バー「月」
通りを行く人は金曜日にしては少ない方だったろう。酔っぱらって大声でもう一軒行こうと騒いでいるもの、酔いつぶれた女性を肩にかついでいるものなど、思い思いの酔い方で金曜日の夜を楽しんでいる。
宮前と板尾は明日仕事があるのでここで切り上げて帰るということだった。私は、少し飲み足りない思いでいたのと、昼間あった山名恵子の件が小骨のように引っかかっていたので、一人でもう一軒行くことにした。
「また、誘ってくださいね。」
と桜ちゃんに言われ、適当にあいづちを打つと、私は一人で花見小路通りを南に歩き出した。その間に、宮前と板尾はタクシーに乗り込んで帰って行った。
花見小路通りを南に歩き、四条通も越え、石畳の道を歩いて、歌舞錬場の手前の小さい路地を左に折れて、バー「月」に入った。
京町屋の作りをそのままのバーで、私が月に1、2度通うバーだった。
ドアを開けて入ると、6人ほど入れるカウンターには客はおらず、テーブル席と、奥の小部屋に客がいるようだった。
「いらっしゃいませ。」
カウンターに居た三名がめいめい声をかけてきた。皆、黒い前掛けに白い襟の立ったシャツを着ている。一人は無精ひげ風のあごひげを生やしていて、背が高く、鋭い目をしている。これがオーナーの里内さんであり、細身で、最近テレビに出ている俳優のような優しい顔立ちをしているのが、バーテンダーの織田君である。もう一人がっちりとして、黒縁眼鏡をかけている優しい顔をしているのが、長谷君といい、料理を作る担当であった。
淡い薄暗い光の中で、彼らはカウンターに客がいないので、手持ち無沙汰そうであった。
バーでテーブル客ばかりだと、カウンターの中のバーテンダーは会話もせず、注文を聞くだけの存在となってしまう。また、テーブルの客は自分たちの会話に夢中であり、彼らに酒をおごることもないだろう。
「一人だよ。」
と私がいうと、三名ともに、「珍しいですね。」
と言った。
あまり、私は一人で飲みに行く方ではないからで、ここはよく来るので、三名ともそれはわかっているからだった。
私は酒じたいが好きというよりは、酒を飲む場の雰囲気や、会話を楽しむ方であるので、一人ではあまり飲みに出ないのだった。
私はカバンを席の左側に置いて、カウンターは一人だけのようなので、真ん中に座った。
織田君は、何もいわず、カクテルを作り出した。
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