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2016年4月27日 (水)

弁護士の引き際

 まだこんなことを私が考えている訳ではないが、ご高齢となった弁護士の先輩で、弁護士を引退される人を見ていると、「引き際」は大事であるなあと思わせられることがある。
 まだ私から見ると、余力はあるだろうに、やはり体力の衰えや頭脳的な衰えを感じられるのか、引退される先生もいる。

 そうかと思えば、失礼ではあるが、「老害」としかいえないような訴訟遂行をされるようになってしまっている先生がいるのも事実である。また、おそらく認知症ではないかという先生がおられることもある。
 逆に、いつまでも若い頃と変わらず、ベテランの味を発揮して、「さすがだなあ」と勉強させられる先輩の先生方もいる(できれば私もそうなりたいけど)。
 弁護士には定年というものがないため、本人が「やる」と思えば、いつまででもできるのである。

 私自身、老害とならないようにはしなければいけないと考えており、引き際というものは考えておかないといけないと思っているのだが、いざ自分がその年齢になると、できてもいないのに、「わしはまだまだ若いモンには負けんわい」とかいって、老害をまき散らしていたらどうしようかとも思っている連休前の1日である。
 

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2016年4月26日 (火)

読書日記4月26日

「ラオスにいったい何があるというんですか?」文芸春秋。村上春樹。
 村上春樹の紀行文集。ラオスというのは私にもなじみがない国であり、この旅行記で初めてイメージが沸いた。
 そのほか、ノルウェイの森などを執筆した当時住んでいた国への旅行記など、いくつか掲載されている。
 村上春樹の作品は難しいが、紀行文などは読みやすい。
 ただ、村上春樹ファンでないと読む必要はない一冊か。私は村上春樹ファンではなく、現代でいわば一人勝ちの作家として、読む必要があると思って読んでいるのだが(もちろん、好きな作品はあるけど、全部ではない)。

「反知性主義とファシズム」金曜日。佐藤優と斎藤還。
 これは面白かった一冊で、AKB、色彩を持たない多崎つくる、宮﨑駿の「風立ちぬ」について物凄い知性の二人が対談するというものである。
 よくこれだけの知識が頭の中に入っているものだと思われる。
 逆に、ここまで物事を考えたり、読み込みをして作品を読んでいると疲れないかなと思うほどである。
 村上春樹の作品について語られると、「ははあ、なるほど」と思わせられるところがあり、読み方が浅かったと思ったりもするのだが、逆にいうと、作家の作品などというものは、それぞれの人の読み方があってよいではないかという気にもさせられた。批評というものは本来そういうものなのであろうけど。
 風立ちぬという宮﨑作品は世間的には非常に評価されていたと思うが(私はジブリ作品は嫌いなので一切見ない。理屈というより生理的に嫌いなので仕方ない。)、佐藤優は無着くちゃにこき下ろしている。宮﨑作品の根底に流れるテーマとか、宮﨑駿のアイデンティティのようなものについて深く語られていて、見たことがない私でも、「ほほう、そうなのか」と思わせられる。
 現代の日本が反知性主義によって動かせられていることについても随所に怒りというか、情けなさのようなものがあらわれている。
 面白い一冊だが、引用されているものについては知らない人が多数であろう。私も大半は知らなかった。私も知性が足りないのかもしれない。

「「豊臣大名」真田一族」洋泉社。黒田基樹。
 真田丸の時代考証担当の筆者による、戦国統一後の真田一族を描いた作品である。
 真田一族が豊臣政権でどういう立場であり、どういう動きをしていたのかについて書かれており、関ヶ原の戦いでなぜ真田昌幸と信繁(いわゆる幸村)の二人と、信幸(後信之)が敵と味方に分かれたかについて考証されている。
 史料にあらわれてこない事情がそこにはあったと私は考えているが、筆者は史料に基づいて、元々親子ではあったが昌幸は信州の上田を治めている大名であり(この本の中では小名)、信幸は沼田を治める大名であったことから、元々大名として別であり、また、信繁の正妻が大谷善継の娘であり、信幸の娘が本多忠勝の娘であったことからであるとしている。
 後世の我々からすれば、関ヶ原の戦いで家康が勝つというのは規定路線であるが、西軍についた大名も相当いたことや、家康自身戦が始まる前は殺気だって太刀を抜いて使い番を追い回していたこと(なお、隆慶一郎の作品、影武者徳川家康では、このときに家康が殺されたとする。そうでもないと戦の前に使い番を斬ろうとなどしないというのである。津本陽氏の「乾坤の夢」では、ここはさらりと書かれており、史料に基づいている)、岐阜城を福島正則が攻めるまで江戸を動こうとしていないことから、家康自身も万全の自信があった訳ではないことからして、やはり真田家が立ち行くように双方についたというのが本当のところではなかったかと思っている。

 史料にはないが、私は、徳川秀忠が率いる徳川家の最強軍団がわざわざ4万近い兵を率いて上田城を取り囲んで時間を無為に過ごしたように見えるのも、関ヶ原で家康が万が一負けた時に戦力を温存するためではなかったかと疑っているがどうであろう。
 そうでなければ、わずか動員戦力3000程度の真田昌幸の上田城を囲む必要などないように思われるからである。
 その後、家康は当初の方針を改めて秀忠を関ヶ原に向かうようにさせるのだが、もしこれが家康の戦略でなければ天下分け目の戦いに遅参した秀忠は廃嫡されるのではなかろうかと思ったりしている。
 ただ、結論としては小早川秀秋らの裏切りがなければ危ないところもあった戦いであったのであり、真田昌幸がいなければ秀忠の軍勢も関ヶ原の戦い当日に到着しており、易々と勝てたということで、家康の心の中に、「真田昌幸許すまじ」という思いが沸いたとしても仕方がないように思われる。
 昌幸は赦免を求めていたが、九度山で許されることなく死んだ。
 昌幸と信繁が赦免されていれば、大阪の陣での戦いはなく、家康も人生最後の野戦で旗を倒されることもなかったと思うと、歴史とはわからないものだと思わせられる。
 長々と書いたが、歴史好きは是非読めばいいと思うが、一般受けはしない一冊である。

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2016年4月25日 (月)

弁護士にとってのゴールデンウィーク

 弁護士にとってのゴールデンウィークとは(私の場合だが)、起案する時間である。
 今年も休みは2日と6日を休みにすれば10連休になるという話を聞いたりしているが、そんなことは弁護士にとってはあり得ない話だと(私の場合だが)思っている。
 連休中は暦通りであり、5/2と5/6は普通に仕事している。

 また、控訴理由書とかカルテに基づく交通事故の主張とか、時間が取れないとできない書面に関しては、4月の期日で連休中に書くことを前提に〆切りを入れている。
 これは大体21年前に弁護士になってから変わらない話である。
 もちろん連休はしっかり休むという弁護士もいるだろうが、たいていはそうではないのではなかろうか。
 書面をきちんと作成しようと思うと、まとまった時間が必要なので、連休中は電話もあまり鳴らないし(全く鳴らないわけではない)、起案に集中できるのである。起案出来る時間はありがたいのである。
 弁護士の仕事は地味な作業の連続であり、地道にコツコツとやっていく人が向いている。依頼者から話を聞き取った上で裏づけとなる証拠を探して書証化し、相手の主張の矛盾をついて反論を考えて・・・というのを1件1件やるわけである。
 これにはけっこうな時間がかかり、まとまった仕事ができる時間が取れる連休の間はありがたいのである(きっと考えがワーカホリックで間違っているという気はするが、それで21年間やってきたから仕方がない)。
 そもそもきちんと休みが取りたいなら仕事を選ぶ時にそういう仕事を選択すればよいだけの話であり、弁護士という仕事を選んだ以上、時には土日もないというのは当たり前の話であるし、連休を全て休みたいという(いや、きっと要領のいい弁護士は休んでいるとも思うけど)気持ちのある人はきっと弁護士には向いていないはずだと思ったりする連休前の1日である。

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2016年4月22日 (金)

私の釣り履歴書その4

 土曜日は私は予定があったため、日曜日に自然渓流の管理釣り場に行こうかと誘ってみたところ、吉田誠司は大変乗り気になったのである。
 滋賀県の永源寺グリーンランドというところに朝ゆっくりと出かけることになり、現地に着いたのが10時頃であった。
 覗いてみると、既に釣りをしている人はいるが、みな池のようなところで釣っており、自然渓流には人はいない。
 お金を払う際に聞いてみると、「自然渓流は難しいよ」ということであったが、先週に池のようなところで釣ったがもう一つであったので、私と吉田誠司は敢えて自然渓流に挑戦することにした。
 岩魚は底に潜って釣りにくいというので、アマゴを中心にしてもらい、岩魚は2~3匹入れてもらう程度にした。

 釣り始めるが中々釣れない。川に放された魚はしばらくはじっとしているためである。
 吉田誠司弁護士が私よりも先に釣り上げるが、アマゴはかなりいい型である。
 自然渓流は、魚が隠れる場所がたくさんあり、面積も広いため、釣れにくいと言われていたが幸先良いスタートである。

 そのうち私も最初のを釣り上げて、次々に釣り上げる。
 どうも放流されていたものよりも大きい型のものが混じっているので、川で自然に育ったものも釣り上げているようである。
 昼を過ぎて釣れなくなったが、意地になった二人は2時くらいまで昼飯も食べずに釣り続けたのであった。
 釣果は私が12ひきくらいで、吉田誠司弁護士は10ひき弱くらいだったろうか。
 私は岩魚を2匹釣り上げたが、1匹は尺近いサイズだった。吉田誠司弁護士は岩魚は釣り上げられず、その点を悔やんでいた。
 3時半頃二人で中華料理を食べて帰宅。
 まあ、春の日曜日の過ごし方としては悪くない1日である。ご飯のおかずも持ち帰れたし。

 父親に半分お裾分けをして父親は喜んでいたが、どうやら父親も釣りに行きたくなったようで、私に「また行くのか」と聞いてきたのである。
 つづく。

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2016年4月21日 (木)

読書日記4月21日

「六度目の大絶滅」NHK出版。エリザベス・コルバート。
 カエルが死んでいくー。人が世界各地を移動するようになり、その地域にはいなかったカビなどが世界中で繁殖していく。耐性のない動物は少しずつ姿を消していく。
 温暖化による海の酸化により、生物相が変わる。
 人による動物の大虐殺。
 人類が行ってきた行為により、このままでは2050年までに世界の半分の種が消えてしまう・・・。
 過去、隕石の衝突やその他の要因で地球上の生物が五回にわたり大絶滅した時期があったとされるが、今、我々が生きているこの時代は、六度目の大絶滅の時代なのである。。。
 地球の生命に対して、人類がいかにろくでもない存在かを思い知らされる一冊である。
 前頭葉が発達し(智恵の実を食べ)、現世人類が現れた時から、地球上の生物は人類の行為により絶滅させられてきた。ネアンデルタール人も現世人類により絶滅させられ、アフリカを出た人類は、ネアンデルタール人と交雑し、数%の遺伝子が現世人類に含まれているという。
 これは、非常に興味深い本であり、是非とも読むべき本の一冊である。その一方で、読んだ後、人類の罪深さに暗澹たる思いをさせられる。

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2016年4月20日 (水)

為政者と天変地異

 中国古来の考え方では、天変地異が起こるのは為政者が悪いからだとされてきた。
 もちろんそのようなつながりがあるとも思えないが、後漢末に世が乱れた時には天変地異が起こり、「漢の世は終わる」ということで黄布族が放棄し、全土を席巻した。
 この時に討伐で活躍した武将が、劉備、曹操、孫堅(後に呉の皇帝となる孫権の父)などであり、その後地方で軍事力を持った軍閥が各地で実力を蓄える時代となったのである。

 しかし、こうした動乱の始まりは天変地異が起こり、「漢の世が終わった」と民が考えたからではないだろうかという気がする。
 
 民主党の時の東日本大震災の対応も酷いものであったが、今回の熊本の地震に対する安部政権の対応も酷いものであり、批判されている。
 中国古来の考え方である、天変地異が起こる時に為政者が悪いというよりは、天変地異が起こった時に適切に対応できない為政者は民に見放されるというのが正しい気がしている。
 余震が止まらず、不安かつ物資もなく、自宅が壊れた人も多いようであり、この震災が1日も早く終息することを祈り、また、この地震で亡くなった方々の冥福を祈るばかりである。

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2016年4月19日 (火)

逆上がり

 私の自宅は隣が児童公園となっており、鉄棒がある。
 小学校では逆上がりができないといけないようで、時々庭で葉巻をふかしていると、小学生が逆上がりの練習をしにくる。
 たいていは親と一緒で、親に叱られながら逆上がりの練習を延々と繰り返している。
 学校の授業で叱られるのであろう。

 ただ、小学生の低学年くらいだと(中学年、高学年でも同じか)、手に力がなくなってくるので、長いことやっているともう最初の頃に比べると全くだめになってくる。
 親は叱るのであるが、それは無理というものであろう。
 中にはかなり大きくなってから、「今まで逃げてたからや」としかり飛ばされて練習している子もいる。
 まあ、それはそうなのであるが、逆上がりができないからといって、それが人生で何か問題なのであろうかと思ったりしながら見ている。
 もちろん、目の前のことに努力しないといけないことはあるかもしれないが、逆上がりができないからといって、他のことでは才能があるかもしれないのに、画一的に何かができないといけないという教育とはどんなものであろうかと思いながら見ている。
 そういえば、ビートたけしも跳び箱が跳べなかったというような話を聞いたことがあり、しかしビートたけしの活躍を見ていると、跳び箱を跳べることがどれだけ社会に出てから役立つのだろうとも思っている(どうだったか記憶はあいまいなので、間違っていたらご容赦願いたい)。

 時々、親の教え方も間違っていることがあり、それでは一生できないであろうなあと思いながら、しかし、ここで私が声をかけるのもまたよろしくないであろうと思いながら見ている。
 フィリップマーロウではないのだが、私はけっこうおせっかいなところがあるのである。

 家の前でクラウチングスタートの練習をしている子がおり、そのスタートでは全く踏み出すときに力が伝わらないと思い、つい言ってしまったことがあり、あとから言わなければよかったかなと反省したのだが、その後、その子は部活でスタートダッシュに磨きがかかり、短距離で2番手のランナーになったと聞いたので、あながちおせっかいも悪くはないとも思っている。
 逆上がりをしている親子へのアドバイスは中々難しいし、1人でしている子どもに声をかれたら変質者と間違えられてもいけないので、中々悩ましいのであるが、そもそも逆上がりができないと体育の授業でつるし上げられるような世界はどうなのかと根本的なことを考えている春の1日である。
 

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2016年4月18日 (月)

コートを脱ぐ季節

 毎年この時期になると、コートをいつ脱ぐべきかと悩んでいる。
 私は寒いのも暑いのも嫌いなのであるが、暑いのは来ているものをある程度脱げば(コートや上着を手に持てば)、どうにかなるのに加えて、寒いのはどうしようもないので、ぎりぎりまでコートを着ている。
 これを書いている時点で、関西のビジネスマンの8割以上がコートを脱いでいるのだが、駅のホームで電車待ちをしている間震えているのである。
 寒かったらその日その日でコートを着たり、スーツだけにすればいいではないかと思うのだが、一度コートを脱いだら着ないと決めているかのようである。
 関西人は、荷物が増えるのを嫌うため、コートはできるだけ着ない傾向にあると何かで読んだか聞いたかしたことがある(実際、最寄り駅でよく見かける人で、真冬でもスーツにマフラーだけという人もいる。スーツの中では、ヒートテックとか着込んでいるのかもしれないが、よくあれで寒くないのかと思うのである。ちなみに、私は長袖のシャツやヒートテックを着ると、事務所の中で温かすぎで間違いなく風邪を引くことがわかったので、あの手のものは着ないことにしている)。
 コート好きであることもあり、最後の1人になるまでコートを着ていようと思う今日この頃である。

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2016年4月15日 (金)

眠る小次郎(二代目)

 ソファーの上で眠るのが大好きな小次郎(二代目)である。たいてい本気で寝ている。

 毛布で頭を上げた状態で眠るのが好きなようである。
 初代小次郎が死んで来月で1年になるが、二代目がいなかったらきっと昨年は耐えられなかったであろう。
 小さい身体で癒やしてくれるのがワンコである(大きいヤツもいるけど)。
 明るくなり、早く散歩に行きたいであろうと思い、小次郎のために毎日少し早起きするのである。
 
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2016年4月14日 (木)

読書日記4月14日

「円安待望論の罠」日本経済新聞出版社。野口悠紀夫。
 超整理法で有名な著者だが、本職は経済学者である。
 この本は、円安がもたらす弊害と、円安を待望する風潮に警鐘を鳴らすものである。
 わかりにくいところは飛ばしてもいいので、円安がなぜだめなのか、これを読めば理解できる。
 結局のところ、円安というのは、自国の国家の貨幣価値が下がることであり、輸入する際のコストを上げ、国民に負担がのしかかってくる。

 試算では、円の価値はかつての1/2になっているということである。
 世界から日本に観光客が押し寄せるのは、円が安いからであり、結局、観光客がたくさん来たとしても、「安売り大バーゲン」をしている薄利多売の状態であって、国益を損なうのである。
 日本経済がどれほど破たんしているかが書かれており、過去に滅亡した国家が進んだ道と同じであるとして筆者は警告する。
 円安を待望するような政権に対する痛烈な批判の一冊である。
 これは読むべきである。

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2016年4月13日 (水)

私の釣り履歴書その3

 朽木渓流魚センターの釣るところは直系1.5メートルから2メートルくらいのポンドで、水が流れ出て岩が沈めてあるのである。私の釣り歴からすれば、子どもの遊びである。
 まあ、バカバカ釣って帰ろうと思っていた。
 イワナを放流してもらって釣り始めるが、開始して30分ほど誰も釣れない。周りでも釣れている人はいない。
 子ども連れは水を抜いて池でつかみ取りを始める始末である(我々大人のコースにはつかみ取りはない)。
 これは、朽木まで来て、恥を忍んで管理釣り場に来たのに、エライ展開になってきた・・と焦っていると私に一匹目が来た。
 私が立て続けに5匹ほど釣り上げる。
 流し方のコツも掴んできたためであろう。
 しかし、吉田誠司と同行しているもう1人の人物、H尾弁護士(彼の名誉のため仮名にしておく)は全く釣れていない。

 釣り人の心理として、いい大人でも隣でバカバカ釣れて自分が釣れないと何ともいえない気持ちになるのである。これが逆であれば私もそうであったろう。
 むうう。これはヤバイ。いくら私でも、このまま無邪気に釣ることはできない。私の親父であればきっと無邪気に横で「ほら、また来た。なんや。そっちはあかんなあ」と無邪気発言をするであろうが、そんな性格にはできていない。
 仕方がないので、葉巻を吸ったり、トイレにいったり、飲み物を飲んだりして時間を潰していると、吉田誠司弁護士にも1匹釣れ、かなりかかってH尾にも釣れた。
 その後私は相変わらずそこそこ釣れて(15匹くらい放流してもらって12匹)、吉田誠司弁護士は8匹くらい、H尾は4匹であった。
 いくら管理釣り場とはいえ、渓流釣りの経験値の差ということであろうか(自慢)。
 さすがにイワナを12匹も持ち帰っても仕方がないので、H尾にお裾分けして、帰京したのであった。
 食事も取らず意地になって釣り続けた私と吉田誠司は(H尾は予定があるということで帰った)、京都市内に入ってから15時過ぎに2人でカレーを食べてその日の釣りは終了ということになったのであった。

 
 しかし、その後金曜日に飲み屋で吉田誠司弁護士に会うと、「土日家族がみんな出かけるからヒマやねん。釣り行きたいなあ。。。」という話が出てきたのである。
 つづく。
 

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2016年4月12日 (火)

私の釣り履歴書その2

 3月の連休の最終日の5時30分に事務所前に迎えに来てもらうと決めたのだが、私の自宅から事務所に5時30分に電車ではいけないので、やむなく事務所に泊まることにした。

 ヨガマットを引いて(ヨガはやらないのだが、事務所で体調が悪くなったものがいるときに備えて、マットがあるのである)、寝ようとするのだが、やはり床が固い。
 結局うつらうつらしただけで5時30分になり、3人で朽木の方面に向かった。
 到着してみると、渓流はかなり寒く(寒の戻りで記憶も低かった)、良さそうな支流に入り釣ってみるが、一度アタリがあっただけで釣れない。
 魚がいるような気配もなく、どうやら水温も低いようである。
 場所を変えて釣ってみるが、全く釣れる気配もない。
 自然相手なのでこんな日もあるのである。

 走っている最中に朽木渓流魚センターという看板が何回も出てくるのだが、これは管理釣り場である。放流してくれた魚を釣るというものである。
 魚を釣る感触なしに帰るのも何なので、ここに釣りに行くことにした。
 管理釣り場で、子どもも段差で流れを作った深みのようなところで釣りをしている様子を見て、ここであれば釣れるであろうと思ったのであった。
 しかし、ここでも魚は我々に冷たかったのである。
 続く。

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2016年4月11日 (月)

私の釣り履歴書その1

 小学校1年生の時に釣りをはじめた。
 自宅は大阪城の近くだったので、大阪城でフナを釣りに行った記憶である(公には大阪城の堀は釣り禁止であるが、みな大阪人は釣っている)。
 そのときフナは適度に釣れたが、父親がとてつもないでかいナマズをかけたものの、フナ釣りだったことと水面までかなり距離があったので抜き上げようとしたが糸が切れてしまい逃げられたのを見て小学校1年生の隆志少年の心には衝撃が走ったのである。

 その後は大阪の湿地帯でフナがよく釣れるところに父親に連れられて行ったものの、湿地帯に胸まではまり泥だらけとなり泣きながら家まで帰ったこともある。
 田舎の川でハヤを釣りに行き、崖から落ちて身体中をすりむいたこともあった(ハヤはつくさん釣れたが)。

 
 小学校時代にルアーづりが流行り、みなブラックバスを釣りに行ったものであるが、近所の金持ちの子は使いもできないのに1万5000円もするベイトリールを持っていて羨望の的であった。子どもが買う雑誌に掲載されていたが、そんなものを持っている子どもはいなかったのである。しかし、道具がいいからといって釣れるものでもなく、ブラックバスをルアーで釣り上げたのは1回くらいしかない記憶である(しかもそんなに大きくないやつ)。
 小学校高学年から中学時代は、父親の実家のすぐ下は日高川という一級河川の下流で、日高川ではウナギ釣り(普通は夜釣りだが台風の後などで水が濁ると昼でも釣れる)をして、大人の腕ほどの太さの大ウナギを釣ったこともあれば、メッキというシマアジ、ギンガメアジの子どもをボートを浮かべて大量に釣っていた。
 投げ釣りもして、キスなどをよく釣り上げたものであるが、一度明石の方に釣りに行き、親父が゛やたら釣れているのでそこにエサを入れようとしたら、「そこは俺のポイントやぞ」と言われて釣らせてもらえなかったのが中学時代の一番の思い出である。ひどい父親だと今でも思っている。
 
 高校時代も田舎で時々釣りをしていたが、卒業前に大和川で鯉を釣りに行き、右から吹く風でやたら右頭の端が痛いと思っていたところ、散髪に行って円形脱毛症になっているといわれた。
 当時、京都大学法学部一本以外どこも受けない、京大法学部に行くという論拠のない思いでそれにかけていたので、プレッシャーに負けて頭が禿げたのであった。
 
 大学時代も釣りに出かけていた。一度兵庫の方まで釣りに行こうという話になり、同じゼミで同時に司法試験に合格したS井(現在検察官となり、出世街道ばく進中)と一緒に防波堤に行ったが、このとき一匹も釣れず、S井の指に思い切り針をかけてしまい、S井にひどい目に遭わせてしまったことを覚えている。
 司法試験の勉強中、モヤモヤした気持ちを晴らすのに時々渓流釣りに行くようになったが、渓流の魚は中々手強く、小さいアマゴが釣れただけであった。釣れないとストレスが溜まるので、和歌山の方にあるニジマスの管理釣り場でアホほど釣って帰ってくるようになった(ニジマスのバター焼きはもう食べたくない)。
 司法試験に合格した後、渓流釣りとキャンプをしようという話になり和歌山の龍神の小又川バンガローというところに泊まり釣りをしたが、その時の顛末はブログの最初の方に書いているので割愛する(このときもS井にヒドイ目に遭わせた)。
 弁護士になってからは釣りに行く機会も減ったが、時折釣りはしていて、渓流に行ったり、投げ釣りをしたりしていた。故中村利雄弁護士とも何回か釣行したもので、今では懐かしい思い出である。
 5年ほど前になぜかブラックバスにはまり出して、結果的には小さいブラックバスを数匹と、けっこう型のいいのを2匹釣っただけで終わったが、琵琶湖に流れ込む水路でクリスマスの夕方にルアーを黙々と投げているのを滋賀県在住の事務所のご近所の女性弁護士に目撃され、女性弁護士に「まさか中先生では・・・」と思われたこともあった。
 小学校の頃揃えられなかった高級釣り具も揃えたが、道具が良くても釣れないのは今も昔も同じである。
 ここ2年ほどはブラックバス意欲も失せたので、先日近所の子どもでブラックバス釣りが好きという子どもに全てのルアーと竿とリールをあげた。使わないのであれば、誰かが使う方がいいと思ったためである。小学校の子どもではとうてい所有することのできない道具に彼はきっと興奮して眠れなかったであろう。
 40年近く釣りをしてきて、今は投げ釣りと渓流釣りしかしなくなったが、先日、盟友の吉田誠司弁護士が「中村利雄追悼渓流釣りに行きたい」というので朝5時半に事務所の前まで迎えに来てもらい、渓流に行ってきた(ここからが本題)。
 久しぶりに渓流に行くと、やはり釣れなくても釣りはよく、これから時々釣りをしようという気にさせられているのである。
 続く。

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2016年4月 8日 (金)

サッカーバカ

 新聞やネットの記事で、「SB」と書いてあることがある。これはたいていソフトバンクの略なのである。
 しかし、サッカーバカの私の脳は、これを「サイドバック」と読んでしまうのである。
 サイドバックと読んでしまうので、野球の記事でも、「SBの誰々は・・」と書いてあっても、「こいつサイドバック違うやんけ」と心で思ってしまうのである。
 ついサイドバックと読んでしまうため、文脈がつながらないのである。
 「ドコモとSBにスマホ実質0円うんぬん」という記事を読んでも「サイドバック」と読んでしまうため、「なんでサイドバックが国から指導されるのか?」とアホな考えが一瞬頭をよぎるのである。
 週末にこんな話題ですいません。
 以上です。

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2016年4月 7日 (木)

裁判官の転勤

 4月は裁判官の転勤の時期だが、だいたい3年で移動される。
 この裁判官に判決は書いてもらいたくないという裁判官もいれば(早く転勤して欲しいタイプ)、この人に是非判決を書いて欲しいという裁判官もいる。
 部長(3人でテレビに映っている裁判官の真ん中の人)クラスだと上に空きが出て玉突きで移動になり、突然転勤されることもある。
 これはご本人も読めないようである。我々弁護士にはもっと読めず、「この裁判官に是非判決を書いて欲しい」と思っていたのに肩すかしを食らうことになる。

 我々弁護士には出世も転勤もないのであるが(弁護士会の役職をしているからといって出世した訳ではない)、裁判官は同期がどうしたこうしたなどで気になるもののようである。
 我々弁護士は、その気になれば生涯現役であるが(私も老害をまき散らしているかもしれないが・・・)、裁判官はある程度の時期を過ぎると所長になったり現場を離れるようで、ある裁判官などは、「地裁の部長をずっとやっていたい」と言われていた。
 その裁判官は定年になったら絶対に簡裁の判事をすると言っており、その時期が来たら(どこかの)簡裁が非常に活性化しそうな気がしている。

 栄転もあれば左遷もあり、場合によれば再任拒否もあるのが裁判官である。
 裁判官も「京都はどんなところやろう」「弁護士がややこしいらしい」「依頼者が難しくて和解がしづらいのはホンマやろか」と思ってくるかもしれないが、我々弁護士も次はどんな裁判官が来るか非常に気にしているのが実情である。

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2016年4月 6日 (水)

読書日記4月6日

「呼ぶ山」角川文庫。夢枕獏。
 筆者の山岳小説集。私は山登りはほとんどしたことがないのだが(ちょっとしたハイキングと大山に登ったくらい)、山岳小説を読むのは好きで筆者の神々の巓は非常に楽しく読んだ(映画化されましたが、文庫で出た時にすぐ読んだ)。
 その中の登場人物のスピンオフ小説も入っているということで買ったのだが、他のものの方がよかったように思う。
 少し前に読んだ「山怪」という本にもあったが、山というところは不可思議に力が働くような気がして、渓流釣りなどで山の中にいると怖くなることがある。
 そうした恐怖心を筆者はうまく描いていると思う。

「旧約聖書 創世記」岩波文庫。

 きちんと聖書を読んだことがなかったのと、キリスト教徒の考え方の原典である聖書を読まないといけないと思っていたのである。まあ、私の個人的な考えであるが。
 そこで、ユダヤ人の聖典である旧約聖書から読むべきであろうと考えて読んだが、ヤハウェという神はここでは基本的にはイスラエル民族の神であり、すさまじい力は持つものの、全知全能という感じではないのである。
 ははあ、旧約聖書とはこういうもんかと思いつつ、最初の殺人の話も出てくるし、最初の方の族長と思われる人の寿命は物凄く長いし、旧約聖書の解説などはさすがに読む気もないので、それが正しいかどうかはともかく、自分の中で旧約聖書とはこういうものであろうというイメージが掴めた気はする。
 この後も続くようであるが、一冊読むと連続で読む気にはならないので、次はまた違うジャンルをしばらく旅することにしよう。

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2016年4月 5日 (火)

庭の桜の盆栽

 多分3年目か4年目になると思うが、盆栽で買った桜の木がまた今年も花を咲かせてくれた。

 滋賀県は京都より寒いのと、確かこれは山桜だったので、咲き始めが遅いようである。
 もう一本の桜の盆栽も蕾がたくさんついており、そちらはさらに遅く咲く種類のため、もう少し庭で桜が楽しめそうである。
 これを書いている時点で世間は桜が満開であるが、月曜日の雨でかなり散ってしまうのではないかと心配している。
 ニュースで見ていると札幌の桜は5月の連休頃が満開のようであるが、北海道の桜は寒さのためか、葉と花が同時に出るので風情は今ひとつである。
 あと、札幌の花見はジンギスカンも食べるので、これまた風情が今ひとつであるが、花見の楽しみ方は場所によってそれぞれであろう。
 私が過去に見た桜の中でもっとも綺麗であったのは弘前城の桜であるが、仕事に追われる身では弘前城の桜見物とはいかないのである。
 みなさん、花見はされましたか?
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2016年4月 4日 (月)

私の師匠かつ飲み友達の中村利雄先生の命日です。

 非常に個人的なことであるが(ブログというのはたいていそういうものだと思っているからまあいいのかもしれないが)、私が師匠と仰ぎつつ飲み友達でもあった中村利雄先生が亡くなられて今日で丸一年である。
 桜が満開の時期に亡くなられたのだが、これを書いている時点で4月4日には桜が満開になっていると思われ、何となく自分の命日に桜が満開になるようにあの世から仕向けているような気がしないでもない。中村利雄ならそれくらいやりそうである。

 桜の季節は毎年楽しみで、花見小路新橋から東にある桜を必ず見に行き、町中で咲いている桜を眺めるのも楽しみであったのだが、昨年以降は楽しみでもあり、中村利雄弁護士を思い出す季節にもなってしまった。

 もうすぐ中村利雄先生の追悼文集が発刊され(非売品)、私は編集責任者のようなことをさせてもらっているのであるが、皆さんの書かれた原稿を編集者として読んでいても、色々な中村利雄弁護士が出てきて涙を禁じ得ない。

 中村先生、安らかにお眠りください。

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2016年4月 1日 (金)

新年度

 本日から弁護士会も裁判所も新年度である。
 弁護士会の役員も交替である。
 新年度の初日は、弁護士会の各種委員会(弁護士会の業務を遂行するための委員会や人権を守るための委員会などがある)で始まる。
 私自身は6つの委員会に出席予定である。

 弁護士21年目、新人に戻ったつもりで依頼者のために頑張っていきたいと思う。

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