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2011年11月29日 (火)

タクシーにて

 タクシーの運転手は、はきはきとした物の言い方をする男だった。髪を短く刈り込み、清潔そうな帽子をかぶっている。制服は糊がきいていて、手でこすれば糊の白い粉が出てくるのではないかという気がした。
 私が停めたタクシーは、京都では業界大手のNKタクシーだった。従業員への教育が厳しく、噂ではあるが、同じ運転手が3回顧客から苦情が来たら、理由はどうあれ解雇されるという話も聞いていた。労働法上そんなことが出来るのか私にも分からなかったが、少し酔いが回っている私の頭にとってはどうでもいいことだった。人は、他人の行く末にそれほど気を回さないものなのだ。
 行き先と行き方を告げると、運転手は黙って車を走らせた。話しかけてくる運転手は好きではない。こちらは人と話すのが商売で、その話の内容はほとんどの場合愉しい内容ではない。仕事に追われるほとんどの弁護士は夕方にはくたびれていて、自分の好みの相手としか話をしたいとは思わないだろう。ストレスを受けているのは、依頼人ばかりではなく、依頼人の向こうにいる相手方も多くの場合そうだろうし、依頼を受ける弁護士も、間に入ることがある事務員もそうなのだった。
 酔いが回っていたせいもあり、私はうとうととしていた。
 少し夢を見たようだった。
 妻の由紀の夢だった。

 妻の由紀が死んでから7年が経つ。7年という月日は、私の頭髪を薄くして、髪の毛を柔らかく、細くし、数キロ体重を増やし、私の弁護士としての経験を増やし、私は弁護士会の副会長をし、7歳だった長男の幸隆(ゆきたか)は14歳になり身長が私と変わらなくなるという変化をもたらしたが、由紀がいないという現実を受け入れるには足りないのだった。
 由紀は、私の弟の信綱(のぶつな)が、自動車で由紀を実家まで送っていく時に、国道で事故に遭ったのだった。大型のダンプで、加重労働により居眠り運転をし、センターラインを越えてきたのだ。そのダンプの飛び出しにより、10台の自動車が事故に巻き込まれた。その車の中に、信綱が運転する車が入っていたのだ。テレビで見ていた事故は、私にとって違う世界の出来事であり、自分の身にあのような事故が起こりうるはずがないという気持ちを持っていなかったといえば嘘になるだろう。人は誰しもそのように感じて生きている。
 どうして、どうして自分がこんな目に遭うのか?そう思うまでは。

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