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2017年8月31日 (木)

読書日記「WOLF」

 角川文庫。柴田哲孝。
 有賀雄二郎というライターを主人公にした著者の動物パニックものシリーズである。

 このシリーズが好きで、今までにもいくつか読んでいる。

 物語は、秩父でオオカミが出没しはじめるというところから始まる。
 その正体は何か。
 絶滅したニホンオオカミなのか。それとも、違うものか。
 秩父野犬のことも掲載され、ちょうどニホンオオカミについて書かれた本を読んだところであったので、理解もしやすく、物語の展開も最後にどんでん返しがあり、楽しめた。
 この小説を読めば、ある程度のニホンオオカミについての知識は得られるかもしれないし、一般的にはそれで十分かもしれないとも思った一冊(私はもう少し突っ込んで知識を得たいが)。

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2017年8月30日 (水)

札幌遠征紀

 8月25日と26日は夏期休暇を取り、北海道にサッカーの練習試合に行ってきた。

 札幌弁護士会のチームとの練習試合である。
 10月末にある全国大会に向けて調整のためでもあった。
 なお、なぜ土日にしなかったかというと、土曜日には札幌でエクザイルのコンサートがあり、宿が取れない(取れても一泊15万円とかの部屋)状態であったためである。恐るべし、エクザイル。
 午後2時30分の便で16時30分頃に新千歳に到着し、予約しているホテルに行くが、「予約がありません」と言われる。過去に一度泊まった札幌駅前のホテルであり、「何か不具合か?」と考えたが、予約の記録を見せたところ、同じ名前の違う場所にあるホテルということが判明した。ちなみに、アパホテルではない。
 ホテルの方に聞くと、タクシーで行くには近すぎるというので、地図をもらい歩いたが(どうもそういう間違いをする人が多いようである)、ホテルの人の説明とは異なり、到着に20分を要した。
 チェックインをすると、ホテルの1階にある定食屋の食券をもらう。朝食サービスはなく、横の定食屋で食べるシステムのようである。よし、明日の朝は納豆と生卵定食にしよう。
 その後は懇親会である。鳥秀というススキノの焼き鳥屋で前日に札幌チームと懇親会を開催した。ススキノらしく、ビルの2階から4階は風俗店が入っている。ビルから出てきた人が何をしていたか分からないという雑多さがススキノのいいところである。何人かのチームメイトは驚いていたが。。。
 名前からして、焼き鳥ばかり出てくるのではと予想し、チームメイトの何人かは、先に回転寿司で海の味覚を少し仕入れてから来たようであるが、私は事前にこの店のコースを調査しており、海の幸もふんだんに出ることをリサーチしていた。
 鳥秀の名前とは異なり、焼き鳥は2品だけで、後は北海道の非常に美味しい野菜や海鮮が出てきて、非常に満足であった。
 おまけに、もうすぐ私の誕生日ということで、サプライズで皆さんにケーキも用意してもらっていたのである。
 そして、その日はホテルのバーで何人かで軽めに飲んで、翌日に備えた。
 翌日は車でないと行けないため、バスをチャーターしてキロロリゾートで練習試合を行う。
 私以外はみな若手というのが京都チームの今回の遠征メンバーであり、私自身かなり足を引っ張ったが、20分5本のトレーニングマッチを行い、トータル8-0くらいで勝利した。私も80分出場したので、これを書いている現在、あちこちが筋肉痛である。
 途中激しい雨が降り、一本しか持ってきていなかったズボンの汗を乾かそうと干していたところ、試合中に荷物のところに戻るわけにもいかず、ズボンがずぶ濡れとなった私は、帰り道をサッカーパンツで過ごすハメになった(サッカーパンツは速乾性がある)。
 途中、トンデンファームに寄ってもらい、ソフトクリームを食べたのだが、一度雨に濡れた身体には寒すぎて、みんなでクリームを食べようという意思のもとにトンデンファームに寄ったにもかかわらず、熱々のソーセージを食べるという裏切り者があらわれる始末であった。一部の選手は、子ヤギが可愛いと思い近づいたところ、思い切り威嚇されてビビるという一幕もあった。
 サッカーパンツ姿の私は、空港で服を買うことも考えたが、どうせみんな人のことはそんなに見ていないだろうと腹をくくり、プレミアム席でサッカーパンツで堂々と座り、自宅までサッカーパンツの上にかりゆしという異国情緒あふれる格好で戻ってきたのであった。
 札幌チームのみなさん、お世話になりました。

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2017年8月29日 (火)

読書日記「死ぬほど読書」

 幻冬舎新書。丹羽宇一郎。

 読書の効能について、元伊藤忠商事の代表者である著者が語る一冊。
 年間150冊ほど読んでいるということで、ドラクエ11に人生の時間を浪費している私からすると非常に恥ずかしい思いである(私は平均すると100冊弱くらいであるので)。
 読書をしない人は人生の愉しみの多くを失っていると私は思っているし、弁護士という職業からしても多くの本を読んだ方がいいとも思っている。
 せめて、今読書の習慣がない人は、1ヶ月に2冊でも読むようにしたらどうであろうか。
 年間24冊でも20年間で480冊の本が読めるのである。
 そうすれば、様々なことについての見方や考え方も変わるであろうし、人生に豊かさが出てくるであろう。
 弁護士になってからも年間100冊ほどは平均すると読んできたので、22年間の弁護士人生で2200冊ほどは読んだことになる。
 それだけの本の重みが私に全て滋養となっているとは言いがたいのが私の至らぬところであるが、読まない人よりは、読む人の方が絶対にいいので、本を読むきっかけとして、今読まない人はこういう本を一度読んで見てはどうであろう。

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2017年8月28日 (月)

基本的にご機嫌だワン

 ワンコというものはだいたいそうかもしれないが、基本的にいつもご機嫌な小次郎(二代目)である。よく、口を開けて、笑っている。

 小さい身体であるが、ものすごい癒やしを与えてくれるいいやつである。
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2017年8月25日 (金)

読書日記「敗者の日本史14 島原の乱とキリシタン」

 吉川弘文館。五野井隆史。

 これまでにこのシリーズは関ヶ原と大阪の陣、長篠合戦などを読んだ。敗者側から見た日本史というものである。
 本書では、島原の乱がどのような経緯をたどったのか、なぜ島原の乱が起こったのか、江戸時代に至るまでのこの地方のキリシタンの状況について整理されている。
 専門書に近いような書籍であるため、史料がそのまま掲載されていて、意訳文もないところもあるため、読みづらかったというのが正直な感想である。

 読み手が素人である場合のことも考えて、意訳文も掲載して欲しかったところである。
 幕府から見た史料だけではなく、最近発見された一揆側の史料等から最新の知見が掲載されているという意味では、歴史マニアにとっては、書棚に入れておきたい本であるが、一般ウケはしないであろうから、皆さんにお勧めできる訳ではない一冊。

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2017年8月24日 (木)

左耳が聞こえない

 お盆あたりで左耳が聞こえづらく、綿棒で掃除をしたら聞こえるようになったのだが、その後、日々悪化していった。しかし、時々聞こえるのである。

 聞こえづらい電話で音量を最大して左耳で聞いていた(右手はメモを取る必要があるので、どうしても左手で受話器を持つためである)。
 依頼者との打合や裁判でも、自分の声が聞き取りづらい状況である。
 これは噂に聞くストレスが原因でなる突発性難聴ではないかと恐れおののきながら、先日、とうとう耳鼻科に行くことにした。
 耳鼻科にて、「時々聞こえるなら、難聴違うね」と言われ、耳を診てもらったところ、「耳垢やな。耳を通すのに綿棒で掃除したと言われていたけど、自分でどんどん逆に奥に突っ込んで固めたんやな。これは耳鼻科でないと取れんわ。」と言われて施術してもらった(そこそこ痛かったが)。
 施術が終わり、右耳以上に聞こえる状態となった。
 今は、聞こえすぎて受話器の音量を相当下げないとだめな状況である(私は元々耳はいいのである)。
 ということで、耳が聞こえないことを伝えていた方々(そんなには好評していなかったが)、本当に申し訳ございませんでした。
 事務局には笑われました。
 以上です。

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2017年8月23日 (水)

左足の親指の爪が真っ黒である

 土曜日の午後からサッカーの練習が予定されていた。

 まだ出発するには時間があったため、ドラゴンクエスト11をやろうと思い、3ds(しかもでかいサイズ)を取ろうと思い手に取った。
 そうしたところ、充電していたコードが途中で扇風機に踏まれており、ピンと張った充電器のコードの衝撃で、DSを離してしまった(充電器の差し込み口からコードが抜けてくれればよかったのであるが)。
 このDSが、左足の親指の爪に角から落ちて、骨折したのではないかという激痛が走った。
 ちなみに、扇風機を動かして、コードを下に敷いた犯人は私ではない(二代目小次郎ではもちろんない)。
 その後の練習では、1歩1歩踏み出すごとに左足に激痛が走り、トラップもキックもまともにできない始末であった。
 これを書いている時点で、まだ相当の激痛が残っている(26日にもサッカーの試合があるが、出られるか不安である)。
 みなさん、ゲーム機のコードと扇風機には気をつけよう。
 夏の教訓である。
 

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2017年8月22日 (火)

読書日記「鳥類学者だからって鳥が好きだと思うなよ」

 新潮社。川上和人。

 数少ない鳥類学者の筆者が、鳥についての知見や、自身の経験談を語る一冊。
 表題とは裏腹に、鳥類への愛が溢れていると思う。
 文体がとにかくふざけており、読んでいて楽しい(何となく照れ隠しな気がするが・・・)。
 鳥類についての学識も記載されているが、軽妙な文体で気にならない(むしろ、軽妙な部分が多すぎる気もするが)。外来種が入ることでどれだけのものが失われるか、絶海の孤島に行くために、どれだけ入念な準備が必要か(孤島にいないはずの生物を持ち込んではいけないのだ)等々、鳥類学者の仕事の片鱗がうかがえる。
 読みやすく、読み手のことも考えている一冊。
 面白かった(バッタを探しにアフリカにの作者と通じるものを感じた)。
 面白く、知識も得たい方には是非。

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2017年8月21日 (月)

ちょろっと見てるワン

 ソファーの下でかけ布に顔を入れて、私の鞄の陰でもぐって寝るのが好きな小次郎(二代目)である。

 上から小次郎を見ていると、「何?」という感じで布を半分上げて下から見ているところである。
 雨が降っても台風が近づいても、朝の散歩は気にせず行く迷惑なヤツであるが、まあかわいらしいのである。
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2017年8月18日 (金)

読書日記「サザンオールスターズ1978-1985」

 新潮新書。スージー鈴木。
 私自身サザンファンであり、来年サザンがデビュー40周年であるので、おさらいのつもりで買ってみた。

 知らなかったエピソードや、世間の評価が桑田さんの本当の偉大さに比べて低いことを嘆いており、筆者がサザンが本当に好きなのだということが分かる。
 桑田さん、あるいはサザンは今でこそ出す曲出す曲ヒットを飛ばすが、デビューして爆発的に売れた後、売れなかった時代がけっこうあり、その頃のサザンについても詳しく書かれている。
 アルバム一つ一つの曲に対して☆をつけていっているが、これは要らなかったなあと思っている。
 今でもサザンのコンサートでよく歌われる歌が☆が低かったり(ということは、桑田さんにとって、☆は高いということ)、私からすると「これは違うだろう」という☆もある(多分サザンファン1人1人違うと思うが)。
 一曲一曲思い出して、またサザンの昔のアルバムを聴きたくなるという意味ではいいのだが。
 売れた枚数も掲載されており、栞のテーマは名曲だと思うのだが、当時は4万枚程度しか売れていなかったということにも驚いた。
 新曲を出しても、往年の名シンガーやバンドの歌が売れない時代に、ソロでもバンドでも今も売れ続けている桑田さん、サザンはやはり、天才、すごいとしかいいようがない。
 数年前、紅白歌合戦で、コンサート中継の際の紫綬褒章問題等で桑田さんは批判されたが、この本を読んでいると、「確かに、サザンは昔からムチャクチャやってたよな」「サザンのムチャクチャは、今に始まったことではないよな」「これがサザンだ」ということも思い出されて楽しい。
 サザンファンのみなさん、是非ご一読を。

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2017年8月17日 (木)

会合の支払額の傾斜配分

 会合で、若い弁護士がいる場合、22年弁護士をしている私の場合、上の期の方で全額出して、若い弁護士には1円も負担させないことが多い(うちの勤務弁護士にも同じ)。

 故酒見先生は、勤務弁護士と食事に行くと、お昼は各自に出させたそうだが、夜は全額出してくれたそうである(その違いが分からないが)。私は昼も夜も事務所の弁護士と行くと全額私が出すし、複数の会合の時も事務所の弁護士分は私が負担する。
 傾斜配分する場合に、中には、「いくら若くても弁護士なのだから、平等に支払わせるべきである」という考え方を持つ人もいるし、「ゼロはダメで、少しでも負担させるべきである」という意見を持っている人もいる。
 面倒なので、そういう場合には、出さない人の分は私が出して処理しているが、これはいろんな考え方があるので、私のようにしているのが正しいとはいえない。
 修習生の頃、さんざん指導弁護士におごってもらい、弁護士になっても若い頃は、「ここの支払は誰がしているんやろ」と思っていた(目上の先生が全て出してくれていた。ただし、誰におごってもらったか忘れた。)。
 その頃のありがたみを忘れまいと思い、若い先生や修習生には、負担はなしか、あるとしてもほんの少額にするようにしているし、誰に出してあげたかまでいちいち覚えていない。
 修習中に、「あの時おごってあげた」という実務家がいて、飲む度に言われるので、そんなに言われるならアンタとは行きたくないわと内心思っていたので、あの時出してあげたなどは覚えておく必要もないし、いう必要もないと思っている。

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2017年8月16日 (水)

町中にて

 人のポーズというか、仕草は大事であり、スマホや携帯電話を耳にあてて話をしていると、「電話で話しをしているのだな」というのが分かり何とも思わない(ただし、周囲に大声で、「オレ、しゃべってんねん」みたいな感じで話をするヤカラは話に夢中になってどぶ川にでも落ちて、ゴミまみれになればいいのにと思うが)。

 最近、町中で普通に歩いている人が1人で話し出すという場面があり、精神的に病んでいる人ではなかろうかと思うことが多いが、そういう人はたいてい耳に何かつけているのである。ブルートゥースで耳のところのイヤホン(マイク内蔵)で、電話をしているのである(そんな文明の利器は私には必要ないが)。
 ハンズフリーで便利なのだろうが、人の仕草というのはその仕草で何をしているか周囲が認識しているということもあるので、あれは本人は何とも思わないかもしれないが、独り言をブツブツいいながに歩く人であると思われる覚悟が必要であろう。

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2017年8月15日 (火)

読書日記「ニホンオオカミは消えたか?」

 旬報社。宗像充。

 ニホンオオカミは絶滅したというのが一般的認識であるが、生き残っているという目撃談や遠吠えを聞いたという報告も多い。
 秩父野犬と名付けられたオオカミに酷似する写真は有名であるが(今泉博士という方がニホンオオカミの生き残りの可能性ありとしている)、そのほかにも九州で撮影されたオオカミらしき写真もある(いずれの写真もこの書籍に掲載されている)。
 著者は、ニホンオオカミと呼ばれるオオカミの実像が実は話をしている者によってあいまいであることや、日本には実は「オオカミ」と山犬と呼ばれる二種類いた可能性も示唆する。
 何と、シーボルトが、二種類飼っていたという記録もあるのである。
 ニホンオオカミは固有種ではないとして、日本にオオカミを放せば生態系が維持されるという説があるが、本当に同種なのかという疑問もこの書籍では呈される。
 実はまだ読めていない本として、「オオカミが日本を救う!」(白水社、丸山直樹著)という本があるのだが、その本も後日読んでオオカミについての知識をさらに深めたいところである。
 この中で出てくる秩父野犬を撮影した八木氏は、フィールドに撮影機を多数しかけて、ニホンオオカミの生存を証明しようとしている人である。NPO法人ニホンオオカミを探す会を立ち上げ、週末にオオカミを探しに出かけられている姿が描かれている。
 秩父野犬の写真を見たい方は、NPO法人のホームページで鮮明にみることができる。
 そして、筆者も犬とは違う、「秩父野犬」を目撃するのである。
 面白すぎる一冊であり、絶滅という国の定義のあいまいさなども含めて(ニホンカワウソも高知では未だに目撃されているらしい)、私としては、ニホンオオカミが今も日本の山奥で生き残っていると信じたい。
 そして、人間の業の深さを思い知らされる一冊でもある(六度目の大絶滅、NHK出版。エリザベス・コルバート著、を書籍を読んだ時と同じ思いである)。
 しかし、人間の業の深さの中、生き残っていてくれれば、これほど嬉しい話はない。
 時間があれば、私もニホンオオカミを探しに出かけたい、そう思わせられる一冊であり、一読の価値ありである。
 読書の楽しみを教えてくれる一冊。

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2017年8月14日 (月)

身体もフワフワだワン

 普段は服を着ているので分からないのだが、服を脱ぐと身体もけっこうフワフワな小次郎(二代目)である。

 この時は何故服を脱いでいるかというと、台風が来ているので事務所を早く閉めて帰った時に、けっこう雨が降り出して風もきつくなっていたのであるが、小次郎は雨風では散歩はやめないので(初代は雨が降っていると玄関で見せてやると、濡れるのが嫌なようでトコトコと家に入っていった)、ずぶ濡れとなったため、服を乾かしているからである。
 私も当然ずぶぬれとなったが、小次郎のためなら仕方がないのである。
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2017年8月10日 (木)

お盆休みについて

 毎年、お盆は休まれるのですよね、と依頼者から聞かれるが、独立してから事務所はお盆の間もずっと空いている。

 弁護士、事務局が交替で休みを取るのである。
 弁護士が複数になった以降は、誰か事務所にはいるようにしている。
 お盆の間に依頼者に突発的な事項が起こって、連絡を取りたい場合もあるだろうし、急ぎの依頼案件があるかもしれないためである。
 また、事務局としても、旅行などに行きたい場合、お盆期間は旅行費用が高いので、自分で好きなところで休みを取る方がいいだろうという考えもある。
 私もお盆は一部休むが、ずっと休むということはない。日弁の法律相談センターでご一緒させていただいている大先輩の石垣島の弁護士からは、「休まないと保たないよ」と先日話をしていただいたが、これで22年やってきているので、仕方がない。
 私の知る周囲の弁護士(京都の弁護士はだいたい知っているが、酒見会という。故酒見先生のところで勤務弁護士をしていた弁護士やその弟子達のいわば血縁の会で、入りたくても血縁がないと入れない。)は大体こんな感じなので、そんなものかと思ってやっている。
 何より、さほど裁判が入っていないので、仕事ができるのが嬉しいところでもある(こういうところがワーカホリックであかんと石垣島の先生には言われそうであるが)。
 世間は三連休であるが、どこで出てきて、多少仕事をしようと思っている連休前のひとときである。

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2017年8月 9日 (水)

読書日記「イブの迷宮(上)(下)」

 竹書房。ジェームズ・ロリンズ。

 Σフォースというアメリカの秘密機関の活躍を描くシリーズの最新作であるが、この作者がすごいところは、物凄い取材と調査を重ねて科学的である上にフィクションを構築するところである。
 本作では、突然現世人類が文明化したのはなぜかというところに焦点をあてて、それはネアンデルタール人と現世人類が交雑した時に生まれた交雑種がスーパーヒューマンであったのではないか、という説から、アダムとイブのイブは、そのスーパーヒューマン(作品の中ではそういう言葉は使われていないが)ではなかったかというところから物語が全世界を巻き込んで展開する。
 先日読んだ「猿神のロストシティー」の発見もいち早く取り入れられており、最後まで知的好奇心と小説の醍醐味を味わえる2冊であった。

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2017年8月 7日 (月)

ウサギも僕のだワン

 小次郎(二代目)のお気に入りのオモチャの一つ、ウサギちゃんである。

 これを投げて欲しいので、持ってきておすまししているところである。
 涼しいところで、ウサギとたわむれる小次郎である。
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2017年8月 4日 (金)

読書日記「村上春樹翻訳(ほとんど)全仕事」

 中央公論新社。村上春樹。
 村上春樹は優れた翻訳家であり、多数の小説を発表する合間に翻訳を手がけている。

 その翻訳のほとんど全仕事を掲載した一冊で、それぞれに一言ずつ村上春樹の思いが書かれている。
 また、翻訳家の柴田元幸氏との対談も掲載されている。
 よくこれだけの仕事ができると思うのだが、村上春樹によると、翻訳と小説を書くのは頭の使うところが違うようである。経済的にはペイしない翻訳作業をなぜするのか、翻訳の魅力についてたっぷりと書かれた一冊。
 どちらかというと、私は村上春樹は小説よりも翻訳の方が好きである。
 村上春樹の偏愛ともいえるチャンドラー愛を感じるためであるかもしれないが。
 これを読んでいると、「この作品も読みたいな」「あっ。これも良さそう。」などと思ったが、直ぐに本を発注するため、読んでいない本が500冊くらいまだあるので、注文するのを我慢した次第である。
 早くチャンドラーの未翻訳の「レイディ・イン・ザ・レイク」を翻訳して欲しい。
 チャンドラーの新訳が出たら、他の本はいったん棚上げにして、村上春樹訳を読むのである。
 

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2017年8月 3日 (木)

京都駅にて

 京都駅は人が多い。外国人観光客や夏休みに入り旅行に来た日本人観光客もいるし、当然ビジネスでの移動の方もおられるので、混雑している。

 混んでいる京都駅で、子どもさんを二人連れておられ、両手に1人ずつ子どもさんと手をつないでいる母親が居たのであるが、非常に混んでいる駅の中で、子ども達はそれぞれ手を一杯に伸ばして歩いているので、非常に横幅を取る状態で歩いていた。
 見ていると、当然、通行している人の邪魔になり、より混雑を引き起こしていた。
 中にはその母親をにらむビジネスマンもいたのだが、逆にその母親はにらみ返していた。話をしている言葉からすると、日本人である。
 暑い中、子どもさんを2人連れて歩くのは大変だろうし、子ども達が出かけるということで、テンションが上がり、横一杯になって歩いてしまうというのも分かるのだが、非常に混雑している駅であるから、やはり子どもさんと手をつなぐのは当然としても、自分の近くに来るように(叱るまではいかくなくとも)言って、せめて幅を取らないように歩けないものかなあと思って見ていた。広いところで広く歩けばいいのである。
 昔はああいうことをしていると、頑固親父のような人によその子でも叱られたものであるが、今はそんなことを下手にすると、親からキレられるということもあるから、中々みなよその子を叱ることもしないであろう(私もやはり敬遠してしまう。)。
 歩きスマホ同様、他人に迷惑をかけていても、自分がよければそれでよいというのは、少し違うのではないか、と思う真夏の1日であった。

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2017年8月 2日 (水)

夏休みの宿題

 7月下旬から8月下旬まで、裁判所は2週間ずつ交代で夏休みに入るので、裁判も半分になるため、少し身体が空くようになる。
 しかし、ここで油断していると、直ぐに9月がやってきて、そこで提出期限の書面などが多数あり、慌てるのである。アリとキリギリスではないが、この裁判所が夏休みの間にこそ、弁護士も書面をせこせこと書かないといけないのである。

 ここでこれまで書けていなかった訴状や調停申立書を作成し、9月に提出する予定の書面を起案し始めておくとラクである。
 小学生の頃から、夏休みや日常的に宿題が出ていたのは、社会人になっても〆切りがあり、結局同じようなことをしなければならない予行演習だったのである。
 弁護士の中にはキリギリスのような人も当然いて、夏休みの間、ノホホンとしているので、大丈夫かなと思っていると、9月に入り、「できてない」「できてない」とワタワタし出したりする。
 キリギリスは確か冬になり死んでしまったが、弁護士は事件を引き受けた以上やらないといけないので、今のうちにやっておかねばと思う今日この頃である。
 

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2017年8月 1日 (火)

読書日記「山窩寄談」

 三角寛。河出書房文庫。

 漂流の民とされるサンカについての実話録という内容とされているが、解説では、三角による創作の可能性が強く示唆されている。
 実際は小説だというのである。
 真偽はともかくとして、読み物としてはめっぽう面白く、グイグイと物語の中に引き込まれていく。
 隆慶一郎の作品の中にも、こうした人々がたくさん出てくるが、その実体はどうであったのかと思いを馳せるのには適当な一冊である。

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