四条通にて
私は失望したが、これは由紀が死んでから7年間、ことあるごとに味わってきた失望だったから、ある意味私の生活の一部ともなっていた。人は失望することにすら慣れていくのかもしれないし、あるいは私は慣れてしまった風を装っていて、その実心の底では慣れていないのかもしれない。
昼間はタフな弁護士を装っているだけで、夜になれば、死んだ妻の面影を道行く女性に重ねているセンチな男、それが私なのかもしれなかった。
四条通りを南から北へ渡ろうと、信号待ちをしていると、私の周囲を様々な人が通り過ぎて行く。酔ってどうしようもなくなくなった女性に肩を貸している男性、大声でまだまだ行くと言っているサラリーマン風の団体等々。
信号待ちをしながら、何気なく北の方を見ると、そこに昼間見た顔があった。
それは山名恵子だった。
昼間よりも化粧が濃くなったような気がしたが、やはり、私が昼間感じたように、水商売の店で働いているのだろうか。しかし、服装は昼間見た服装のままだった。ただ、店が終わり、店で着ていた服と着替えて出てきたところかもしれないから、これはどちらともいえなかった。
四条通の南に居ながら、北を行く女性の顔をこれだけ正確に見ることが出来るというのも、また私なのだった。パソコンの画面と毎日数時間はにらみ合いをし、目が悪くなってもおかしくないのだが、不思議と視力は落ちなかった。未だに両目とも2.0のままなのだった。
ただし、山名恵子には連れがいた。山名恵子の隣には、山名恵子よりも幾分若い男性が居て、山名恵子はその男性と腕を組んでいた。表情も昼間見た表情とは違い、楽しそうな表情をしていた。少なくとも、男性を上から見下ろすような表情ではなかった。
隣に居る男性は、学生とも見える若さだった。ワックスで髪を散らしている髪型のほか、来ているものもジーンズ生地のハーフパンツにTシャツという出で立ちで、そのあたりにいる若者と特段代わり映えがする格好ではなかった。
顔は、相当な二枚目と言っていいだろう。ジャニーズにでも入れるのではないかというくらいのかわいらしい顔立ちだった。心なしか山名恵子に似ている気もしたが、これは私の気のせいかもしれなかった。
私が山名恵子に昼間感じた違和感はこれだったのかもしれない。彼女には若いツバメがおり(山名恵子もまだ若いが、彼女に比べてという意味だ)、その若いツバメと一緒になりたくて別れたがっているという構図もあり得た。彼女が受けた暴行も嘘なのかもしれないという考えもちらりと頭をよぎった。
依頼人は、常に本当のことを言うわけではない。全てが嘘のこともあれば、一部が嘘のこともある。また、嘘ではないが、事実を欠落させていることもある。人には誰しも一つや二つ言いたくないことはあるだろうし、その全てを弁護士が見通せるほど世の中は甘くない。ただ、ある程度弁護士をやってくると、依頼人が何かを隠しているとか、依頼人の話がつじつまが合わず、どこかの部分で嘘をついているとかということは分かるようになる。
また、論理的ではなく、弁護士としての経験上何かが違うとどこかでシグナルが鳴ることもある。
この男性が、山名恵子の嘘、あるいは隠しておきたいところなのかもしれなかった。
ただ、これは私の思い過ごしで、彼女は水商売で働いていて、そこの客とたまたま店がはけた後飲みに行こうという話になっただけなのかもしれなかった。
今それを考えても仕方のないことだということも分かっていた。
彼女は昼間たまたま法律相談に来たというだけの関係だし、依頼があるかどうかも分からなかった。
東西の方向の信号は青色だったので、山名恵子とその男性は、にこやかに笑いつつ四条通りを東から西に沿って歩いていった。
信号が変わり、私は四条通の北へと渡り、タクシーを停めた。
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