« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »

2017年5月30日 (火)

読書日記「黄砂の籠城」

 講談社文庫。上下巻。松岡圭祐。
 義和団の乱の際に、各国の公使館が義和団に狙われる。4000人の人命を守るため、日本陸軍の櫻井は柴中佐とともに命をかけた籠城をする。

 史実に基づく小説である。読みやすく、ノンストップアクションで最後まですっと読める。
 義和団の乱の際に、このような事実があったとは知らなかった。
 読みやすいが、また読んでいて違和感を感じなかったといえばウソになる。
 義和団からすると、列強は故国を侵略した敵であり、清国からしても内実は列強とはそういう対象のはずである。
 この小説の中で、日本や列強の視点から描かれる義和団は、暴徒であり、敵であり、殺しても殺しても沸いてくるゾンビのような集団である。
 しかし、彼らとて1人の人間であり、家族があり、国を思わなかった訳ではあるまい。
 義和団が没個性の対象として描かれ、殺される対象としてしか描かれなかったところは残念であるが、小説なのでわかりやすい切り口は必要なのであろう。
 小説としては、非常にまとまっていて、このような史実があったのかと思わせられるので、最近非常に評判がよいこともよく分かるところである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月29日 (月)

ボールは渡さないワン

 ボールは渡さないとして、なぜか笑顔の小次郎(二代目)である。

 みんなこんな人ばかりであったら、世の中は平和であろう。
 弁護士の仕事もなくなる訳だが。
 5月も終わりで梅雨入りが見えてきましたが、頑張っていきましょう。
1495713600934

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年5月26日 (金)

満員電車

 通勤の際にはある程度空いている電車に乗るようにしている。

 早く行かないといけない時には、空いている電車をチェックしているので、目的地に早く着いてしまったとしても、空いている電車で行くようにしている。
 私は喘息持ちなので、満員電車で喘息を誘発するような臭いが充満していると、発作が出て呼吸ができなくなる可能性があるためである。
 きつい香水の匂い(たまに数メートル離れていてもプンプンする熟女とかいる)や、キシリトール入りのガム(ガム自体に喘息発作を誘発することがあると書かれている)、強い体臭などで、息が苦しくなるからである。
 喘息発作で死ぬ人もいるので(薬でコントロールしているので、長らく発作は出ていないが、発作が出た時のことを思い出すと二度とあんな目には遭いたくないと思う)、満員電車で発作が出てはいけないので、朝人身事故などで電車の本数が減り、満員電車しか来ない時には、やむを得ず別ルートで通勤するしかなくなるのである。
 いろいろな病気を抱えている人がいることを私自身も忘れそうになるが、自分自身にも持病があるので、そうした人に配慮を忘れないようにしたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月25日 (木)

読書日記「開国」

 幻冬舎文庫。津本陽。
 平成8年頃の作品であり、私が弁護士になった頃の作品である。
 主人公を決めず、開国がされ、井伊直弼が暗殺されるまでの激動の時代を開国に関わった人々を中心に書いている。

 後世から見れば、開国することはやむを得ないことであったろうし、それが正しい道であったことは容易に理解できるのだが、当時の人々は今ある情報と知識でそれぞれの立場で攘夷を叫んだり、開国に反対していたことが分かる。
 今の日本が置かれている立場は江戸時代とは違うものの、開国の時代のように先が見えない中でどのようにして将来のよき国家を作っていくかについての立場が先鋭的に対立している構造ではなかろうかと思い、これを読むことにした。
 時代の中に生きる人々にとって、正しい判断をすることがいかに難しいかを痛感させられる一冊である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月23日 (火)

ボール投げてもらうの待ってるワン

 どうしても遊んで欲しい時はこっちの手を前肢でカシカシとして「かまえ」という小次郎(二代目)であるが、時折、こうしてオモチャを前に置いてかまってくれるのを待つときもある。

 これもかなり気に入っているオモチャであるが、難点は、転がりがいいため、ソファの下にすぐ入り込むことである。
 ソファの下に入ると大きくなった小次郎は下には入れないため、何度かチャレンジして取れないと、「取って」という顔をしてこちらを見つめるのである。
Sketch1495061239761

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年5月22日 (月)

読書日記「ロンギヌスの聖痕」(上)(下)

 竹書房文庫。グレン・クーパー。
 キリストの聖遺物の一つであるとされるロンギヌスの鎗にまつわる伝説をモチーフに物語が進行する。
 掌に突然聖痕があらわれた神父の聖痕は本物なのか。あるいは狂言か。

 ナチスの生き残りも登場し、物語は全世界を股にかけて展開する。
 キリストの聖遺物をモチーフにした物語は海外では割合メジャーであり、歴史的に聖遺物を検討した書籍も多数発刊されている。私もいくつか読んでいる。
 人生で読まないといけない本ではないが、たまにはこういう息抜きができる本も読みたくなるのである。
 割と楽しめたので、こういうジャンルが好きな方にはお勧めである。
 そもそもの前提にかなり突っ込みたくなるところもあったのだが(ネタバレになるので書かないけど)、まあそれは娯楽小説である以上仕方がないであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月19日 (金)

読書日記「夢見る少年の昼と夜」

 P+Dbooks。福永武彦。
 最近感銘を受けている福永武彦の短編集である。

 絶版となった作品をペーパーバックで復刻しているものであり、「海市」「風土」「夜の三部作」などが既に発売されている(全て読んだ)。他の作家も復刻されているようである。
 古本屋市場で探せば読めないことはないが、せっかくなので綺麗なものを読みたいと思うので、こうした復刻は大歓迎である。
 収録されている短編集の中では、「心の中を流れる川」「世界の終わり」の二編がよかった。
 心の中を流れる川は、夫との間が冷え切り、夫はやり直せると信じているが、妻の方はそんな考えは全くないという夫婦の間の物語で、そんな義理の妹をやきもきしながら心配している神父の兄もそこに絡んでくる。
 題名を見ただけで、読みたくなるような題名で、特に表題作の表題など私にはとうてい思いつかない。日本語の持つリズムというか、言霊を感じるのである。
 まだ福永を読んでいない人がいれば、是非読んでもらいたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月18日 (木)

カラスとトンビの戦い

 動きが速いため写真がないのが残念であるが、最近、小次郎(二代目)の散歩をしていると、カラスが2羽でトンビを追いかけて追い払おうとしている。

 このカラスは先日まで電柱の上に巣を作っていたのであるが、関西電力に撤去されたようで、今度は私の自宅近くの小川の中州に巣を作ったようである。
 小川と歩道との間の柵に、2羽で止まっていて、私が小次郎を夕方散歩させていると、「俺らのナワバリに入ってくんなよ、コラ(想像)」という感じでこちらをにらんでいる。
 初代小次郎はカラスが止まっているとかかっていこうとしていたが、ひびりんぼうの二代目小次郎は、「僕カラスには興味ないし」という感じでそそくさと歩いていく。
 カラスはカラスで大変であろうし、トンビはトンビで生きていくのにカラスの卵かヒナを狙っているのであろうが、毎朝「ピーヒョロロー」と泣きながらカラスに追いかけられているのである。
 本気でやったらトンビが勝つと思うのだが、どうなのであろうか。
 トンビがカラスのヒナを狙うのをやめて、小次郎を狙わないか、それもまた心配で、トンビが近づくと身構えてしまう今日この頃である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月17日 (水)

渓流の管理釣り場にて

 先日渓流の管理釣り場に行ったのであるが、天候もよいため家族連れがたくさん来ていた。私は自然河川に放流してもらい、それを釣り上げるというスタイルでいた。家族連れは池のようなところで放流された魚を釣ったり、バーペキューをしているのであった。

 しかし、これら家族連れが、自然河川に降りてきては、子どもが釣りをしている横で石を投げ込んだり、川の中に入ってきたり、川を横断したりと釣りに取っては絶対にしてはいけないことをやりまくってくれた。
 河川には立入り禁止とされているにも関わらずである。
 管理釣り場の人が何回も来て注意するのだが、次から次に上記のようなことをしてくるのである。
 おかげで、釣果の方はイマイチで、11匹であった(前は15匹くらいは釣った)。
 同行した友人も同じようなものであった。
 釣りをしている横で石を投げたり、川に入ってバチャバチャやられたら、魚が逃げるであろうということくらい、想像すれば分かるであろうに、マナー以前に規則を守れていない家族連ればかりであった。
 管理釣り場の人たちも、「今日来られている人はとんでもなくひどい人ばかりです。いつもはここまでひどくないのですが、本当に申し訳ありません。」とのことであった。管理釣り場の人たちは注意もしてくれていたし、元々川に入るなということで注意の上施設を利用しているのであるから、管理釣り場の人たちには責任はないのである。
 横で石を投げていても、想像力も働かすこともできず、子どもが石を投げるに任せていたり、いい大人が立入り禁止の川の中でバチャバチャやっているような人間はそもそもこうした施設に来る資格がないのである。
 この日はたまたまマナーが悪い人達が集まっていたのであろうが、せっかくの休日を釣りでリフレッシュするつもりが、不完全燃焼となったのである。
 当たり前のことであるが、ルールは守って遊びましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月16日 (火)

所属会は言って欲しい

 弁護士の●●先生から電話があったというメモがあり、「もう一度電話します」欄にチェックはあったのだが、こういう時は一応私から掛け直すように(できるだけ)している。

 ただ、たまら困るのが、「弁護士の●●」という表記があり、当然京都の先生だと思って掛けると、「電話してません」と言われることがたまにある。
 履歴は携帯であり、携帯にかけてよいものかどうかも分からない。
 弁護士の●●と名乗る時は、京都以外の先生の場合は、所属会も言って欲しいものである。地元では有名な先生なのかもしれないが、日本全国に多分同じ名字の弁護士はある程度いるので(私と同じ読み方の弁護士は複数いる模様)、所属会は言っておいてもらいたい。
 そして、二度と掛かってこなかったりする場合もあり、一体どこの弁護士さんが私に何の用事であったのであろうかなと思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月15日 (月)

オモチャ投げて欲しいワン

 小次郎(二代目)が一番好きなオモチャの一つはこのボールである。

 投げるとジャンプして口でナイスキャツチしたりする。
 足下にオモチャを持ってきて、投げて欲しいワンというところの一枚である。
 
 今日は初代小次郎の命日である。初代小次郎にもっとしてあげたかったことを、二代目にしてあげようと思うのである。
Dsc_0030

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年5月12日 (金)

コート考察

 さすがの私もコートを脱ぐ季節になってきたが(誰よりも早くコートを着て、最後まで着ている)、割合早い時期からコートを脱いでいる人もいる。ただ、そういう人は駅のホームで震えているのである。

 朝晩の気温に合わせてコートを着るか、日中の気温に合わせるかなのであろう。
 基礎体温が高い人もいるようである(私の知人にも何人かそういう人がいて、冬でも薄いコートしか着ていない)。
 基礎体温が高くない人で、真冬でも薄いコートを着ている人は、長袖にズボン下を着ていたり(しかも発熱するやつ)している模様である。しかし、私は長袖シャツを着ると風邪を引くことが分かったので、どんな寒い時でも半袖シャツにズボン下は履かない。
 代わりにコートで調節しているのであるが、寒くなるにつれて、スプリングコート→ステンカラーコート→裏地に少しダウンが入っているナイロンコート→ダウンコートとなり、暖かくなるにつれてこの逆をたどる。
 今年は中々暖かくならないと思っていたところ、急に最高気温が上がったので、ダウンコートからスプリングコートに移行して、ようやくコートを脱いだのである。
 書いてから思ったが、非常にどうでもいい考察となってしまった。
 連休明けの週末、みなさん、ゆっくりお休み下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月11日 (木)

絶滅危惧種

 少しわかりにくいが、プランターの横にミノムシがぶら下がっている。

 ミノムシは絶滅危惧種ということであるが、なぜか私の自宅の庭にはたくさん居て、時々芝生の上をにょきにょき歩いていたりする。
 現在も物凄い速度で生物が絶滅しているが、ミノムシはニホンオオカミやニホンカワウソのように(生存説も根強いが)絶滅しないで、私の庭の片隅でひっそりと居続けて欲しいものである。
Dsc_0026_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月10日 (水)

読書日記「人間はどこまで耐えられるのか」

 河出文庫。F・アッシュクロフト。
 表題だけ見たら何かふざけた本のように見えるかもしれないが、極めて科学的な一冊であった。
 人間はどこまで高いところで平気なのか、暑さ・寒さにどこまで耐えられるのか、どこまで潜れるのか等々について書かれているが、我慢比べをしているのではなく、人間の身体が耐えられる限界がなぜあるのか、いわゆる潜水病が起こる原因や、高度が上がった時に人間の身体に起こる変化などが科学的に語られる。

 寒い海にもし放り出された場合、服は着ておいて、じっとしている方が救助される可能性が高まる原因や、表題とややかけ離れて科学的内容がぎっしりである。
 日本語の副題で「科学から分かる人間の身体のなんとか」などと付けた方がもっと手に取ってもらえたかもしれない(文庫になっているのでそこそこは売れたと思うが)。
 知的好奇心を満たす一冊である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 9日 (火)

暴れ、そして寝るワン

Dsc_0007_2 Dsc_0008_2 暴れて寝る小次郎(二代目)である。

 1日こんなことを繰り返している。
 いい生活だと思うが、まあワンコなりの苦労もあるだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 8日 (月)

読書日記「たけしの面白科学者図鑑 人間が一番の神秘だ!」

 新潮社。ビートたけし。
 たけしが科学者と対談する文庫の3冊目。あまりに面白いので続けて読んでしまった。
 人類が旅したであろう道を人力だけでたどる科学者、言語の始まりを検討するのでジュウシマツを飼う科学者、人跡未踏のどこにでも手提げ袋だけで行ってしまう科学者、アンドロイドをなぜ作るのか、脳はどこまで分かっているか等々、これまた知的好奇心を満たしてくれる対談集である。

 たけしの知識量も半端なく、たけしは天才なのだと改めて思い知る一冊でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 3日 (水)

連休中の当事務所の対応について

 連休中は当事務所は休暇をいただきますが、お急ぎの連絡については、メールを送信いただければ、できる限り所長の中が対応させていただきます。
 なお、メールによる相談は受け付けておりませんので、相談のご予約や依頼されている依頼者の方からの連絡に限らせていただきます。
 どうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 2日 (火)

読書日記「たけしの面白科学者図鑑 ヘンな生き物がいっぱい!」

 新潮社。ビートたけし。たけしの面白科学者図鑑が3冊刊行されているが、そのうちの一冊。対談集である。

 この文庫でも、乾燥するとほとんど不死身のネムリユスリカや、その生態が謎のダイオウイカ、白アリに魅せられた科学者との対談が収録している。
 この一冊でもたけしの対談力がいかんなく発揮されており、その知識の幅広さには脱帽である。たけしの質問もいい。
 白アリの女王はクローンであり、クローンが次々に王との間に子をなし、王は昆虫であるのに30年は生きるという。他の同系統の寿命と比較すると、人間でいえば1万年生きるという計算になるということで、世の中には知らない世界が多々あるということに知的好奇心が満たされる。
 是非読んでおきたい一冊である。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 1日 (月)

中小事業者のクレジット・リース被害について

 平成17年5月に私が呼び掛け人となって全国で初めてリース被害に対して救済を図るため、「リース被害京都弁護団」」が結成され、それ以降同弁護団の事務局長を務めている。なお、主として零細中小企業を狙った悪質な契約はリースにとどまらず、クレジット契約における被害も見られるようになったことから、現在では名称を「リース・クレジット被害京都弁護団」と改称している。
 リース被害、クレジット被害におけるその特徴は、悪質な業者が、零細な中小事業者がそのターゲットとしていることである。
 まず、リース被害については、リースそのものを規制する立法がない。事業者でなければ、法定の期間内であれば、特定商取引法のクーリングオフを主張して、契約を白紙撤回できるが、特定商取引法におけるクーリングオフは、営業もしくは営業のために締結した契約については適用がされないため、零細な中小企業が締結したリース契約についても、特定商取引法の適用が除外されるという結論となりやすい。
 この点についても、当弁護団は様々な主張を展開し、悪質なリース被害における営業もしくは営業のためという概念の限定解釈を主張してきたが、裁判所は理解を示すところとはなっていない。むしろ、条文を拡張解釈し、単なる「事業」でも足りるとして、全く営利事業を行っていない宗教法人についてまで適用除外を認めた裁判例すら存在するほどである。
 リース会社は、自分の営業部隊を持たず、各悪質な販売店が契約の締結、交渉をとりまとめ、顧客との契約関係はリース会社との間にしか存在しないこととなる。
 各販売店は、リース会社から商品の売却代金を一括で支払ってもらい、リース会社はこれにリース料率を乗じたものを毎月リース料として請求することになる。
 リース会社は、直接契約の締結は行わず、訴訟においては、販売店がしたことは「自分は知らない」といいさえすれば勝訴できるという構造にあり、現に以下に述べるような主張立証を尽くしたとしても、敗訴に至ったケースは多数存在する。
 リース会社に対して主張できる構成としては、悪質な業者がリース会社の代理人であるとし、業者の行った行為がリース会社にも主張できるとする構成が考えられるが、裁判所は様々な証拠を尽くして説得をしても、ほとんどこの主張を採用しない(市民感覚からすれば、どうして認めないのかとなるであろう)。
 同じ理由で詐欺、錯誤を主張しても、リース会社はそれを知りようがないという理由で敗訴することが大半である。
 悪質な業者の行っている行為をリース会社が知ることが可能であったとして、最高裁の規範を用いて一部勝訴した事例もあるが(その判決は京都弁護団が取得している)、我々弁護団からすると、「知ることができた」時期が遅すぎ、救済されないという思いがある。
 この裁判所の壁をどう突き崩すかということが非常に重要である。
 クレジットの場合は、業者と顧客との間には商品の売買契約があり、その売買代金を信販会社が立替払をする契約を顧客と締結していることになる。これは二つの契約が存在するが、事業者が契約を締結した場合には、業者と顧客との間の売買契約において、顧客が業者に主張できる事実があったとしても(詐欺、錯誤など)、信販会社にはその事由を原則主張できないというのが裁判所の考えである。
 これについても、最高裁の規範で、信義則上残りの割賦代金の支払を信販会社が請求することが認められない特段の事情がある場合には、請求が認められないというものがあるが、特段の事情の主張立証責任は顧客側にあり、私の知見の範囲では、具体的事例でこれが認められた事例は知らない(もしあるのであればご容赦願いたい)。
 この問題について書くと、一冊の本が書けるほどであるので、この程度にするが、問題としては、リース契約される商品自体の価値がほとんど無価値なものでも数百万円のものとしてリース会社の審査が通っていることもあげられよう(クレジットも同様)。
 このように、中小企業が締結した契約は、法律による規制がないため、簡単に解決できるものではないという理解を持つことが重要であり、安易にリース契約やクレジット契約を締結すべきではないのである。
 仮に、こうした契約において、簡単に解決ができるというような説明をする弁護士がいるとすれば、その弁護士は事業者のリース契約やクレジット契約についての知識が全くといっていいほどないから、依頼する前によくよく検討した方がいいというのが私の考えである。
 もちろん、京都弁護団としては、裁判所が上記のような考えでいるとしても、それを打破すべく、今後も事業者のクレジット・リース被害撲滅のために、訴訟において主張立証を尽くしていくことには変わりがない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »