橋をこえて
人というものは、周囲で悲劇が起こったとしても、それが自分自身の身に現実に発生することを考えないものである。隣の国で国民が餓死していても、遠い国で自爆テロがあっても、隣人が交通事故で死のうと、「お気の毒に」と思うだけで、自分の身に置き換えて考えることは普通しない。
社会の耳目を騒がせた事件も、しばらくすれば、忘れ去られてしまう。
しかし、当事者はそういうわけにはいかない。事件当時の気持ちよりは落ち着くことがあっても、被害に遭ったことが心から消えることはない。いつまでも、いつまでもしこりのように心の奥底に沈んでいる。周囲の無関心と、自らの心の傷、そのギャップに被害者はさらに苦しむのである。
加害者の方も、自己防衛本能があるので、自分の起こしたことを正当化しようとしたり、過失犯であれば、「わざとではない」ということを述べたり、加害者になった自分だって苦しいとか、自分が事件を起こしたのはこういう正当な理由があるなどと、被害者からすればとうてい容認出来ないことを述べたりするものである。加害者が心の底から被害者に対して慰謝の気持ちを持つことはないのではないかと私は思う。
被害者と加害者の心が交錯し、分かり合えることはないのだ。
「お客さん、近江大橋ですよ。」
うつらうつらとしていた私に、タクシーの運転手が声をかけた。私が乗るときに走行経路を説明したが、そのときに、近江大橋を渡った時に私が眠っていたら声をかけると運転手から言われていたのを思い出した。
私は目を覚まし、道なりにしばらくまっすぐいくように運転手に告げた。
近江大橋を左に見ると、琵琶湖の湖面が見えた。
湖面は暗く、遠くの光を反射して、鈍い光を放っていた。この湖面の下にも、沈んだまま見つからなかった死体が沈んでいるだろう。生きている時は、自分が琵琶湖の湖底に苔が生えた石とともに沈んでいることなど想像もしていなかったろう。湖面の鈍い光は、死者が生者を呼んでいる光のようにも見えた。
遠くを見ると、琵琶湖を囲っている山々が、黒々と空に自らの存在を誇示するかのように浮かんでいた。
道路を走る車はほとんどなかったが、タクシーは法定速度を少し超えた程度で走り続けた。運転手は、むっつりと前を向いて走っている。彼は、道順や用事以外のことを話すと、私に舌を切り取られると思っているのだろう。客もタクシーの運転手がどんな人間か分からないように、タクシーの運転手も、客のことは分からない。無用に話しかけて、突然怒鳴られるよりはましなのだろう。世の中には、いろいろな人間が居るのだ。
私は自宅の近くの交差点の信号のところが近づいたので、停車する位置を彼に教えて、料金を支払い、領収書をもらった。むっつりとした彼に、多少小銭をチップとして渡した。
「ありがとうございます」と彼はいったが、笑顔はなく、やはりむっつりとしたままだった。
笑顔になると、彼にかかった魔法が解けてしまうと思っているかのようだった。
私は礼をいってタクシーを降りて、時計を見ると1時20分だった。
鍵を開けて家に入ると、飼い犬の小太郎が早速私に飛びかかってきた。
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