2021年3月31日 (水)
2021年3月30日 (火)
財テクの危うさ
何かの番組で見たのだが(基本ニュースが多いので、報道番組だったと思う)、節約して株式をコツコツと買ったり、不動産をローンで買って賃貸に出して、またさらに不動産を買って賃貸に出すということをしてお金を貯めて早期リタイアしようとしている若者が割合いるとのことである。
財テクをしてお金を貯めていくということなのであろう。
株式については、現状の株価高はエアーと呼ばれているし、私自身実際にそうだと思っている。
日銀が年金の資金等から日本の株式を購入していることは様々なところで報じられている。
株価を下げないためであるが、こんなことはいつまでも続きはしないし、大量に投資をしている投資家が日本の株式を一斉に手放せば株価は下がるであろう。そうした投資家にとっては、株価が高い今、「どこで売却するか」のタイミングを見計らっている気がする。
バブルがはじけた後に日本経済が一気に悪化したように、エアー高もいつまで続くか分からないと思いながら報道を見ていた。
所有している株式がその会社が破産して、ゼロ円になることもないではないのである。
ローンを組んで次々に賃貸に出すというのも同じで、賃料が入ってくることが前提になっているが、賃貸借契約の場合、必ず賃料の滞納の問題がついて回る。
賃料からローンの支払いをしている場合、ローンの支払いができなくなる上、滞納した状態で居座る賃借人を退去させるには訴訟が必要であるし、弁護士に依頼すれば弁護士費用がかかる。判決が出ても退去しない賃借人はあまたいる。そうすると強制執行費用も必要である。
荷物を残して賃借人が退去だけした場合、強制執行の後は荷物の処分費用も業者に支払わないといけない。
こうしたリスクが顕在化した事例は弁護士としてあまた見て来ている。
どこかで不動産を売却することも考えているようであったが、不動産の価格は年数とともに下落していくから、その時点のローンが消えない場合もなくはないのである。
不動産賃貸を業としてされている場合、そうしたリスクヘッジができるほどたくさんの物件を保有されていることが多い。
私は株も持っていないし、投資用不動産にも興味がない。
それで失敗した人の事件をやってきたからである。もちろん成功している人もいるが、そうした財テクに労力を割くよりは仕事をする方がいいという価値判断である。
コツコツと自分の仕事を頑張ろうと思ったのであった。
2021年3月29日 (月)
2021年3月26日 (金)
読書日記「眠れる美女たち」
文藝春秋。スティーブン・キング、オーウェン・キング。上下2冊。
2段組で上下巻で900頁ほどあるので、読み終わるまで時間がかかった。
原典は2017年なので、新型コロナウイルスの感染が拡大する前に発刊されている。
パンデミックの恐ろしさを描いた作品である(パンデミックだけでなく、超自然的な存在も登場するので、純粋なパンデミック作品ではないが。)。
日本での発売は昨年10月29日なので、一見するとこの新型コロナウイルスを踏まえて書かれたのかと思いきや、原典は2017年なので、先見の明があったということだろうか。
突然女性たちが眠りに落ちると繭に包まれる。その繭を破くと、女性は凶暴な殺人者となり、周囲の者に襲いかかる。
そのような中、普通に寝て、起きる一人の女性が刑務所に入ってくる。
彼女を検査すれば、眠っている女性たちを救うワクチンが手に入るのではないのか?
繭に包まれた女性を火に掛ける狂った男性達。
女性たちを救うために普通に寝て、起きている女性の引渡を求め、引渡を拒む刑務所側との緊張が高まる。
全体的な感想としては、900頁もの作品にする必要はなかったように思われることである。
テーマとしては面白かったが、冗長になってしまった。
あとは、ネタバレとなるので書くことができないが、私の感想としては、人生で絶対に読むべき本とまではいえないというものである。
これを読んでいたために、3月までの読書は遅々として進まなかった(出張が減って、本を読む時間が減っているせいもあるが。)。
2021年3月25日 (木)
弁護士のあり方
私は司法修習の時代を通じて出会った修習先の指導担当の先生と、その周りにおられた先生方、そして勤務弁護士として働いていた時代のボス弁やその知人の弁護士の薫陶を受けて自分の中の弁護士としてのあり方が定まってきたので、自分は伝統工芸の手作りで一つ一つ手作業で仕事をする職人であると思っている。
一つ一つの事件は個別で、依頼者もまた個別であるので、一つ一つの事件について丹念に事案を検討し、解決の方向を模索すべしと考えている。依頼者のための最大限の利益を追求しつつ、依頼者の言うとおりにした場合、依頼者にとってどうしようもない結果が出てしまうような場合には、依頼者を説得し、依頼者の将来のことも考えるべきであると思っている。戦うだけ戦って、後には何も残らなかったというような事件の進め方はやりたくはない。
このようなやり方は、受任できる事件数にも限界があるし、事務所全体として同じ方向を向くためには、弁護士は少人数で事務所をやっていくほかないと思っていて、私はそれでよいと思っている。もちろん、利益を追及して受任している訳ではない。
私の知人の大半はこうした弁護士である。
事務所を経営している弁護士としては、経営の方にシフトして、自分では事件を担当しない人も見聞するが、私自身、弁護士としてはまだまだ成長の余地があると思っているので(そう思いたい)、これは実際に事件の担当をしていかないといないとさび付いてしまうし、成長もないと思うので、事務所の弁護士の主任事件も見ながら、自分単独でも事件を担当している。
裁判所でいうと部長のようなものであろうか。
大量に事件を受けて、大量に事案の対応をする事務所が増えてきたが、一つ一つの事件にかけられる手間はどうしても疎かになると思うので、依頼者その人であったり、事件に向き合う姿勢が職人気質の弁護士と比較すると、どうしても雑になってしまうように思われる。
破産事件一つであっても、離婚事件一つであっても、依頼者その人にとっては唯一無二の事件であるから、これからも職人かつ現場の人でありたいと思っている。
それでも、依頼者が誤解をしていたり、内容について理解をしていなかったりしてトラブルになることもないではない。依頼者に感謝をしてもらえればこれに過ぎるものではないが、感謝してもらえなくとも、弁護士側で問題なく依頼者のためにできる限りの仕事をしていることを挟持としてそうした依頼者に対しても気持ちがめげないような人でありたい。
まだまだ能力不足を感じることも多いので、これからも成長できるよう、現場の人でありたい。
なお、何回か書いているが、私が「こうありたい」と思っていることを書いているところがあるので、私自身が「できている」ということで書いている訳ではないことは付け加えておく。まだまだ未熟者である。
2021年3月24日 (水)
弁護士の風貌
私は25歳で弁護士になったので、若い頃は年上に見られたかったものだが、50歳となった今となっては、若く見られる方が嬉しいが、動画で見た自分は十二分にオジサンであった。悪いことに、精神年齢は30歳くらいから成長していない(当社比)。
すごく偉そうで、年も私より上かなと思っていた弁護士が実は私より期が10期以上下で、年も10歳くらい下だったことがあった。
私より期が上で相応に経験を積んでいそうなので手強そうだと勝手に思っていたのである。
その弁護士からすると、年よりかなり老けて見えるので本意ではないかもしれないが、手強そうに見えたので、ベテランに見えるというのは悪いことではないと思ったのであった。
そういう意味では、同じ内容を説明しても、風貌によって信頼度も違うように思われるので、弁護士の風貌としては、ベビーフェイスよりは威厳のある方がいいのであろうが、年齢を重ねると、ある程度若く見られたいと思うのは身勝手であろうか。
同級生と同窓会であった時、酔っていたこともあり、ある男性が相当若くみえていたので、事務局に「30歳くらいにしか見えへんねん」と話をしていたところ、後から送ってもらったそのときの写真を見たら、普通にオジサンであった。事務局から、「この人、全然若くないですよ。普通に先生と同年代にしか見えないですよ。」と言われたことがあった。
なにゆえあの時彼が若く見えたのか不思議であるが、写真は残酷であった。
美魔女という言葉が流行っているが、男性では中々にそういう人はいないようである。
2021年3月23日 (火)
旅行客の増加
先日宮津支部まで裁判のために行ったが、帰りの特急は自由席は満席で、通路にも人が立っていた。
私は指定席を取っていたが、指定席に指定を取っていなかった人がたくさん座っていて、車掌が中で指定席料金を多数徴収していた。
特急に乗るためにホームで電車を待っていると、キャリーケースを持った大学生くらいの若者が多数いた。
城崎温泉や天橋立方面に卒業旅行に行っていたのではなかろうか。
京都市内でも観光客が増加しているという話も聞いている。
移動が増えると、その中には無症状の新型コロナ感染者もいるかもしれず、全国的にまた感染が拡大するのではないかと思ったのと、その中に変異型を保有している人もいるであろうと考えてながら特急に揺られていた。
自粛して卒業旅行に行かなかった学生も多いとは思うし、私も移動は極力控えている(裁判はなるべくWeb会議か電話会議で、東京の日弁連の会議はオンライン)。
経済も疲弊しているし、人の気持ちも限界ということだろう。
桜の時期の京都は人出が相当増えるのではなかろうか。
昨年の5月の時のようにはいかないようである。
2021年3月22日 (月)
2021年3月19日 (金)
読書日記「死ぬまでに生きたい海」
スイッチパフブリッシング。岸本佐知子。
翻訳家であり、エッセイストである著者の最新エッセイ集。
読書や知識が偏っているため知らなかったが、著者が翻訳したから読むという、著者の翻訳には根強いファンがいるということであった。
そのうち読んでみたい。
また、エッセイストとしても高い評価を受けていることを初めて知った。
このエッセイを読んで、正直打ちのめされた。
というのは、私がどれだけ文章を勉強しても、筆者のような表現や感覚は持てないであろうと思ったからである。
文筆業ではないが、方向性は異なるものの、書面で裁判所に伝えるという仕事も弁護士の重要な仕事であるし、平均的日本人よりはきっと本を読んでいるはずだが、筆者の表現や空気感、その感覚は、私のたどり着けるところではないと感じたのである。
それは、単に性差の問題だけではない気がする。
内容はネタバレとなるので書かないが、興味のある人は是非一読をお勧めする。
ただし、どうやったらこんな感覚を持てるのか、どうやったらこんな表現ができるのかと、打ちのめされる可能性があります。
2021年3月18日 (木)
二代目小次郎の散歩事情
二代目小次郎は最近土日は夕方の散歩を30~40分している。
以前は15分くらいだったのだが、なぜか距離を伸ばすことに決めたのである。
自宅近所のサイクリングロードを散歩するのだが、新型コロナウイルスの影響か、はたまた季節がよくなってきたせいか、歩く人が増えている。
そのため、ウォーキングをしている人がいるとそのたびに飛びかかろうと激おこする。
特に嫌いなのは自転車軍団である。
自転車プラスオジサンが一番嫌いで激激おこする。
大丈夫なのは若いお姉さんがウォーキングしている時だけである(小さい頃、ペットショップでお姉さんにお世話をしてもらった記憶があるのかも知れない)。
30分から40分散歩するため、その間けっこう激おこ状態のため、散歩から帰ると抜け殻のようになっている。
新型コロナウイルスの影響は、二代目小次郎の散歩にも影響を与えているのである。
2021年3月17日 (水)
コロナの影響で、歩かなくなる
弁護士会の会議もオンラインとなり、裁判もある程度Web会議となってきたので、以前よりも弁護士会や裁判所まで歩く機会が減った。
歩く機会が減ると、足も衰えるし、体重増となり困る。
仕方がないので、無理矢理歩くしかないと考え、鞄を3ウェイタイプのものに買い換えた。
片側にかけるショルダータイプ(トゥミなので、相当な重量)で歩くと、腰が直ぐに痛くなるし、歩きにくいことこの上ないからである。
これまでは(今もそうだが)弁護士会や裁判所に行くときは、普段使いの鞄から必要なものだけをトートバッグか、軽い鞄に入れ替えていた。
京都地裁で2回期日があり、通勤していればそれだけで5000~6000歩は歩いていたのだが、最近は2000歩もいかないような日々であった。
朝は時間の関係で中々歩くことができないので、父親に送ってもらう時は、帰り道はできるだけ歩くようにしようと思っている。
どこまで続くかは分からないのだが、歩くのが一番健康にいいはずだと思っている。
ただ、新しいビジネスリュックが前の鞄より容量が少し小さいため、整理が下手な私は鞄に物が入らず、多少イライラしている。
以上です。
2021年3月16日 (火)
バーチャル背景
事務所の執務机でZoomにてオンライン会議に出ることが相当増えた。
私の後ろは本棚で法律書が詰まっており、いい感じだと言われていたのだが、事務局から映り込みたくないという意見があったので、最近はバーチャル背景にしている。
ただ、日によってバーチャル背景の調子が悪い時があり、私の顔が半分切れたりしていて、困っている。
ノートパソコンで会議室でオンライン会議に出るという選択もあるのだが、やはり、オンライン会議は有線でないとWi-Fiだと電波状況が悪くてつながらないことがあるため、やりたくないのである。
緑色のスクリーンを立てると綺麗に映るそうで、ネットでスクリーンを見たのだが、
1、大きすぎて机の後ろに置けない。
2、イスにつけるタイプがあるが、サイズが中途半端で、おそらくは綺麗に出ない。
1も2も、多分使わない時に邪魔になり事務局からこれはこれで苦情が出そうである。
ということでスクリーンは断念した。
確かオンライン会議が盛んになった頃、段ボールで背負うタイプのオンライン会議用のものがあったように思うのだが、アレはどこにいったのであろう。ただ、段ボールもかさばるので、置く場所に困るし、あれをつけて会議に出ていたら、もの凄く肩が凝りそうである。
というわけで、顔が切れるバーチャル背景で日々オンライン会議に出ている。
以上です。
2021年3月15日 (月)
2021年3月12日 (金)
読書日記「黒い司法」
亜紀書房。ブライアン・スティーブンソン。
サブタイトルは、黒人死刑大国アメリカのの冤罪と戦う。
1980年代アラバマ。黒人に対する差別から、やってもいない犯罪で、ずさんな証拠で、死刑宣告をされている黒人が大量にいる。
筆者もアフリカ系アメリカ人(黒人)であり、日々えん罪で死刑宣告をされた人のために奔走する。
犯人に仕立て上げられたウォルターをブライアンは救うことができるのか。
その他、様々なエピソードが記され、頁を読む手が止まらなかった。
歪んだアメリカの司法制度の闇を余すことなく浮き彫りにした一冊である。
2021年3月11日 (木)
相続人からの不当利得返還請求
よくある事件類型として、被相続人の財産を相続人Aが使い込んでいたとして、他の相続人Bから不当利得返還請求をする類型がある。
私自身、この類型の事案で請求したことも数多くあり、請求された側の当事者の代理人となった事もある。
被相続人自身の認知機能が低下しており、同居しているみなし相続人が被相続人の資産を費消してしまう例ももちろんあるのだが、そのような状態で被相続人のために使っていたとしても、一つ一つの支出項目について説明ができない場合、立証ができず、敗訴するリスクはゼロではない。
中にはきちんと領収書を残して家計簿的なものをつけている方もおられ、資料を提示して「適切に使っていた」と説明してその点の問題がクリアされ、遺産分割がまとまった例もある。
被相続人の資産を預かり、それを自分のために好きに使うというのは横領なのだが、自分が管理しているお金をいつの間にか自分のもののように考えてしまう人が一部にいる。あるいは、必要に迫られて流用してしまうケースもあるだろう。
逆に、適性に管理され、帳簿もつけて、一切手をつけられない方もおられ、これは「やる人はやる」が、「やらない人は絶対にしない」としかいいようがない。当たり前のことで書くまでもないのだが。
兄弟姉妹同士であれば、多少怪しいお金の使い方があっても、「親と同居して面倒を見てくれたのだから、目をつぶろう」ということになることもないではないが、そこに兄弟姉妹の配偶者が関与して、意見を述べて、紛争が拡大することもある。
親と同居している場合には、金銭管理はよほど注意してやらないと、相続発生時に兄弟姉妹間で揉めることもあることは想定しておくべきであろう。
認知機能が低下してきた時には、後見人の選任も考えた方がよいかもしれない。
財産がなければ、このような問題も起こらず、逆に親に借金があって遺産の額を越えるようであれば、相続放棄をすれば足りるのであるが、退職金や年金で、節約して生活をされていて、本来なら現預金が残っていたはずのケースも割合にあり、これからもこうした事件類型はなくならないのであろうと思っている。
2021年3月10日 (水)
関西人は関西弁に敏感
関東の人が関西弁を使うと、ほとんどの人のイントネーションがおかしくなる。
関西人はこれを聞くと97.5%の人はイラッとするのではなかろうか(97.5%は私の感覚です。念のため)。
関西人でない人は気にならないようであるが、関西人は敏感だと思うのである。
アニメのアテレコで、関西弁を話すことができない声優が関西弁を話していると、いいようのない違和感を感じてしまう。
関東の人は、あれで関西弁であると認識していることから、私は、「関西人は耳がいいのではないか」という仮説を立てている。
ということは、関西人は英語のヒアリングをやろうと思えばできるのではないかという仮説も立てている。
どうでもいい話である。
以上です。
2021年3月 9日 (火)
関西人はいつも急いでいる
先日ちゃちゃいれマンデーの最後の方を偶々見ていたら、「関西人はいつも急いでいる」として様々なエピソードが放映されていた(関西だけで放映されていると思うので、他の地域の方はすいません)。
大阪生まれ大阪育ちで、2年間の修習時代を除くと、ずっと関西人である私からすれば、全て自分の行動に当てはまるので安心(?)した。
1、エレベーターのボタンを連打する。
2、横断歩道を早く渡ろうとする。
3、飛行機から少しでも早く降りようとする。
4、肉のしゃぶしゃぶは一枚ずつではなく、全て放り込む(東京の人は1枚ずつしゃぶしゃぶしていた)。
などなどである。帰宅後途中から見たので、全て見たかった。
押しボタン信号も連打している。焼肉も置けるだけ置いてさっとと焼きたい。
現場などに早く行くというのもそうで、早く到着して何をすることもなくぼんやりしているのである。
私も期日に行く時は、京都地裁は10分前(下手をすると15分前)、他の裁判所だと、場合によれば30分前には到着している。
どうしてそう急ぐのかと問われると、関西人だからとしかいいようがない。。。
以上です。
2021年3月 8日 (月)
2021年3月 5日 (金)
読書日記「ザリガニの鳴くところ」
早川書房。デイーリア・オーウェンズ。
全米500万部突破。2019年にアメリカで最も売れた本ということで購入。
湿地で死体が発見される。自殺か他殺か。
6歳の時に親に湿地に1人で置き去りにされ、それから1人で生きてきた少女も成人していた。
湿地の少女に嫌疑がかけられる。湿地の少女は殺人犯なのか。湿地の少女は、湿地でどうやって1人で生きてきたのか。
過去と現在が行き来して、物語はラストへと向かう。
ミステリーというよりは、湿地の少女の人生を共に生きる、という小説である。
人生で絶対に読むべきか本かと言われると、私はそこまで共感はできなかったが、評価は総じて高いようなので、一般的には受ける小説なのであろう。あまり書くとネタバレになるので、興味がある方は手に取っていただければと思う。
2021年3月 4日 (木)
子がいない夫婦と遺言
子どもがおられない夫婦の場合、配偶者Aが亡くなった時には、当該配偶者の父母または兄弟が相続人となる。
父母は亡くなっていることが多いので、配偶者Aの兄弟姉妹と、残された配偶者Bとの間で遺産の争いとなってしまう。
亡くなる配偶者Aからすれば、多くの場合残された配偶者Bに財産を残したい、自分の兄弟姉妹と相続の争いなどされたくないと思っていることが多い。
特に、配偶者Aとその兄弟姉妹が、配偶者Aの父母の相続を巡って争ったような場合にはなおさらである。
このような場合には、遺言書を作成されることをお勧めしている。
民法1042条で、兄弟姉妹には遺留分(簡単にいうと、遺言によっても侵害されない相続分)がないとされているからである。
自筆証書遺言だと、自署であるかとか、争いになることもあるため、公正証書遺言の作成をAB共に作ることを勧めている。
これは、多くの弁護士が相談を受ければそのように助言するであろう。
もちろん、公正証書遺言も無効となることもないではないが、極めて稀である。
そうした方がいいと思っている間に、配偶者が亡くなられて、遺産相続で困られたという事例はいくつもある。
遺留分がある相続人がいる場合には、遺言だけでは解決しないことになることが多いが、家庭裁判所の許可を受けて、遺留分の放棄をしてもらった事例もある。たまに、個人で遺留分は放棄するというだけの書類を書いてもらっていることがあるが、残念ながら家裁の許可がないと効力は生じないのである。
中々、冒頭の事例と異なり、遺留分がある場合には、遺言だけで終わらないのが相続事件である。
2021年3月 3日 (水)
心配されすぎること
知人の体調が悪いと人づてに聞いたりすることがあるが、このような時に連絡も中々しづらいところがある。
体調が悪いときに、あまり心配しすぎて繰り返し連絡をするのも相手の迷惑になるからである。
私の父親は何回か入院しているが、心配をして入院先に来てくれる気持ちはありがたいが、しんどいときに来られても本当にしんどいので、そのような時に対応をするのも疲れるとよく話をしている。
これが今生の別れとなるような時は別として、心配しすぎて連絡をしたり、訪問されまくるというのも、配慮が必要だと思っている。
快復されたあとに、「聞いてはいましたが、しんどいときにあまり状態がどうかと連絡をするのもはばかられまして」と話をすることが多い。
2021年3月 2日 (火)
覚えている夢
目覚める直前の夢は覚えていることがある(たいていは忘れているが)。
先日、なぜか全く知らない曲を綾野剛の代わりに紅白歌合戦で歌うことになっており、既にステージに立っているという夢を見た。
仕方がないので適当に歌ったが、サザンの桑田さんから褒められるという夢であった。
誰か私の夢判断をしてくれないであろうか。
以上です。