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2018年7月31日 (火)

読書日記「パンツが見える。」

 新潮文庫。井上章一。
 京都ぎらいを書いた筆者による羞恥心の現代史である。

 内容は馬鹿馬鹿しく、これを発刊した時は周囲から非難ごうごうだったそうである。そりゃそうである。
 元々下着をはいていなかった時代は、着物であったことから女性の陰部がよく見えていたところ、陰部を隠すために下着をはきましょうということになり、下着は見えても恥ずかしいものではなかったというところから、なにゆえに下着が見えても男性が興奮するようになったのか、また女性が恥ずかしいと思うようになったのかということを様々な文献や当時の写真を引用して整理している。
 あまりにもどうでもいい内容だが、馬鹿馬鹿しく面白かった。

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