在りし日の小次郎
https://youtube.com/shorts/yhPOwj5T2cs
令和6年9月15日の夕方の散歩の時の二代目小次郎である。
全然元気で、トコトコ歩いている。
まさか4日後に急死するとは全く予想できなかった。
10月も半ばになりました。
今週も頑張っていきましょう。
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令和6年9月15日の夕方の散歩の時の二代目小次郎である。
全然元気で、トコトコ歩いている。
まさか4日後に急死するとは全く予想できなかった。
10月も半ばになりました。
今週も頑張っていきましょう。
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新潮社。トーン・テレヘン。
願いが実現しない限り、願いは存在し続ける。
63の動物たちが語る、いちばんの願い。
童話風でありながら、実は非常に深い物語である。
拝金主義や今さえよければいいという風潮の世界の中で、動物たちの願いを読むことで、なぜかほっこりとさせられる。
哲学的であるので、色々考えてみたい方には是非お勧めである。
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裁判官の批判ばかり書いているため、裁判官が全てダメというような印象を受けられる方もいるかもしれないので、念のため書いておくが、大半の裁判官は職業倫理に従って、誠実に職務をされている。
民事であれば記録を読み込んで、当事者が気づいていない問題点や整理をされることもしばしばである。
判決で敗訴した時も、「このように書かれては致し方ない」という判決をもらうこともある。
勝訴した時も、敗訴当事者が納得するであろうなという判決の時もある。
転勤したてなのに、中にはいつ記録を読んだのかと思うほどの裁判官もいる。
刑事事件では、私は被害者参加側で裁判官を見ることがほとんどだが、刑事の裁判官も頭が下がる思いの方々がおられる。
私が書いているのは、いわば悪貨の部分であって、基本的に私は裁判官をリスペクトしていることを書いておきたい。
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司馬遼太郎の歴史エッセイに書かれていたが、宗教でも「何もしなくていい」という宗教は流行らないそうである。
それなりに何かをしないと、人という生き物の性質上、「何かをしたい」と思うので物足りないそうである。
もちろんこれは一般的な性質を述べているのであり、病気等で何をする気も起こらないとか、そういう例外はあることは前提にしていると思われる。
宗教行為でそれ相応の格式や決まりがあるというのはそういうことなのであろう。
仏陀が仏教を始めた頃は、葬式などを執り行うこともなかったようである。
確か、司馬遼太郎の歴史エッセイでは、仏陀が始めた仏教(小乗仏教)と、現在の日本の仏教(大乗仏教)との間には何の関係もないことが証明されていると書かれていたので、それはそういうものなのかもしれない。
推し活なども、何かをしたいという人間の性質から来ているのかもしれないなと思ったりしている。
そういう、「何かをしたい」という人の性質につけ込んで、消費者被害が発生することがあり、人の性質上これを防ぐことは難しいのかもしれないとも思いつつ、高校生や大学生に対する法教育というものの重要性を痛感する事件がたまに起こってしまうことに心を痛めたり、弁護団で対応することになる日々である。
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たまに依頼者の方で、京都の事件は京都の弁護士にしか頼めないとか、滋賀の事件は地元の弁護士に頼まないといけないと思っている人がいる。
弁護士に管轄はないので、日本中の事件は引き受けられますよというとそういう方は驚かれる。
物理的に、遠隔地過ぎると依頼者との打合もままならないし、これまでは遠方の事件は近くの弁護士を紹介してきていた。
しかし、裁判の期日が大半ウェブ会議となると、遠方の事件だから受任できないということも、よりなくなるように思われる。
実際、少し前まで新潟地方裁判所高田支部の事件を共同で受任していた。実際に行ったのは依頼者と地元で打ち合わせた時と、依頼者の尋問の時だけであった。
依頼者もオンラインの打合ができる方であったので、他の打合は基本的にオンラインでできていた。
依頼者の方がオンラインで打合ができる人だと、最初に直接面談しておけば、後は打合がままならないということもなくなる。
日本全国の事件に対応することが事実上できるであろう。
離婚事件で相手方ご本人とオンラインで打合をしたこともあり、時代の進化を感じる今日この頃である。
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戒光堂出版。前嶋敏編。
シリーズ中世関東武士の研究36巻。
マニアックな本であり、謙信ファンでも別に読まなくてよいであろう。
義の将、軍神などといわれる上杉謙信の実像に迫る一冊。
発給文書等史料から、謙信の政治的動向、家臣との関係、合戦についての歴史的論考集である。
川中島合戦についての論考は参考となった。
春日山城跡に上った後さらに謙信のことを研究したくて購入した。
正直、素人は別に読まなくていいレベルの本であるが、もはや歴史小説では飽き足らなくなっており、最近は史料に基づいたノンフィクションでないと満足できないのである。
大半の人は読まなくてもいいが、このブログの読者の中にはマニアックな歴史ファンがいると聞いているので、こんな本もあるよ、ということで紹介させていただく次第である。
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判決を書くのが嫌なのか、できないと言っているのにいつまでも和解の話をしてくる裁判官がいる。
裁判所は判決を書けばいいのであるし、それが仕事なのであるから、当事者ができないというものに対して、いつまでも和解を勧めてくるというのは職業倫理としていかがなものかと思う。
酷い裁判官は、和解の話をして引っ張って転勤する。
また、お金を支払わないと言っている側を説得するのが難しいと、お金をもらう側に少額でももらって和解してはどうかと打診してくる裁判官もいる。事案的にそのような事案ではないからと和解を拒絶しても、判決を書くのが嫌なのか、いつまでもその方がいいなどと連絡してくる裁判官もいる。
和解はダメならダメで、判決を書いてくれればいいのである。
弁護士がいつまでも準備書面を書かないと裁判所は怒るのであるし(私はそんなことはしないが、全く書かない弁護士がいることは否定しない)、判決を書くのが本来的な仕事であるのだから、無理な和解を勧めるのではなく、判決を書いて欲しいものである。
大半の裁判官は立派な方であるが、正直、事件から逃げているという印象を抱く裁判官がいるのも事実である。
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自宅裏で葉巻を吸いながら、雲を見ていると、様々な形になり、漫画家などであればあれを参考にして怪物であったり何かのデザインに使えるのではないかと思っている。
ロールシャッハテストではないが、雲が禍々しいものに見える時は、きっと私の心が荒んでいる時であろうかなどと考えている。
これみまたぼけっとする時間の一つである。
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