よろしくない傾向
早川さんのハスキーな声で、「真田先生、真田先生、1階受付までお戻りください」と二回繰り返した。
この暑い日に予約無しに飛び込みの相談とは珍しいと思いながら、私は健康のため1階まで階段で下りた。ただ、この弁護士会館の階段は急で、狭い敷地内に無理に建てているせいで、歩いて降りると目が回るのが難点ではあったが。数年前に副会長をしていた時も、この階段で目が回ったものだった。
葉巻の心地よい酩酊感を少し残したまま1階に下りると、早川さんが私を受付の横の少し相談待ちの人から死角になっているスペースに手で招いてきた。
これはよろしくない傾向だと私は思った。
だいたい彼女がこういう仕草をするときは、やっかいな相談者と相場が決まっているのだ。本人は正常であると言い張るが、明らかに精神を病んでいる人か、今依頼している弁護士に不満を持ってセカンドオピニオンを聞きに来たか、裁判を最高裁まで戦って、再審までしたが認められず、しかしどうにか勝訴したいという法律上どうしようもない相談かのいずれか、あるいはそれと同等の中々対応に苦慮する相談者であろうと検討をつけた。
受付職員の方も、こうした相談者に対する対応は心得ていて、後で文句が出ないよう、こうした相談者にうまく対応して、不満を取り除いてくれる弁護士に相談を回すのである。私や、私の親友の川上誠一などは、こうした対応が難しい相談者が来ると、たいてい相談させられるのだった。
ただ、私は多重債務相談の担当日なので、多重債務を抱えている人で、こうした類型に当てはまる人がいるものかなどと思って、あまり嬉しくない気持ちでそちらにややゆっくりと、こつこつと革靴で音を立てながら歩いていった。
最近のコメント