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2010年10月

2010年10月28日 (木)

よろしくない傾向

 早川さんのハスキーな声で、「真田先生、真田先生、1階受付までお戻りください」と二回繰り返した。
 この暑い日に予約無しに飛び込みの相談とは珍しいと思いながら、私は健康のため1階まで階段で下りた。ただ、この弁護士会館の階段は急で、狭い敷地内に無理に建てているせいで、歩いて降りると目が回るのが難点ではあったが。数年前に副会長をしていた時も、この階段で目が回ったものだった。
 葉巻の心地よい酩酊感を少し残したまま1階に下りると、早川さんが私を受付の横の少し相談待ちの人から死角になっているスペースに手で招いてきた。
 これはよろしくない傾向だと私は思った。
  だいたい彼女がこういう仕草をするときは、やっかいな相談者と相場が決まっているのだ。本人は正常であると言い張るが、明らかに精神を病んでいる人か、今依頼している弁護士に不満を持ってセカンドオピニオンを聞きに来たか、裁判を最高裁まで戦って、再審までしたが認められず、しかしどうにか勝訴したいという法律上どうしようもない相談かのいずれか、あるいはそれと同等の中々対応に苦慮する相談者であろうと検討をつけた。
  受付職員の方も、こうした相談者に対する対応は心得ていて、後で文句が出ないよう、こうした相談者にうまく対応して、不満を取り除いてくれる弁護士に相談を回すのである。私や、私の親友の川上誠一などは、こうした対応が難しい相談者が来ると、たいてい相談させられるのだった。
  ただ、私は多重債務相談の担当日なので、多重債務を抱えている人で、こうした類型に当てはまる人がいるものかなどと思って、あまり嬉しくない気持ちでそちらにややゆっくりと、こつこつと革靴で音を立てながら歩いていった。

2010年10月23日 (土)

ある夏の日の相談

 私がその相談を聞くことになったのは偶然だった。
 うだるような暑い日だった。寺町通りを歩いていると、日陰を探したくなるような、そんな日だった。蝉が裁判所の周りの木という木で命を限りにとしきりに鳴いていた。
 私は午後に所属する弁護士会の法律相談の担当が割り当てられていた。その日は、各種ある法律相談のうち、借金苦にあえぐ人のための多重債務無料相談の担当日だった。
 夫に内緒でパチンコに通い、多額の借金をした主婦と、会社の使い込みがばれるのをおそれて消費者金融に借りたことがきっかけで、今や一千万円を超える負債に膨れあがった営業担当のサラリーマンの相談を聞き、彼らに必要書類の指示をし、事務所に継続して相談に来る日の日程を調整した後は、多重債務相談の枠は空いていた。
 受付の担当の早川さんが、清潔感のある、胸元にフリルがついた白い身体にぴったりのブラウスに紺色のスカートといういでたちで相談室に入ってきて、その後の枠が空いていることを告げてくれた。
 彼女は赤く細い眼鏡をかけていて、かつ身体にぴったりとしたブラウスのせいで身体のラインが強調されていて、かつ彼女は胸が豊かであったこともあり、それが暑い夏の午後にとてもコケティッシュだと思ったが、それをいうとセクハラになりかねないので、心の中だけでそう思うだけにとどめて、無表情で相づちを打って、私は弁護士会の4階に葉巻を吸いに行った。
 外が暑すぎるためか、4階には誰もおらず、電気も消されていた。電気が消されてはいたが、4階の窓が大きいので、十分に外の明かりが入ってきていて、特に不都合を感じることはなかった。
 4階の奥にある喫煙室には誰も居なかった。最近は喫煙者も減っているのだ。また、こんな暑すぎる午後に弁護士会の喫煙室まで来てたばこを吸う物好きもいないだろう。
 携帯に事務所から事務連絡のメールが来ていないことを確認した後、ぼんやりと外を眺めながら、クマゼミの鳴き声を聞きつつ、コヒーバのシガレットを二本ふかし終わった時に、弁護士会館内のアナウンスが流れた。

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