2020年3月31日 (火)
2020年3月30日 (月)
2020年3月26日 (木)
ゲームがなかった頃の昔の遊び
外で子どもが遊んでいると、叱られるというような報道を読んだりしている。
コロナの影響で自宅待機はつらいであろう。
子どもの頃は外で遊んでばかりいた。
ゲーム機が出てきたのは、小学校の途中だったように記憶している。
オクトパスというゲームがあったが、これはただひたすらタコの足をかいくぐって宝を取って戻るという単純極まりないものであった。
だんだんタコの足が速くなるのである。しかも何種類もゲームは入っていなかった。
たまに喫茶店に父親にご飯につれて行ってもらった時にやる据え置きのゲーム機でのゲームが楽しみであった。もちろん、直ぐにやられるのだが。。。ギャラガというゲームなどであった。
金持ちの家に遊びに行った時に、自宅内にゲーム機が置いてあり、お金を入れなくても無限にゲームができるということを知り、驚愕したことを覚えている。
ゲーム機がなかった頃は、外で遊ぶしかなかったり、ゲーム機も普及するまで時間がかかったので、外遊びをしていた。
ドッチボール、色鬼、ろっくん、名前呼びん、ベッタンなどなど。細かい内容は割愛。
あの頃は外で遊ぶしかなかったのだが、最近は外でそうした遊びをしている子どもも見かけない。
オリンピックも延期となったが、一日も早く事態が終息することを祈るばかりである。
2020年3月25日 (水)
読書日記「戦国時代」
講談社学術文庫。永原慶二。
戦国時代について様々な角度から戦国時代の黎明期から終焉まで検証した一冊。
マニアック過ぎる内容で、一般人では全く読む必要はないであろう。
しかし、戦国マニアの私はこういう本も読むのである。
一箇所歴史的に見て明らかな間違いが記載されているのが気になった。
ほとんどの人に参考とならない読書日記である。
2020年3月24日 (火)
信念の裁判官
「死亡被害者の命の価値は駅頭で配られるポケットティッシュのごとくに軽い」
平成8年、私が弁護士になった時に京都地裁で交通事故の死亡案件で、求刑を超える量刑を言い渡した際の藤田清臣裁判官(当時)の量刑理由の中の言葉である。これは私は何ら関わっていた事件ではないが、当時は新聞などでかなり報道された。
藤田裁判官は前記の判決からも分かるように、信念を持たれた裁判官であったと思っている。
私は今は被害者支援の関係から、刑事事件は原則として引き受けないのだが、若い頃は国選刑事弁護も担当していたので藤田裁判官の担当部の事件もさせていただいたことが何回かある。
その中で思い出深い事件があった。
執行猶予が確実な事案であったが、通常は、判決言渡は2週間後である(ちなみに、内容自体は人を死傷させたような重篤な事案ではなかった。)。
この事件は、私のミスで弁論要旨を事務所に忘れてきたため、うろ覚えで汗をかきかき弁論を述べ終わり、被告人が最後に謝罪をしたところ、突然「今から判決を言い渡す」と言われてその場で執行猶予付判決をもらった。私は呆然。被告人も呆然。
「もう二度とこんなことしちゃダメだよ。かわいい奥さんとお子さんがいるんだから」(うろ覚えの記憶)とニヤリと笑いながら言われて(これもうろ覚えなのでひょっとしたら笑っておられなかったかもしれない)、さっと法服を翻して戻って行かれたことを記憶している。その姿がものすごくかっこよかった(月並みな表現ですいません。正直、しびれたのである。)。
情状証人で、奥さんがベビーカーを押して雨の中カッパを着て法廷に出てきていたのであった。
終了後、書記官に聞いたところ、「部長は執行猶予事案では、身柄拘束を無意味に長引かせないために即日結審して即日言渡されます」ということであった(もちろん、現在の刑事訴訟法の改正前である)。
様々な場面で、信念の人だと感動させていただいたことを覚えている。勝手に敬愛していた裁判官のお一人である。
藤田部長は、現在は大阪で弁護士をされているようである。
藤田先生、勝手に書いてすいません。
私も信念をもった法律家であるよう頑張ります。
2020年3月23日 (月)
2020年3月19日 (木)
読書日記「裁判官も人である」
講談社。岩橋達哉。
裁判官のリアルに対して迫ったノンフィクション。
私は司法試験に合格した時は任官希望で出していたのだが、修習が始まって少し経過した時に「裁判官は自分には合わないな」と思って弁護士志望に転じた(元々検察官→弁護士→裁判官→弁護士と志望がコロコロ変わっていて、修習の間に、裁判所からも検察庁からもお誘いがあったが、いずれも断った。)。
これを読むと、裁判官でありつつも自分の信念を貫くことがいかに難しいことかと分かる。
よく知っている裁判官もたくさん掲載されている。
私の知っている裁判官は、出世に興味がなく、しかし世の中のあり方を変えるような判決を書いているが干されたりはしていないが、そういうことは希有な例なのかなと思った一冊であった。
裁判所内部がこんな状態では、多くの裁判官はいい判決など書けないよな、とより思わせられた一冊であった。
2020年3月18日 (水)
悩みのある判決
判決の劣化のところでも少し書いたし、過去にも書いたこともあるのだが、いい判決というのは、「悩み」がある。
負ける方の主張や証拠に対して、「なるほど、これこれの主張と証拠からすれば・・・」として負ける方の主張や証拠に対しても一定の紙幅を割いて検討した後、「しかし、これこれの証拠からすると、敗訴側の主張は認められない。その理由は・・・」などとして続く。
こういう判決は、負けても控訴理由書が書きづらいし、勝った時も控訴審で覆る可能性が低くなると思える。
先日、こういう判決を一つもらった(勝ったからいうのではないが)。
その一方で、悩みのない判決は、「これこれこうである。」「だから主張は認められない」とだけ言い切りで書いてあって、「いや、あれだけ証拠も出して、主張もしたのに、それで終わりかい」という判決である。書きやすい判決というか、裁判所が書きやすい方向の証拠だけ採用して、採用しなかった証拠や主張には触れることがない。
こういう判決は負けても控訴理由書が書きやすいし、勝ったとしても控訴審では不安が残るのである。
最近はこちらの判決の方が増えていて、判決を読んでも納得できないことが多い。
もっとひどいのは思い込みによる判決である。最終準備書面で証拠について詳細に書いたのだが、証拠を見ないで、「きっとこうだった」というような思い込みだけで判決を書くのである。過去に地裁支部でもらった判決は、控訴審で完全に覆った。証拠関係からしたら、地裁支部のような認定はどうやってもできないのである。高裁の裁判官も、「一審判決はさすがにひどいと思いました。代理人が丁寧に証拠評価を書いているのに、全くそれを読んでいないとしか思えないですね。」と和解の席で言われていた。
裁判所が忙しいのは分からないではないのだが、代理人も必死で準備書面を書いて、証拠も提出しているのだから、三行半のような判決はやめて欲しいと思う今日この頃である。
2020年3月17日 (火)
読書日記「本当の翻訳の話をしよう」
スイッチパプリッシング。
村上春樹。柴田元幸。
翻訳も業とする2人が翻訳について語り尽くす一冊。
2人の外国文学についての博識さに驚かされるとともに、これを読んでいるとそうした作品が読みたくなる。
2人による翻訳比べも掲載されていて興味深い。
外国文学もこういう本を見ていると読みたくなるが、翻訳者の力量によって相当な差が出ることをまた痛感。
読む人を選ぶとは思うが、私には面白かった。
2020年3月16日 (月)
2020年3月13日 (金)
読書日記「「地球温暖化」の不都合な真実」
日本評論社。マーク・モラノ。
地球温暖化を主張する人たちが基にする気温についてのデータが改ざんされていたり、アルゴアの映画「不都合な真実」の中の氷にすがっているシロクマがCGだったり、シロクマの生息数は逆に増えていたり、南極の氷は逆に増えているなど、地球温暖化を主張している人のよって立つデータが全て誤りであると論破する一冊。
ここまでくると何が真実かわからなくなってくる一冊である。
寒冷期がやってくるという主張も別の書籍でされているのを読んだりして訳が分からなくなるが、おそらく、私が生きている間には答えは出ないのであろう。
これは興味深い一冊である。
2020年3月12日 (木)
相続財産管理人
亡くなった人に相続人がいないか、いることが明らかでない場合、あるいは相続人がいたとしても全員が相続放棄をした場合に、利害関係人の申立によって相続財産を管理するために管理人が選任されることがある。
家裁からの依頼で、私も常時数件担当させていただいている。
先日は明渡作業のために業者の方と自宅を検分したのだが、犬を大事に飼われていたようで(ただし、そのワンコたちは少し前に亡くなってしまっていた。しかも犬種が二代目小次郎と同じパピヨンであった。)、写真がたくさん飾ってあった。
業者に廃棄をしてもらうと、この犬たちのことを知っている人がいなくなってしまうと思い、全く無関係な犬の写真などを何枚か事務所に持ち帰ってきた。
飾る場所にも困るのだが、写真立てに入れて、第二来客室近くの本棚に置いて、一部私の机に置いている。
出会ったこともない犬たちだが、少なくとも、私が生きている間は、「こういうワンコがいた」ということを間接的に私は知っていることにはなる。
あちらの世界で、飼い主さんと出会えていればよいと思う。
2020年3月11日 (水)
とりあえずビール
酒席で昔は「とりあえずビール」と言ったものだが、最近は違っていたりする。
お酒を飲まない人も増えたし(そのことが別に悪い訳ではない)、最初から日本酒の人もいる。
夕方、弁護士会の委員会に行くと、けっこうコーラや炭酸飲料を飲んでいる人がいる。
これは、夕方になると朝から活動していて身体が酸素過多となっていて、炭酸が入っている飲料を飲むと、体内で酸素と結合して、酸素を奪い、身体をリラックスさせるので、夕方になるとコーラを飲みたくなるのはおかしくないためである。
細かい理論は忘れたが、昔、免疫学の大家の安保徹先生の著作を何冊も読んでいて、副交感神経と交感神経の働きや、薬が病気を作るという考え方に共感したものである。安保先生の著作では、夕方炭酸を欲することは自然の欲求であると書かれていた。
細かい話などは忘れたので、突っ込まないでください。
こうした医学的著作からすると、仕事が終わった酒席で、「とりあえずビール」というのは自然の欲求に従っていて正しいということになるようである。
私の後輩にも、酒席で酒は飲まないが、ずっとコーラを飲んでいるものもいて、それを見ながら安保徹先生の理論を思い出している。
2020年3月10日 (火)
法律相談の中止
全国各地で新型コロナウイルス対策で面談での法律相談が中止となっている。
中止となっていない単位会もあるので、相談に行かれたい方は、まず各弁護士会で確認されたい。
京都は当面3月12日から3月末日まで中止となった。延長もあり得る。
代替措置として、電話で相談を受け付けている。
各地では、単に中止をして電話相談がない地域もあるので、相談に行かれたい方はまずは各弁護士会のホームページで確認されてから行かれた方がよい。
個別の事務所で中止としているところはないと思われる。私の事務所も同様である。
新型コロナウイルスは、WHOにより、夏場でも終息しない可能性も示唆されている。
パンデミックとなった新型コロナウイルスであるが、できることを1人1人が最大限やりつつも、終息することを心から祈るしかない。
2020年3月 9日 (月)
2020年3月 6日 (金)
換気の重要性
あちこちで言われていることであるが、風邪やインフルエンザを予防するには、換気が効果的だということである。
私の甥は小学生だが、担任が朝換気を必ずする人で、甥のクラスでは誰もインフルエンザに罹患していないが、換気をしていないクラスはインフルエンザで学級閉鎖となったそうである。換気をすると寒いが、インフルエンザにかかるよりはよいようである。
高齢者の施設でも、換気をこまめにしている施設では、風邪やインフルエンザが少ないということを何かのニュースで見た。
昨日書いた読書日記で書いた感染源という書籍では、病気は空気の汚れから発症するというのが古くからの考え方であったので、空気さえきれいにしていれば問題ないと考えて水を汚染して水から病気(コレラ)になっていたが、換気をして病気が減るとなると、空気も綺麗な状態にしておくという過去の考え方もあながち間違いではないのではないかと思ったりしている。
私の事務所は来客室二つともに大型の換気扇があり(声が小さい依頼者だと聞こえないほどの音で換気する)、換気はされている方かなと思っている。
1日も早くコロナウィルスによる肺炎が終息することを祈るばかりである。
2020年3月 5日 (木)
読書日記「感染源 防御不能のパンデミック追う」
原書房。ソニア・シャー。
現在コロナウィルスが猛威を振るっている。これは、これまでに起こったパンデミックを整理した一冊。
少し前に購入していたが、これを機会に読むことにした。
パンデミックはなぜ起こるのか、パンデミックが起こった時の人が取るパニックの状態がどうか、また、我々が遺伝子解析によりどれだけこれまでパンデミックにさらされてきたか等が整理されている。
コレラが蔓延した理由が誤った医学的認識により、コレラは悪臭から発生するとされ、川に排泄物を垂れ流したためにコレラが猛威をふるったのだが、それを早期に発見した科学者もいたが、医学界はこれを受け入れず異端としたため、コレラがさらに広がったなど、恐ろしい話が書かれている。排泄物が垂れ流された川の水をそのまま濾過もせず飲料に使用していたことで、コレラが収まることはなかったなど、衝撃の話が書かれている。
また、病原体を移民が持ち込むとして、移民が虐殺されたり、ワクチンを接種させようとした医師たちが虐殺されるなど、誤った知見のために起こった悲劇なども書かれている。
本当に恐ろしい一冊であるが、これは是非読むべき一冊である。
2020年3月 4日 (水)
携帯電話の普及
平成8年に弁護士になったころは携帯電話を持っている人などほとんどいなかった。
地方の裁判所で事務所に電話をしようとしても、裁判所の入り口あたりに公衆電話が一台あるくらいで、そこを誰かが占拠していると、どうしようもなかった。
一度、地方の事務所で依頼者に電話をして和解の話をしようとしたところ、公衆電話をずっと使っている中年男性がいて、借金の督促をしていた。個人の金融屋か何かだったのであろう。結局、公衆電話が空きそうにないので、やむを得ず話を持ち帰ったことがある。
事務所に電話をするにも、公衆電話を見つけて電話せざるを得ないが、場所によっては周囲の音がうるさくて聞き取りにくかったりしたことを覚えている。
中にはテレホンカードが使えない公衆電話もまだあった。
少し経って不便だと思い携帯電話を持つようになったが、その頃の携帯電話は、電池はすぐ切れるし、電波は悪いし、高いしとどうしようもない代物であった。
弁護士で携帯電話を持っている人はこの頃でもほとんどいなかった。
4月で弁護士になって25年目に入るので、思い返すとあの頃と今とでは携帯電話の普及の度合いが全く違っていて、もはや電話をするのに困るということはなくなった。
出張中も、事務所から定時に電話やファックス等の事務連絡が携帯とPCのメールに届くようにしているし、PDFにできるので、事務局の手間は増えるが、とてつもなく困るということもない。昔は出張中に急いで対応しないといけない書面が出されて、どうしようもないので宿泊先のホテルにファックスで送ってもらったこともある。
昔の仕事の速度と今の仕事の速度は全く違うが、携帯電話の普及がそれに一役かっていることは明らかである。
特にオチもないが、以上です。
2020年3月 3日 (火)
読書日記「絶対に休めない医師がやっている最強の体調管理」
日系BP。大谷義夫。
多忙な医師が体調管理に関して気をつけていることを整理した一冊。
ウイルスや細菌感染を防ぐために、ボタンを押す際に端っこを押すなど、細かい配慮がなされている。
内容はネタバレとなるためあまり掲載できないが、できることからやろうと思わせられた一冊。