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2024年10月31日 (木)

プリンターの交換

 先日、ブリンターの中の部品が折れて紙がずれるようになったので、修理を依頼したのだが、既に廃版で部品もないということであった。
 記憶をたどると、今の事務所に移転した平成20年の秋くらいから使っていたので、16年近く使用していたものであり、それはそれで仕方がないと思い、新しいブリンターを購入した。

 このブリンターは前のものと比較すると小ぶりであり、見た目もかわいいのだが、電源を切るときに長い間押し続けないと切ることができないという問題があり、さあ事務所を出て帰ろうという時になかなか電源が切れず、押しが甘いとスリープ状態となってしまうという問題がある。

 さらに、すぐに省電力モードになるせいかと思うが(それ自体はエコでいいのであるが)、プリントする時にいちいちカチッと音が鳴る設定で、時々その音にイラッとさせられる。

 小さいことだが、毎日のことだとイライラすることはあるものである。

 離婚事件でも、小さい小さい積み重ねで妻側が我慢の限界を超えることがあるのと同じようなものである。

 以上です。

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2024年10月30日 (水)

他人の読書歴・読書日記という本のジャンルについて

 本の話が続いて恐縮である。
 誰かの読書歴とか読書日記というジャンルの本があるが、あれを読むのもまたいい。

 世の中にはあまたの本があふれかえっているから、生涯で読むことのできる本は限られている。
 なので、できれば素晴らしい本から順番に読んでいきたいと願っているのだが、誰かの読書歴とか読書日記を読むと、全く知らなかった作家や作品に出会える可能性があるため、その手のジャンルの本を時折読む。
 そして、面白そうだと思って購入してみると、とんでもない当たりがあることがある。

 ということで、私の読書日記も、誰かのそうしたささやかな楽しみに役立てばいいと思って書いている。
 人によっては、「今週の小次郎(今は、在りし日の小次郎となってしまったが)」だけでいいという人もいれば、自分は犬には興味がないから今週の小次郎は要らないという人もいる。また、読書日記は要らないという人もいれば、私の読書日記を見て何冊も購入して読んだという人もいる。
 人それぞれ求めているものは違うだろうし、このブログは私が趣味でこつこつと書いているだけであるので、他人から何を言われても気にせず、私は私の書きたいことや、役立つかもしれないことをこのブログで書くだけである。

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2024年10月29日 (火)

短編小説について

 長編小説を読むのももちろん好きであるが、短編小説集を読むのもまた好きである。
 短編小説は、短い中で物語を完結させなければならないので、筆者の力量が問われる。
 そして、短編小説というものは、物語を完結させなければならない一方で、書ききることが難しいので、矛盾しているようだが、物語が読み手に開かれているところがいい。こうなのか、いや、ああなのかと考えさせられるところがいい。
 長編小説は、物語としての完結性は求められるし、短編と比較するとその完結性は上回ることから、読み手への開かれている部分が少ないように感じる。
 ということで、割合池澤夏樹個人編集の文学全集でも、中編や短編が集められたものが好きである。
 短編集も購入してまだ読めていないものもある。

 という思いつきを書いてみた。

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2024年10月28日 (月)

在りし日の小次郎

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 近くの美容室でカットをしてもらった時の二代目小次郎である。
 データをいただくことができた。

 美容院の(若い)お姉さんが好きで、自宅では見せない笑顔や表情をここの美容院では見せていたものである。
 二代目小次郎のお父さんとしては、何か納得いかない話ではあった。

 10月ももうすぐ終わります。
 あと2ヶ月強ですが、年末に向けて、今週も頑張っていきましょう。

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2024年10月25日 (金)

読書日記「近江商人の哲学 たねやに学ぶ商いの基本」

 講談社現代新書。山本昌仁。

 

 たねやの代表取締役である筆者が、どのようなことを考えて商いをしているのか、なぜそうするのか、そしてなぜ経営が成功しているのかについて書いた一冊。
 いわゆる近江商人の「三方よし」の哲学を地でいく経営である。

 

 今だけ金だけ自分だけの精神がはびこる現代資本主義社会で、こうした考えで経営をしている企業が多数生まれて、倫理観のある資本主義社会であればと願う。
 今だけ金だけ自分だけの考えで政権にすりより、政権もそれをよしとして、そうした企業が儲かる仕組みを政治的に作り出し、国民を無視した政治のあり方にも警鐘を鳴らしているとまで見るのは読み込みすぎであろうか。
 誰も求めていないマイナンバーカードをなぜここまで自民党は強引に推し進めるのか、国益を損なう法律を次々に作るのか。
 そこには、近江商人の哲学は微塵もない。
 弁護士でも、金だけ今だけ自分だけの精神で依頼を受けている者は一定割合いるように思える。

 

 大事なことを考えさせられる一冊。
 お勧めである。

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2024年10月24日 (木)

ビジネス本

 ビジネス書を時々購入するが、だいたいは参考とならない。
 話が抽象的で、一番大事なノウハウは書かれていないからである。
 一番大事なノウハウは誰にも教えたくないものなので、本にも書かないと思う。

 あとは、その人の人格や性格なども影響するので、これさえすればオッケーなどという万人に合うメソッドなどはない。

 そして、ビジネス書を書いている人は、たいてい売上がこれだけあるとか、こういう生活をしているとか、自分の自慢話や、天狗になっていることが透けて見える。人の自慢話ほど、聞いて(読んで)、つまらない話はない。

 あとは曲がりなりにも弁護士を29年してきているので、自分自身にも相応のノウハウはあることから、「そんなこと当たり前にやってるわ」「もっとここまで書けよ」というものも多い。

 それでも時々は参考となるものがあるのではと思って購入するのだが、30冊買って参考となるのは印象的には数頁くらいのものである。

 中身の薄い(又は全くない)ビジネス書を読み終えた時には、その作者が今後没落すればいいのにと思ってしまうのが、私の心の小さいところである。

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2024年10月23日 (水)

債権者集会今昔

 破産事件では法人である場合や、個人でも財産が相応にあったり、借入の仕方に問題があったり、自営業者の場合には破産管財人が就く。
 そうすると破産手続開始決定から3ヶ月程度を目処にして債権者集会がある。

 かなり以前は、反社からお金を借りている人も多く、そういう集会は荒れた。
 管財人の場合はまだいいのだが、申立代理人の場合、集会が終わった後債権者に捕まらないように速やかに裁判所を後にするというテクニックが必要なこともあった。そのような事件では、裁判所も職員をかなりの数配置されていた。
 依頼者には、集会が終わったらダッシュで部屋を出るからと伝えて、集会が終わりそうになると鞄に書類や手帳を入れて、終了した瞬間債権者が破産者を捕まえようとする前にダッシュで部屋を出るということをした事件もある。
 破産者には事前に説明をしていても、もたもたしている破産者がいて身支度に時間がかかり、捕まってしまったこともあった。
 私のボスはこういう時はものすごく足が速かった。46期の修習生は大阪高裁に行くために三条京阪で京阪特急にダッシュするボスに追いつけず、三条京阪に置き去りにされたことがあったそうである。

 最近は、暴対法の関係もあるのか、反社からお金を借りている破産者もおらず(顧客の筋がよく、私だけなのかもしれないが)、そうしたテクニックを披露することはなくなった。

 債権者集会の今と昔である。

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2024年10月22日 (火)

中小企業の方へ。特にホームページのリース又はクレジット契約を締結する前に、一度弁護士に相談を!

 ここのところ、中小企業のホームページのリース又はクレジット契約の相談が増えている。
 ホームページの作成と、そのドメイン費用(サーバーレンタル費用)であるが、通常は作成費用に数十万円程度だと思うし、ドメインの使用料も私の事務所だと月額数千円程度である。
 しかし、相談が寄せられているホームページのリース又はクレジット契約は、数百万円というものが多い。自らが使用できないホームページの作成ソフトをリースさせられたりしているのである。
 中には、ホームページビルダーという数万円で購入できるソフトで自作してもこの程度のホームページであれば作成可能というシロモノもある。

 勧誘文言として多いのは、「毎月の支払よりも、ホームページを作成することで、顧客を誘引できるので、結果的にはお得である」というものが多い。
 現在、ホームページは多くの事業所が持っているため、ホームページを作成したからといって、顧客がいきなり増加することはない。
 また、広告配信で顧客が獲得できるとして、さらなる契約をさせられているケースもある。
 一度ホームページを作成しても、「前のリースは解約できます。うちで再度リースした方が安いです。」などと虚偽の説明をして次々に契約をさせられているケースもある。

 ホームページを作成したけれど、全く顧客は来ないという相談が多い。
 訪問販売の場合、個人であればクーリングオフを主張できるのだが、営業のために契約したものは適用外となるため、解約を求めると、残債務を一括で支払うように請求される。

 ホームページの作成費用で数十万円を越えるような話が出たら、一度契約する前に中小企業のリース問題やクレジット問題に詳しい弁護士に相談をした方がいい。
 弁護士の相談料は多くの場合30分5500円(税込)であり、そちらの相談費用を支払うことで、こうした被害を防ぐことができるのである。
 中には契約をするまで帰ってくれず、数時間も居座られるケースがあるが、そんな場合には帰って欲しいと伝えて、どうしても帰らない場合には警察を呼ぶことも検討した方がよい。
 契約する前には、注意が必要である。

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2024年10月21日 (月)

在りし日の小次郎

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 ソファーでぽわんとしている二代目小次郎である。
 基本的におっとりしていて、運動量も少ないコであった。

 10月も半ばを過ぎました。
 今週も頑張っていきましょう。

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2024年10月18日 (金)

読書日記「東洋医学はなぜ効くのか」

 講談社。山本高穂ほか。

 ツボ、鍼灸、漢方がなぜ効くのかについて科学的にそのメカニズムを可能な範囲で解明した新書である。
 ブルーバックスの中には難しいものもあるが、これは読みやすい。

 身体がつらい時に、鍼治療を受けてみたくなる一冊。
 東洋医学に興味がある方は是非一読を。

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2024年10月17日 (木)

遺言の重要性

 お子さんのおられないご夫婦の場合で、兄弟がいると遺産分割協議で揉めることもある一方で、兄弟姉妹には遺留分(遺言によっても侵害できない権利)はないため、それぞれが亡くなった時には配偶者に全て相続させるという遺言をこれまでも作成してきている。

 あとは相続財産清算人をしている事件で相応に遺産がある方などの場合には、遺言を書かれていれば自分の思うところに渡せたのになあと思うこともある。最終的には国庫帰属となるのである。
 実際、亡くなられた時には相続人がいない方で、遺言を作成させていただいたこともある。

 遺言は大事である。

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2024年10月16日 (水)

判決のスジとスワリ

 加藤新太郎の著書のどこかに「判決のスジとスワリ」という項目で書かれていた箇所がある。
 どういう内容であったか、どの書籍であるか思い出せないのだが、時々、証拠を引用して事実認定は一応しているのだが、スジとスワリが悪く、結論において完全に誤りという判決に出会う。

 こういう判決は、紛争の解決機能を果たさず、敗訴当事者には裁判所に対する不信感しか残さないし、裁判所に対する信頼を損ねることとなる。
 ことに、高裁判決でこうした判断がされると、上告をしても最高裁はほとんどこうした判決を省みないから、誤った判断が積み重ねられることとなる。
 マチ弁で、一応判決ではそれらしく書いているが、結論において誤りであって、裁判所が世の中の物事を何も分かっていないと感じたことのない者はほとんどいないのではないだろうか。私の周りでも、「全く世の中のことを分かっていない裁判官が一定数いるよね。」という話をよくしている。

 なぜ結論において誤るかというと、誤った結論を導き出す裁判体や裁判官が人間というものを知らず、世の中の常識を知らず、物事に対して一方的な見方しかしていないからである。
 思い込みでそれに合致する証拠評価をするということもある。
 また、結論においては誤りではあるが、正しい判決を書こうとすると、そちらの判決の方が手を取られるから、安きに流れるということもあるであろう。

 そうでない裁判官は、結論において正しい判断をするし、正しい判断をすることの方が判決を書くことは苦しいが、そうした手間を惜しまず、記録を丁寧に読み込み、敗訴当事者でも納得する判断をするものである。
 どうしようもない判決をもらうことが多発すれば、裁判による紛争解決は機能しないのである。
 裁判所に絶望しないような判断が望まれるのである。
 

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2024年10月15日 (火)

在りし日の小次郎

https://youtube.com/shorts/yhPOwj5T2cs

 令和6年9月15日の夕方の散歩の時の二代目小次郎である。
 全然元気で、トコトコ歩いている。
 まさか4日後に急死するとは全く予想できなかった。

 10月も半ばになりました。
 今週も頑張っていきましょう。

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2024年10月11日 (金)

読書日記「いちばんの願い」

 新潮社。トーン・テレヘン。

 願いが実現しない限り、願いは存在し続ける。
 63の動物たちが語る、いちばんの願い。

 童話風でありながら、実は非常に深い物語である。
 拝金主義や今さえよければいいという風潮の世界の中で、動物たちの願いを読むことで、なぜかほっこりとさせられる。
 哲学的であるので、色々考えてみたい方には是非お勧めである。

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2024年10月10日 (木)

裁判官について

 裁判官の批判ばかり書いているため、裁判官が全てダメというような印象を受けられる方もいるかもしれないので、念のため書いておくが、大半の裁判官は職業倫理に従って、誠実に職務をされている。
 民事であれば記録を読み込んで、当事者が気づいていない問題点や整理をされることもしばしばである。
 判決で敗訴した時も、「このように書かれては致し方ない」という判決をもらうこともある。
 勝訴した時も、敗訴当事者が納得するであろうなという判決の時もある。

 転勤したてなのに、中にはいつ記録を読んだのかと思うほどの裁判官もいる。

 刑事事件では、私は被害者参加側で裁判官を見ることがほとんどだが、刑事の裁判官も頭が下がる思いの方々がおられる。

 私が書いているのは、いわば悪貨の部分であって、基本的に私は裁判官をリスペクトしていることを書いておきたい。

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2024年10月 9日 (水)

人は何かをしたい

 司馬遼太郎の歴史エッセイに書かれていたが、宗教でも「何もしなくていい」という宗教は流行らないそうである。
 それなりに何かをしないと、人という生き物の性質上、「何かをしたい」と思うので物足りないそうである。
 もちろんこれは一般的な性質を述べているのであり、病気等で何をする気も起こらないとか、そういう例外はあることは前提にしていると思われる。

 宗教行為でそれ相応の格式や決まりがあるというのはそういうことなのであろう。
 仏陀が仏教を始めた頃は、葬式などを執り行うこともなかったようである。
 確か、司馬遼太郎の歴史エッセイでは、仏陀が始めた仏教(小乗仏教)と、現在の日本の仏教(大乗仏教)との間には何の関係もないことが証明されていると書かれていたので、それはそういうものなのかもしれない。
 
 推し活なども、何かをしたいという人間の性質から来ているのかもしれないなと思ったりしている。
 そういう、「何かをしたい」という人の性質につけ込んで、消費者被害が発生することがあり、人の性質上これを防ぐことは難しいのかもしれないとも思いつつ、高校生や大学生に対する法教育というものの重要性を痛感する事件がたまに起こってしまうことに心を痛めたり、弁護団で対応することになる日々である。

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2024年10月 8日 (火)

弁護士と管轄

 たまに依頼者の方で、京都の事件は京都の弁護士にしか頼めないとか、滋賀の事件は地元の弁護士に頼まないといけないと思っている人がいる。
 弁護士に管轄はないので、日本中の事件は引き受けられますよというとそういう方は驚かれる。
 物理的に、遠隔地過ぎると依頼者との打合もままならないし、これまでは遠方の事件は近くの弁護士を紹介してきていた。

 しかし、裁判の期日が大半ウェブ会議となると、遠方の事件だから受任できないということも、よりなくなるように思われる。
 実際、少し前まで新潟地方裁判所高田支部の事件を共同で受任していた。実際に行ったのは依頼者と地元で打ち合わせた時と、依頼者の尋問の時だけであった。
 依頼者もオンラインの打合ができる方であったので、他の打合は基本的にオンラインでできていた。

 依頼者の方がオンラインで打合ができる人だと、最初に直接面談しておけば、後は打合がままならないということもなくなる。
 日本全国の事件に対応することが事実上できるであろう。

 離婚事件で相手方ご本人とオンラインで打合をしたこともあり、時代の進化を感じる今日この頃である。

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2024年10月 7日 (月)

在りし日の小次郎

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 自宅に来た頃の二代目小次郎である。
 コロコロであった。

 10月も早くも2週目です。
 今週も頑張っていきましょう。

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2024年10月 4日 (金)

読書日記「上杉謙信」

 戒光堂出版。前嶋敏編。

 シリーズ中世関東武士の研究36巻。
 マニアックな本であり、謙信ファンでも別に読まなくてよいであろう。

 義の将、軍神などといわれる上杉謙信の実像に迫る一冊。
 発給文書等史料から、謙信の政治的動向、家臣との関係、合戦についての歴史的論考集である。
 川中島合戦についての論考は参考となった。

 春日山城跡に上った後さらに謙信のことを研究したくて購入した。
 正直、素人は別に読まなくていいレベルの本であるが、もはや歴史小説では飽き足らなくなっており、最近は史料に基づいたノンフィクションでないと満足できないのである。

 大半の人は読まなくてもいいが、このブログの読者の中にはマニアックな歴史ファンがいると聞いているので、こんな本もあるよ、ということで紹介させていただく次第である。

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2024年10月 3日 (木)

和解ができなければ判決を書くのが裁判所の仕事である

 判決を書くのが嫌なのか、できないと言っているのにいつまでも和解の話をしてくる裁判官がいる。
 裁判所は判決を書けばいいのであるし、それが仕事なのであるから、当事者ができないというものに対して、いつまでも和解を勧めてくるというのは職業倫理としていかがなものかと思う。
 酷い裁判官は、和解の話をして引っ張って転勤する。

 また、お金を支払わないと言っている側を説得するのが難しいと、お金をもらう側に少額でももらって和解してはどうかと打診してくる裁判官もいる。事案的にそのような事案ではないからと和解を拒絶しても、判決を書くのが嫌なのか、いつまでもその方がいいなどと連絡してくる裁判官もいる。

 和解はダメならダメで、判決を書いてくれればいいのである。
 弁護士がいつまでも準備書面を書かないと裁判所は怒るのであるし(私はそんなことはしないが、全く書かない弁護士がいることは否定しない)、判決を書くのが本来的な仕事であるのだから、無理な和解を勧めるのではなく、判決を書いて欲しいものである。

 大半の裁判官は立派な方であるが、正直、事件から逃げているという印象を抱く裁判官がいるのも事実である。

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2024年10月 2日 (水)

 自宅裏で葉巻を吸いながら、雲を見ていると、様々な形になり、漫画家などであればあれを参考にして怪物であったり何かのデザインに使えるのではないかと思っている。
 ロールシャッハテストではないが、雲が禍々しいものに見える時は、きっと私の心が荒んでいる時であろうかなどと考えている。
 これみまたぼけっとする時間の一つである。

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2024年10月 1日 (火)

夕暮れ

 休日などに、葉巻を吸いながら夕暮れを見ている時がある。
 だんだん日が落ちて行き、山の端に少しだけ太陽の日が残っている時間が好きである。
 その時間はぼんやりとして何も考えていない。

 三夕の歌というものがある。
 新古今和歌集に収録されている和歌で、秋の夕暮れを詠んだ名歌である。


 寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ(寂蓮法師)
 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ(西行法師)
 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ(藤原定家)

 私は西行法師の歌が好きなのだが、皆さんはどうであろうか。

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