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2016年2月29日 (月)

カラオケは歌う

 2次会などでカラオケが始まる時があるが、よほど歌えない人でない限り(たまにそういう人がいるので、そういう人にはすすめないでいい)、すすめられたらカラオケは歌った方がいいと思っている。

 1人だけ頑なに歌わないというのでは場も盛り上がらない。どうしても歌が歌えない、苦手だという人もいるので、その場合はそう言われたらそれ以上はすすめないようにはしている。
 ただ、歌は歌えるが、「長いこと歌ってないんで」「最近の曲知らないので」といわれると、歌ってもらいたくなる。ちなみに、私だって最近の曲なんて知らない。
 場も盛り上がるし、歌のセレクトで違う一面が見えたりするのである。

 謙遜されているだけで、歌い出したらムチャクチャうまい人もたまにいて、そこからマイクを離さなくなったりすることもある。

 なお、カラオケで私がいかんなあと思うことも書いておくと、
1、スナックなどで他の客がいるのにカラオケボックスでいるかのように騒ぐ客がいるが、ああいうことをしたいならカラオケボックスにいけばいいのにと思う。
 他のグループのお客さんが歌っているのに違うグループが大声で一緒に歌うというのもマナー違反である。
2、他のお客さんがいなくて、団体で貸し切り状態であるときに、1人で次々に5曲も6曲も入れて歌う人がいるが、同席している方は正直かなわない。
 他にもいろいろあるが、全員が楽しくできるように歌うのがマナーだと思うのである。

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2016年2月26日 (金)

読書日記2月26日

「職業は武装解除」朝日新書。瀬谷ルミ子。
 数少ない武装解除の専門家である著者がどのようにして専門家となり、その原典を綴った作品。
 一つの写真からこんにちの彼女がどのようにして形成されていったか。

 日本にいると分からない平和がどれだけありがたいものか。
 紛争地帯に入り、武装をどのようにして解除して、復興していくのか。
 これは素晴らしい一冊であり、だれかれ関係なく進めたい本である。
 生まれ変わったら、こういう仕事につきたいと思わせる一冊である。
「1日36万円のかばん持ち」ダイヤモンド社。小山昇。
 この人の本は前にも読んでいたのだが、3日間で108万円もの費用がかかるにも関わらず、小山氏のかばんを持ってその行動を全て見せるというプログラムが1年待ちだという。
 そのエッセンスが書かれた本である。
 中小企業の社長はどうすべきかが書かれている。
 弁護士という職業には必ずしも参考にならないところもあり、また、小山氏の考え方には全て共感できるものではないが、参考になるところもあった。
 しかし、取り入れるべきところを私が取り入れられるかはまた別問題ということにも気づかされた。
 

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2016年2月25日 (木)

ここ一番はつきあう

 突然飲み会が入ることがある。それは人を追悼するためであったり、仲のいい知人がどうしても聞いて欲しいというようなときである。
 こういう時に、皆それぞれの理由、事情があるが、顔を出せる人間でありたいと思っているし、私の周りにはそういう人が多い。
 ありがたいことである。

 1年のうち、「この日」顔を出さなかったということで、人からの信用をなくすことがある。
 彼女が待っているとか、家族が待っているとか、多少体調が悪いなど顔を出さない理由は様々かもしれない。
 しかし、彼女と会うのは明日でもできるだろうし、家族もそうである。インフルエンザでもない限り、多少の体調の悪いくらいであればそれを押して出る。私はやり過ぎだったと思うが、39度熱があったのに15年ぶりに会う高校の同級生との飲み会に出たことがある。

 義理を欠くといつか自分に返ってくると思う。
ただ、いつか自分に返ってくるというような気持ちではなく、真に相手のことを思って顔を出すという気持ちを持つ人間になるべきである。

 原健弁護士が死んだ後、一週間飲み続けたが、誰かしらが顔を出してくれた。ここに来たら私がいるのではないか、と思ってきたということであった。
 中村利雄弁護士が死んだ時にも、飲み続けたが、同じようにみんな事情はあったと思うが同僚が顔を出してくれた。
 そんな時に連絡をしても顔を出さなかった同僚もいるが、「ここ一番」というものが分かっていないのである。
 私が追悼の気持ちで飲んでいると聞いて、続々と集まってきたのである。

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2016年2月23日 (火)

読書日記2月23日

「他者が他者であること」文春文庫。宮城谷昌光。
 三国志などで知られる著者のエッセイ集。途中、カメラ雑誌に投稿していたくだりはカメラに全く興味のない私にはどうでもよかったが、司馬遼太郎のことを書いているエッセイはよかった。

「黒い報告書 インフェルノ」新潮文庫。週間新潮編集部。
 週刊新潮に連載されている実話を基にした短編の中の傑作選。
 読んでいて、「この事件だな」というのが分かる話と、全く分からない事件があった。
 どこまでが事実でどこからが虚構かが読んでいると分からないが、暇つぶしには面白い。

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2016年2月22日 (月)

砂糖の量

 スターバックスの飲み物に最大25杯分の砂糖が入っているとしてイギリスの非営利団体が発表して波紋を呼んでいる。
 私はコーヒーは飲めないので、スターバックスで飲み物を飲むことはないし、事実がどうかも分からないのだが、一般的に売られているジュース類には大量の砂糖が入っているという報告が以前からされているところではある。

 喫茶店で紅茶に砂糖を2杯ほど入れてもそれほど甘くならないことを考えると、販売されているジュース類の甘さは相当な砂糖が入らなければあのレベルにはならないだろうとも思うのである。

 そうした記事を読むようになってから、なるべくジュース類は取らないようにしている。
 基本的には味がついていないものを飲んでいる。
 しかし、そうしていると、時折無性に甘いものを飲みたくなることがある。
砂糖がたくさん入っている飲料を常時飲んでいると、依存症のようになるのではないかという気が最近している。

 甘いものを飲みたいという欲求と戦っているが、酒はやめられないので、体重は減らない2月下旬である。

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2016年2月19日 (金)

続・物に淫する

 前にも書いたのだが、司馬遼太郎氏はあれだけの歴史作品を書かれたが、甲冑や刀などの古美術品は一切持たなかったということである。物に淫してはいけないというのがモットーであったということである。
 古書は山ほど買い込んでおられたようだが、それは淫するというよりは、もちろん趣味的なところもあっただろうが、司馬氏の職業小説家として必要だから買われていたものと思われる。
 小説は虚構ではあるが、歴史を書くときに史料から外れる訳にはいかないため、どれだけの史料を読まれたのかとも思うし、「全てが虚構なのだろう」と思いつつ読んでいくと、実は少しの史料に基づいて整合性が保たれていたりして驚嘆させられることがある。

 私は常々、少しお金を持った弁護士が高級外車に乗ることに対して批判的である。私自身が自動車に興味がないこともあるが、車は道具であり、走ればよいのであって、日本車が安価でもあり、性能もいいのだからそこそこの日本車でよいではないかと思っている。
 サッカーに自動車で行くと、みすぼらしい自動車で驚かれることがあるが、自動車にお金をかけるのは愚の骨頂であるというのが私の考えである。

 報道によると、清原氏(有罪が確定するまでは無罪推定されるので)は稼いだ50億の生涯年俸を全て使ってしまったということであるが、これが真実だとすると、何とも計画性がないことだと思う。報道によると、フェラーリや高級外車を次々と購入していたようであり、真実だとすれば何とも無駄なお金の使い方をしたものである。

 その一方で、私は書籍にお金をかけることは司馬氏と同様、全く問題がないと思っている。仕事上、様々な分野の知識が必要であるし、弁護士法も深い教養の保持を求めているからである。私には品性がないのが問題であるが。。。

 一時期万年筆の蒐集に凝っていて、あれは「物に淫して」いたと自分でも思うのであるが、メモを取ったり相当酷使するため、万年筆は次々に壊れていっており、今後の弁護士人生で使うと思えば、まあ仕事道具と思うと、かろうじて物に淫していないと弁明できるかもしれない。ボールペンでいいではないかといわれるかもしれないし、真実をついているところもあるが、慣れてくると万年筆でメモを取る方が圧倒的に速いのである。
 
 と言い訳をして、2月もあと10日である。
 今年の1年もこうして早く過ぎていくようである。

 

 

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2016年2月18日 (木)

お金の使い方

 私もお金の使い方がうまいとは思っていないが、お金の使い方が下手な男性は女性に嫌われるようである。かなりの数の複数の女性陣が一致した意見である。
 一言でいうと、「セコイ」男性は嫌われるようである。

 浪費することともまた別であり、節約するところは節約して、ここという時にはお金をぱっと使える男性がいいようである。もちろん、身分相応の使い方とはなるだろうが、女性陣がいうのは、お金があるのに使わない(使うタイミングが分からない)男性のことのようである。
 いい格好ばかりしているのとも違うようであり、浪費とも違う。
 節約は別にいけないことではない。
 しかし、セコイ男は嫌われるし、格好が悪いということのようである。

 具体例もいくつか聞いたが、万が一ブログ読者の中にいたらいけないので書けないが、生きたお金の使い方を心がけるべきであろう。
 私はお金はないが、身の丈にあったせこくない男性にはなりたいものである。

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2016年2月17日 (水)

読書日記2月17日

「チェ・ゲバラ」中央公論新社。伊高浩昭。
 神格化された革命家であるチェ・ゲバラの実態に迫る新書である。
 暴力による革命が正当化されるかどうかはさておき、ゲバラが懸念していたような世界に今はなっており、それは今もゲバラが生きていた時代と変わりがない。
 なぜゲバラが革命を至上のものとし、なぜキューバから出国したのか、そしてなぜ死ななければならなかったのかが克明に描かれている好著である。
 若い頃の旅を描いた映画、「モーターサイクル・ダイアリーズ」は傑作である。
 ゲバラの戦いを描いた連作の映画はDVDを買って持っているが、最後は死ぬ運命にあるゲバラを見たくないので、中々見ることができていない。

「悪霊の島」(上)(下)。文春文庫。スティーブン・キング。
 全体を通して、もう少し短くてもよかったのではないかと考えさせられる作品ではある。
 何かが起こるまでの前振りが長すぎて、正直読んでいて疲れてしまうところがある。
 全体で文庫版で1000頁を超える作品であり、じわじわ怖さが来るところをむしろよしとするか、私のようにテンポ良さを求めるかで評価が別れる作品ではなかろうか。

 

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2016年2月16日 (火)

犬あるある

 犬あるある。

 町中で散歩しているポメラニアンはほぼ太っている。

 推測される理由。

 可愛すぎるため、ついついご飯やおやつをやり過ぎるものと思われる。

 以上。

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2016年2月15日 (月)

花粉の飛散始まる・・・

 2月なので花粉はまだだろうと思っている花粉症の方。
 既に飛散は始まっているのである。
 新聞にも「花粉状況」というのが掲載されるようになり、これを書いている時点では「少ない」であるが、今年は予想では関西は花粉が多いということであり、スギとヒノキの花粉に激しく反応する私としては憂鬱な季節の始まりである。
 これを書いている時点で、喉がいがらっぽく、くしゃみが出て、目がシパシパするのである。
 2月少し前からアレルギーを抑える薬を飲んではいたが、抑制してくれるだけで完全に大丈夫となる訳ではない。マスクをしていると少しましではあるが、完全にこれまた大丈夫な訳ではない。
 春は花粉、夏は暑い。秋はなくて冬が直ぐ来る。いい季節は花粉症の人には全くないのである。
 日本は住みにくくなったものである。
 中国のPM2.5の中暮らしている人たちよりはましかもしれないが。

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2016年2月12日 (金)

金持ちの論理

 女子大生風俗嬢という本を先日読んで、現在の学生の一部がどれほど苦境に立たされているかということを知り、そのことを話をしていた。
 それだけお金がないなら、大学行かなかったらいいではないか、という意見もあったが、私はそれは金を持って成功しているものの論理であると思い、そのように返した。
 家が貧乏でどうしようもない中、大学で学んでいいところに就職したり、資格を取って現状から這い上がりたいという思いでいる人にそれは失礼だろうと思ったのである。
 格差が開く一方の日本の縮図が今大学にあるようである。
 親の金で何不自由なく遊んでいる学生と、親に頼れず自らの身体を売って学費や生活費を稼ぐ学生がいるのである。
 その理由は「女子大生風俗嬢」という新書を読んでもらたいたいが、能力のある人が大学を出られるようにできる制度設計をしようとする政治家はいないのであろう。

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2016年2月10日 (水)

事件の見立て

 亡くなった中村利雄弁護士は事件の見立てを誤ったことがなかったそうであるが、私も見立てを外すことはあまりない。
 もちろん微妙な事案はあるから、必ずこうなるということはいえないが、敗訴するにせよ、勝訴するにせよ、和解になるにせよ、「まあ大体この範囲になるだろう」ということで間違えることはないし、ある程度経験を積んだ通常の弁護士であればまあそうであろう。

 ただ、この見立てが外れる時がいくつかある。
 例を挙げると、
1、依頼者が完全にウソをついている時。
2、相手方代理人弁護士がおかしいとき。解決できるものも解決できなくなる。
3、裁判官がおかしい人の時。
 などが考えられる。
 このうち、もっともやっかいなのは実は3である。
 1については、聞き取りをしている中でおかしな点は指摘して弁護士としても予防線を張れるので、実は予想の範囲内であったりする。
 2についても、和解相当な事案でも、判決をもらえば済むことなので、まあ予想の範囲内であったりもする。
 3については、普通の裁判官であれば、当該事件の筋というか落ち着き処からして、そんな結論は書かないだろうという事件で、予期に反した結論の判決を書かれると、高裁でひっくり返るという保証もないし、それが一応一審判決となって形に残るということになるので、記録をよく読んでくれていない高裁の裁判官(残念ながらいるのが現実である)などだと、一審ありきで和解勧奨をしてきたりするからである。
 間違った判決を書かれてしまう場合、担当弁護士としてはいつもの主張立証をしているので、どうしようもないのである(普段はそれで勝つのだから)。
 裁判官も再任拒否がされるようであるが、よほどひどい人でない限り再任はされるのではないかと思っており(私の個人的感想)、能力にはけっこう差があるのが実情であると思っているのである。
 以上。

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2016年2月 9日 (火)

つきあいをきちんとしないと後から自分に返ってくる

 事務所を新設して披露に行くと、人があまり来ていない披露宴もある。
 たまに、「●●さんの披露宴に行く?」と聞くと、「あの人、私の時に来てくれてないし、お祝いも持ってきてくれなかったから行かない」という話を陰で聞く。
 弁護士会の選挙などで投票のお願いをされた人が、陰で、「あの人はお祝いをしてくれなかったから投票してあげない」とか、何か依頼をされた人が、「あの人に祝いをしてあげたけど、御礼の一言もなかったから言うことを聞くつもりもない」「あの人に前にムチャクチャ偉そうに言われたから聞かない」などという日常のつきあいが後々たたってくる例をよく聞く。

 人つきあいはきちんとしないといけないということであろう。
 私の元ボスや故・中村利雄弁護士は、そうしたつきあいを本当にきちんとされていたし、また、若手にも偉そうにいうことは絶対にしなかった。
 日常の対応の仕方で、後から自分に返ってくるのだと思い、自分も気をつけようと思うのであるが、多分、気をつけてできることではなく、人としてのあり方なのであろう。

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2016年2月 8日 (月)

宴会での挨拶

 宴会の席上で挨拶をさせられることがある。
 司法修習生が弁護士の宴会に参加していると、だいたい挨拶させられる。
 ここでそれなりに話ができるヤツだと思われると、その後の就職活動で有利であると私などは思っている。
 修習生が笑いを取るのは難しいと思うので、ハキハキと元気にアピールポイントを述べることが大事ではなかろうかと思っている。

 私も弁護士としては20年選手であるので、宴会では挨拶はよくさせられるが、真面目な話もし、笑いもとりということになると中々難しい。
 宴会の挨拶が非常にうまい人を見ていると、うらやましいなあと思うのであるが、中にはものすごくネタを作っている人もいるようであり、あるとき急に当てられた普段うまい人がたいしたこともいえず、どうしてかと訝っていると、どうも当てられそうな宴会の時は相当ネタを仕込んでいるということが分かった。
 そこまでしなくともよいと思うが、急に当てられてもそれなりのことがいえるようになりたいものである。
 ただ、いくらいい挨拶でも、長すぎると聞いている方も飽きてくるので、適当な長さが大事である。
 けっこう長い挨拶でも飽きさせず、しかも面白い挨拶ができて、毎回違う挨拶であり、しかも多分ネタも作っていなかった弁護士はただ一人しか知らない。
 故・中村利雄弁護士だけである。
 以上。

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2016年2月 5日 (金)

服装

 電車に乗っていると、年齢に不相応な格好をしている人がけっこういる。
 男性には少ないが、女性に多いように思われる。

 どうみても60台くらいなのに、可愛らしい人形をピンクの鞄につけて、ゴスロリファッションをしている女性だったり、髪型も頭の両側でリボンでくくっていたりする。
 何をされている人か知らないが、周囲から見ると、正直痛々しい。

 服装というのは、その服装をしていると中身もこうであろうということが推測されるものではなかろうか。
 若い女性がゴスロリをしていると「若い」ということが推測されるのだが、中身が60台だと、違和感しか覚えない。
 人の好き好きだとは思うが、服装とはそういうものではなかろうか。

 我々弁護士も、やはり世間が考える弁護士としてのイメージというものがあり、そこから外れるとやはり違和感を感じるであろう。
 キムタクが主人公の検察官は確かスーツは来ていなかったと思うが、検察庁であんなことは絶対に許されるわけがない。
 弁護士の服装は自由ではあるが、スーツであったり、せめてジャケパンスタイル程度が限界で、ジーパンを履いているのはやはり違和感を覚えられてしまうであろう。

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2016年2月 4日 (木)

電話の作法

 電話というものは相手の都合がわからずかけるものであるため、相手が不在であることも多い。特に弁護士の場合、打合や裁判等で電話をかけても出られないことがある。
 通常の事務員であれば、そのような場合折り返しの電話をいたしましょうか、というであろうし、たいていの場合はそのようにしてもらえばよいと思う。

 ただ、電話をした方の用事であったり、御礼であるような場合には、折り返しの電話を求めることは通常失礼にあたる。
 そのような場合には、電話に出られそうな時間帯を聞いて、何度も電話するものである。
 その途中に、電話を何回ももらっていたということで先方から電話がある場合もあるが、その場合は「こちらの用事でこちらからかけないといけないのに申し訳ありません」と恐縮しないといけない。

 先日も向こうの用事で折り返しの電話が欲しいということでメモに記載があったのでかけたが、偶々知っている男であったので、上記の点は注意しておいた。
 注意してくれる場合はいいが、注意してくれないのが通常であり、その場合、常識を知らないとして陰でいわれることがあり(特に京都の場合)、新人弁護士は一応ビジネスマナーとかの本は一通り読んだ方がいいと思うのである。
 事務所に先輩やボスがいる場合はその電話の受け答えを見て勉強できるが、これからはいきなり事務所を構える弁護士も増えていくであろうから、基本的なところで損をするのはバカらしいことなのである。

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2016年2月 3日 (水)

オモチャを渡したくない小次郎(2代目)

 朝一番に散歩に行き戻ってくるとソファーで新聞を読んだりTwitterをチェックしている私のところにお気に入りのオモチャを持ってきて遊べという小次郎である。
 本当は投げて欲しいのだが、オモチャを取られるのもイヤということで、取り上げようとしてもくわえて話さず、犬が釣れるのである。
 矛盾した気持ちに揺れる小次郎、まだゼロ歳である。
Photo

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2016年2月 2日 (火)

梅の花その2

 少し前にアップした梅の花だが、その後も順調に花が開きだしている。
 寒い日もあったが、基本的には今年の冬は暖かいということなのであろう。
 この梅は紅白梅ということで、紅い梅の花と白い花が咲くということで、昨年までは咲いていたが、私が見るところ白い梅の木に紅い梅が咲く枝をうまいこと継いでいるようであり、継いでいた紅い梅が咲く枝が枯れてしまったようで、今年からは白い花しか咲かないようである。
 小さい白い花が何とも可愛らしい。

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2016年2月 1日 (月)

読書日記2月1日

「スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか?」ディスカバー・トゥエンティワン。ジョン・ムーア著。
 表題のとおりの本。
 内容はネタバレのため書かないが、弁護士の仕事にも通じるものが多々あると感じた。

 ネット対策等々ビジネスマーケティングの本はたくさん出ているが、本質はここにあると改めて思わせてくれる好著である。

「コメントする力 情報を編集×発進する技術」PHP。竹田圭吾。
 先日その死を悼んだコメンテーター竹田圭吾さんの著書。多分これしか著書はないのではなかろうか。その意味では貴重な一冊である。
 竹田さんのコメントがなぜ他のコメンテーターと違ったのか、この本を読めばその真髄が分かる気がする。
 もっとも、真髄がわかっても、竹田さんのようなコメントをとっさに言うことはできないものであり、竹田さんの本質的な頭の良さがあってのことだと思うが(あんな風になりたいと常々思いながらテレビを拝見していたので)、少し竹田さんのようになれるのではないかと思わせてくれる好著である。
 何気ない発言の中に、これだけのバックボーンがある。
 適当なことを言っている私などは反省である。

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