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2016年7月29日 (金)

散歩するんだワン

 朝の散歩中の小次郎(二代目)である。

 ワンコは嗅覚が発達しているので、あちこちを嗅いでいる。
 他の犬の臭いがするのであろう。
 草むらの中に突撃し、他のワンコの臭いをクンクンして、片足を上げてチャーッと小さい方をする小次郎である。
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2016年7月28日 (木)

謹んで亡くなられた方のご冥福を申し上げます

 相模原市において、19名もの命が奪われた殺傷事件が発生しました。
 謹んでお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

 また、重傷を負われた方の回復をお祈りいたします。
 こうした事件が発生するたび、犯罪被害者支援事件を担当する弁護士の端くれとして、非常に心が痛みます。
 被疑者が刑事裁判にかけられること、真相が明らかになること、適正な刑が科されることを祈ります。

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2016年7月27日 (水)

真田太平記

 現在NHKの真田丸が好評を博しているということであり、私も楽しみに見ている。
 ちなみに、次の日曜日は都知事選の選挙日と重なって居るため、地上波放送では放送時間が繰り上がるので要注意である。

 真田丸の面白さはまた書くかもしれないが、真田丸で真田昌幸を演じている草刈正雄はNHKで放送された「真田太平記」(原作・池波正太郎)では、真田幸村を演じていたのである。真田太平記では昌幸を演じていたのは丹波哲郎であった。当時の丹波哲郎の年齢と、現在の草刈正雄の年齢は同じということである。

 真田太平記は総集編で見た記憶があるが、真田丸を見ているとどうしても真田太平記を見たくなり、DVDを購入して少しずつみている。
 これを書いている時点で、幸村が大阪に入城する手前である。
 丹波哲郎の怪演もいいし、真田信之役の渡瀬恒彦もいい。当然草刈正雄もいいし、お江という女忍び役の遙くららがものすごくいい。
 お江の描かれ方は原作とは異なるのだが、それもまたいいのである。
 ラストがどうなるかは大阪の陣の顛末を知らないわけではないので分かっているのだが、幸村最後の突撃ではきっと涙なくしては見られないであろう。
 原作は池波正太郎で確か文庫版で13巻くらいあるので、読むのは大変だが、これもまた名作である。
 作品という意味では、真田丸の方はかなり史実に近く、真田太平記は架空の人物がかなり出てくる。史料を検討した上で堀田作兵衛とか、高梨内記などが出てくるのを落としたのかどうかは分からない。最近真田関係の史料の研究が進んでいることもあり、当時は史料が少なかったのかもしれない。

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2016年7月26日 (火)

読書日記7月26日

「海馬(トド)」新潮文庫。吉村昭。
 押さえた透明性を感じさせる客観的な文章で数々の名作を遺しておられる筆者の動物をモチーフにした短編集である。
 そこに人間ドラマが交錯して、どれも珠玉の一遍となっている。
 よかったのは、「うなぎ」という映画の原作となった最初に収められている「闇にひらめく」と、唯一の実話をモデルにした羆撃ちの名人の「銃を置く」である。

 一話あたり数十分あれば読めるので、隙間時間にもお勧めである。

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2016年7月25日 (月)

歩きスマホの極限ではないか。

 「ポケモンGO」が配信されるというニュースを聞いたが、諸外国同様、きっと事故など問題が起こるであろう。

 たとえば、テーマパークの中だけで実施するのであれば分かるが、どこでもポケモンが現れるという設定自体首をかしげざるを得ないのである。
 先日も並んでいたら、前のお母さんが子どもを全く見ないで、自分のスマホでゲームを必死にしていた。
 その間、子どもはギャアギャアと騒いで私の前でうるさくしていた。
 子どもがうるさいのは仕方ないし、親がなだめても子どもが騒ぐのは仕方ないが、子どもがギャアギャア騒いで迷惑をかけているのに、自分はスマホでゲームをしている姿を見ていると、日本の行く末はどうなるのかと思ってしまうのである(完全にオヤジ発言だが)。
 ポケモンGOの配信には強い懸念を政府も打ち出しているが、外国では夢中になりすぎて原発の敷地内に入ったり、自動車にはねられた女性が泣きながらインタビューに答えていたり、自動車を運転しながらゲームに興じてパトカーに追突したりしている映像が流れているところであり、日本でも同じようなことにならないか、心配である。
 中法律事務所内にレアポケモンがいるらしいので、入らせてくださいなどという人が現れないことを祈る。

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2016年7月22日 (金)

読書日記7月22日

「希望荘」小学館。宮部みゆき。
 杉村三郎シリーズの最新刊。彼を主人公にした既刊には、「誰か」「ペテロの葬列」などがある。
 妻と離婚し地元に戻った杉村三郎は、ある事件がきっかけで探偵業を始めることとなる。
 中編が4作入っているが、どれも秀逸である。

 読みやすいが中身が薄いということもなく、小説であるからどんでん返しとオチがある。
 私は宮部みゆきの時代ものは読まないが、現代小説はほとんど読んできた(模倣犯、理由、火車、楽園など。ソロモンの偽証は購入しているが未読)。
 この作品も期待を裏切らない一冊であり、読書欲を満足させてくれるものとなっている。

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2016年7月21日 (木)

交通事故に何度も遭う人

 交通事故に何度も遭う人がいる。
 そのような場合、裁判官によっては色目で見ていると思われる判断がされることがある(故意に事故を発生せしめたという認定)。
 しかし、追突ばかりの事件の場合、何度もうまく追突などさせられる訳もない(もちろん、事故を起こして保険金を騙し取るような集団がいることは事実であるが、事故に何度も遭っていることだけでそうした推定をするのはどうかと思うのである)。

 私の経験上は、4回くらいなら事故に遭う人もいる。
 前の怪我が治った途端に事故に遭った不運な人もいる。
 世の中、事故に何度か遭うということはあり得ない話ではないのである。
 ロイ・サリバンという人は人間避雷針と呼ばれた人で、その生涯に七回雷に打たれている。その確率は天文学的数字であるが、そうしたこともあるのである。
 最初から疑うのはよくないのである。
 以上。

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2016年7月20日 (水)

笑うワン

 椅子の上に乗せられて何故かご機嫌な小次郎(二代目)である。

 室内犬の小次郎は、冷房の効いた部屋で日々過ごしている。
 以上です。
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2016年7月19日 (火)

思い込みだけの判決

 相談に来られる人や依頼者に、「裁判官によって判決の結論が変わる」というと非常に驚かれる。
 同じ証拠で同じ主張をしても、裁判官によって真逆の結論が出ることもままある。

 裁判官の中には、記録を読み込まないで、思い込みが強いものもいる。
 地裁で敗訴して高裁があるではないか、日本は三審制ではないか、と思われる方もいるかもしれないが、最高裁まで行ってひっくり返るような事件はほとんどないから、実際は高裁が最後である。
 その意味で、高裁でおかしな裁判官にあたるとどうしようもないことになる。

 立派な裁判官がいることは否定しないし、本当にこの裁判官でよかったと思える事件がないではない。
 しかし、どちらかというと、ひどい裁判官と当たってひどい判決を受けた時の方が印象に残るものである。
 地裁の裁判官が間違ってばかりかというと、そうもいえず、一審の判断の方がどう考えても正しいということもある。
 要は、どの裁判官に当たるかでものすごく事件は左右されるのである。
 同じ主張立証をしていても、ひどい裁判官が赴任してきている時は全く駄目であるのに、裁判官が転勤で交代してきた時にいい判断が出されるようになるのである。
 ある意味、弁護士にとってもどうしようもない場合がある。

 相応にトレーニングされた弁護士であれば、ろくでもない裁判官が一定割合いるということはある意味裁判をするリスクとして織り込んだ上で訴訟遂行をしなければならない。
 依頼者からすれば、一生に1度のことであるのに、思い込みだけで判決をされるということは、裁判制度への信頼をなくすことになる。
 そして、ほとんどの場合、裁判官に対する弁護士の評価は一致しているものであり、あの裁判官はどうしようもないという評価はほぼ誤りはない。
 そうした裁判官は、法曹の世界から去って欲しいと思うのである。

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2016年7月15日 (金)

読書日記7月15日

「海市」P+Dbooks 小学館 福永武彦。
 最近福永武彦という作家を知り、その作品をいろんなジャンルの本の合間に読んでいる。
 ペーパーバックで発売された表題作は、いい作品であるのに入手困難となっている作品をペーパーバックで出版するという小学館の試みである。

 解説は実子で作家の池澤夏樹氏。
 海市(かいし)とは蜃気楼のことである。
 画家の主人公は妻とは離婚寸前で、精神の癒やしを求めて、また、絵の原案を求めて旅行に行くのであるが、そこで不思議な女性と出会う。
 彼女の名前は安見子といい、主人公はその女性と関係を持つが、その女性は彼の前から消えてしまう。
 後に彼女は親友の妻であることが分かるが、彼と安見子は逢瀬を重ねていく。
   二人の愛の行き着く先はどうなるのか。
 500頁ほどの作品であったが、一気に読んだ。

 小説としての技巧も感嘆するばかりであり、こういう小説を読むと昨今の文学で読める物は限られるという気になる。
 おススメの一冊である。

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2016年7月14日 (木)

あごを乗せるワン

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 ソファーに座っていると、足の間に寝てきて、私の足にあごをのせてくる小次郎(二代目)である。

 腕のところに来て腕枕で寝ていたり、かわいいことこの上ない。
 こうした犬とかを虐待するヤカラの気持ちが分からないのである。
 雨が多い一週間ですが、もう少しで休み。
 あと2日、頑張りましょう。

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2016年7月12日 (火)

読書日記7月12日

「ルーダンの憑依」みすず書房。ミシェル・ド・シェルトー。
 中世にルーダンで起こった尼僧たちの悪魔憑き事件のノンフィクションである。
 これを基に「尼僧ヨアンナ」という作品が書かれて映画化もされている。

 こういう事件があったことも知らなかったが、尼僧に悪魔が憑依することを手助けした人物として、グランディエという男が裁判にかけられて、火炙りにされる。
 男性版魔女裁判であるが、グランディエという男性は複数の女性と関係を持つなど、教会から目をつけられていたこともあり、罪をでっち上げられたのではないかという疑いもある。
 当時の史料を丹念に整理して経緯を書いたということでは秀逸な本であると思われるが、読みづらいことこの上なかった。
 元々の原典が読みづらい複雑な文章であったようで、訳者も相当に苦労されたようである。
 原典に忠実であろうとしたがために、そうなったのであろうと思われるが、ある程度意訳して、読みやすいものにしていればよかったと思われる。

 

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連絡手段

 先日読んだ福永武彦の「草の花」という小説の中で、最愛の女性と会わなくなり久しい主人公が、出征の前に一度音楽を見に行こうとして、コンサートのチケットを同封した手紙を送るという場面があった。その女性が来たか来なかったかはさておき、離れている人同士の連絡方法としては手紙くらいだったのである。
 現在放映中の「真田丸」でも双方の状況を手紙で伝えている。

 私が大学生になり、授業にもあまり行かずアルバイトをしていた頃、アルバイト先(業務用の冷蔵庫・冷凍庫やクーラーの据え付けの仕事)のおじさんの連絡方法はポケベルであった。
 「ポケベルが鳴らなくて」という名曲があるが、今の人には「???」であろう。
 ポケットベルが鳴ると、会社に連絡をして用事を聞くのである。

 少しすると、車に電話がついた。携帯電話の走りである(一番最初の携帯電話はランドセルくらいあったようだが、このオジサンの場合は今の携帯よりも少し大きい電話が自動車についていた。ただし、自動車から外して持ち運びはできない)。

 弁護士になって2年目くらいに携帯をもつようになったが、この頃は携帯をもっている人も稀であった。
 しかし、そのうちに誰しもが携帯を持つようになり、今はスマホ全盛期である。
 冒頭に書いた小説の一コマは、今ではLINEで送られてしまい、風情も何もないのであるし、展開もその場で決まるということになる。
 その意味では、現代小説では、こうした男女の連絡がつかずもどかしいというような話は書きづらいと思われ、連絡手段の発達もよいことばかりかどうかは分からないと思うのである。
 以上。
 

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2016年7月11日 (月)

収穫を忘れたキュウリ

 葉の陰に隠れていたため、収穫されなかったキュウリが発見され、うちの父親が庭を見に来てくれた時に収穫をしていた。ほとんど瓜である。

 キュウリとはこんなに大きくなるものなのかと思いながら、ちょっと気持ち悪いので食べないでおこうと思っている。
 キュウリが好きな虫がいたら喜ぶであろうけど。
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2016年7月 8日 (金)

暑いワン

 朝6時20分頃から私と散歩に行き、その後朝ご飯を食べてからおもちゃで遊び、私が出かける時間にはエネルギーが切れてクーーラーが一番あたる場所で横になって、「ハア、暑いワン」という感じの小次郎(二代目)である。

 顔にやる気が感じられない。
 毛がフサフサだから、そりゃ暑いよね。
 今日一日乗り切れば明日は休みである。
 頑張っていきましょう。
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2016年7月 7日 (木)

庭に住み着いているカナヘビ

 は虫類が苦手な人は読まないで欲しいのだが、うちの庭にずっと居る(あるいは何代目かの)カナヘビである。
 カナヘビと言ってもヘビではなくトカゲである。

 太陽が照ってきたので、日向ぼっこに出てきた模様である。
 狭い庭だが、いろんな生き物が住んでいて、姿を見かけると、「おお、お前生きていたか」という気分になる。
 悪い虫がいたら退治して欲しい。
 以上です。
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2016年7月 6日 (水)

蚊取り線香

 庭で葉巻を吸うときに蚊に食われるので、蚊取り線香をつけている。

 ヒトスジシマカに刺されないように気をつけましょうとされているが、刺されないようにと言われても、限界がある。
 蚊取り線香をつけていると、外なので全く蚊にやられない訳ではないが、ましにはなる。
 蚊取り線香の煙に蚊が当たると、蚊は落ちるのであろうか。
 あるいは、寄ってこなくなるだけで、蚊は死なないのであろうか。
 外でか細い煙をたいていても、蚊がちょっと煙に当たって死ぬというのもないような気がする(家の中でもくもくと煙をたくというのをしているところはあるのだろうか?)。
 初代小次郎の墓を建ててもらう時に業者さんが大きい蚊取り線香のようなものをいくつかたいていたが、それは虫よけであり、虫は死なないということであった。
 蚊に煙が当たって、蚊がポトリと落ちるというようなことがあるかどうか、疑問な平成28年の夏である。
 以上。

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2016年7月 5日 (火)

かりゆしシャツの季節

 6月中は朝晩肌寒い時もあったので、上着を着ていた。
 駅のホームでTシャツで震えている人も居た。

 しかし、7月に入り上着は要らなくなったであろう。

 京都弁護士会では数少ないが、私ともう1人親友の吉田誠司弁護士はかりゆしシャツを着ている。
 裾を入れないので、涼しいし、シャツの素材も涼しい。

 日弁連の委員会に行くと、沖縄の先生はかりゆしシャツを着ておられるが、本州でももっとかりゆしを着たらいいのにと思う。
 亜熱帯気候と化した日本で、スーツは夏場もう要らないであろう。
 かりゆしを着ていても、仕事をする中身は変わらないので、カジュアル過ぎると思わないで欲しいのである。

 暑いねえ。。。
 以上です。

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2016年7月 4日 (月)

読書日記7月4日

「草の花」新潮文庫。福永武彦。
 先日読んだ福永武彦という作家の作品がよかったので長編も読んでみることにした。
 自殺とも思える無理な手術をして死んだ主人公が残した二冊のノート。これを託された筆者はそのノートを読んでいくという流れで構成されていて、小説としての技巧も完璧である。
 純粋すぎる主人公とその深遠な孤独と絶望と愛を描いた作品であり、こうした作品は初めて読んだ。
 戦争で兵役に取られる暗さとともに、救われることのない物語であるが、読んでいない人には是非福永武彦という作家を薦めたくなる。

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2016年7月 1日 (金)

任意保険会社による弁護士特約の実際の運用の違い

 交通事故に遭った時に任意保険をかけていると(家族のものでも補償されることがある)、300万円までの枠で弁護士費用を出してくれる。
 被害を受けた人に取っては非常にありがたい保険であるということがいえる。

 しかし、保険会社によって弁護士費用を出し渋るところがあるので保険会社を選ぶ時にはよく考えた方がいいのである。
 弁護士が着手金を計算して連絡すると、特に異論なく「これでけっこうです」と伝えてくる保険会社もあれば、理屈をつけて減額を求めてくるが結局弁護士側の主張を認めてくれるところ、一切これ以上は支払えないというところがある。
 ホームページなどを見ていると、この保険会社はうちの事務所では使えませんと明言されている事務所もある。ここでは書かないが、そうしたホームページで名指しされている保険会社がそういう保険会社であることは私の経験上もほぼ正しい。

 判決で弁護士費用が1割程度認められる場合があるが、その場合にも弁護士費用を返金せよと言ってくるところもある。約款では「請求することができる」とあり、請求しないことも自分のところの契約者であればできるはずであるが、一部の保険会社はそれが数千円(物損事件などではそういうこともある)でも「返金せよ」と言ってくる。
 私は保険会社とのやりとりについては自分の依頼者に伝えることにしている。依頼されている事件であるからそれが当然であろう。特に問題ない場合は伝えないが、そうではない場合には伝えている。
 たいていの依頼者は、自分が依頼している弁護士に対して費用を削ろうとする保険会社の話を聞くと「次回契約更新時には保険を変えます」ということを言われる。特に私から変えた方がいいということはないが、そのような声は多い。
 せこいことをしていると、契約をしてくれる人が徐々に減る可能性もあることをそうした保険会社は理解した方がいいのである。
 以上。

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