次の年は「前にかかったのはきっと何かの間違いだったのだ」と都合よく解釈してしまい、その冬は見事にインフルエンザにかかった。
それ以降、毎年予防接種を受けるようにしている。
今年は4種類のワクチンのようである。
もちろん予防接種をしていてもかかる時はかかるようであるが、一応できるだけのことはしないと仕事にも支障を来すので、毎年しているのである。
まだ受けていない人、予防接種に行かないでいいですか。
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先日会食をしていたら、事務所を出ても事件のことばかり考えているという弁護士がいた。
ベテラン弁護士であり、弁護士としても脂が乗っている世代である。
私も事件のことは頭にあるし、全く考えないかというとそうでもないし、かつては終日考えていた時代もあったのだが、最近は意識的にきれいさっぱり忘れるようにしているし、時には明日の1日の予定をすっからかんに忘れている時がある。もちろん、寝る前に手帳を見て、朝の予定は確認するが、手帳を見るまで忘れていることがある。
仕事に対して真摯であることと、仕事にとらわれてしまうこととは別のように思えてきたことがあるし、仕事から離れる時間を作らないと頭が疲弊して、よりいい仕事ができないように思えてきたからである。
電車に乗っている間は本を読んでいるし、自宅に戻ると小次郎(二代目)が愛情120%で飛びかかってくるし、1日の終わりにはウイスキーを飲みながら録画したサッカーを見ていると、仕事のことを考えている時間があまりないのである。
その代わりに事務所にいる間は事件に集中しているので、帰宅する頃には頭が疲弊して物が考えられないというところもある。依頼者のために何ができるかを事務所にいる間は常に考えているのは相応にトレーニングされた弁護士と変わらないであろう(もっとも、機械的に処理して何も考えていない弁護士が多数いることは間違いないが)。
仕事から離れる時間を持つことも大事だと思うのであるが、どうであろう。
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「眠れる美女」新潮文庫。川端康成。
海に近い家で男性としての機能が無くなってしまった老人が全裸で薬によって眠らされた若い女性と一晩寄り添って過ごすというアブノーマルな話である。
死にゆく老人と若い女性のコントラストと、しかし若い女性は薬によって眠らされているのでその若さを感じることができるのは肌や息づかいだけである。
生と死を対比させているような作品であると感じたが、腐臭を放つような作品でもある。解説は基本的に読まないことにして自分で作品を考えるようにしているので、的外れかもわからない。
その他二作品が収められている。
「宗教と日本人 司馬遼太郎対話選集8」文春文庫。
司馬遼太郎の対話選集であり、日本人と宗教のあり方が対話される。
日本人の土俗宗教の考え方や、宇宙から地球を見て神の存在を体感し、その後の人生が変わってしまった宇宙飛行士の話が語られる。
日本人と西洋との宗教に対する立ち位置の違いも語られ、知識の整理になることは間違いがない。
対話されたのは、最後の対話でも1996年であるが、その中身は今でも新しいままである。
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日弁連から表記の冊子が届いた。
確かに、弁護士の仕事は精神的にすり減ることも多く、精神疾患を発症して休業せざるを得ない人も多いので、こういう冊子は必要である。
うつ病チェックと、メンタルヘルスチェックというものがあったので、チェックリストにどれだけ該当するかやってみた、一つも該当するところがない。
時々、昼寝しすぎて寝られないとか、サッカーで身体がオン状態になって寝られないということはあるが。。。
とりあえず、現時点では今の私には必要がないもののようである。
その方がよいのであるが、あまりにものんき過ぎるのもどうかと逆に悩んでしまった秋の1日である。
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先日、弁護士会のある会派に講師として招かれて、日弁連で作成した「法律相談センターの再生のために」という冊子をもとに全国的な法律相談センターの現状や、京都の現状について話をしてきた。
講演というのは難しく、どの程度の知識を有している層をメインに据えるか悩ましいのである。
法律相談センターについて造詣の深い会員もいれば、全く知らない人もいるためであり、これはほかの内容の講演でもかわらない。
講演を聞いていて、非常にうまいなあと思わせる弁護士もいれば、そうでない人もいる。
私としても講演を聞いてもらって、「うまい」「わかりやすい」と言ってもらえるような講演をしてみたいものであるが、講演には中々慣れず、どの程度みなさんに喜んでもらえたかが講演をするたびに気になっている今日このごろである。
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自宅も事務所も本であふれかえっており、判例雑誌などは事務所内に置くスペースがないのでマンションを一室借りている。
小説やノンフィクションだけでなく、マンガもけっこう買うので、これの置き場にも正直困っているのが現状である。
アマゾンで、電子書籍を購入して、PCで読むと、思っていたよりはストレスがない。
小説などの読んだ本は手元に形として置いておきたい(希望としては、蔵書数万冊とかになりたい)ので、せめてマンガはこれからできるだけ電子書籍で読もうかと思っている。
アマゾンのキンドルという書籍リーダーを買うかどうか(値段はたいしたことないのであるが)、悩んでいる秋の1日である。
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訴訟前に交渉していて、しばらく返事がないと思っていると、突然、依頼者から「裁判所から書類が届きました」という場合がある。
私の場合は、交渉していて、その内容で交渉が難しく、打ち切りする場合には、交渉は打ち切らせていただくことと、訴訟提起することを相手に文書で連絡する。
その上で、訴訟提起したら、相手方代理人にまた文書で連絡するようにしている。
これが普通の礼儀ではないであろうか。
私の方の依頼者からすると、交渉していたはずであるのに、突然裁判所から書類が届いて驚くことになる。
私は、「私であれば連絡をするけど、中にはこういう弁護士もいます」と説明するが、やはり依頼者からすれば、何の連絡もなしに一方的に自分の中で交渉を打ち切り、訴訟提起されたことについて、更なる怒りが沸くようであり、話合いに適する事件でも和解しづらくなることもある。
やれやれである。
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「八甲田山死の彷徨」新潮文庫。新田次郎。
八甲田山で日本陸軍が対ロシア戦争のために雪中行軍の演習を企画する。
二つの聯隊がそれぞれ行軍するのだが・・・。
高倉健主演で映画化もされた表題作。
大自然の猛威の前に、あまりにも無知なためほぼ全滅してしまう聯隊と、無事に行軍するもう一つの聯隊を比較対照しながら、これが人災であることを思い知らされた。
「司馬遼太郎短編全集10」文藝春秋。
豊臣家の人々の中では、やはり宇喜多秀家に思いを寄せてしまう。
公達として秀吉に育てられた秀家が、関ヶ原で没落し、その後は八丈島で窮乏して暮らす。
しかし、秀家は長生きし、家光の時代まで生きた。
その他も秀作が多く、珠玉の短編集である。
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10月の土日サッカー大会でサッカーを晴天の下でした結果、尋常でない黒さになった。
この時期なのにこれだけ日焼けしたのは私だけであろう。
共同で事件をしている弁護士と打合をしていたところ、「中先生の黒さが気になって打合に集中出来ない。松崎し○る並ではないですか」と言われてしまった。
2回目に会う依頼者にも、「別人かと思いました」といわれる始末の黒さである。
この時期に皮が剥けたのは私くらいではないであろうか。
猟師のような顔色をしているが、デスクワーク中心の仕事をしています。
いや、ホントに。
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50歳まであと5年であるが、私よりも年上のゴン中山さんは現役復帰し、キングカズはゴンさんよりも年上だがまだ現役である。
もちろん鍛え方が違うのであるが、今回サッカー大会に参加してフルで出て、今後どう過ごすかを今考えている。
法曹サッカー大会は弁護士になって20回とも参加しており、選手として出られなかったのは右膝半月板を傷めていた1回だけで、他の19回は全て出場している。
過去には優勝した時に決勝ゴールもあげて、それで一度は満足したのであるが、このままのんべんだらりとあまり走れないまま下り坂でよいのかという気がしてきている。
もう一度鍛え直して、若かりし頃に近づいて見る努力をして悪あがきするか、あるいは、このまま「もう歳だしな」と諦めて無理のない範囲で参加し続けるか、今悩んでいるのである。
きっと、鍛えた方が健康にもいいだろうし。
以上です。
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親知らずを抜歯した後、歯茎から小さい骨のようなものが出てきた。
ネットで調べてみると、骨が歯茎から出ることは普通によくあることで、そのうち吸収されたり、自然に取れるということのようである。
あまりに気になる場合には、歯医者で削るらしい。
何が出てきたのかと焦るが、最近はネットで歯科医の方が患者からの相談を聞いて回答するサイトがあり、直ぐに調べられる。
便利になったものである。
ダイヤルアップ時代では、ネットに接続するだけで物凄くイライラしたものであるが。
我々弁護士の法律的知識も、ネットに氾濫しているが、それぞれの事件はネットで書かれているものとは事実が微妙に異なるから、法的紛争はやはり専門家に相談していただいた方がよいと思うのである。
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土日は松島で全国大会であった。
前日入りして近くの居酒屋でみんなで食事をしたのだが、この居酒屋が抜群に美味かった。
しめさば、鯨の鹿の子握りが特に美味しく、さすがに海が近いだけのことはある。
皆翌日の試合に備えてほどほどにして寝た(少なくとも私は)。
翌日の朝朝風呂に入ると、松島湾が露天風呂から一望できる。素晴らしい景色を見てテンションもあがる。
1、初戦 東京A
翌土曜日は優勝経験が何度もある東京Aチーム。開始早々に元U-15日本代表だった修習生に抜け出されて失点。やはり彼のスピードとドリブルはすごい。その後も彼にサイドを深くえぐられマイナスのパスから豪快にミドルを決められ失点。もう1点多分彼に決められた。
しかし、我らがマスターズのエース大阪の福田選手に左サイドから市原選手のぴったりのバス。これを受けて反転しながら福田選手のシュートが決まる。
ただし、その後1点を奪われて1-4で敗戦。しかし、U-15とはいえ元日本代表がいる優勝候補東京Aから1点を奪ったことは大きい。また、一方的に攻められるだけではなく、攻撃できる時間帯もあったのは収穫である。
この試合でマスターズの中盤の要の秋重選手が負傷。天使のナース平林弁護士に付き添われて病院に。益々センターラインが手薄となり、45歳であるにも関わらず、私がポジション的にフル出場が決定した。。。
2、2試合目 名古屋2
名古屋2というが、64期以下で構成されていて、ほぼ少し前の名古屋の主力級選手ばかり。前半は球を回され苦しい展開。結果的には2-0で敗戦したが、この試合も攻撃できる時間帯もあり、攻められてばかりの初日というイメージからは前進した今年のマスターズであった。
3、2日目初戦 九州選抜
今年の東北のレギュリーションで5位リーグは20分1本が2回。試合数が減ってしまった。開始早々に赤井選手の判断ミスからキーパー堀田とお見合いになり、相手にがら空きのゴールに蹴り込まれて失点。これで負けたら赤井選手は数年立ち直れなかったところであるが、救世主K修習生の見事なゴールで同点に。ほぼ攻め続けて、西田選手の惜しいシュートは枠外。西田選手、ヒーローになりきれず。九州選抜のゴールは遠く、1-1でタイムアップ。15分ハーフであれば、もう1点はもぎ取れていたであろう。前日札幌と飲みたいという理由で、朝ゆっくりしたいから1試合目には行かないという橋詰選手を欠いた試合であった。
4、最終戦 東北連合B
こちらの試合もほぼ攻め続けたが、フル出場の福田選手の足も重くなり、惜しい場面は多々あったものの、0-0でタイムアップ。これも15分ハーフであれば1点は取れていたであろう。
ヤングもそうだが、レギュレーションに泣かされた今年のマスターズであった。
結果、5位リーグは全てのチームが同率であったが、東北は得点が0なので最下位に。九州選抜との順位決定戦はジャンケンとなった。
ここで私が指名したのは先ほどヒーローになりきれなかった西田選手。見事、西田選手はジャンケンに勝ち、マスターズは無事19チーム中17位を死守した。
マスターズが初日属したリーグはかなり厳しいリーグであり、対戦相手も強豪ばかりであった。昨年は11位であったのに、なぜこのリーグかという疑問もある。
ただ、最近の全国大会の傾向からすると、来年の東京大会でマスターズが勝利するためには、マスターズの選手といえど日頃から練習に来て連携を取ることや、距離的に練習に参加できない選手は日頃から地元で鍛錬しつつ、合宿には顔を出してコンディションを監督に見せないと、出場機会がなくなっていくと思われる。当然、私も含めて。
京都のヤングチームはリーグ戦を4-0、2-0と快勝したが、リーグ戦2位以内に入れば優勝のチャンスがあるという変則的なレギュレーションのため、他のリーグ2位の大阪1と20分1本で対戦。
ほぼ圧倒したが、ゴールが決められず、0-0のままPK戦へ。惜しくも敗戦し、5位トーナメントに回った。
翌日も名古屋1チームを圧倒した京都1は1-0で勝利。5位6位決定戦では、人数が少なかったため、連戦の疲れが出て、2-0で敗戦した。
ある程度の人数を揃えるのも今後の課題であろう。
来年は東京開催である。
元気に試合に出られるよう、1年間精進したい。
非常にいい会場で、いい雰囲気の中サッカーをさせていただいた東北連合チームのみなさん、ありがとうございました。
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「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実」早川書房。リチャード・ロイド・パリー。
日本でホステスとして働いていたルーシー・ブラックマンが失踪し、その後遺体で発見されるが、彼女の死の真相を書いたノンフィクション。
事件だけでなく、ルーシーの家族の関係が描かれる。
このような事件では、被害者がどんな人物であったかは書かれず、専ら事件に即して描かれることが多いが、筆者はルーシーという一人の女性がどのようにして生き、なぜ命を絶たれねばならなかったかというところまで掘り下げて書いている。
裁判用語には誤訳も見受けられるが、まあ仕方がないところとしよう。
好著である。
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花粉症はスギとヒノキだけに反応していたのだが、今年からどうやらイネ科の花粉にも反応するようになってしまったようである。
春にもらったアレグラがあったので飲んでいるが、さほど効果がない。
花粉が飛び始める前に飲まないといけないのに、症状が出てから飲んでいるからであろう。
朝小次郎(2代目)を散歩させているサイクリングロードがあるのだが、その横はイネ科の植物がびっしりと生えているので、マスクを忘れて散歩すると戻ってから目も痒く、鼻水がダラダラである。
ワンコには花粉症はないのであろうか、小次郎(2代目)は、散歩の楽しさが分かってきたようで、草むらの中に顔を突っ込んでフンフンと臭いを嗅いでいる。
おしっこをチャーッとして、マーキングもするようになった。
自転車が怖いので、自転車で通学する学生を見るとこの世の終わりのように吠えまくる。
今年は秋があるので涼しくてよいのであるが、秋があるということは秋に花粉を飛ばす植物も飛ばせる期間が長くなるのではなかろうかと思っている。
この私のアレルギー体質、何とかならないであろうか。
きっとフィリップマーロウには花粉症はないであろうな。
一週間の始まり、頑張っていきましょう。
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この土日は全国法曹サッカー大会in松島である。
全国から19のチームが集まり、覇権をかけて1円にもならないトロフィーのために争うのである。
京都からはヤングチームとマスターズチームの2チームが出場するが、私は当然マスターズである。優勝は狙っておらず、楽しく、そして勝てればいいというチームの方であり、ヤングは毎年優勝を狙っている(ここ長らく優勝できていないが。また、最近は毎年優勝チームが変わるほどの激戦である。)。
マスターズチームはボランチを担当する主力選手の1人が運動会で黄色い声援に張り切って走ったところ肉離れを起こし涙の離脱をしており、ゴールキーパーの1人もフットサルをしていて膝が外れたなどと言って来ないので、暗雲ただようが、何とか勝利してきたい。
私も先週末に発熱してから体調がイマイチであるが、何とか勝利に後見ではなく貢献したいと思っている。
本日の午後から不在となります。
行って参ります。
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7月から私の主治医の先生が検査入院をされるというので、いつもより大目に薬を出してもらっていたところ、一度退院されたようだが、その後また入院され、入院が長引くというので、病院に電話を入れたりして再開を待っていた。
そうしたところ、先日、先生が9月4日にお亡くなりになられたというハガキが自宅に届いた。
68歳という若さであった。
病名は何であったろうか。7月に最後の診察をしてもらった時にはお元気そうであったのに。
ご自宅も知らず、医員も閉鎖されたので、弔意を示すこともできない。
先生は、滋賀県の瀬田の駅前で開業されていた方であった。
私が独立してほどなく喘息発作を起こし、一時は救急車で病院に運ばれるほどであった時に、近くの大きい病院の呼吸器科に通った。
そこの診察では、全くよくならず、挙げ句の果てに、「心臓ではないか」「いや背骨が曲がっているせいではないか」と言われ、私の方は医療の専門書を読み込み、その知識でもってそこの若い(おそらくは大学から派遣されている)医師に「このような治療法もあるようだが」というと、「医師がいっているのだから、それに従いなさい」と強い調子でいわれて、「この病院では殺されてしまう」と思い、医者側の代理人をしている弁護士に滋賀県の呼吸器科の名医ということで紹介してもらった。
息も絶え絶えに受診し、症状を説明した紙を持参したところ、先生は紙を読まれていて、「中さん、喘息以外の何物でもないと思いますね」と断定された。
背骨が曲がっているといわれたことに対しても、一応レントゲンを撮ろうかといわれ、画像をよんで、「これくらい、誰でも曲がってますね。」といわれた。
呼吸も苦しい状態で、心臓の検査なんてつらかったでしょうといたわってくれ、まさに私が喘息の専門書で読んだ治療法(気管の炎症をとるために、吸入ステロイドを短期間だけ量を増やして吸引するというもの)をいわれて、薬を処方してくれた。
先生の確定診断によって、そのときの私の気持ちがどれだけ軽くなったかわからない。
あれから9年になるが、あの先生に出会えていなかったら私は既にこの世の人でなく、適当な医師によって殺され、今ここで仕事をしていないだろうと思っている。
先生のところに通院してほどなく、私の症状は治まり、息が出来なかったのがおかしいほど普通の生活に戻れた。サッカーもできるようになり、仕事もできるようになった。
その後、必ず1ヶ月に一度、先生のところで受診して薬をもらい、きちんと薬を朝晩服用するようになってから、発作を起こしたことはない。
先生はあまりうるさいことはいわれず、書籍によると喘息患者は酒を飲むなとあるが、「発作が起こらないなら、お酒も飲んでいいですよ。飲まない方がストレス溜まるでしょうしね。」といってくれたり、「中さん、たばこは吸う?」と聞かれて、「葉巻は吸います。喘息患者だからダメですよね」というと、「まあ、発作が出ないならいいでしょう。ストレス貯める方が問題ですからね」といってくれた。
杓子定規ではなく、いきた医療を実践されていたように思う。
先生からは、「中さんは患者の模範ですよ」といわれたこともあった。どういうことか聞くと、喘息患者の大半は、息が苦しい状態がおさまると、薬を吸引しないようになり、発作が出てひどい状態になってから先生のところを受診するのだということである。
私のようにきちんと通院する人はどちらかというと少数派で、先生からすると、ひどい状態になってから来られるのではなく、予防をされる患者が一番模範的だし、医師としてもありがいということをいっておられた。
昨年から、先輩弁護士を二人失い、愛犬も失い、そしてまた今月、命の恩人を失った。
愛犬は当然除くが、みな60代であった。
若すぎる死が残念でならない。
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